【革命】清風南海ってどないやねん part20【希望】

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683実名攻撃大好きKITTY
清風南海を卒業するという事は自己の損失と常に同一概念である。
何故なら本学園の教育方針なり校則なりはなんらその本質的な役割を果たさず、単なる生徒集めや世間体への謳い文句と化しているからだ
私立故の校則についてだが、確かに自由の裏には義務と責任がつきまとうので一概に自由主義が正しいとは言えない。
だが、本学園の教育方針が生徒に自立する機会を与えているとは到底言えない。本学園の言う程度の低水準な自立に自らを律する義務も責任も皆目見あたらないし
存在したとしても生徒に思考の余地を与えず写経なり謹慎なりで自己の意見を1から10まで洗脳させているので結局は自立の機会を奪っているのである
学校という隔離化された小社会の中であるからその無理押しが通るものの社会に進出すると一切の保護が突如無くなり戸惑うだけということを分かっておらず古い考えで生徒を束縛している。
新しい考えが全て正しいというわけでもないし温故知新を推進するわけでもないが現代がこの様な情報乱雑や半ば新興的な風潮であるからこそ正誤善悪を正確に見極める必要があるのだ
自分が絶対的に正しい規範を元に生徒の指導をしているという誤った概念を持つ教師陣を養成しているようでは今は羽振りがよくてもいずれ社会から淘汰される人材しか育成できないのだ。
現に近年本学園で刑事事件や問題が多発しあわやくば死者をも出しかねない状況に至っているのは紛れもない事実だ
時代というものは常に移り変わるもので現に古い考えは社会的にも次々に排除されているのだ
『栄枯は物の習い』なはずなのだから
矛盾だらけの校則については例を挙げればきりがない
本校の特徴的な校則として整髪というものがある
これは先代校長の『流行に流されてはいけない』と言う意向の元に決まったものだがそれには『学生ではまだ人生の緒についたばかりで価値観も中途半端なものだ。
そのような状態での自由奔放は真の自由とは無関係なのだ』という理念に基づいて成り立っていた
しかし今やその理念も制度も崩壊し『ついで指導』や『権力行使』の通過儀礼のようなものと化している