1 :
「ひろしまの旅」はじめ狭い思想教育志向の抜本的改革を!:
前スレの議論の中から、JGの教育の中に、共産党勢力が侮れない影響力を及ぼしてい
るらしいことが、次第に浮かび上がってきました。
「ひろしまの旅」から帰って、日本は「卑怯なことをした」から原爆が落とされても
しかたなかった、という意味の作文を平気で書く生徒。それを誇らしげに公式HPに
掲載する学校側。
一生懸命受験勉強してようやくJGに進学したわが娘が、知らないうちにこのような
教育で洗脳され、一生の世界観が歪んでゆくとしたら、恐ろしいことです。
多様な考え方の尊重と、中庸な歴史観にもとづく教育。
JGにこれを取り戻すことは、もうかなわぬ願いなのでしょうか。
JGを志望校として検討している保護者・生徒の皆さんも、みんなで、よくよく考えて
みませんか。
前スレ
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1112532518/
3 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/28(月) 09:14:33 ID:9XYLhr1n
本スレage
JGの現在の教育姿勢に疑問のある方、このスレでじっくり語り合いましょう。
4 :
議論の発端となった、「ひろしまの旅」参加生徒の作文:2005/11/28(月) 14:19:01 ID:OHAM+nI2
議論の素材として、貼り付けておきます。
オリジナルのソースは、こちらです。
http://www.joshigakuin.ed.jp/jg_news_bk2002_7-2.htm#hirosima 私は広島という街に、今回初めて行った。そこに戦争や原爆の面影はほとんど見られなかった。
原爆ドームを見た時も、何か不思議な感じがした。周りと比べると思っていたよりも小さく、街になじみすぎているような気がしたからだ。
資料館で数々の悲惨な姿を見て、やっとここは本当に広島なんだ、と実感した。これは今私がいる「この地」で起こったことなのだと。
時間が経つと街の外見は変わるものだ、と強く感じた。
これから先、どんどん被爆者の方が少なくなる。その分私たち若い世代が戦争や原爆のことをしっかり心の中に入れ、次の世代に伝え
なければいけない。街の外見は変わっても、その中にあるものや私達の戦争に対する気持ちは変わってはいけない。
被爆者の方のお話は、それまでの自分の知識を超え、想像以上に辛いものだった。思い出すだけでも嫌なはずなのに、それでも語り続
けているのは、本当に、心から、同じことを繰り返してはいけないと思っているからだろう。運良く助かった自分の命で、いったい何が出来
るだろうかと考えたからこそだと思う。
5 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/28(月) 14:20:34 ID:OHAM+nI2
>>4の続き。前スレ以来議論になってきた対象は、ここから始まります。
さらに「原爆をなぜ落とされたのか」というお話にも深く考えさせられた。落とした側だけでなく、日本、特に日本政府にも大きな責任があ
るということだ。日本は原爆を落とされても仕方がないような行為をアジアの国々にしていたし、実際に原爆のおかげでその国々の人々は、
日本の侵略から逃れられたのだ。
しかし、だからと言ってやはり原爆の存在を認めてはいけない。核保有国は何のために核を持つのだろうか。おそらく、自国の力を他国
に示すためだと私は思う。そしてその理由は、自国が政治的にも、社会的にも他国より優位に立つためだ。
私には、「他国より優位にたちたい」という発想自体、何か間違っているような気がする。核の問題以前に、国同士は自国のことばかりで
はなく相手の国の事も考え、平和に接し合える時代になってほしい。
けれども、現実問題、それは、机上の理想論であろう。ならば、せめて核は永久的に使用されず、無用の長物となることを祈るばかりであ
る。
その為にもこれからは、唯一の被爆国として世界に、核のおそろしさ、それを使用する人間の愚かしさを全世界の人達に伝えていかね
ばならないと思う。
6 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/28(月) 18:24:41 ID:67u5bBuy
で、
>>4-5の作文を読んで、JG現役生徒が、次のような意見を前スレに書き込んだ。
これが、議論の発端となった。
669 :名無しさん@自治スレでローカルルール改正議論中 :2005/11/06(日) 16:51:56 ID:wwnJ/yC7
www.joshigakuin.ed.jp/jg_news_bk2002_7-2.htm
↑の広島旅行の感想文、日本人としてどう思うよ?
原爆落とされて死んだ人は自業自得だって思ってるらしいよ。
うちの学校の先輩でこんなの書くのって・・
8 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/28(月) 18:32:44 ID:PHx9RLD4
両方のスレが立った時間を、チェックして比べてみました。
このスレは、2005/11/28(月) 01:10:52
もう一つのスレは、2005/11/28(月) 06:20:12
もう一つのスレは、スレが立てられた時刻が、一晩はさんで事実上翌日ですね。
あきらかに、もう一つのほうが重複スレです。
重複を知りながら、もう1つスレを立てるのは、明らかな2ちゃんねるのルール違反であり、
そのようなスレは削除対象です。
9 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/28(月) 20:57:11 ID:POjs2HvT
次に前スレで問題になったのは、この↓本。
この「高文研」という出版社は、その出版書目を見ると、明らかに「ある政治的傾向」をもっている
と判断されるのだが、学校側が、ここに生徒の作文を実名掲載するにあたって、出版社の性格をふく
む十分な説明責任をきちんと生徒や保護者に果たしたのかどうか、疑念が生まれている。
15歳が受け継ぐ平和のバトン―祖父母に聞いた235の戦争体験
女子学院中学校「祖父母の戦争体験」編集委員会 (編集)
価格: ¥3,150 (税込)
単行本: 889 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 高文研 ; ISBN: 4874983189 ; (2004/02)
10 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/29(火) 00:48:20 ID:n4frLBVh
『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』
日中韓3国共通歴史教材委員会 (著)
価格: ¥1,680 (税込)
単行本: 223 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 高文研 ; ISBN: 4874983413 ; (2005/06)
JGでもさっそく、副読本に使われそうですね。
アマゾンで検索してみたら、
「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーが、こうなってました:
日韓共通歴史教材 朝鮮通信使―豊臣秀吉の朝鮮侵略から友好へ日韓共通歴史教材 日韓共通歴史教材制作チーム (編集)
いまこの世界をどう見るか―アジア・アフリカ・ラテンアメリカ 不破 哲三 (著)
歴史教科書と日本の戦争 不破 哲三 (著)
私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言 不破 哲三 (著)
韓洪九の韓国現代史〈2〉負の歴史から何を学ぶのか 韓 洪九 (著), 高崎 宗司 (翻訳)
★不破哲三著が3冊も・・・ やっぱりねwww
以下のブログにコメントがあったので、御参考までに。
http://boyakkies.blog12.fc2.com/blog-entry-14.html 「未来を開く」?教科書???
今日の新聞の下の方、本の広告にも載っていましたが こんな本を大々的に販売するそうです
※初めてこの出版社(高文研)のHPを見ましたが、いわゆる”その手の本”しか発行しない
偏った思想傾向を持つところとお見受けしました。あくまで私見ですが。
つまり中国・韓国人と同化した歴史観を持っている自称日本人たちが勝手に「自分たちは日本人
の代表で〜す」と名乗って、中国・韓国にすり寄って作ったような本であるのが見え見えなんですが…。
ただ、この団体は日教組には影響力が強そうなので、副教科書として大量に買わされそうですね…
税金で。(この本は中学生の副読本として作ったつもり らしい です
11 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/29(火) 01:05:42 ID:kYNkDuG6
【2005/11/28 自治スレからのお知らせ】
現在、
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1131034841/にて自治議論中です。
現状のお受験板としての機能を失い、雑談や誹謗中傷が大半を占める状況を改善すべく、
新しいローカルルールを制定することとしました。現在、2ちゃんねる運営に対して
申請中となっております。
◆新しいローカルルール案
http://ojyuken.rulez.jp/index.php?LR#change2 最大の変更点は以下のようになっていることです。
> 三、この板で禁止されること
> 削除ガイドラインの内容と、特に以下の項目は禁止されています。
> 1)【スレッドの重複】 1学校、1企業につき、原則1スレッドでお願いします。
> 2)【過度な馴れ合い】 自分の学校のスレッドで、友達と会話すること、会って話せば済むことは馴れ合いに当たります。
> 3)【実名を晒すこと】 公ではない個人(削除ガイドラインの個人第三種)の実名を出すことは、(伏字・イニシャルでも)禁止されています。
> 4)【内輪での会話】 在校生の実名・イニシャルトークなど、内輪での会話と判断できる内容は禁止されます。
今後のことを考え、新ローカルルールに抵触する内容の書き込みはお控え下さい。
よろしくお願いいたします。
13 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/29(火) 07:39:09 ID:QYND5reV
って優香、「この板で禁止されること」の第1条
> 1)【スレッドの重複】 1学校、1企業につき、原則1スレッドでお願いします。
に明白に違反しているのは、
>>12の誘導先のスレッドなわけですが・・・
>新ローカルルールに抵触する内容の書き込みはお控え下さい。
全くその通りですね。
違反スレッドには、書き込まないようにしましょう、皆さん。
>1
おい、なんか寂しいぞ。もっと盛り上げろや
15 :
前スレの主なカキコ:2005/11/29(火) 22:17:19 ID:m4cIbygD
前スレが1001まで逝ったので、まもなくdat落ちします。
すると、前スレを一般の人は読めなくなるので、以下に主な論点をコピペにて転載しておきます。
議論の参考にしてください。
16 :
前スレ759:2005/11/29(火) 22:18:16 ID:m4cIbygD
さて、
>>750の意見をよく読むと、巧みに論点がずらされていますね。つまり、
>日本という国が、他の国を戦場とし、それ以上に他国の国民を 苦しめた
という事実については、誰もこのスレでは争っていないわけです。
争われているのは、次のこと。いくら言ってもわからないようだから、もう1度論点整理しておきますよ:
・ 日本の侵略戦争が悪だったとしても、だから、アメリカの核開発と広島・長崎への実戦核空爆が
正当化されるのか。
・ アメリカが核を実戦使用した意図は、有色人種に対する人体実験であり、また、戦後の世界覇権
を目指したアメリカの軍事力の誇示であった、と考えれば、ますますこの核空爆の正当性は疑念
にさらされるのではないか。
そして、念のため付け加えれば、この背景には、次のような問題がある:
・ 核空爆を行ったアメリカは、侵略国を核爆弾で膺懲する権利を持つほどに正義をはらんだ平和愛
好国家なのか。戦後世界史の中で、アメリカが自ら侵略戦争に手を汚した事例はいくつもある。
ベトナム、アフガニスタン、イラク・・・
・ 英国、オランダ、フランス、ソ連、中国・・は、実はいずれも同じようにアジアで侵略行為を行い、
多数の植民地をつくって、アジア人を搾取してきたという歴史的事実をどう考えるのか。
・ このように考えれば、第2次大戦とは、結局、多数の帝国主義国家(米、英、蘭、仏、ソ連、中、日、
独) 相互の覇権領域ひきなおしという帝国主義戦争なのであって、特定の国(例えば日本)の行為
だけを自虐的・否定的にとらえることは、他の国(例えばアメリカ)の行為を免罪することにつながる。
もっと総体的な歴史観が、中高生に教えられるべきではないのか。
さあ、「反体制」を自称する
>>751さん、争っていないことをさも問題のように書き立てて議論から逃れ
ようとするのではなく、上記の5つの問題にしっかり回答してください。
JGの歴史教育が、議論に耐えるよりロバストな歴史認識の上に立つことを祈念しつつ・・・
17 :
前スレ767:2005/11/29(火) 22:20:09 ID:m4cIbygD
>>761-766 では質問するが、
JG歴史教師?は、
・広島・長崎への核空爆は正当化されえない。
・アメリカは、平和愛好国家ではない。
この2点を認めたわけだ。
すると、核空爆は、平和達成以外の目的でなされたことになる。
当然、広島・長崎におけるこのような ア メ リ カ の核空爆は批判されなければならないと認めたことになるな。
もうひとつ。
第2次大戦中の連合国(米英仏蘭中ソ)も、帝国主義的侵略国家であることをJG歴史教師?ははっきり認めた。
つまり、第2次大戦は、帝国主義列強の覇権領域再分割戦争だったのだ。
すると、帝国主義戦争にたまたま勝利した国が敗北した国を「平和」などという名の下に裁くことがそもそも正当性
をもつかという問題が生ずる。そう、東京裁判の正当性だ。
これは、
>>766のような子供の喧嘩のたとえですむ事柄ではない。戦後日本の歴史認識そのものにかかわる問題だ。
上記2点について、JG歴史教師?の明確な回答を求めたい。
18 :
前スレ775:2005/11/29(火) 22:21:45 ID:m4cIbygD
>>769 >第2次世界大戦が、民主主義国家とファシズム国家の対立の側面があること
ギガワロス
当時の連合軍の自己正当化の論理を、そのまま受け入れてやがる、こいつ。
なら、お聞きしますが、
ベトナムで、インドネシアで、インドで、過酷な植民地支配を行って原住民を抑圧した欧州の列強のどこが、
ラーゲリをシベリアに沢山作って反体制派を次々粛清した国のどこが、
いったい、「民 主 主 義」 なんですか? しっかり説明していただきましょう。
歴史家なのに客観的事実が見えないなんて、哀れすぎ。
で、
>平和愛好国家ではなくても、平和達成の目的で行動することも当然ある
ハァ? だから、アメリカの原爆投下は、平和達成の目的だった?
で、原爆を投下したあと、朝鮮半島で、すぐにまたアメリカは帝国主義に戻った?
そんんアフォな。
こりゃもう、論理破綻で支離滅裂ですな。いくらなんでも、アメリカはお前ほど分裂症的じゃない。
国には政策の連続性というものがあるでしょ。
結局、もっともらしいこと言っているが、自虐史観って、ほとんど連合軍の主張の引き写しね。
で、連合軍を「民主主義国」と弁護しなければいけないわけだから、連合軍が行った覇権行為や侵略行為
をつきつけられると、しどろもどろ。説明できなくなる。
あと、
>中国を帝国主義的侵略国家と認めた
お前が認めなくても、それは事実だよ。嘘だと思ったら、チベット人やウイグル人に聞いてごらんww
19 :
前スレ790:2005/11/29(火) 22:23:37 ID:m4cIbygD
>>786 同感です。
すこしでも教育方針と違うと、すぐ「ネットウヨ」といったレッテルはりで言論封じをしたがる。
JGで高1にやる「ひろしまの旅」というのは、こうでもしないとその教育方針が維持できない行事
なのでしょうか。
しかも、イデオロギー的に偏った行事だと生徒や保護者などから批判されるのを恐れてか、急に
>政府の公式見解と同じような穏健な考え方
だとか言い始めています。
政府の公式見解と同じなのがそんなに大切なら、日の丸・君が代はどうなの?と言いたくなりますが。
被爆者の声を聞くというのが目玉の1つのようですが、この「被爆者」じたい、単なる被爆体験を
語り継ぐという域を超えて、ある特定のイデオロギーを語っているようですね。以前、沖縄のひめゆり
部隊経験者について、A学院で問題になったことがありました。
中学・高校で、ある特定の考えをもつ教師と結びつかないと、生徒に語ると機会を与えてもらえない。
そこで、被爆者も、「要望に答えて」そのような語り口になってくる・・・ ということでしょうか。
いずれにせよ、「ひろしまの旅」は、実施方法にもその基底に流れるイデオロギーにも問題が多すぎ、
すでに賞味期限が切れた行事のように思えてなりません。
20 :
前スレ799:2005/11/29(火) 22:25:12 ID:m4cIbygD
随分盛り上がってますね。
>>796 戦争体験の聞き書きは20年以上続く伝統行事です。
編集の中心になった先生はもう退職してますよ。
少し偏った話し方をするときもありましたが
名物先生で、 何だかんだ言って人気もあった気がします。
パソコンとかは触らないタイプでした。
ひろしまの旅は、一昨年からほぼ強制になりました。
でも、大きな反発はありませんよ。多分。
実際私も楽しみましたし、色々な話が聞けて良かったと思ってます。
ちなみに、HPにも載っていたかもしれませんが、
韓国人被爆者の方のお話はいくつにも分かれた希望制コースのうちのひとつです。
他のコースでは、呉港に行ったり、老人ホームでお話を聞いたり…
そこでエグい心霊写真を撮っちゃったり、一対一でお話をしてくれたおばあさんに後日お礼の手紙を送ったり。
みんなそれぞれでいい思い出として心に残っているでしょうね。
何処の誰とも知らない人に、否定されていい気はしません。
>>797 在校生か保護者の方かわかりませんが
そろそろ、そっとしておいてあげたら如何ですか。
21 :
前スレ821:2005/11/29(火) 22:26:55 ID:m4cIbygD
>>820 そうでしょうか。
eduには、次のような書き込みがあります。
>私はJG生で、原爆についての作文を書きましたが、上の文と同じく、相手だけが悪いのではなく、
>日本にも責任はあった、とういうような内容を書きました。多分ほとんどの生徒がこういう文を
>書いたと思います。
>やはり日本は満州事変や真珠湾戦争など、いろいろ卑怯な事を繰り返していたわけですから一概
>に相手だけが悪いのではない、という事を言いたかったのです。
このような歴史観は、小学生から平均的な日本人が抱く意識だとお考えですか?
「卑怯な事」というのは、歴史的事実ではなく、そこに価値観・思想が含意されていますね。
「ほとんどの生徒」がこのようなことを書くように、JGの教育の中で洗脳されていったとしか考えられません
このような歴史観の思想教育が、キリスト教と一体どういう関係があるのでしょうか。
22 :
前スレ841:2005/11/29(火) 22:28:19 ID:m4cIbygD
>>838 アメリカによる広島・長崎への原爆投下については、すでにこのような歴史研究もだされて
いる。ロナルドタカキ氏は、アメリカの日系人。
JGの歴史教育や「ひろしまの旅」は、いつまで、こういう新しい歴史家たちの意見に生徒の関
心を向けないでおくつもりなのか?
原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀
鳥居 民 (著)
価格: ¥1,680 (税込)
単行本: 272 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 草思社 ; ISBN: 4794214081 ; (2005/06/01)
アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか
ロナルド タカキ (著), Ronald Takaki (原著), 山岡 洋一 (翻訳)
価格: ¥1,631 (税込)
単行本: 206 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 草思社 ; ISBN: 4794206143 ; (1995/06)
23 :
前スレ863:2005/11/29(火) 22:29:40 ID:m4cIbygD
では、根拠というのだから、プロテスタント系の学校が共産党の拠点になりやすい根拠を示そう。
@ 県立と違って、私立は、県単位での教員採用を行わない。学校単位で行うのがほとんど。
このばあい、県立のようなフォーマルな教員採用試験ではなく、一種の縁故採用のような
ことが行われる場合が多い。このとき、既に共産党員やそのシンパが校内にいて、そのよ
うな人たちが人事に実権をにぎっていれば、雪ダルマのように共産党関係者が教員の中に
当然増えていくことになる。
A 私立は、県立と違って人事異動がない。一度ある学校に就職すれば、定年までその学校の
教員だ。県立の場合は、教育委員会が眼を光らせていて、特定の思想傾向をもつ教員がい
ると、適宜分散させるなどし、特定の学校が拠点にならないように配慮して、教育の中立
性が保たれる場合が多い。あるいは、ある特定の学校にだけ隔離してしまう場合もあるよう
だが。これに対し私立では、一度共産党の拠点化すれば、それは長期にわたって続くのだ。
B プロテスタントの場合、その宗教理念が、平和、人道主義、平等、貧困者への共感・・・
というように、共産党の主張する理念と似通っている。同じキリスト教でもカトリックでは、
上にローマ教皇がおり、垂直的な権威が厳しいからなかなか入り込みにくいが、プロテスタ
ントはそのような権威がそれ自体の中にないので、逆に、共産党のように別の権威を認める
人々が入り込みやすい。
・・・以上は、あくまで一般論だがね。
なお、B以外は、国立附属学校にも妥当する。国立附属にも、あまり知られていないが、
共産党の拠点化している学校がありそうな感じだ。
いつまで一人でやってんの?
26 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/30(水) 09:52:38 ID:5SKo69d7
>>24 事実関係を明確にしておきます。こちらが先にたった本スレです。
2ちゃんねるのルールに違反して、自分の考えとは異なったスレを潰す目的で立てられた
重複スレこそ、削除対象です。
そんな寛容性のない人が、「賛美歌」だとか「礼拝」だとか、キリスト教の仮面をかぶって
スレを立てる。
お笑いですね。
28 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/11/30(水) 21:44:18 ID:/VWfqZko
>>27 こちらのスレの、女子学院の中に共産党の先生方がいらっしゃる可能性?という問題の提起も、志望を検討している保護者にとっては有意義だと思います。
偏差値だけで学校を選ぶのではなく、入学後に娘がどういう教育を受けることになるかということが、重要ですから。
>>28 多分此処で議論していても共産党の方がいらっしゃるかは判らないと思います…。
30 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/02(金) 22:25:31 ID:pUkfllk9
>>29 「カラスは黒い」ということが判るためには、「白いカラスがいる」という反対の仮説が正しいか検証すればよいわけです。
そこで、この場合「JGには共産党の方はいない。」という仮説を立て、その上でこの仮説を否定しそうな事実がないかどうか、
JGの公式HPなどによって検証してみるのがよいでしょう。もし、この仮説が否定されそうな事実があれば、
「JGには共産党の方がいる」と推定できます。
これは、論理学で認められている論証手続きです。
31 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/04(日) 13:21:55 ID:PFN9bA4K
age
32 :
前スレ939から:2005/12/04(日) 20:58:09 ID:mWUol+Qs
>ガタガタ言う前に、一度マグノリア祭を覗いて みろ。
>左翼の組織が少しでも生き残っていれば、大概社研とか、歴研とか、いうフロントサークルが
>何かやっているはずだ。うちの大学でもそうだがね。しかし、マグノリア祭ではそうした
>かけらもない
・・・「フロントサークル」っていう、共産党活動家独特の用語。
なぜ、JG関係者?が、こんな言葉を知っているのでしょう?
「JGに共産党の方はいない」という仮説を十分否定するもののように思われますが。
33 :
前スレ691から:2005/12/07(水) 20:58:37 ID:AjJXHxK4
>自国に誇りを持てるものは自国の誤りを直視することが出来る。
>自分に自信や誇りがないものほど、自分の属する国、民族といったものを持ち上げたがる。その
>挙句、嘘をつき、事実を捻じ曲げる。
これもすごいね。
子供たちが素朴に持っている愛郷心や愛国心を、知らぬ間に自虐の方向にむける巧みなレトリックだ罠
こんな罠にひっかからないように、気をつけないと・・・!
34 :
前スレ735より:2005/12/09(金) 23:09:48 ID:1jG/D8oE
韓国人被爆者キムさんのお話を聞いたJG生徒の意見から・・・
>さらに当時、日本も原爆を作成し、実験前、という段階にまできていたという話には衝撃を受けました。
ハァ?
>原爆に関して言えば、アメリカがどうの、アジアがどうの、日本がどうの、とそういう問題じゃない。
>「われわれが人類が」という観点に立たないと 【← これは、JG教師?と思しき人物のカキコ】
いけなかったんじゃないんですか?
日本が原爆を研究していた場合に限って、日本という国が個別的に罪を感じなくてはいけないわけですか?
それじゃ、「われわれが人類が」と言う観点じゃないね。
★ JGの「ひろしまの旅」教育の報告からは、人類で始めて核兵器を開発し、実戦で使用するという最悪の
戦争犯罪をおかしたのがアメリカ合衆国である、という視点が、なぜか全く読み取れません。
36 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/11(日) 10:09:40 ID:sa/CU4ce
>>35 依頼しても、ぜんぜん削除されませんな〜www
そりゃそうでしょう、こっちが先に立った本スレなんですから。
自分の意に沿わない本スレを削除させ?言論を封じようとして、あとから重複スレを立てるという
ルール違反の行為をしている人って、JGの教師ですか? ああ恥ずかしい。
貴方のやっていることは、ネットの言論を統制している中国共産党と同じですよ。
意見があるなら、堂々とこの本スレでの議論に参加しなさい。
それとも、このスレにはカキコしないという機関決定でもしたのでしょうか?
日本共産党女子学院支部???で ????? (藁
37 :
前スレ769:2005/12/14(水) 11:15:37 ID:LlSH4RRj
>第2次世界大戦が、民主主義国家とファシズム国家の対立の側面がある
・シベリアにラーゲリを沢山作って反体制派を大量に酷寒の地で粛清した国
・中国に阿片を押し売りして中国人を大量に阿片中毒にし、林則徐が現れるとその見せしめ
に戦争を吹っかけて香港を植民地として奪ってしまった国
・独立をめざし戦ったベトナムの運動家を、つぎつぎハノイ刑務所のギロチンやら山奥の
強制収容所の一酸化炭素で虐殺した国
・石油がほしくて、主権国家のイラクを国連無視で侵略しちゃった国
・・・いったい、こんな国々のどこが「民主主義国家」なんでしょう???
>それに、いつ誰が、中国を帝国主義的侵略国家と認めたのですか?また、捏造をして
すると、チベットやウイグルの中国による侵略を、公然と認めるわけですか????
教えてください、JG教師・関係者の皆さん。
38 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 12:12:04 ID:7/PEEqhN
>・・・いったい、こんな国々のどこが「民主主義国家」なんでしょう???
当時の英国、米国、オランダは民主主義国家でしょう。
国民の多数の意見が政治体制を選び、価値観を反映させることができ、その
手段を保障される国が民主主義国家ですよ。
こういう意味では既に普通選挙と貴族院・衆議院、天皇の直接統治を排除した
戦前の日本も当時の民主主義国家であったことをご存知ですか?
同じアジアの植民地OR軍閥独裁国家にくらべれば制度として遥かに民主的ですよ。
軍部独裁という言葉がありますが、純粋な意味で日本では独裁など不可能でした。
東条英機は、内閣総理大臣であって、彼の失脚は海軍大臣の辞任拒否によって
(法律に基づいて)行われたのです。ヒトラー、スターリン、毛沢東は統治の大権
を手に入れた「独裁者」であり、彼らの国家こそ独裁国家です。
帝国陸海軍が軍令と軍政を現役軍人に担当させ、一時兼務するなど統帥権(軍の
指揮権)干犯をふりまわして、自分の権益増大に走ったことを=軍部独裁と揶揄され
たのです。現在の省利省益にはしる官僚と同じですが、本来の独裁でないことはいう
までもありません。
また、シナ大陸に派遣した関東軍の独走をもって「軍部独裁」を言う人もいますが
当時の通信コミュニケーションレベルからして、現地派遣軍の独断専行はどこの
国の軍でも常識でした。ただし、石原莞爾の満州事変とその後の日支事変は内容が
まったく異なります。
39 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 12:29:45 ID:7/PEEqhN
少し脱線しますが、満州事変とはなんだったのか、日支事変とは
何だったのかが分かれば、他国の領域で戦争をする=侵略でない
ことがわかります。
1905年に日露戦争に勝利した日本は満州に権益を得て(ロシア
を追い出して)ようやく列強の仲間入りを果たしますが、実際の台所
事情は膨大な借金に苦しみ、なおかつ列強国家としての支出も賄わ
なければならない状態でした。
侵略国家のスタートだと思われた人もいるでしょうが、当時の日本人
にとっては、とりあえず他の先進国の植民地化を免れ、ほっと一息
ついたというところだったのです。
当時の中国(清)は革命前夜の状態で、軍閥と呼ばれる戦国大名のよ
うな地域権力が乱立して、とても独立国家と呼べる状態ではありません
でした。この権力の空白状態こそ、列強の支配が入り込む最大の要因
だったのです(武器の販売を通じて)。
日本が本土への直接侵攻を排除するために、朝鮮半島、旅順、大連
長春にいたる安全地帯=防波堤を得たこと&沿海州の軍事力の無力化
を実現できたことは、なにより日本の安全保障にとっては重要でした。
40 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 12:44:35 ID:7/PEEqhN
この朝鮮半島〜満州を日本の生命線と呼んだのは、後の経済利権
の意味合いよりは、純粋に軍事地政学的な意味合いだったのです。
さて、日本はその満州の安定化のために南満州鉄道の経営や付近
の開発を行い、軍政、民生の安定化を図ろうとします。くりかえします
が、この当時現在のような中国という独立した中央集権国家は存在
していません。
この満州の戦国大名に張作霖という軍閥がいたのです。彼は北京の
争奪戦に破れ、日本軍に近づきますが、勢力を蓄えるにしたがって
独自の権益を主張し始めます。その場所は同じ満州です。日本軍が
かれの要求に制限をかけると、張作霖は中国共産党に接近しました。
いまでこそ中国共産党は中国の独裁政党ですが、当時はそのイデオ
ロギーとともにアルカイダ並の危険度で見られていました。日本にとっ
て、その理想はともかく、弱肉強食の列強の生存競争の中で共産主義
のもたらす非効率と混乱は国家を失うものと考えられていたのです。
この考え自体は米国、英国も共通しています。
つまり、「国防上もっとも重要な外線地帯で、こともあろうに」というわけです。
また、戦後友好関係にあったロシアが共産革命に倒れたことも、大きく
影響しました。
41 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 13:06:01 ID:7/PEEqhN
話は少しもどりますが、日本は第一次大戦をほとんど損害
なしで切り抜け、日露戦争の借金も返済し、さながらバブル
絶頂期を迎えていました。平成のバブルがそうであったように
社会全体が「イケイケ(古い?」の状態でした。
また、重要なこととしてドイツの権益をほぼそのまま受け継いだ
のです。
経済を発展させるためには、治安とお金の決済手段の確保が必ず
必要です。中国各地に起こった革命の混乱は、人々(特に裕福で
教育を受けた人)を列強の支配地域に流れ込ませました。
日本は、他の列強が行ったことの無い方法で支配地域の安定化を
実践していきます。すなわち、殖産興業と教育の実施です。これが
効果を上げていたことは、当時の朝鮮、台湾で実証されていました。
ここに悲劇の種がありました。
敗戦国ドイツと、大陸での(商売の)機会均等を主張するアメリカの
存在です。
42 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 13:18:52 ID:7/PEEqhN
ドイツは、敗戦とベルサイユ体制下にあったとはいえ、その科学力
つまり、軍事・兵器の開発力においては第一級の先進国でした。
中国での権益を失ってはいましたが、依然ドイツ製の武器弾薬、軍事
技術は、高い評価を得ており、さっそく混乱状態の中国に進出を
かけていきます。
ドイツは、有名な黄禍論を展開して、日本の権益伸長に警告を発する
プロパガンダを主張していきます。
一方アメリカは、米西戦争後行き詰った国外市場開拓と第一次大戦
後の不況対策として、むちゃくちゃな「機会均等」要求をだしてきました。
これはいうならば、あなたが一生懸命苦労して道路や鉄道、銀行などを
作って整備してきた地域で、何の負担もなく商売させろという要求です。
まあ、アメリカのスタンスは今でも変わっていないですが。
この両者が、『「中国の胴体に日本の頭をのせた巨人」が、西欧文明を
破壊する』というようなプロパガンダを(ある意味真剣に信じていた?)も
とに、日本の支配地域に影響力を伸ばしてきたのです。
くりかえしますが、まだ抗日運動激化前夜です。
43 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 13:37:56 ID:7/PEEqhN
また横道にそれましたが、こうした背景のなかで満州事変は起こります。
中国共産党、民族自決と並べば、当時のアメリカ大統領ルーズベルトが
そして支援を受けたソ連がいかにこれに支援を送ったかが容易に想像
できます。
民族自決そのものは欧州を対象にしていましたが、中国の軍閥はこれを
自分の権益確保の手段として取り入れ、一方で共産主義と対峙して
いました。
中国の場合、共産党も軍閥のひとつとしての側面をもっています。
複雑ですね。
ともかく、日本ののど元に中国共産党と接近する張作霖が出現した以上
これを排除すべく関東軍は行動を開始します。張作霖その人のみを排除
する爆殺をおこなったのです。本来、これで問題は解決するはずでした。
すくなくとも関東軍はそう考えていたようです。
しかし、張作霖の後を継いだ息子の張学良は日本に対する敵対的な行動を
取るようになり、南満州鉄道のすぐ横に新しい鉄道路線などを建設し、安価
な輸送単価で南満州鉄道を経営危機に追い込みました。これに危機感を感じ
た関東軍は再三に渡り抗議するが聞き入れられず、石原莞爾、板垣征四郎
の指導のもと、満州事変を決意します。
44 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 13:51:32 ID:7/PEEqhN
脱線ついでに、先に共産主義の非効率さと混乱は、列強の
生存競争の中では亡国に値する。その考えは米国、英国と
もにある。と書きました。
では、なぜアメリカ大統領はソ連や中国での共産党の活動
を支援したのでしょう?
この答えはいくつも説がありますが、まず北米大陸外のこと
であったことと、彼らの人権思想にあるといわれています。
自国の経済システムに影響するのは回避するが、他国のダ
メージにつながることは進めるというわけです。
そしてアメリカ人の行動様式の特徴である「人権意識」こそ
列強によって蚕食されていた中国大陸の人々への強烈な
シンパシーと、それをもたらした列強(特に日本)への憎悪と
なって現れたのです。
政治的に未熟という表現は何度もされていますが、もともと
移民の国であり本国からの過酷な税に対して立ち上がった
国であることがこうした単純で(純粋で)傍若無人な行動を
引き起こしているのは、今でも変わっていません。
これはアメリカ教という宗教かもしれません。
単に経済的な目的だけなら、当時はるかに日本との貿易額
が上回っていたからです。
45 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 14:06:20 ID:7/PEEqhN
ともあれ、日本軍=関東軍はその任務とする満州の安定のため
軍事行動をおこし、日本の中央の不拡大方針を無視して、当初
の予定線まで進出した後、停戦します。
なぜ不拡大方針に逆らったのか?
これは外交ではなく、軍事行動だからです。敵の策源地を残して
停戦はできません。よく覚えておいてください。これが戦争です。
ではなぜ政府は不拡大方針を出したのか?
なにより、アメリカとの衝突を回避することと、他国の動向が見え
ないことでした。ドイツは完全に反目でしたから、この場合英仏で
す。
結果、英国、仏国とも国際非難の署名には「極めて消極的」でした。
ただ、アメリカはスティムソン・ドクトリンでパリ不戦条約違反と中国
主権の侵略行為として激しく日本を非難します。
日本のとった行動は、満州の武力占領ではなく、満州国(清の後継
国家)の樹立でした。これはこれで、満州の人にとってはいいことな
のですが、問題は清を放逐し漢民族の独立国家建設を目指す民衆
(おもに学生や知識階級)のナショナリズムに火をつけました。
満州族 VS 漢民族 の様相が加わったのです
46 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/14(水) 14:23:55 ID:7/PEEqhN
結論からいうと、連合国の認識では、この満州事変そのもの
は日本の侵略行為にはあたらないとするものでした。
日本の敗戦時、東条と対立して軍を追われた石原莞爾には
逮捕命令は出ていません。
その理由として
当時の国際的な常識である国家生存権の行使と、実施された
手段と、受益者のバランスを見た場合に、満州民族の民族自決
にあたると判断されたからです。
一方、支配地域を追われた軍閥&共産主義勢力はアメリカ・ソ連
ドイツの支援を得て、大陸随一となった日本への反撃を始めます。
視点を当の中国人に合わせると、未だ戦国大名レベルの軍閥が
外国の支援を得つつ勢力拡大や離合集散を繰り返している状態
です。アフガンの北部勢力みたいなもんですね。
この満州国建国の合間に、1932年第一次上海事変がおこります。
列強の目を上海に向けるため、日本が仕掛けた局地紛争です。
一応、ここまでで、単純な「中国の人」なるものは存在せず、大国の
利権と軍閥、政治勢力の混沌とした勢力争いが、より大きな戦争
の火種になっっていった・・と理解できたでしょうか?
なんだこのスレは??
48 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/16(金) 19:12:20 ID:b1ToFPz2
>>38-46 大変興味深い歴史の講義を、有難うございます。
問題は、JGの生徒たちが、こうした多様性のある複眼的な歴史観の教育を受けられているのかどうか
・・・ということですね。
まだまだ道は遠い、と言わざるを得ません。
49 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/18(日) 09:46:36 ID:FqTptB99
>>35のように、自分の意見と違うことがすべて「誹謗中傷」に見えてしまう目には、
複眼的歴史観なんてありえないでしょうなwww
50 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/19(月) 16:26:01 ID:N5j6ttIq0
インターエジュの掲示板に、広島と沖縄出身の人は日の丸+君が代に拒否反応を示すというカキコが出てましたけど、ほんとなの?
「ひろしまの旅」の薫陶を受けたカキコ主でしょうかね?w
沖縄の人が拒否反応なのはわかりますけど・・・ あそこは昔は琉球という別の王国だったわけだから。
51 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 20:47:30 ID:unH/mI350
つづきです
歴史というものは、立場・視点によって変わります。
客観的 ・ 多面的にアプローチする習慣が必要です。
さて、日清・日露戦争〜対ドイツ戦争と日本の10年毎の対外戦争は続い
てきましたが、これらは明治維新からわずか1世代の間の出来事です。
「極東の未開国」と思われていた有色人種の国家が憲法や議会を持ち、
地下鉄が走る世界最大の首都を持つ列強にのし上がってきたことは、今
の日本人が中国の発展に抱く危機感とは比較にならないほどの「脅威&
驚異」そのものでありました。
対ドイツ戦の結果日本が手に入れた中国の権益は、山東省に関わるもの
と、内南洋に関わるものがあります。歴史の本では、日本の中国に対する
要求がエスカレートするきっかけとなった方に目がいきますね。
しかし、国際的な緊張をはらんだものとしては、はるかに「内南洋=中部
太平洋」の方が重要でした。
52 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 20:49:34 ID:unH/mI350
米国は、せっかく武力で日本を開国し、その利権を拡大しようとしていた矢先
国内の内戦で大きく国力、発言力、機会を後退させていました。ことあるごと
に「機会均等」の要求を出すのもこうした背景があります。
そんなただでさえ、苦々しい思いでいるところに本土〜マーシャル〜フィリ
ピンの生命線を直接脅かす存在が現れたのです。
さっそく、中部太平洋の非武装化の条約が締結されますが、両国の軍事的
対決が運命付けられた瞬間でもありました。
米国は仮想敵国のトップに日本を置くことになり、日本の仮想敵国のトップ
はソ連でしたが、海軍の仮想敵は米国になりました。
民主主義国家では国民の意思が政策に反映します。戦前の日本がそうで
あったように、米国民は利権の拡大を求めていました。特に南北間の経済
格差は深刻さを増し、日本を始めとする国からの競争に晒されていました。
黒人差別撤廃によって、人件費の高騰についていけなかったのです。
第一次大戦は、米国の国内経済格差、金融力の格差をさらに増大させてし
まいました。
移民による安価な労働力に支えられていた(今でもですが)米国経済は、
内部的な矛盾の解決を対外政策によって打破しようと試みはじめます。公共
事業のモデルであり、世界恐慌を乗り切ったといわれたニューディール政策
については現在完全な失敗であったことがわかっており、巨額の財政赤字と
回収不能の海外債権(まるで今の日本にたいですねw)にあえいでいた−
これが当時の米国の姿であったのです。
53 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 20:51:37 ID:unH/mI350
もっとも、これらの状況をもって「戦争を引き起こしたのは米国の責任」などと
言うつもりはありません。むしろそうした考えでヨーロッパに派兵した米国は、
期間の割りにはひどい損害をこうむっていました。国民=議会は明らかに戦
争を避ける意思を持っていましたし、荒廃した国から賠償金も、貸したお金も
回収できないことを学んだのです。
英国の借金踏み倒しに、主要な企業や美術館の所蔵品を投げ売りするよう
に迫ったのは有名な話です。
そんなただでさえ、苦しい思いでいるところに、移民で余剰労働力を米国に
送り自国に送金し、一方では中国で勢力を伸ばし、殖産興業に成功し、軍事
的には直接脅威となった、
「元獲物の日本」
を当時の米国の為政者がどう見ていたか容易に想像できるでしょう。歴史的
には、こうした米国の独善的で近視眼的な政策が、最終的に中国大陸の共
産化を招き、全ての権益を結局失うことになるのですがここでは深く触れません。
こうした米国の状況に近づいた国・・・それは孤立無援の新生共産主義国家
ソ連そして、敗戦国ドイツです。
意外ですか?
ところが、日本と米国ほどこの両国からの諜報活動に翻弄された国はない
といえます。日本もゾルゲ事件のはるか前から、仕掛けられていましたが、
人種的な差異からより深刻な影響があったのは米国です。
54 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 20:53:53 ID:unH/mI350
第一次大戦後のルーズベルトが強烈な共産主義シンパであったことはよく
知られていますが、これは冷戦前までの米国の基本スタンスでもありました。
第二次大戦でドイツとソ連が戦ったことは誰でも知っていますが、その直前
フィンランドとソ連が戦争したときには、英仏両国は、ドイツに石油を送って
いるソ連(コーカサス油田)の爆撃を真剣に準備していました。当時、ポーラ
ンド分割を仲良くやってのけたのがドイツとソ連だったのです。
この行動に暗黙の了承をしていたのが、米国です。
このソ連VSフィンランド戦争(1939年)の結果、ソ連は12月14日付で国際
連盟から除名されています。
連合国VS枢軸国とか、自由主義VS全体主義とか言われますが、そんな単純
な構図は後で付け加えられたものです。政治体制的には日本と英国は非常
に似た形態でした。松岡 洋右外相が国際連盟を脱退したことは、米国に大
義名分を与えないという戦略からは大失敗でした。
侵略国家という概念も、大変いかがわしいものです。
いきなり本土決戦を受け入れられる国は、地積のある米国、ソ連、中国など
一部の国しかありえません(今の日本をのぞく)。しかも当時の列強の軍隊は
例外なく侵攻軍です。これは外征軍ということです。
開国以来、日本が進めてきた独立の保持とは、いかに外国からの軍事行動
を、本土から遠ざけるかにありました。四方の海を内堀に見立てて、朝鮮半島
を出丸、満州を武者駐屯の曲輪として考えていたことが国防施策に見てとれ
ます。
55 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 20:55:59 ID:unH/mI350
日本に朝鮮や中国は必要だったか?答えはYESです。対馬をロシアが占拠し
たときに軍隊を送って退去させたのは英国です。日本は英国の同盟国として、
自国の安全保障を実現することに成功しました。もし、朝鮮や中国に強力な
独立国家が存在していれば膨大な軍事・戦争経費を社会資本に回すことが
可能で、当時の日本ははるかに早く、経済的な繁栄を実現できていたでしょう。
もちろん、そうなれば朝鮮や中国から独立を脅かされていたかもしれません。
結局歴史のIFは無限にありますが、現実として、日本の独立はこの地域の安定
と軍事的な緊張の除去にかかっていました。
支配地域の軍事的緊張を取り除くことに熱心な国は数多くありますが、そこを
繁栄させ安定させようとした国は戦前の日本と戦後の米国のみです。この時期
に併合後の朝鮮では、人口が倍増しています。ちょっと悲劇の日帝36年支配
とは様子が違いますね。
一方、軍事的な要求度の低かった台湾でも、同じような殖産興業政策は行われ
ました。帝国大学の創設順序からも、いかに日本が朝鮮の安定化を重視してい
たかが分かります。果たして、彼らはこうした改革の機会を自力で果たすことが
可能だったかどうか、歴史のIFは無限にありますが、事実朝鮮半島は大きく発展
しました。今また、満州において、建国と殖産興業が始まったわけです。
中国(漢民族)のインテリ層は日本の発展に刺激を受けつつも、大中華の復興
を夢見てようやく民族運動を開始しますが、彼らの理想は、列強の利権争いと
国内の軍閥の勢力争いに飲み込まれていきました。日本に学んだ孫文の理念
すら、蒋介石の国民党軍の権謀術数の道具となりました。
56 :
XXX:2005/12/19(月) 20:57:16 ID:hpvhPzdB0
ご心配なく
取捨選択できるぐらいの家庭教育はしてますから
みんなそうじゃないですか
57 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 20:58:01 ID:unH/mI350
ともあれ、満州事変、第一次上海事変直後の日本を取り巻く環境は、遅れてきた
大国である米国との深刻な摩擦=それ自体は日本は極力避けようとしていた=
との関係で動いていきます。
また、明治以来の伝統的な国防概念を覆す、海から(内堀から)の侵攻に対処し
なければならなくなりました。シーレーン防衛・・・あの黒船がたった4隻で江戸湾
を封鎖して日本を開国させた悪夢がよみがえったことでしょう。
いまだ、中国人民なるものの定義が、支配地域の住民の域を出ないころの話です。
いよいよ、第二次上海事変、日華事変へと話がすすみますが、日本の国内におい
ても大きな変化が現れました。
よく、軍部独裁の進行という人がいますが、軍部といっても陸軍省、海軍省の2つ
はとても同じ国の軍隊とは思えないほど対立し利権を争っていました。帝国議会で
予算承認を必要とする日本では、軍部の独裁など絶対に不可能な政治体制であり
ましたが、何故かこのような言葉がまことしやかに定着?しています。
戦前の日本は、いうまでもなく民主的な国家であったと思います。普通選挙が行わ
れ議院内閣制、憲法があり、3権分立は保障され、天皇の統治は事実上抽象的な
ものでありました。
58 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:00:03 ID:unH/mI350
軍が政治の実権を掌握する、もっとも典型的な方法はクーデターですが、五・一五
事件と二・二六事件がありますね。どうでしょう?これは軍事政権の出現を招いた
のでしょうか?
教科書では、五・一五事件で日本の政党内閣制は終わり、このあと軍国主義のう
ねりとなって、陸軍クーデター(二・二六事件)を経て日中戦争、太平洋戦争へと
突入していく。と説明されています。
答えはNOです。見事に鎮圧されました。天皇の親政を標榜したにもかかわらず、
当の昭和天皇によって「反乱軍」扱いされてしまいました。いったい何故彼らは
このようなクーデターを起こし、何をしようとしていたのでしょうか?
この当時、日本は昭和恐慌の影響から農村の破壊(米や繭(まゆ)といった日本
農業の代表的産物をはじめ、野菜・果実等の価格が大暴落する)が起こっていま
した。
日本の軍隊は徴兵制であり、貧乏な学生でも優秀な者は軍の士官学校、兵学校
へ進学できました。難易度は帝国大学の法学部よりも上です。また下士官教育に
も熱心であり西欧諸国では下士官が軍艦の操艦を行うことなどありえませんでした
が、日本では常識であり、兵にいたっても読み書きそろばんに始まり、高度な兵器
の操作に必要な教育も行っていました。まさに軍隊は日本の貧乏な世帯の次男
三男教育の場であり、職業訓練の場でもあったのです。
59 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:02:47 ID:unH/mI350
軍隊には農家出身者が数多くいました。彼らは、政党政治=政治家が財閥と結託
して、農村の簒奪を行っていると考えました。また、戦争で死ぬのは貧しい彼らで
あって、徴兵逃れした良家の子息は、金儲けと贅沢にふけるとも考えていました。
どこか共産主義の臭いがしますね。理念・理想はともかく、当時共産主義はアルカ
イダ並みの危険思想でしたから、このようなものが軍隊に入り込むことは、絶対に
あってはならないことでした。
1932(昭和7)年5月15日夕刻、農村の窮乏、財閥の膨張、政党政治の腐敗に
憤った海軍青年将校らが、民間の茨城県の農本主義(農業こそが国の基である
とする思想)団体「愛郷塾」と結んで起こした、首相官邸・日本銀行などを襲撃した
(テロ)事件。
これが、五・一五事件です。
前年の陸軍が起こした満州事変とは、何の因果関係もありません。
日本が侵略国家として暴走を開始するきっかけというには、どうもピントがずれてる
ような感じがするのは、私だけでしょうか?むしろ共産革命に近い印象をもつのは
私だけでしょうか?
彼らの要求&目的の中に、軍部による改造政権(内閣制の廃止)がありますが、
とてもそれを推進しうるような計画性もなく、非常に稚拙で単発的な印象を与えます。
これは権力奪取というより、当時の国民の空気を反映した、突発的な事件という位置
づけが相当なのかも知れません。事実、国民からの支持は大変なものだったのです
が、国民は政治体制の変更まで望んでいませんでした。
60 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:04:49 ID:unH/mI350
次の二・二六事件とは何だったのでしょうか?
北一輝(きたいっき)の国家改造思想に影響を受けた陸軍皇道派青年将校が起こ
した(国家改造=昭和維新断行の)クーデター事件であり、いわゆる軍部大臣現役
武官制をもたらし、これによって内閣を流産させて(つまり大臣を出さない)しまうと
いう、軍部の独裁(笑ってしまいますが)を確定した事件であると教科書に書いてあ
ります。
こちらは、本格的なクーデターであり、その計画性、規模においても五・一五事件と
は比較にならないほどの衝撃を当時の社会に与えました。
この事件の本質は、陸軍の派閥抗争です。
皇道派と統制派という陸軍内の派閥抗争の果てに起こった武力決起でした。
決起した皇道派は、天皇が神であるという説にもとづき、当時の腐敗した財界や政
界をクーデターのような過激な直接行動で破壊し、天皇親政を実現するという考え
でした。
一方、中央による統制下に軍を置き、腐敗、癒着した政治から切り離して国益を守
るとしたのが統制派です。
結果はどうなったか。
皇道派の決起後、政府は戒厳令を敷き、海軍は東京湾に戦艦を派遣して反乱軍に
主砲を向けました。また昭和天皇みずから鎮圧軍の先頭に立つといわれるなど、こ
の純粋な軍部クーデターは徹底的に鎮圧されたのです。
日本が侵略国家としての暴走を決定づけたというには、どうもピントがずれてるよう
な感じがするのは、私だけでしょうか?むしろ極右の暴走に歯止めをかけた印象を
もつのは私だけでしょうか?
61 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:07:33 ID:unH/mI350
この事件以降、日本軍は日本の経済的な権益(早く言えば日本の財界の望むこと)
のための戦争を放棄します。官尊民卑に凝り固まるような、今の官僚そっくりの組織
へと変容していきます。
その結果、もたらされた悲劇とは、組織の存在目的のための戦争であり、予算獲得
のための戦争であり、戦争という手段の目的化でありました。
この2つの事件は同列に置けるようなものではありませんし、これによって軍部の独
裁が行われたなどという世迷言を信じる根拠もありません。が、日本国民の多くが、
こうした軍を政治家よりも信用する「空気」ができあがった事は大変重要なことです。
小泉人気=自民党をぶっ壊し、抵抗勢力をぶっ壊し=とちょっと似ているのは、日本
人の世直し大明神信仰と無関係ではないでしょう。
軍部大臣現役武官制の復活という、軍の政治介入を許す結果となっても、当時の日
本人は「これで、金持ちのための戦争はなくなる」と信じていました。
しかしものごとには両面があります。
日本をはじめ列強は相次ぐ軍備の拡張にあえいでいました。恐慌下で国家財政は
破綻の危機にありました。各国はブロック経済とよばれる排他的な経済仲良しグル
ープを作り、域外の国との貿易には高い関税や、参入障壁をもうけていました。
もちろん日本も円ブロックと呼ばれる経済圏を作っていました。しかし当時の円ブロ
ックには重大な弱点がありました。それは急速に進んだ産業資源革命=石油、ボー
キサイト、錫、ゴムといった産業の血液が絶対的に不足していたのです。
当時の産油国といえば、米国、オランダ領インド(インドネシア)です。
62 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:09:31 ID:unH/mI350
海軍の軍縮条約を、軍部の反対を押し切って締結した当時の政府にとって、こうした
物資を安定して確保するためにも国際的な緊張を高める軍事行動には、極めて消極
的でした。
満州事変にあっても、それがやむをえないこととはいえ、産油国米国との対立を恐れ
て不拡大方針を取っていました。それが、軍部への国民の信頼を背景にした「軍の
権威」の増大によって、徐々に制御不能の状態に陥っていきます。
上でも書きましたが、当時の列強の軍隊の本質は「外征軍」です。これは本来攻撃
専門の軍隊ですから、自分が攻撃されるかもしれない状況下でじっとしていることが
苦手な軍隊です。したがって、自軍の根拠地から敵国の策源地を遠ざけるよう行動
する癖をもっています。
この癖は、満州事変の関東軍にも当てはまります。純粋な軍事常識として行動した
結果中央の不拡大方針に従わなかった(従うことは不可能だった)ということです。
一方、対峙していた中国の国民党軍は、群雄割拠の軍閥が本質であり、共産主義
の八路軍も共産匪賊と同義でした。彼らは常に自分の勢力拡大を第一に考えており
私兵の存在こそが自らの存在を保証する唯一のものでありました。民族主義も抗日
運動も、そのための手段にしか過ぎなかったと言ってもいいでしょう。実際、蒋介石は
米国から兵器、兵員、お金など膨大な援助を手にしますが、実に終戦間際になるまで
積極的な攻勢にでることはありませんでした。むしろ毛沢東の共産軍を攻撃したがって
いたという話もあります。この点ではソ連の援助を得ていた八路軍も大差ありません。
63 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:12:30 ID:unH/mI350
いよいよ本題の、日本軍は侵略をおこなったか?という問いに対する検証になります。
当時中国で最大勢力となっていた中国国民党は、ドイツから武器、弾薬をはじめ軍事
教練のための武官を幅広く受け入れていました。国民党軍(国府軍ともいう)は第二次
上海事変勃発までに、ゼークトラインと呼ばれる第一次大戦で威力を発揮した塹壕陣地
帯をつくりあげました。駐在の軍事顧問は数百人にのぼりました。
また、米国からも大規模な援助を引き出すことに成功し(もっぱら日本と戦うためという
理由でしたが、本心はそう思っていなかったようです)、国民党軍の士気と装備は以前
と比較にならないほど高まっていきます。彼は軍事的な成功が、もっと多くの援助を引き
出す鍵であることをよく知っていました。そして各国の租界がある上海でそれを行う事
の意味もよく知っていました。
やる気マンマンというわけです。
1930年の日本軍と日本政府であれば、こうした状況でも切り抜けたかもしれません。
うまく先制攻撃をさせて、英仏との連合を果たせたかもしれないのですが、残念なこと
に、この当時の日本軍はその任務に対する忠誠心が比較にならないほど高く、自信
に満ち、能力があり、かつ独善的でした。
日本軍もやる気マンマンというわけです。
1937年7月7日に中国軍(中国共産軍の謀略説がある)の発砲事件に端を発した
日華事変は、早くも8月13日に上海に飛火して日支両軍の全面衝突となりました。
ここで、日本軍はやる気マンマンと書きましたが、政府はそうではありませんでした。
第二次上海事変が起こった日、日華事変の停戦のための閣僚級の会談が行われて
いたぐらいです。
64 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:14:54 ID:unH/mI350
当時の新聞に「蒋介石は孫文の薫陶を受けた立派な人物であるが、米国をはじめと
する列強に乗せられて、日本軍を攻撃するとは愚かなことだ」と書かれています。
これを見て、愚かなのは日本の諜報戦能力の方だと思うのですが、相対的に力を
落としていた外交部の言うことなど当時の日本軍の「根本的解決方針」の前では無力
でした。
とにかく、蒋介石は上海では日本軍に勝てると思っていたようです。
どうも、イメージでは日本軍が弱い国民党軍を攻撃していたように思いがちですが
25万 VS 75万 だったのです
8月13日に蒋介石の軍は25個師団33万人(ゼークト線後方を含めると75万人)を
前面に集中して上海を包囲しました。
対する日本軍は7個師団半20万人です。(あとで2個師団5万人追加)
装備(機関銃、野砲、戦車)は日本軍を上回っており、士気も高い精鋭の軍隊でした。
陸上の兵力では圧倒的に不利な日本軍でしたが、近代戦でのキーとなる制空権、
制海権は日本軍が握っていました。
黄浦江の日本艦隊は中国軍陣地に砲撃を加えましたが。翌日8月14日、中国空軍が
日本艦隊を空襲してきました。、爆弾のほとんどはフランス租界や共同租界に落ち、
民間人に2000人あまりの死者が出ています。その同じ日、日本海軍は中国本土への
空襲を始めました(渡洋爆撃)。こうして両国は互いに宣戦布告しないまま、本格的な
戦争へと進んでいったのです。
65 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:16:55 ID:unH/mI350
少なくとも、上海で戦争を始める理由は日本側にはありませんでしたが、結局のとこ
ろ、米国、ソ連、ドイツの思惑どおりに紛争が勃発しました。しかし戦況は思わぬ展開
を見せ始めます。
まず、艦砲射撃と航空攻撃によって戦線を立て直した日本軍は、逆に国民党軍を押し
返します。ドイツの多大な援助で構築されたゼークトラインは、日本軍の攻撃に十分
耐えられ、逆襲できると思われていました。
この兵力と物量、場合によっては士気も上回っていた敵の守る陣地を日本軍は簡単
に突破してしまいます。制海権・制空権は日本側にありました。7月から海軍を中心と
して敵の偵察を行っていた日本軍は、前面の敵の自由行動を許しながら、タイミング
を見て兵力を集中させて捕捉殲滅していきました。
ちょっと専門的になりますが、第一次大戦は壮絶な塹壕陣地の闘いであり、膠着した
戦線で多くの兵士が死んでいきました。ドイツの軍事顧問は、この戦訓から数に劣る
日本軍を消耗戦に引き込み、勝利しようとしたのです。
しかし、同じように第一次大戦の戦訓を研究していた日本軍は、まったく違った戦法
を編み出しました。少人数の歩兵部隊を、敵の中に浸透させるという、現代の歩兵
戦術の基本と呼ばれる戦い方です。
いかにドイツ人が自信をもっていたかというと、このゼークトラインで200名を超える
軍事顧問が玉砕(全員戦死)しているのです。日本、ドイツ、イタリアは同盟国で、全
体主義の悪の枢軸だと習った人には、ちょっと信じられない話ではないですか?
太平洋戦争開始の4年前のことです。
66 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:23:34 ID:unH/mI350
10月10日上海派遣軍(松井石根)は突如総攻撃(第二次攻撃)にうつりほぼ全部の
ゼークトラインを突破します。12日までに国民党軍前進壕の全縦深は崩壊しました。
10月26日防衛線最後の要衝大場鎮(だいじょうちん)が陥落、国府軍は総撤退に移
りました。その後上海攻囲軍は南京方面への壊走に陥ったのです。
なぜ長々と戦況を書いたかといいますと、ここに南京大虐殺なるものの本当の姿が
あるからです。
日本軍の戦い方は極めて特異なものでした。
航空偵察で敵の所在や動向を把握し、今で言うピンポイントで兵員や物資の集積地
を砲撃、爆撃していきました。歩兵が敵の戦線の背後に浸透していきますので、敵は
大混乱を起こします。その後、主力の部隊が攻勢に出るのですが、その進撃速度は
日本軍の方が国民党軍を遥かに上回っていました。
いたるところで殲滅されたのです。
国民党軍は相当な自信があったせいか、撤退戦の計画を十分おこなっていなかった
ように分析されています。ゼークトラインを突破された後は、予備兵力のある南京ま
で各個に壊乱状態で逃げていきました。パニック状態になったわけです。
また、第1次上海事変のとき第19路軍が志願者を募ったのと同じ手段をとったのも
大きな被害を出した要因といわれています。特に、補給部隊が早期に壊滅したため
男女学生による部隊を編成しましたが、大変いたましい結果となりました。前線の33
万の軍が崩壊すると南京、蘇州ー江陰線にいた総予備も含めて総崩れとなってしま
ったのです。
67 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:25:37 ID:unH/mI350
彼らの名誉のために言うと、彼らは祖国防衛の立派な使命感に燃えた正規軍人で
あります。悲惨な闘いや戦争の惨劇を嫌うことはあるとしても、それを理由に、その
名誉まで汚してはならないものだとも思います。
これを戦死ではなく虐殺などと称することは許されないのではないでしょうか。
ともあれ、11月5日、杭州湾に敵前上陸(実際抵抗はあまりなかった)した日本軍
(第10軍:柳川平助)も加えて、第二次上海事変は南京まで残敵掃討(敗走の軍を
追撃する)の段階に移ったのです。
12月5日に南京周辺に達しましたが、そこには南京保衛軍の弱い防衛線があるだけ
で中世の城壁に頼って抗戦を続けようとしましたが、当然無益な戦となりました。
ここで、南京大虐殺を検証してみます。
まず第二次上海事変が勃発した当時、国民党軍の指揮はドイツ国防軍軍人がとって
おり、日本軍に全縦深を突破されたことを知ると、自ら銃をとり前線に赴き多数が戦死
してしまいました。上海攻囲軍は結果として11月12日以降、命令が錯綜し壊乱状態
となったのです。
本来安全なゼークトラインの後方で物資の輸送にあたっていた、学生部隊(正規軍で
すが)はほとんど撤退のルートも知らせれないまま、まともに日本軍の攻撃を受けまし
た。弾薬の少ない日本軍にとって、航空偵察により効果的なピンポイント攻撃を行う
ことが絶対必要だったからです。物資の集積場所は最優先の攻撃目標です。
ここらへん、自衛隊の派遣で後方補給は安全などというのも、笑い話ですね。
結局、上海前面だけで戦死者は8万人を越えると言われ(国民党政府は後で上海
攻囲軍の戦死25万人と発表)ました。これは撤退が徒歩で行われ、日本軍に捕捉
されたためです。撤退方法や降伏方法について事前に考慮・教育されていなかった
のが原因です。
そしてこの数字は全滅を意味します。
68 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:27:47 ID:unH/mI350
松井司令官に与えられた命令は、敵の野戦軍の殲滅であり、名目上の敵の首都
南京攻略ではありませんでした。また日本軍の参謀本部もゼークトラインで膠着す
すると考えていたようで、明確な突破後の作戦指導を決めていませんでした。
日本軍は追撃に移りました。敵軍の包囲殲滅のため、敵軍を上回る速度で撤退先
の南京城を包囲したのです。
後の調査で南京城外の埋葬遺体は20万という数字が記録されています。
当時、南京城の守備軍は10万人でした。
この大量の遺棄された遺体の原因は次のどれかであろうと思われます。
・南京に遅れて到着した上海攻囲軍を捕捉戦死させた。
・南京防衛軍が城外に脱出するところを戦死させた。
・上海攻囲軍または南京防衛軍に属する、降伏した中国軍兵士を処刑した。
・城内外で便衣兵を摘出し処刑した。
・城内外で同士討ちや現在地離脱者の射殺体が残存していた。
もし仮に、非戦闘員がこの中に大量に入っているとすれば、その責任は誰にあるの
のでしょうか?
近代戦では戦場に存在する全ての人間・家屋などの遮蔽物・動くものが攻撃の対象と
なります。兵士や、まして前線部隊の参謀将校に目標が民間人または制服を着た兵士
かをその都度確認しろなどと要求する軍隊は存在しません。つまり都市を除く戦場に
民間人を入れないのは互いの交戦国の義務であり、戦場にいた民間人死亡の責任は
攻撃側にないのです。
沖縄戦の米軍に民間人死亡の責任を問えないのもそれが理由です。
69 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:30:18 ID:unH/mI350
ただし、この状況は最前線にのみいえるのであって、軍隊全体での戦っている兵士の
パーセンテージは決して高くありません。むしろ輸送や協力部隊、砲兵などの方が数が
多いのです。そしてこれらの兵士は、あとから戦場にやってきます。
果たして、日本軍の進撃速度に追いつけない補給部隊は、大量に発生した捕虜を給養で
きたでしょうか?
おそらく答えはNOでしょう。
武器弾薬をケチる日本軍が、何万人も銃殺できるかという疑問をお持ちの方には、1万人
を機関銃で殺害するには10丁の軽機関銃で弾丸が十分に補充され銃身過熱を防止でき
れば1時間以上かかることはないという事実を知っていただく必要があります。
つまり1個歩兵中隊200名程度の兵力があれば無抵抗の人間1万人を30分もあれば全
員射殺できます。1個連隊で12個歩兵中隊を保有していますから、無抵抗の1万人を殺害
したところで1個連隊からみれば局所の出来事にすぎないのです。
しかも後方の部隊ですから弾薬は豊富にあります。
日本軍に降伏というルールがなく、当然捕虜の身分保障のための条約も締結していなかっ
たことを考えると、南京城外の遺体は、ほぼ戦死、捕虜処刑のものであろうと推測されます。
それでは、捕虜はどれくらい出たのか?
これは今となっては推察する以外にありませんが、南京城周辺の戦闘は12月いっぱいま
で戦われていて、手榴弾を持って日本軍に飛び込む兵士も多くいました。この士気の高さ
から見て、10万を超える捕虜が出たとは考えにくく、また日本軍が意図的に捕虜を取らな
かったことをあわせて、徹底抗戦が主体であったと思われます。
では南京城内はどうかというと、日本軍は攻撃準備砲撃(といっても15cm砲2門ですが)
を行っています。しかし市民の大半は難民区に避難していました。日本軍は難民区の設定
を認め無差別に砲撃を加えなかったのです。
70 :
出張 軍板:2005/12/19(月) 21:32:21 ID:unH/mI350
ここで、日本軍は便衣兵との闘いに遭遇します。便衣兵は通常武器を保有しながら逃亡、
再起を図ろうとするもので戦闘意思を完全に喪失したわけではありません。この場合の
戦闘意思とは自力で逃亡する、併せて強盗も辞さないことも含まれます。
南京方面以外の方向に逃げ成功した国民党軍の将校は、日本軍より武装した逃亡兵の
方が恐ろしかったと書き残しているほどです。
この便衣兵は、南京の市民にとっても恐怖の対象でした。実際に南京城に突入した日本軍
は、城門の近くで多くの射殺された遺体を発見しています。これは降伏ないしは逃亡を企て
た市民に対する懲罰処刑ではないかといわれています。また補給の途絶えた城内で国民
党の軍隊がどのような行動を行ったか、避難地域に逃れる市民をどのような目で見ていたか
考えると、この悲劇の背景が見えてくるようなきがします。
上海の戦闘では、日本軍は外国人や市民を避難させています。南京城でもしかりです。
わざわざ市民を虐殺したとは考えられないと思います。仮に便衣兵の掃討のためにめくら
めっぽうに殺したならば、かえって便衣兵の数を増やすことになり、軍政上むしろ逆効果で
あろうと思うからです。
いかがでしょうか?
戦争とは、無慈悲で愚かで残酷なものです。
が、戦争を引き起こすのは無慈悲で愚かで残酷な人ではありません。
硬直した価値観、行動・・これらは勤勉さやモラルにつながります。
しかし、勤勉でモラルの高い日本軍は、結果として日本を崩壊させました。
物事を多面的に考え、本質を見抜き柔軟であることが、歴史に学ぶ我々の責任であろうと
考えます。
71 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/20(火) 14:31:45 ID:Yn14+Ex90
むずい
72 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/22(木) 10:41:43 ID:5w5KZm500
>>51-70 歴史を専門に研究していらっしゃる、JG保護者の方とお見受けしました。
次は、「ひろしまの旅」教育にかかわる核心部分、米国が日本に原爆を投下したいきさつについて、御高説を読んでみたいものです!
カキコを心待ちにしています。
73 :
出張軍板:2005/12/23(金) 04:58:56 ID:a6g7cD+T0
私は歴史の専門家でも研究家でもありませんが、戦史に関しては
ずっと興味があり、子供のころから読めない漢字を聞きながら本や
話に夢中になっていました。
さて、我々日本人にとって太平洋戦争の悲劇の象徴とも言える原子
爆弾の投下についてですが、あらゆる議論や考えの前提になっている
「人道的戦争」
という考え方について、触れておく必要があると思います。
学問的(早い話が理屈の上でという意味)には、戦争という暴力行為が
一般の刑法上のそれと異なるのは、国家の主権において正当化され
紛争国の間で利害関係を処理する、政治的手段として認識されている
ところにあります。
難しいですね。
分かりやすく言うと、国同士の利害が対立してケンカになった場合、その
国の政府は政治的手段として「暴力に訴えてもいい」ということなのです。
これは主権を持つ国家とその国の政府に認められた権利であるという
訳です。
敵国の兵士を戦場で殺しても罪にはなりません。が、講和後に殺せば
殺人罪になります。これは、戦争は国の利害を解決するのが目的であ
って、敵国の兵士の殺人は手段であっても目的ではないからです。
74 :
出張軍板:2005/12/23(金) 05:02:11 ID:a6g7cD+T0
だからこそ、この目的から外れた行為には厳しい戦争犯罪というものが
問われます。また、目的のためには何をやってもいいかというと、そうで
はなく、各国の軍隊には厳しい「交戦規定」というものが存在しています。
勝手に私兵として軍を動かした場合、最悪銃殺刑もありえます。
この交戦規定には、戦闘開始、対象、戦闘地域、捕虜の処遇など、近代
的な軍が持たなければならない重要な規範(軍規)のうち、最も重要であ
る=本来の存在理由である=戦闘に関する規範が盛り込まれています。
交戦規定のない軍隊とは、何をするか分からない軍隊と同じ意味であり
軍の戦闘行為の裁量に対して、予め政治が範囲をかぶせないという恐ろ
しい暴力装置であるということです。
人道的戦争なるものの意味を考えるとき、軍の任務と軍の行動を戦場で
規制する(あるいは認める)交戦規定をしっかり認識しておく必要がありま
す。
本来、人道的という言葉が、戦争という言葉につながるのは違和感があり
ますね。きれいなゴミのような。言葉としても何かバランスを欠いた、どうも
納得感の薄い変な印象があります。
それは、戦争を行う主体が国家であり、軍隊という装置であり、生命をいか
に効率よく奪い、敵国の機能を破壊するかを追及しているように思えるから
です。これは決して人道的であると思えないからです。
75 :
出張軍板:2005/12/23(金) 05:05:48 ID:a6g7cD+T0
軍隊も警察も、国家が持つ物理的強制力=暴力装置であると政治学では
学びます。
しかし、その中身は大きな差があります。まず、警察の持っている銃火器
は「武器」であっても「兵器」ではありません。例え同じものを装備していても
です。
何が言いたいのかというと、「目的」が違うのです。
警察は治安の維持のため、犯人の逮捕が任務であり、検挙〜裁判という
司法権システムを機能させるための、行政権のシステムです。司法権の
システムは、死刑によって犯罪人を「殺す」場合があります。
軍の任務とは、脅威の排除です。つまり「殺す」ことが最優先のシステムな
のです。
任務が違えば、おのずと手段も違う。
このことをよく覚えておく必要があります。結果「殺す」というところが同じでも
手段が違うというところです。
警察が、犯人が抵抗しないのにいきなり射殺すれば、残虐な行為として処罰
されます。しかし軍隊では「投降のルール」に従わない敵は、抵抗の有無にか
かわらず「即射殺」で何の処罰も受けません。勲章を貰うこともあるくらいです。
人道的という概念にもどると、たとえ死刑に処する場合でも、残虐な方法は人
道的ではないとされています。これは罪人の生命を奪うことが治安維持の目的
であって、無用な苦痛を与えることが目的ではない(公的復讐の放棄)からです。
戦争の場合、苦痛の有無が人道的であるか否かの基準になることは限定され
ています。普通は、戦争の目的が充分果たされているにも関わらず、敵に降伏
や停戦の手段を与えず(制限し)、過剰に攻撃と破壊を行った場合というのであ
って戦争犯罪とは全く別物ですし、その判断基準も非常にあいまいです。
76 :
出張軍板:2005/12/23(金) 05:12:50 ID:a6g7cD+T0
最近の例をあげると、帰化爆弾という兵器が「非人道的」といわれました。これ
は火薬と破片の爆弾ではなく、燃料をエアロゾル化して、一瞬で広範囲の酸素
を燃焼し尽して、一人の生存者もいなくする爆弾です。
アメリカはイラクとの実戦でこれを使用し、イラク兵士は核を使ったのかと誤解
したほどの破壊力(人のみですが)でした。
もちろん、アメリカは「非人道的」であるか否かは殺傷力や生命を奪う方法で規
定されるものではなく、降伏する意図のない軍隊をどのように攻撃するかは、軍
の裁量行為であるとしてこれをつっぱねました。交戦地域に非戦闘員(民間人)
を入れたのはイラク政府の責任であるとも言っています。
ひどい話ですね。
しかし、近代的で民主的な国家が持つ軍隊の「交戦規定」としては、まったく、完
全に、これは普通です。
ここから、本題の原爆=核について考えていきます。
あくまで、現在の考え方ですが、たとえ降伏する意思のない軍隊を攻撃する場合
でも、核の先制攻撃は「軍の裁量行為とはならない」とされています。政府の最高
承認が必要とされています。
77 :
出張軍板:2005/12/23(金) 05:16:45 ID:a6g7cD+T0
なぜか?
核の使用によって起こる被害は、地域の利用を不可能にし、生態系、環境破壊
を無関係の周辺にも深刻に及ぼし、本来戦争の目的である国家の利益の実現
に大変な害を与える=目的の喪失=手段の正当性の喪失になると考えられて
いるからです。
誰の利益にもならない戦争はダメということです。
自衛の場合は「自国民の防衛」という利益がありますから、躊躇なく使用します。
自動的に報復攻撃します。
1945年8月当時のアメリカ政府の認識、国家間の戦争にたいする認識は、現在
のそれとは大きく違います。
ここまででまとめておくと
・人道的という言葉本来の常識的な意味は、戦争での軍隊の行動を規制する意味
とはかけ離れている。
・軍隊の任務は脅威の排除である。殺人は非人道的行為だが、任務上認められる。
・軍隊の戦争遂行手段は、国家の利益の実現という目的によってのみ正当化される。
ということではないかと思います。
78 :
出張軍板:2005/12/23(金) 05:26:36 ID:a6g7cD+T0
では、どういう認識でいたのかというと、まず第一に、戦争については、こういうこと
です。
日本=国家総動員&制限戦争(第一次大戦当時の考え方。条件講和可能)
アメリカ=国家総動員&無制限戦争(無条件降伏もしくは国家の殲滅)
これはもう、日本政府(たとえ陸軍大将が総理大臣でも、決っして軍隊の責任では
ありません。もちろん外務省の責任でもありません。内閣の責任です)の能力の低さ
を感じないではいられない、日本の悲劇であったと思います。
1943年11月にカイロでローズヴェルト・チャーチル・蒋介石が対日戦と対日戦後処
理の方針について会談し(カイロ会談)、その内容はカイロ宣言(1943.12)として発表
されます。カイロ宣言では日本に無条件降伏を要求すること、降伏後の日本の領土に
ついては第一次世界大戦以後に日本が獲得した太平洋諸島の放棄、満州・台湾・澎
湖島の中国への返還、朝鮮の独立などが決められました。
この時点で、日本の条件付講和は可能性がなくなりました。
つまり、講和とは自分に戦力があって、相手にそれを奪うことが非常に困難と思わせ
ることが可能な場合にのみできる相談なのです。1943年つまり昭和18年末はよう
やく日本が押され始めてきた時期ですが、まだまだ軍事的には余力を残していました。
しかし、連合国はすでに対日戦争勝利を確信しています。戦後の調査では、日本が
アメリカ、英国に条件講和を実現できた唯一のタイミングは、オランダ領インドネシア
を占領した直後であると言われています。ただし、撤兵の必要がありますが・・・念願
の石油は輸入できたということです。開戦後3ヶ月で連戦連勝の日本軍が撤兵など
あの自信マンマンの東条内閣には無理でしょうね。それこそクーデターが起こってる
かもしれません。
79 :
出張軍板:2005/12/23(金) 05:34:02 ID:a6g7cD+T0
日露講和を、すさまじい国民の反対を押し切って成立させた豪腕かつ優秀な政治家
はこの当時、官僚軍人にとって代わられています。可能性はゼロでしょう。
忘れてはいけないことがあります。こうした軍隊を、海軍省、陸軍省、内閣を作ったの
は他でもない、我々日本国民であるということです。自虐でもなんでもありません。バラ
ンスを欠いた、偏狭な自信と、根拠の無い楽観的予想で国を破壊に導いたのです。
そして、それを煽りつづけ、官に張り付いてスクープのみに血道をあげ、世論の醸成
をついに為しえなかった当時の新聞メディアも同罪です。
戦う前に、冷静に相手を知る。そして自分を知る。
日本人にとって、格言になるほど実行が難しいことです。無意味に卑屈になったり
根拠もなく過小評価したりすることが、どれほどの破壊と悲劇をもたらしたか、今一度
しっかり腹にすえて考える必要があります。
これは、アジアの人に迷惑を云々などという、安っぽい某国や相変わらずの新聞メディ
アに迎合することを言ってるのではありません。
一度戦争を始めたら、それは軍事行動であって、ほどほどで止めることができない性質
を持っていることをはっきり認識する必要があるということです。
そして勝てないまでも負けないこと、それが確保できない戦争は、こちらから仕掛けては
いけないということです。
ちょっと脱線しましたが、当時日本の主要交戦国であったアメリカの大統領は「これから
は君たち軍人のの仕事だ」と開戦直後に言っています。
80 :
出張軍板:2005/12/23(金) 05:40:35 ID:a6g7cD+T0
では当時、アメリカの軍事予算の30%近くを投入して開発された原子爆弾に対する認識
とはどういうものであったのでしょうか?
原子爆弾の研究そのものは、アメリカだけではなく、イギリス、ドイツ、日本、ソ連でも行わ
れていました。しかし、実際に開発が進められていたのはアメリカのみと言ってもいいと
思います。
もともと、イギリスの諜報機関によってドイツで原子爆弾の研究が行われているという情報
がもたらされたために、アメリカがこれを開発して装備する必要があるとされたのが始まり
です。
詳しい経緯はどこにでもありますので省略しますが、亡命したアインシュタインの手紙は
ほんのきっかけになったに過ぎません。実際にはイギリスに亡命した科学者の研究から
爆発可能な原爆の研究が始まっています。これは、彼ら亡命科学者がレーダーなどの高度
な軍事技術開発から外されたために、やむなく彼らはウラン研究を研究テ−マとしたため
に進められたものです。
この研究情報と、ドイツの研究情報が情報交換協定でアメリカに渡り、アメリカの科学研究
開発局(OSRD:科学技術を軍事動員するための機構)の局長であったブッシュの目にとま
ります。ブッシュは、原爆が既存の爆弾を数千倍うわまわり、戦争の帰雛を決する威力を持
っているものと判断したのです。
その年12月6日、原爆開発に「全力をあげよ」と指示されるに至ります。
1942年になると、実験用核連鎖反応炉がつくられ、夏には陸軍の管轄のもとに原爆製造
「マンハッタン計画」が発足します。ついで、爆弾の製作の最終的基地となる研究所の建設
が始まり、本格的な原子爆弾製造が展開されます。
81 :
出張軍板:2005/12/23(金) 06:00:50 ID:a6g7cD+T0
科学者たちは軍管理、劣悪な研究条件に反発しこそすれ、積極的に爆弾製造に取り組み
ます。それは何といってもドイツに遅れをとってはならないとの思いが、そうした態度をとら
せたのでしょう。
実は、科学者たちには極秘にしましたが、1944年初頭には政策決定者らはドイツ原爆なし
との情報を得ていました。ドイツの降伏は時間の問題となり、ドイツ原爆はありえないと思わ
れたからです。シラ−ドは1945年春、原爆開発の行方を心配し、これを管理する国際組織
の設置の必要性を説いた覚書を大統領に差しだし、その年の7月には、シラ−ドら冶金研
の科学者を中心に日本への無警告投下反対の請願署名運動が展開されました。
また日本の仁科研究所も、東京大空襲で原料のウランを焼失してしまい、その研究を事実
上打ち切っていました。
もはや、対日戦争目的は原爆を「対抗手段」として使用する正当性はなくなっていました。
では、降伏する意思の無い(意思はあっても、軍事行動を止められない)軍隊=国家への
行使としてはどうでしょうか?その正当性はあるのでしょうか?
まず、日本はポツダム宣言を黙殺するという行動を起こし、アメリカに大義名分を与えて
しまいます。原爆の使用はすでに決定済みでしたが少なくとも、長崎への投下は回避でき
た可能性があります。
九州上陸作戦、関東上陸作戦を秋〜冬に準備していたアメリカ軍にとって、100万人の
損害回避というのは「言い訳」にもならないセリフです。原爆使用は既定の方針であり別
次元の問題でした。
どういう問題かというと、みなさんよくご存知のソ連との衝突です。すでにドイツの占領政策
では摩擦が出始め、満州への怒涛の侵攻は、積年の中国進出を願うアメリカの警戒感を
いやがうえにも刺激しました。
82 :
出張軍板:2005/12/23(金) 06:26:48 ID:a6g7cD+T0
このソ連への使用を含めた、実戦データを採取すること、政治的なデモンストレーションを
果たすことが、アメリカの政治・軍事目的として国家の利益目標になってしまったのです。
これはもはや、対日戦争目的とは乖離したものです。
この点において、【現在の尺度から言えば】アメリカは原爆使用の正当性を失っていたと
言えるでしょう。
しかし、現実には原爆は投下されました。
その理由は2つあります。
@政府、軍ともに原爆を使用する意思があった
A報復を恐れる心配がなかった
言うまでもないことですが、1945年当時の国家に現在の理屈は通じません。
そして、投下した理由のなかで、今でも充分根拠となるものがあります。
報復手段の有無です。
アメリカは、日本の生物・化学兵器について大変な脅威を感じていました。何度も日本に
使用した場合には大量報復すると警告しています。実は沖縄戦ではアメリカ軍は使用した
(サイパン、硫黄島でも)形跡がありますが、小規模なものです。
頑強な日本軍に手を焼いた結果、おっかなびっくり使っています。日本軍は報復をしませ
んでした。実際通常弾も補給に事欠くほどだったのが理由です。
要は、この報復手段を持っていなかったこと、開発者の民族的なつながりがドイツに比べて
希薄であったことが投下を決断させた原因であるといえます。
このことは、日本政府が原爆開発&実戦使用をつかめなかったのはやむを得ないとしても
2発目は止めるべきでした。
83 :
出張軍板:2005/12/23(金) 06:32:25 ID:a6g7cD+T0
何か拉致被害者への無関心をみる思いがします。
テポドンショックしかりです。
ただ、日本の降伏を準備していた為政者の本心は分かりません。中途半端な降伏は
イタリアのパドリオの二の舞と言われていましたし、未だ陸軍はやれると信じていました。
もし、米軍の本土上陸を許し、陸軍が反政府軍化すれば国民の犠牲者は1000万を
軽く超えたものにり、国土の荒廃は再起不能なレベルに至ったかもしれません。
私は、日本人が原爆から学ばねばならないことをこう考えます。
・恐るべき官僚体質の傲慢と怠惰を忘れてはならない
・その官僚体質は、我々日本人の性質そのものにあること
・三度日本人の頭上に核の炸裂をみてはならないこと
・敵対する国にも馬鹿がいることを忘れてはならない
(踏まれないと痛みが分からない)
最後に、核廃絶は人類の願いですが、その核がどんな外交よりも大国間の平和を
維持したことの意味を理解できない人こそ、核のボタンを押す人になるでしょう。
原爆の惨劇と苦痛、日本人の非戦闘員の味わった惨劇と苦痛を考えると冷静では
いられなくなりますが、だからこそ、柔軟でバランスの取れた平和への努力と備えを
忘れてはいけません。
戦争が日本を放棄したわけでは決してないのです。
84 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/23(金) 07:58:56 ID:j6IwnyMU0
大変有益。
85 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/23(金) 08:27:55 ID:j6IwnyMU0
有名私立校の社会教師には新左翼崩れが生息。
86 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/23(金) 08:55:22 ID:tlSnt896O
体操部は活発か?
87 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/23(金) 12:31:02 ID:42euKV2UO
VIPでやれ
88 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/23(金) 20:50:04 ID:a6g7cD+T0
他国の領域で戦争をする=侵略戦争 でなはい
組織の存在目的のための戦争であり、予算獲得のための戦争であり、戦争という手段の目的化
敵対する国にも馬鹿がいることを忘れてはならない
なるほど・・・
89 :
出張軍板:2005/12/24(土) 20:45:22 ID:lDmDifp20
失礼、中途書き込み上げてしまいました
他国の領域で戦争をする=侵略戦争 でなはい
組織の存在目的のための戦争であり、予算獲得のための戦争であり、戦争という手段の目的化
が本質であった
敵対する国にも馬鹿がいることを忘れてはならない
なるほど・・・と思える事がひとつでもあった人は、多面的で柔軟な考え方や行動ができる方です。
そうかな?・・・と思った人も、大丈夫です。
そんなことあるわけが無い!・・・と思った方は、気をつけてください。
日本を破壊に導いたのは、優秀ではあるけれども、柔軟で多面的に、本質を見極められない
私たち日本人の中にある「気質」であったことを忘れてはいけません。
姉歯が何人いても、いくら圧力をかけられても、本質を知り柔軟でありさえすれば、あのような
無様なお役所仕事のせいで、家を失い、税金を無駄にしなくてもよかったはずです。たった一人
まともな人が居れば防げた暴走ですね。
90 :
出張軍板:2005/12/25(日) 11:08:43 ID:y+own/vj0
長々と書いてきましたが、最後に一言
このスレのタイトルにある【共産党は】【いりません】について
単純なイデオロギーで、世の中を動せる時代は、過去も
現在も、未来も存在しないということです。
もともと日本人は、非常に(村)社会主義の精神構造とモラル
を持ち合わせています。言われなくても原始共産主義のシス
テムは幼稚園から叩き込まれています。
「おもちゃはじゅんばんこしなさい」
(アメリカでは「I got it. It's mine!]と言わないと怒られます)
いつか、第二次朝鮮戦争 1994年6月の真珠湾攻撃の話を
しましょう。
オウムの松本サリン事件が起き、社会党の村山内閣が発足した
この年の6月、アメリカは10万人の米軍の犠牲を覚悟した戦争を
一度決意しました。
SMAPが、「がんばりましょう」を歌ってたときのことです。
91 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/26(月) 21:41:44 ID:eq6CDRcw0
>アメリカでは「I got it. It's mine!]と言わないと怒られます
幼児のときからこういう風に怒られて育ってきたアメリカ人が、
日本に原爆を落として、I got it. It's mine ⇒ 日本は、惨めなアメポチ国家になってしまいました
イラクを侵略して、I got it. It's mine! ⇒ 石油をアメリカに独り占めされてしまいました
こういうアメリカのことを、JGの歴史教育は、どう問題にしているんでしょうか。
日本がすべて悪い、原爆を落としたアメリカのことは悪くない・・・ こうだとしたら、日本人として、
悲しいですね。
92 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/27(火) 13:20:24 ID:etZ4O2Gk0
93 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/29(木) 10:23:02 ID:ITV0AR5g0
東京で、米兵が小学生男児3名をひき逃げ!
警察は犯人の米兵を逮捕したが、日米地位協定により、米国に引き渡さなければならなかった。
日本に、この米兵の裁判権はない。
しかも、この重大な事実が、6日間も隠蔽されていた。
(12/29の「東京新聞」大スクープ)
・・・まるで、占領下と同じですな。
原爆は落とすは、ひき逃げするは、アメリカは日本でやりたい放題。
そういうアメリカよりも、とにかく日本が悪いから謝罪しろ、それが無ければ議論自体が意味を成さないというのが、JGの歴史教育なんでしょうか?
ならば、それはアメリカ弁護の教育と言ってもいいくらいですね。
94 :
実名攻撃大好きKITTY:2005/12/31(土) 10:39:33 ID:zbpz0u2S0
むかし、ソ連から日本の共産党に、第2次大戦について
「あの戦争は、反ファシズム民主主義統一戦線だったが、戦後アメリカや西欧諸国がそれを裏切ったのだ」
というふうに規定しろ、という指令が飛んだ。
ソ連自身が、千島樺太や、満州、ポーランド、ドイツ、フィンランドなどで大量に帝国主義的な領土・覇権
領域拡張をした事実を隠蔽しようとしたのだ。
日本共産党はそれに唯々諾々としたがって、そのように規定した。つまり、第2次大戦中の連合国は、すべて
ただしい民主主義国家、悪いのはすべて日独枢軸国、という理解が作られた。
これが、各学校にはびこる日本共産党系の教員に大きな影響力を与え、日本がすべて悪いと生徒に教える
歴史教育が作られていった。
ちなみに、新左翼諸派は、第2次大戦について、このようなソ連の見解を受け入れてはいない。
95 :
実名攻撃大好きKITTY:2006/01/02(月) 07:48:56 ID:JP888DYI0
>>94 ということは、授業や行事での自虐史観強調度は、
日共系教師>>>>新左翼系教師
ということですね。
納得。
97 :
実名攻撃大好きKITTY:
日本が満州国を作らなかったら、中国共産党が国共内戦で勝利することはなく、
それゆえ、中華人民共和国という国が成立することはなかった。
・・・これは歴史の真実なのだが、JGの歴史教育ではきちんと教えているかな?
中国は、歴史問題で日本に謝罪と賠償要求どころか、日本に大感謝しなくてはいけない
立場にあるのだよ。