35 :
岡田克彦:
こんな掲示板が2ちゃん内にあったとは驚きです。
高松高校在学生やら卒業生の若い連中が参画しているのですか?
ぼくは高松高校昭和50年卒業して、第一志望だった国立大学(京都大学)を滑って、
浪人するの面倒だったので、滑り止めに受かってた早稲田大学の政治経済学部に
入学しました。
早稲田大学の政治経済学部卒業後、住友信託銀行に入社して15年間、東京、大阪を
中心に仕事の傍ら、日本アマチュア演奏家協会の理事として、東京、大阪で
大学2年の時に、アマチュア作曲家仲間と作った「ピアノと遊ぶ会」を中心に、
小さい頃からの趣味の作曲、ピアノ演奏、室内楽演奏を中心に活動していました。
何か、2ちゃんねらーの悪質な連中の発言では、ぼくが住友信託銀行勤務時に
交通事故を起こしてクビになったようになっていて呆れておりますが、ま、どーでも
よいことです。(続きます。)
36 :
岡田克彦:05/02/05 00:43:26 ID:IDtaZ8np
実は、父が妾を8人も作って、その8人目の妾と同棲を始めたので、
両親が大学卒業後1年目に離婚しました。そのため、父を見捨てたぼくと弟が母との
3人家族になりました。その母が高齢になり、体を悪くしたので、不幸な人生を歩むことに
なった母を放っておく事は、ぼくも弟も独身なので、弟と相談して、
長男のぼくが高松での仕事を探して10年前に高松にUターンし、母の実家の西宝町に同居したのです。
当時は、まだ大蔵省が銀行を支配していて、信託銀行は人口50万人前後の
地方都市には1社(信託銀行のトップは頭取ではなく社長なのですよ。)
しか支店を出せませんでした。四国では、高松は三井信託、松山は住友信託、
徳島と高知は東洋信託(三和グループ)と、縄張りを大蔵省に決められていたのです。
ただし、四国の中心の高松には、(NTTの四国本部は松山にありますが)NTT共済
という信託の大手取引先やNTTドコモがあり、ここの共済は全国的に三菱信託が
担当していたところから、高松には、三井信託が先発信託銀行なのですが、
三菱信託が後から支店設営を特別に認められた状況でした。(こんなことは、ビッグバン
以前に信託銀行に勤務していた人達ならば誰でも知っています。)だから、高松に
Uターンするということは転職することが大前提だったので、それを捜すことが先決でした。(続きます。)
37 :
岡田克彦:05/02/05 00:43:58 ID:IDtaZ8np
が、運良く、高松高校の大先輩の百十四銀行の知り合い(以前の実家の
番町のご近所でした。)に高松高校創立100周年の玉粋会同窓会に出席した際に、
その方の2年先輩の高松高校卒業生の東京の日本マンパワー(従業員教育の老舗
です)の小野憲社長を紹介され、日本マンパワーが四国に初めて総代理店を作る
ところだったので、「その総代理店の新規立上げの人材開発部長をやってみないか」
ということでUターンを決意しました。当時、従業員教育の会社の老舗
(日本マンパワー、産能大学、日本能率協会の3社)の支店、代理店は四国には
皆無だったのでゼロからのスタートでした。
Uターン当初、周囲からは、「銀行員崩れに何が出来るんだ」なんて言われましたけど、信託銀行は
都市銀や地銀と違って、人間の生命以外は全て預かれるという特徴があり、
住友信託在勤中は、信託、預金、貸付だけじゃなく、証券、不動産、土地信託等々、
いろいろな営業を担当していましたので、「なめんなよ(笑)」って感じで頑張って、
四国四県のマーケットリサーチからスタートしました。趣味の音楽活動どころじゃない、
大変に忙しい時期でしたが『どんな困難も朗らかに乗り越えよう』という、ぼくの
大好きなヘッセの「ガラス玉演戯」の中の言葉を胸に頑張って、設立一年目で一人で
年商5000万円にまで成長させることが出来ました。(続きます。)
38 :
岡田克彦:05/02/05 00:45:05 ID:IDtaZ8np
ただ、3年後、日本マンパワー本体のメインバンクだった北海道拓殖銀行が破綻したため、
全国の8代理店が急に閉鎖となり、当初の予定が狂い、再転職を余儀なくされました。
が、5年前に、早稲田大学政経学部で勉強していた「堀家文吉郎教授研究室」の親友
だった日経新聞に入社していた平野憲一郎君が日経新聞岡山支局長として赴任して、
高松にさぬきうどんを食べに遊びに来た際に、大学時代のぼくの音楽活動を知っている
平野君に熱心に口説かれ、ストップしていた趣味の演奏活動を岡山で再開し、岡山後楽園での江守徹さんとの共演や
山陽テレビイブニングニユースへの出演等をセットしてくれました。その当時に、
愛知県在住のアマチュア作曲家の仲間が、ぼくのホームページわ作ってくれることになり、
現在のホームページ「K.OKADAワールド」を立ち上げました。
また、当時人材開発事業に力を入れ始めた「中四国リクルート企画」を紹介して
くれ、そちらで「日本マンパワー」時代の四国の官公庁との人脈を生かして仕事を
しました。が、こちらも1年後、人材開発業務の中心の従業員研修事業から手を引き、
その業務を監査会社としても有名な「トーマツ」に売却した(日経新聞に出ていましたよね)
ことから、「リクルート」で新卒者の採用やホットペッパーやゼクシーの業務を
やりたいなんて考えていなかったぼくは退職し、別の仕事をやっています。(続きます。)
39 :
岡田克彦:05/02/05 00:45:48 ID:IDtaZ8np
「日本マンパワー」時代に飛び込みで契約をとった頃から、公私に渡って懇意にさせて
いただいている『四国電力』『JR四国』『百十四銀行』『高知県庁』『JA高知中央会』
『阿南商工会議所』等の主要な人達には、仕事の局面で趣味の話は一切しないと
いうぼくのポリシーを貫いていたのですが、テレビ出演でバレてしまい
「何で言ってくれなかったの。水臭いじゃないか。」と言われたり、高知のクライアント
でお付合いのあった人達は、岡山後楽園や倉敷御園旅館のサロンコンサートにまで
聴きに来て下さったりして、感激しました。そして、「どうして高松でやって
くれないの?」とよく言われます。
しかし、ぼくは、絶対に香川県ではコンサートはやりません。
それは、アマチュアながら、東京、大阪で香川県内の音楽、ピアノ教師の
裏事情やら金権体質、父の岡田寛のやっている「ドコモコンサート」やプロデュースした
「志度町コンサートホール」でのヨボヨボのお爺さんのフルーティストの
「ランパルコンサート」やら「ハイドンフェスティバル」の稚拙な内容や、
「日欧協会」を取り巻く、東京の音楽大学を卒業後、Uターンじゃなく都落ちした
二流演奏家、室内楽の出来ない音量コントロールの出来ないピアニストの実力を
よーーーく知っているからです。(続きます。)
40 :
岡田克彦:05/02/05 00:46:38 ID:IDtaZ8np
また、以前父が出入していたけど出入出来なくなった、
東京の「梶本音楽事務所」「高柳音楽事務所」のディレクターによる父の評価も
熟知していますし、そのあたりの見抜けない香川県のクラシック音楽愛好家の水準に
失望しています。父は香川県知事から文化功労賞ももらったそうですが、あれは、
長年やっていたらもらえる程度のものです。それに、真鍋県知事にそんな判断が出来る
とはとても思えないし、岡山の石井県知事との文化水準の雲泥の差もよーーーく
知っています。作陽音大のある倉敷やシンフォニーホールのある岡山県で認められる
ことは、ぼくの感覚では、高松に住んでいる、プロ、アマ、全ての音楽に携わる
アーティストの最低必須条件でしょうね(もちろん、それでも東京には遠く及ばない
でしょうけど・・・)(続きます。)
41 :
岡田克彦:05/02/05 00:47:24 ID:IDtaZ8np
だから、音楽評論家の岡田寛の長男、という肩書きでステージに立つのは
芸術家としての良心が許さないのです。
2ちゃんねるではいろんな憶測で、ぼくは「父の岡田寛の世話になっている」そうですが、
仕事も趣味も公私に渡る高松での人脈は自分で作りました。が、親子喧嘩する必要も
ありませんし、妾と同棲する前、父は優しい人だった思い出があります。
けれども、父(父の卒業大学も偶然ですが早稲田大学政経学部なのです)とは、
早稲田大学同窓会で会った時にお話する程度の付合いしかしていません。
何せ、ぼくや弟が父に会いに行っても、お妾さんが追い出すのだから仕方ないし、
お妾さんから随分失礼なメールをいただいて、迷惑しております。(続きます。)
42 :
岡田克彦:05/02/05 00:48:21 ID:IDtaZ8np
ぼくは高松高校大好きです。選抜のこと等、ワクワクしています
し、兵庫町の和菓子の太平堂の息子の修理君は高松高校同級生で、野球部の
キャプテンでしたので楽しみにしています。また、東かがわ市のスワニーにいて、
今、中国出向中の光中君は、高松高校、早稲田大学政経学部と7年間一緒でした。
彼は、高松高校サッカー部キャプテンだったし、早稲田でもサッカーやってました。
番町大林病院の院長の大林君とは、付属高松中学校と高松高校6年間一緒でしたので、
高齢の母の主治医をお願いしています。その他にも、いっぱい、高松高校時代の友人
がいるんだけど、皆、ぼくが作曲、ピアノやっていることは知っているので、
いつもその話題になる度に、プライベートなホームコンサートくらいはその内
やるつもりです。
高松高校の校歌は素晴らしい曲ですね。この前、6つの変奏曲にアレンジして、
その第3変奏では聴衆が歌えるようにしているので、その内、青春時代を一緒に
過ごした仲間が集まった時にでもやれればいいな、と思っています。(続きます。)
43 :
岡田克彦:05/02/05 00:49:50 ID:IDtaZ8np
2ちゃんねるネットウォッチ板のような悪辣掲示板が消滅するまで、この大事な
変奏曲はホームページにアップロードなんてぜーーーーーったいにいたしません。
(ぼくのピアノ曲の一部を「2ちゃんねるプラス」がその付録のCDに入れたいと、
粟野さんという方が高松まで会いに来た時にいろいろ話したけど、2ちゃんねるの幹部
にしては、まともでしたので「2ちゃんねる」の経営主体が悪いのじゃないのですね。
そこに集まる人達がダメなんですね。)
本当に、長々とごめんなさい。メールアドレス入れてますから、ご質問のある方は
どうぞ。
昭和46年〜50年のぼくが高松高校在学中、父の岡田寛は高松高校のPTA会長を
していましたので、高高在学生、卒業生の皆様は調べればわかりますよ。
ではでは・・・・・