日の丸・君が代に抵抗姿勢を取っている学校<2>

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192104
>>150
形の強制は内心の自由に踏み込み得るのです。

たとえば信教の自由。
キリスト教徒に対し靖国なんかへ行く事を強制したらどうでしょう。
「心の中ではキリスト教信じ続けていいから」
という名目で。果たしてこれで内心の自由を守れると言えるのか。内心の自由は絶対的に
保障されるというところは納得されているようです。ならばその内心の自由を保障するための
「のびしろ」の部分が必要である、とまでは考えられませんか?
国家による制約と内心の自由。その対立は起きてもしょうがないし、起きなければ不健全です。
しかし法律による強制は内心の自由に肉薄して侵入しうるものです。
その「危険性」に対する防御方法が一切考慮されていないところに問題があるのです。

大坂冬の陣で徳川は大坂城の内堀まで埋めました。あの状態で豊臣側は徳川への意見申し出など
できましょうか。したらどうなったでしょうか。
あっと言う間に根絶やしにされました。

権利を保障するならばその方法まで保障する。それが憲法理念であり31条にも通じるものがあるのです。
それを強制や処分をちらつかせて従わせる。

あなたが北朝鮮や中国について好きか嫌いかは推測できますが確定できません。ゆえに私の立場で。
あの国家体制(北朝鮮の独裁、中国の悪魔刑法)は賛成できるものではありません。しかし糾弾すべきは
国民ではない、そう思うのです。反対動機を形成する過程を提供せず国家に従属させることは
人権侵害にほかなりません。その国民を攻めてどうするのですか?木を見て林を見ず。まさにこの言葉。

>>151
同意dクス。
ちなみに私も電車でもの食うのと化粧するのはマナー違反だと思います(地方でなく山手利用)。
特に化粧は現実見せないでほすぃ。