50 :
ゆめときぼう ◆xcrNWSUCcQ :
茶髪にしていても、優秀な人がいるという論調は、私はあまり好きではないです。
中2生さんへ
確かに、人は自然のままであり続けるべきという、あなたの価値観は素晴らしいね。
しかしね、なぜ、その人が茶髪にしているのか考える、
そういった想像力もあなたに求められているということも理解してほしいな。
特に、中学生、高校生にとっては、大人社会が与えてくる、
子供はこうあるべきといった規範がうっとうしくなる場合があります。
そういったときに、大人社会に抵抗している姿勢を、てっとり早く示すことができる方法が、
茶髪にすることです。
私は大学生で、まわりにも茶髪にしている人間はたくさんいるけれど、
彼らは、外見を茶髪にすることで、
自分は、いわゆる難関大学に行ってはいるけれど、普通の大学生ですよ
ということを必死でアピールしているように感じられて、
それが、私にとっては、ものすごくかわいく思えてくる。
つまり、私にとっての茶髪は、素朴な人であることを示すマークになっている。
ただ、残念なことに、茶髪にする人の中には、
何も取り組むべきものがなくて、茶髪にすることだけが、
自己を表現する唯一の方法に成り下がっている人もいます。
また、世間一般の風潮が、茶髪にしないと流行に遅れているといった方向に動いてしまったから、
流行に流されて、自分自身で、自分の容貌について決定することを放棄している人もいます。
皆が皆、茶髪にしてしまった現象をみて、
一般社会と同化することで、安心感を得ようとする人間が多くなってきていることを
物語っているようにも、私には感じられます。
そして、マレーシアのマハティール元首相が述べられたことなのですが、
茶髪を例にあげて、日本の若者は、自国のよさを放棄して、欧米化しようとしている、
そういった日本は、なんら魅力がないと。
このことも気になります。
51 :
ゆめときぼう ◆xcrNWSUCcQ :02/12/23 03:53 ID:rNedwx6b
(つづきです) 長文レスごめんなさい(ぺこり)
というふうに、茶髪にすることには、私自身も否定的です。
しかし、茶髪にするといった容貌は、その人の表現行為の1つと考えていいから、
その人の価値観の一部分に相当します。
自分とは違う価値観であっても、できるかぎり肯定していく
そういったことも、生きていくうえで、とても重要なことです。
そして、茶髪にしてもいいということは、
その学校には、自由があるということに、ほかなりません。
それは、単にどのような容貌をしてもいいということだけではなく、
茶髪を認める雰囲気から、間接的に、他の自由も得られているということになるのです。
あなたは、いろいろな価値観を持った人間が集まる、ある程度の自由が保障された学校に行けるのです。
そして、自由であるにもかかわらず、しっかりと自分を律することができるようになるから、
京大さんや東大といった、いわゆる難関大学にも実績が出せるのではないか
と、私は思います。