351 :
既にその名前は使われています:
亀だから萌えにくいし、ただの擬人化にしても無粋だとおもうんだよ。だから、
長く続いていた戦争も終幕し始め、翡翠姫のゴ・ダは退屈していた。
その二つ名はどこへやら、ゴ・ダ姫が戦場へ駆る度におろおろさせられた、
金剛王と呼ばれる父はべドーの再建に取り組みつつも、その胸を撫で下ろしている。
もうあんな刺激的な日々はやって来ないのかしら、とご機嫌取りにやって来たゴ・ブを
あしらいながら八面六臂の大活躍をしていたあの日々の栄光に目を細めていた。
そんなある日、戦中は偵察役、現厨房長のド・ガが、給仕により夕餉の食卓へ運ばれた
彼の手による珍しい金色のオムレットの説明をしていた折、その話は出た。
「これは私が戦時中、サンドリアへ潜入した折に学んだ料理、鶏卵を用いたオムレットにございます」
きれいなそれをスプーンで掬い、うやうやしく口へ運ぶ。
352 :
既にその名前は使われています:2010/04/07(水) 23:19:43 ID:xh45nlR7
「あら、おいしい。でもこのおとうさまの甲羅よりも堅物そうなエルヴァーンがよく教えてくれたわね」
金剛王のもつスープ皿の中身が一瞬で無くなる。悪口といえど、娘の話題に上ることに嬉しさを隠せない。
「それは当時、潜入捜査でヒュームになりすまし、その暇の戯れにサンドリアでの食堂のコックに教わりました」
「あらあら、その言い方だと他にも色々あるんじゃなくって? 明日から楽しみだわ」
「それはもう。恐れ入ります」
思わずスプーンを持つ手が止まる。一瞬聞き流しそうになった言葉を反芻する。
「ちょっと待って、今なんて?」
厨房長はハッと思い至っておののく。給仕達の顔はみるみる青くなり、つられて金剛王も硬直した。
目の前にある食べかけのオムレットが先日のサーディンのカルパッチョのように自分の顔にへばりつく様を想像して、
思わずまくしたてた。
「え、あ、も、申し訳ございません。決して仕事を疎かにしていた訳ではなく、出来たいとまを利用してと申しますか、
料理人の性とでも申しますか、ええと、その食堂は、人間の冒険者にも有名なところでして情報を集めるには最適で―――」
「ド・ガ、ちがうわ。どうやってクゥダフがヒュームに出来るのよ。変装にしたって限度があるでしょう」
353 :
既にその名前は使われています:2010/04/07(水) 23:21:07 ID:xh45nlR7
当時の行いを咎められたのではないと安心した厨房長は饒舌になる。
「ああ、それはですね姫さま、当時同盟中だった他国が東方より仕入れた、向こうの高名な錬金術士の作った秘薬を
偵察用に作り直した物だそうで、私はそれを飲んで変装したのでございます。小手先の変装とは訳が違います。
それを口にすればたちまちこの尾は縮み、この鋼の皮をもつ腕は軟弱になり、頭からは毛髪が生えるのです。
ですから、偵察である私は目的はおろか、明日の食卓の情報までも持ち帰ることが出来たのですよ。
私にこれを教えてくれたコックは人間ながらそれは気のいい方で、彼ならば、私の正体がクゥダフだと知っても―――」
「そんなことはどうでもいいわ、ド・ガ。それよりもその秘薬、今もまだ在るのかしら?」
「どうでしょう、余っているとすれば北の倉庫にあるはずですが」
ゴ・ダが勢い良く椅子を飛ばして立ち上がる。
「おとうさま、ゴ・ダは話し疲れてしまいましたわ。先にお休みさせていただきますね」
言うやいなや、食堂を飛び出し、部屋へ飛び帰ってしまった。金剛王が目を合わせずに声をかける。
「またあの子は何かやらかすつもりであろう。口が過ぎたのではないか」厨房長は落ち着いて答える。
「ご安心下さい。あれはもう使用期限が過ぎ、只の水に変わってございます。ところで、スープの御代わりは如何でしょう」
金剛王は息をついて目を細めると、うむと小さく頷いた。
御代わりのスープを注ぐ給仕が横目で盗み見た王の横顔の口角が、少し持ち上がっているように見えた。
354 :
既にその名前は使われています:2010/04/07(水) 23:22:06 ID:xh45nlR7
虫の音の良く通る深夜、ゴ・ダは北の倉庫の前にいた。
夕餉のあと、前もっていつも部屋の前にいる衛兵を払っておき、誰にも気付かれぬよう忍び足でここまでやってきた
彼女の姿を捉えるのは、真上から煌煌と光を照らす満月だけである。
ゴダは予め失敬していた鍵を使い、頑丈な木の扉を音を出さないようにゆっくりと開いて、そこへ入った。
とたん、僅かに残る懐かしい硝煙の匂いに包まれた。
もう一歩踏み出すと、足に当たった何かが崩れてけたたましく音をたてた。思わず振り向いて扉を閉める。
よかった、誰も来ないみたい。暫くそうやって目を慣らしていると、足元にあったのがもう使われなくなった
剣と盾であることが分かった。懐かしくなり、手にとって構えてみたりする。
いけない、こんなことしてる場合じゃなかった。改めて部屋を見回してみると、そこには無数の大砲と鎧甲冑、
武器の類がそこかしこに置かれていた。これは骨が折れそうね、今度帰ったら倉庫番に思い切り文句を言ってやろう。
そんな決意を胸に、それでも暗い中を手探りで探していると、高い格子窓から埃っぽい倉庫内に帯のように垂れ込む月光が、
急に光の向きを変えた。
355 :
既にその名前は使われています:2010/04/07(水) 23:23:21 ID:xh45nlR7
剥ぎ取った布の中には鏡があった。そしてまるで探し物の在りかを示すように差す光の先には、大きな木箱があった。
ゴ・ダはゆっくりと箱をあけた。そこには沢山の衣服と共に、液体の入った小さな瓶がいくつか押し込められていた。
これだわ! ゴ・ダは込み上げる嬌声をなんとか抑えると、落ち着く意味も込めてこれからの自分を想像してみた。
お父様は人間の棲む街ほど醜く、怖いものはないというけれど、そんなの嘘に決まってる。
だってこの鏡の装飾も、服の意匠だっていい趣味だし、人間の話をするド・ガだってそう。
それに、あんなに美味しいオムレットを作る人間が居るところが、少なくとも面白くないはずがないわ。
だから、どうせ向こうから来ないのですから私から遊びに行ってあげる!
ゴ・ダは宝石のように磨かれた指先でコルクの蓋を開けると、上品さを忘れない程度に一気にあおった。
さてどうかしら。目を凝らして手を見てみるが、そこにはまだよく手入れされた玉虫の羽のような皮の腕があった。
おかしいなあ。もう一本飲んで、今度は尻尾に手を当ててみる。ふむ、つやつやで肌触りがいい。
最後の三本目を開けて口に当てて傾けて、それが空だとわかるとゴ・ダはうなだれた。
おかしいと思ってたんだ。おとうさまがあの時何も言わないし、きっともうこれの効き目が切れてることを知っていたのね。
ひとしきりため息をついて気を取り直すと、凝った意匠の鏡と変装用の白の質素なドレスを手に取ると扉へと振り返った
356 :
既にその名前は使われています:2010/04/07(水) 23:24:32 ID:xh45nlR7
この鏡は部屋にでも置いて、あとでこの服で埃だらけになった甲羅を磨こうっと。
倉庫を後にしようと一歩踏み出したゴ・ダには、いつだったか彼女が特注して作らせた甲羅が、
被った埃と隠し切れない失意の分だけ、いつもより大きく、重く感じられた。
入ったときよりも力を入れて扉を開けて倉庫を出たゴ・ダは落ち込んでいた。
切り替えの早く、男勝りで気風のいいお姫様だとこっそり自負していただけに、自分でも意外だった。
気持ちではもう明日の献立のことを考えていても、体はそうではない。歩く足は鉄のように重く感じる。
戦争が終わって平和ボケしていたせいだ。すっかり心が弱くなっているんだわ。奮い立って歩く彼女のサイズにあつらえた
オーダーメイドの甲羅は歩む度に肩でずれる。見えない失意がこの短時間でひどくやつれさせたに違いない。
「もう!」嫌になってその場で乱暴に甲羅を外し、叫んだ自分の声に思わず息を飲んだ。
よもやと思い、腕を見る。さっきまでの玉虫の皮の肌はそこに無く、代わりに水に濡れたようにつややかで細く、
新芽のように白い色をした人間の腕があった。首で振り返って尻尾を見ると、夜の手入れを怠ったことの無い自慢の尾は、
代わりに小ぶりな果物の実のようなお尻とその下にしなやかに伸びる白い足が、月の明かりに照らされて光っている。
357 :
既にその名前は使われています:2010/04/07(水) 23:25:28 ID:xh45nlR7
前甲羅を外していつもなら見えるはずの胸とおなかも、今は陶器に薄く漆をかけたような艶やかさで絶妙な線を描いていた。
思わず頬に沿わせた手のひらの先に何か当たり、手を引いた。思い当たって、目を瞑ってから顔の前にゆっくりと
もう片方の手にもった鏡をささげて、今度はゆっくりと目を開けた。
そこにはまるで翡翠をはめ込んだような深い緑の瞳に、小さくも整った形をしている鼻と、蕾のように微かに色づいた唇が
小さなかんばせに整然と収まっていた。そして、指先に触れた正体は、無風の夜にもそよぐ絹のように細く、先は波打つ。
その色は瞳と同じく深い緑。しかし上から注ぐ月光が透かせて見せるそれは、夕まぐれの赤と青のはざ間にある、
形容しがたい情熱の色でもあった。
それは、ゴ・ダ自身が見てきた人間の姿であり、しかしどの人間よりも美しいと思った。
「うわあ、人間になっちゃったよ・・・」
ハープの音色の様なつぶやきをひとつして、月明かりの下で一糸まとわぬ自分の姿を鏡を傾げながら
翡翠の瞳でひとしきり眺め回すと、地面にあるさっきまでの甲羅ふきんが目に留まった。
とりあえず、これ着とこうっと。着慣れない小さなサイズの服に袖を通してから大きさに問題の無いことを確認すると
ふいにくるくるとその場で回ってみた。すると、スカートが少し遅れてついてきたようにふわりと浮き上がり、
止まるとまた遅れてふわりと元にもどった。ゴ・ダはそれだけで嬉しくなった。持ち上がったことの無い口角が持ち上がる。
358 :
既にその名前は使われています:2010/04/07(水) 23:26:56 ID:xh45nlR7
よし。と短くつぶやいて、ゴ・ダは歩き始めた。
サンドリアにいってみよう。この鏡の作られた、美味しいオムレットのある国へ。きっと楽しいことがたくさんあるわ!
小さな足の裏に感じる感触すら新鮮で、歩みは段々と速くなる。
小さな体を息で弾ませて人間になった翡翠のお姫さまは、美しい髪をなびかせながら、べドーの出口へ走っていった。
くらいの設定があると、個人的に擬人化もやぶさかではない。