スレ埋め立てついでに長文カキコ。
さて、偏狭なナショナリズムという言葉がある。
マスメディアなどでよく使われる言葉だがそれの善悪はさておき、そもそもナショナリズムとはなんぞや、
という部分についてどれだけの人間が意識して、この言葉を使っているのだろう。
単純にナショナリズムという場合、これを直訳すると(国民国家主義)ということになる。
国民国家という概念自体は、産業革命以降に生まれてきた比較的新しい概念である訳だが、
(概念自体はそれ以前にもあったが、広く一般に広まったのは18世紀くらいと思われる)
いったい国民国家という概念はどこから生まれてきたのだろう。
それまでの封建社会において、国家という考えや国民という考えが広く一般あったわけではない。
日本を例に取ると分かりやすいと思うが、武士の世界と農民の世界、商人の世界は明確に分けられていた。
例えば今川義元が織田信長に敗れたも、今川義元の領地に住む民が国家と命運をともにする、ということはない。
小作人にとっては、年貢を納める庄屋が変わる訳でもなく、ましてや年貢を納めないで済むわけでもない。
多くの農民にとって、領主が今川義元が織田信長だろうが多少の違いはあっても、大きな違いはないのである。
戦が起こることによって、畑が荒らされたり、足軽に人がとられたり(基本的に足軽は傭兵であって、
国民兵とは全く違う)年貢が値上げされたりするがそれも、誰が領主であっても同じである。
また、商人にとっては今川義元にも織田信長にも武器を売るわけであって、これも国家という概念から遠い。
そしてヨーロッパにおいても基本的にはこれと同じようなシステムであった。
(まあ、それが封建社会のシステムなのだが・・)
ドイツを例に取ると、戦争をしたり、政治をしたりする権利は封建領主(貴族)の特権であった。
日本の場合と同じく、小作農や農奴階級の人間にとって政治や戦争に対して、
まったく関わりを意識することがなかった。また、都市国家というものがあるが、これは商人や職人の
ギルドで成り立っていて、封建領主のいう国家の興亡とは無関係の位置にあった。
(商人にとっては、どちらが勝とうが儲かればそれでいい)
さて、産業革命という歴史の教科書で「産業革命があった。」という程度の記述で、特にここに時間を掛けて
授業を受けたという記憶がない。たぶん大方の人はそうであろう。しかしこれは真に革命であった。
つまり世の中が変わってしまったのだ。産業革命でもっとも大きな影響。それは社会構造の変化であり、
特に重要なのは、社会の経済が農村から都市へシフトしたということだろう。つまり、広い領地を持つ貴族から
大きな工場を持つ経営者に権力がシフトしていったのだ。そして都市から富裕市民の階層。つまりブルジョアと
いわれる階層が生まれた。彼らは単に経済的に豊かというだけでなく、次第に政治、軍事へ関与を強めていく。
そのなかで市民階層の中から国民国家という概念(ネイション、ナショナルという概念)。つまり自分たちの国。
市民(民族の)の共同体としての国が生まれる。そして産業革命は軍隊においても、自分たちの国の軍隊
(国民軍)を持つという考えが生まれた。さらに産業革命は多くの国民を武装するだけの技術力、生産力を生みだし、
また、鉄道などの輸送機関の発達と国民徴兵制度によって、封建時代には考えられないほどの巨大な軍隊が誕生する。
また、この巨大な軍隊はこれまでの世襲貴族たちには、まったく手に余るものになり(技術的にも運用的にも)
各国は専門技術と知識を持った、職業軍人を養成するようになった。
ナショナリズムが世の中に台頭した歴史的な流れはこのようなものであったのだが、
ナショナリズム(国民国家主義)は現在殆どの国で、大なり小なりこのシステムを持っている。
つまり今日、世界中の殆どの国がナショナリズムの国ということができる。
さて、ナショナリズム(国民国家主義)に対抗するシステムとは一体なんだろう。
国民国家に対するもの、それは国際国家である。そして(国際国家主義)とはとりもなおさず、
帝国主義というものである。つまり一つに帝国の中に複数の国家や民族を内包した連邦国家こそ
帝国主義(国際国家主義)といえる。
大英帝国といった場合。本土自体も4つの国があり、さらにアフリカ諸国やインド、東南アジア、
オーストラリアにニュージーランド、カナダなどを含む巨大な帝国であった。そして19世紀から
20世紀前半にかけて、これと同種の巨大な帝国がいくつもあり、世界を分割していた。
ただ始めに、ナショナリズム(国民国家主義)を比較的新しい概念と云ったが、
帝国主義(国際国家主義)の方はかなり古くから歴史上に存在する。歴史上最大のものは、モンゴル帝国だろう。
これも他民族、複数国家であり、まさに国際国家といえるのではないか。
976 :
あかいろ趣味仕事 ◆uBsX9s9Xc2 :04/06/15 20:36 ID:2xLYTfMI
さて、どうやって収拾しようかな?(w
明日までに考えておくとして、何か意見のある方はどうぞ。(特にnana4、無名人氏あたり・・・w)
スレ違いのように思われる方もいらっしゃるでしょうが、実は定例ではそんな話も盛り上がったりもするので、
こういう話が好きな方もぜひ遊びに来てください。(もちろん嫌いな方にも来てほしいです)
977 :
nana4 ◆JapanZzJzo :04/06/15 23:31 ID:drHlbr8r
第二次世界大戦後、ベルリンの壁崩、ソ連邦の崩壊までは、イデオロギーの対峙が国際社会
の構図だというのが大まかな考えでしたが、実は別の角度から見れば、帝国主義の対峙とし
て捉えることができます。ソ連邦(ワルシャワ条約)を中心としたUnited、欧米を中心とした(当然
日本も含まれますが)United。これらのUnitedに含まれない国家群。実は前2者は明らかに覇権
主義でした。その衝突の代表的なものが朝鮮戦争でありベトナム戦争です。
しかし、欧州はその後欧州連合設立に向けての準備が始まります。EU内の通貨統合、関税撤
廃により、より新しい形のUniteを設立します。経済的連合だけではなく政治的連合も行われま
す。EU各国の国民であれば、EU内の他国で居住する場合、国籍を変更することなく居住国の
地方参政権が与えられるというものです。国政選挙ほど政治的影響力はありませんが、他国民
に参政権を与えるという非常に稀な連合を組みます(一部、歴史的背景がある国家間で地方参
政権の相互付与はありますが、これは特殊な例です)
現在は、米国を中心としたUnited、EUを中心としたUnited、それ以外の地域的United(例えば
ASEAN)、Unitedに属さない国々という形の帝国主義構図となっています。
#ということで、国民国家主義と帝国主義をお題にw
978 :
無名人 ◆JurGokoku. :04/06/15 23:53 ID:uAGO+fLr
さて御指名に答えてw
学術的な話を私には求めておられないのでしょ?
もしそうだとすると、エライ面倒な話にww
>971
ここの段について、そもそも現状の日本国民の意識となんら変わる所がないのでは?と
思っているのは私だけですか?
まぁその結果として、自分の場合「日本に欧米式民主主義は似合わない」
と常々発言させていただいているのですがw
ちなみに>973を読むとww帝国主義論を思い出すw
>976
収拾しなくていいですよw
このまま次スレになだれ込みましょうw
もしくは極東の議論版でもいいですぜw
>977
そういくのでつか_| ̄|○
979 :
無名人 ◆JurGokoku. :04/06/15 23:55 ID:uAGO+fLr
>>977 やはりそこに行くのですか。ただ、そこにいくにはもう少し歴史的背景を整理する必要がありそうです。
>>978 そう考えると、日本は未だに封建的体質が抜けていない、という論に信憑性が出てくるのだが・・。
あと、地域性は重要という意味で同意です。
>「日本に欧米式民主主義は似合わない」
素地のないところに何かの発展を求めるというのは、やはり無理があるように思う。
ただ日本の流れの中から発生する日本独自の民主主義というのは可能でしょうか?(制度として)
さて、もう少し理解を進めるために、いま一度、少し歴史を見てみましょう。
ここで例として、ヨーロッパの大国である。イギリス、フランス、ドイツを上げてみます。
>イギリス
イギリスの民主主義はマグナカルタから始まるといわれています。細かく説明すると時間がかかるので、
簡単にいうと、専制君主から封建領主たちが政治の権利を勝ち取った。ということです。つまり、専制君主
による人治国家から立憲君主による法治国家に移行した。それがマグナカルタが民主主義の基といわれる理由です。
その後のイギリスは比較的緩やかな形で民主主義に移行していきます。まず、封建領主達は同時に資本家となり
市民階層の有力者(ブルジョア)に対して投資を行っていきます。結果として封建領主と市民階層の共存という形を
とりながら緩やかに民主化が進んでいったといえます。イギリスでは現代でも女王には比較的大きな権限と財力があり
また貴族も衰退したとはいえ、英国社会の中で特別な地位を占めています。また大きな資本を持った企業家が
あり、また一方で市民の中の政治組織がいくつもあります。つまり、専制君主>封建領主>富裕市民>一般市民
と移行していく中で、それぞれ古い制度も少しずつ残している、というのがイギリスの民主化の特徴といえます。
>フランス
フランスの特徴はなんと云ってもフランス革命でしょう。市民による革命によって、旧体制を一気に
転覆させてしまったということは、イギリスの緩やかな民主化とは対極にあるともいえます。
また、徴兵制度が最も発達した国としても特徴を持っています。今の日本人から見たときに
もっとも民主化した国の一つである自由フランスが、未だに徴兵制度に固執するのは不思議に思うかもしれません。
しかしフランスにとって徴兵制度とは、市民が戦争に参加する権利であり、フランス軍とはフランス国民による
国民軍であるという意識が高いのです。つまり市民には戦争に参加したり、止めたりする権利があり。
この戦争をする権利とは、誰かに与えられたものではなく、専制君主から市民革命によって奪い取った権利なのです。
余談ですが、かつてヒトラーがパリに入城したとき、ある石碑に目が止まり、その碑文を読んで怒り狂って爆破させた
と云われています。(本当かは知らない)その碑文にはこう書いてありました。
「1919年。ドイツ帝国の思い上がりはここについえた。
ドイツ帝国は、そのしいたげんとした自由人民によって打ち破られたのである。」
>ドイツ(イタリア)
ドイツの民主化は上記の二つとはまた別の道をたどります。というのは、そもそもこのころ
まだ統一したドイツという国はなく、日本でいうところの群雄割拠の戦国時代のような地方領主による
小国の集まりでしかありませんでした。(イタリアもほぼ同様で、またそも元が神聖ローマ帝国まで遡る
という点でも同じ)そしてドイツは普仏戦争の勝利によって統一を果たします。なぜフランスとの戦争によって
統一したかと云えば、そもそも統一の最大の阻害要因がフランスの圧力であったからです。(フランスに
してみれば隣に巨大な帝国が突如現れるわけで、そうなるよりドイツには群雄割拠の戦国時代をやっていて
もらった方が都合がよかった。)そして民主化についても封建領主による要求でもなければ、
市民による革命でもなく、西にフランス、東にロシアと強国に囲まれた位置にあり、統一直後のドイツにとって
近代化しなければ滅ばされるという強迫観念から発生しています。つまり国家の近代化には民主化が必要である
という、あくまで外国からの圧力によって、必要に迫られ行われた民主化なのです。またドイツ皇帝とその宰相、
もしくは側近によって行われた、上からの民主化という特徴を持っています。
984 :
あかいろ趣味仕事 ◆uBsX9s9Xc2 :04/06/16 14:31 ID:3wqLiJjJ
さて、歴史的背景はこれでいいかな?
本題の国民国家主義と帝国主義(イデオロギーの対決・・w)についてはまた明日。
985 :
ヤマモト ◆JjtDLLIL5c :04/06/16 20:03 ID:hxdTq3Iq
>>983 そう言われるとドイツは日本に似ているところが多いですね。
後発ながら急速に近代化を推し進め
二次大戦で共にあぼーんしたところなんかも
986 :
あかいろ趣味仕事 ◆uBsX9s9Xc2 :04/06/17 11:41 ID:NQVjxlQJ
>>985 大日本帝国憲法もドイツをモデルとしたのもその辺りが理由と言われていますね。
987 :
nana4 ◆JapanZzJzo :04/06/17 23:21 ID:DUBQvjy8
性格がせっかちなものでw
988 :
あかいろ趣味仕事 ◆uBsX9s9Xc2 :
>>987 ああ、そうだ子供にもわかる民主主義っていうのはどうだろう。