無人駅をいくつかやり過ごし、中間市に入ったあたりで下車すると、駅前から延びる緩くて長い坂道の両脇に、戸建の住宅街が広がっていた。
かつては炭鉱町として栄えたというが、往時の面影はすでにない。
それでも、薄れゆく採炭地としての記憶を懸命に守ろうとするかのように、唯一この町で存在を誇示しているのが、町はずれにあるボタ山である。
長年の風雨によって形をだらしなく崩し、いまや雑木に覆われた小高い丘陵でしかないが、古くから地元に住む人々にとっては“石炭の栄光”を振り返るべく、
もっともノスタルジックな場所となっている。
その荒れ果てたボタ山と向き合うように、県立高校の校舎が建っていた。
自称桜井誠、本名高田誠がこの学校を卒業してから、すでに20年が経過している。彼は影の薄い男だった。
「おとなしくて目立たない、クラスで最も地味なヤツでした」と、元同級生のひとりは言う。
「友達もほとんどいなかったんじゃないかなあ。いつも、ひとりで行動していた。3年生のとき、確か家出して1週間ほど学校を休んで話題になったこともありましたね。
でもそれ以外、彼のことって全然思い出すことができないですね」
私が話を聞いた元同級生たちは、誰もが同じ印象を口にした。「無口」「物静か」「気が弱そう」
かつての女子生徒のなかには「自称桜井誠、本名高田誠? そんな名前の人、聞いたことがない」と、存在そのものを否定する者までいた。
卒業アルバムを確認してもらってようやく出た言葉は「ああ、小太りの男。見たことはあるかもしれない」だった。
自称桜井誠、本名高田誠は一時期、生徒会の役員を務めたこともあるが、その事実すら覚えている者は少ない。
「生徒会なんて誰もやりたがらない雑用係みたいなものだったから、みんなでTに押し付けたに違いない」と断言する元同級生もいた。
存在感のなさ―その一点のみで、自称桜井誠、本名高田誠は同じ教室で過ごした者たちの記憶の端に、かろうじてぶら下がっているだけだ。
卒業アルバムには自称桜井誠、本名高田誠のあどけない笑顔の写真が収められている。高校生にしてはやけに幼く、突けばすぐにでも泣き出しそうなその
表情に、私は気の遠くなるような“距離感”を覚えた。
カン高い声で絶叫しながら街頭を練り歩く「ネット右翼のカリスマ」が、まさかこの写真の自称桜井誠、本名高田誠であるとは誰も気がつかないだろう。
在日特権を許さない市民の会(在特会)会長・桜井誠(38歳・ペンネーム)―「地味で無口」な少年だった自称桜井誠、本名高田誠の、現在の姿である。
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