166 :
彦十郎 ◆cJvFWLWQj6 :
紀元祭オフ参加者の皆様、ありがとうございました。
参加者は途中参加や途中離脱の方も含めて15名。2ちゃんねるとは関係ありませんが、
地元からご家族連れで顔を出していただいた方もいました。
当日午前10時40分に近鉄橿原神宮前駅に集合。私(彦十郎)があべの橋から乗った急行
は「建国号」というヘッドマーク付きでした。午前11時から始まる紀元祭の祭典に間に合
うよう、参拝者の人並みに混ざって、国旗を先頭に表参道を橿原神宮へ。電柱ごとに日章旗
が掲げられた参道には露店が立ち並び、建国を祝うお祭気分がいやがうえにも高まってきます。
少し遅れて来た方を待つため大鳥居の下に留まっていると、駐車場に並ぶ街宣車から降りて
きた右翼団体が、ギャラリーや公安のフラッシュのなか次々に行進して行きます。我々も鳥居
をくぐって参進すると、境内でも様々な政治団体や宗教団体が思い思いのアピールをしていま
した。色んな人に開かれた建国の聖地、といったところでしょうか。
外拝殿に到着し紀元祭の祭典を拝見していると、集合場所では会えなかった参加者も次々に合流。
勅使参向の際には、拝殿に詰め掛けた人並みを分けるロープが即座に張りめぐらされ、皇室より
奉献される御幣物とともに勅使が参進されました。その後、神楽奉納、国歌奉唱、「紀元節の歌」
奉唱とすすみ、再びロープが張りめぐらされて勅使が退下され、12時をもって式典は終了。祭典
のあとは、境内で奉納されている古武道や空手、銃剣道の演武・試合をしばらく見学したあと、
橿原森林公苑を通って神武天皇畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)へ。
橿原神宮と違って訪れる人もいたって少ない中一同参拝。参拝後、隣接する宮内庁書陵部
畝傍陵墓監区事務所を訪問し、御陵印を捺させていただきました。
その後、近鉄畝傍御陵前駅に移動し、13時すぎに一路桜井へ電車移動。桜井では、神武天皇の御名
「神日本磐余彦尊」に因むという「磐余橋」を訪れたあと、ファミレスで昼食と休憩。昼食後、
等彌神社へ向かいましたが、この神社は、『日本書紀』神武紀に、天皇が鳥見山に霊畤(まつりのには)
をたて皇祖天津神を祀られた、とある故地で、延喜神名帳所載は勿論のこと、昭和十五年の皇紀二千六百年
に際して縣社に列せられた、神武肇国の大業を今に伝える聖蹟の地です。苔生した石燈籠と丈高い杉木立
が続く昼なお暗い参道を進むうち、荘厳な空気に気圧されたのか参加者はみな無口になっていきます。
神威に圧倒されながらも参加者一同参拝を終えました。
等彌神社をあとにして桜井駅へ戻る途中、若桜神社にも参拝。村の鎮守さまといった趣の小さな神社で
あるにもかかわらず、社頭の由緒書を見ると御神徳の筆頭に「国家安泰」を掲げるあたり、ただならぬ
ものを感じさせる古社でした。昨年御陵での清掃オフを行った履中天皇の皇居、磐余稚桜宮の推定地の
ひとつでもあります。
その後、17時前に桜井駅から大和八木駅に移動し、駅前の居酒屋で直会を開き、一日の行事を終了しました。
167 :
ワヤ ◆3gf69duuf. :2007/02/13(火) 23:59:44 ID:BssKLKZX
彦十郎さんのオフレポにかぶりますが、私もオフレポ書いてみますた。
2月11日、朝から近鉄電車に乗って橿原神宮前駅へ。
漏れは普段、近鉄電車を利用することはないので、少々観光気分♪
駅で集合して、そのまま歩いて橿原神宮へ。
道すがら、カステラ屋台の匂い。鳥居前には、一般の参拝客に混じって、街宣車と
よくは分かりませんが複数の団体さん方も多数いらっしゃいますた(^_^;
彦十郎さんの携帯に連絡があり、少し遅れて参加の方が、もう駅から向かっている
とのことなので、5分ばかり?待って合流し、鳥居をくぐる。
手水をとってから、南神門より入り、外拝殿から参拝しつつ見学。
外拝殿には賽銭箱があって、それより奥はロープでしきられて全国からの参列者が
パイプ椅子で参列されており、その前にはマスコミのカメラマンの姿も。
内拝殿のほうでは、宮司?の方々がなにやらなされている様子。
と思いきや、しばらくすると、外拝殿の真ん中もロープでしきられ、そして勅使の
方(と、どうやら奉納物)が中へ入って行かれる。
頭を下げつつお見送りする。
再度ロープが元に戻され、しばらくすると、内拝殿のほうでは、舞の奉納も始まる。
その後、国歌の斉唱。
「君が代は、千代に八千代に・・・」まさに(男系の)皇統護持を願う気持ちで、
自分も声に出して歌ってみる。
次に、紀元節の歌?
(彦十郎さんのオフレポにもあるように「紀元節の歌」で合ってたようですね。)
これは歌詞が分からず。(^_^;
その後、再度、外拝殿の真ん中がロープでしきられて、勅使(と宮司?)の方々が
帰って行かれました。
(続く)
168 :
ワヤ ◆3gf69duuf. :2007/02/14(水) 00:03:09 ID:isdYNV31
(続き)
さらに、外拝殿の外側では、銃剣道の試合や、空手の演武なども奉納されている様子。
そちらも少し見学してると一時はぐれてしまった。(*´д`)
しかし、すぐに合流し、そして歩いて神武天皇陵へ移動。
神武天皇陵は人もまばらでしたが、再び手水をとって、参拝。
ここの手水は、普段は使われてない雰囲気が。。。
ついでに?、畝傍陵墓監区事務所も見学に、何人かの方は手帳等に「御陵印」を捺していました。
そして、近鉄電車で桜井へ移動し、昼食場所のファミレスへ歩く途中、神武天皇
(神日本磐余彦尊:カムヤマトイワレヒコノミコト)のお名前が残っているという
「磐余橋(イワレバシ)」を見学。
ま、何てことのない小橋で、普通に道路の一部と化してまつ。。。(^_^;
そして、ファミレスで昼食しつつ暫し歓談。
昼食後は、由緒ある?碑もある参道を歩いて、神武天皇が皇祖天津神を祭られた
という鳥見山にある等弥神社を見学へ。(ちなみに他にも候補地があるようです)
全部のお社を巡ることはしませんでしたが、下津尾社、桜井市護国神社、上津尾社に
は参拝もしました。
建ってるお社の方角が、あっち向いたり、こっち向いたり、してるようなのが印象的です。
さらに少し登って、霊畤(まつりのには)拝所(山の中腹よりもまだ下の方にあたる
と思われる地点ですが)にて、神武天皇の御代を偲びました。
さらに、若桜神社へも見学&参拝に。
(ここも延喜式の式内社として、もう一つ候補地があるようですが)
入ってすぐに未だ新しい説明書きも建てられていますが、拝殿は何だか独特な雰囲気
もありました。
この後は、また近鉄電車で大和八木へ移動して懇親会。漏れはアルコールがダメなので
ウーロン茶で乾杯&歓談しますた。