あれから1ヶ月、110の心にはいつも何かが引っかかっていた。
彼女と過ごす幸せな日々の、信号が青に変わり手を繋いで歩き出す瞬間や
カフェのテラスでふと会話がとぎれ街の雑踏が耳にとびこんでくるその時
何ものからか呼ばれたような気がして、つい後ろを振り返ってしまう。
自分は何か小さくて大切なものを、そう、心の落とし物をしてしまって
いるのではないかと、110は思いはじめていた。
それは11月に入って2度目の週末だった。
今にも雨がふりそうな薄暗い空模様だったが、かねてから約束してたのと
レンタカーも予約済みだったので、江ノ島へとデートに出かける事にした。
車が長い海岸線を走っている間、彼女はずっと海を見ている。
遠くの方は雨がひどく降っているのだろう、水平線はかすみ、灰色をした
空とのさかい目はあいまいだ。
道がなだらかにカーブして住宅地に入り、また曲がって海岸線に戻ると
江ノ島がすぐ近くに見えてきた。
彼女がそれに気づいて窓を開ける、吹いてきた強い海風に何かを感じ、ふと
反対側を振り返るとそこにはなんと吉野家134号線江ノ島店が!
そのオレンジ色の看板が目に入ったのは一瞬のあいだだけだったが
110の胃袋がその味を思い出すには十分だった。
・・オオモリネギダクギョク!
口が自然に動く。何度も練習したこの言葉は、そう簡単には忘れない。
彼女が不思議そうに見ているが、110は何も言い訳する事ができない。
110はその時、久しぶりに見つけた心のかけらとの再会を、素直に
喜んでいいのかどうか、まだ分からなかったのだ。