【ネオを】マトリックス in 岡山【捕まえろ】

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290エージェント・774
とりあえず書き綴った

◆[ネットが持つ機能] 受容する社会の形で変化◆
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 先日、韓国へ行ったときに衝撃的な話を聞いた。
学校やクラス単位で作るインターネット上の掲示板が、
いじめを誘発するネットワークとして機能しているという。
例えば転校生がやってくると、転校生の生徒がそうした掲示板を使って、
転校生が前の学校でいじめられていなかったかを調べ上げることができるというのだ。

 インターネットが社会に浸透してくると、ネット社会は特別な場でなくなり、
現実の単なる写し鏡になる。道徳規範に対する意識が強く、「世間の目」が厳しい韓国では、
オンラインのつながりは現実と同じような「監視の視線」として機能しがちだ。

 ひるがえって日本では、他社に無関心な傾向が強く、オンラインのつながりは
むしろ現実のつながりを拡散させるか、無関係なものとして機能する。
このことを示唆する例が二つある。一つは「ネット集団自殺」、もう一つが大規模化する
ネット掲示板「2ちゃんねる」のオフイベントだ。

 現実の規範が緩み、互いに何を考えているか分からない人だらけの社会になると、
ちょっとした共通点だけで人が集まりコミュニティー化する。
ネット集団自殺は、この共通点(自殺願望)がコミュニティーの外部から
干渉されることなく醸成された結果だ。

 また、映画「マトリックル リローデッド」の戦闘シーンを街なかで再現するなど、
全国で数百人規模の人間を動員する「2ちゃんねる」のオフイベントも、
「大規模ないたずら」という無意味なきっかけでしか、見知らぬものとのつながりを見出せない
私たちの社会が反映されていると言えるだろう。

 ネットの人間関係は現実に比べて薄っぺらなものだとか、ネットでこそ真の人間関係が
築けるのだとかいった議論は社会学的には無意味だ。
インターネットは、それを組み込む社会がどのような形をしているかによって、
いかようにも機能するのである。