親にされた恐い事

このエントリーをはてなブックマークに追加
671あなたのうしろに名無しさんが・・・
私が8才の頃の出来事。
父は女癖が悪く、愛人がいた。いわゆる買春ツアーにも行ったらしい。
(まぁこの辺は納得できないが男の生理として目をつぶってもいい)
ある日、たまたま母と姉が外出していた。父が愛人を連れてきた。
彼女は家を掃除し、洗濯をし、料理を作って私に食べさせ、そして最後に
「一緒にお風呂に入ろう」と言った。
父を見たら、拒否したら殴るぞ、という目をしていた。
殴られる事がしょっちゅうで、父は恐怖の対象だったからその女性と風呂に入った。
綺麗な人で色々離しかけられたが、私はずっとうつむいていた。

別の日、父は私を連れてその女性の店へ行った。彼女はスナックを経営していた。
父と彼女は奥へ入り、コトを始めた。私は薄暗い店内で終わるまで待たされていた。

それからしばらくして、父と母それぞれに「もし離婚したらどっちについてくる?」
と事ある毎に聞かれた。最後には姉と泣きながら「養育費だけ半分ずつ負担して。
二人で暮らす」そう言いたくなるほどプレッシャーだった。
父は母と別れて彼女と再婚したかったらしい。彼女と別れてからも、また女作ってた。
(つづく)
672671:2001/07/21(土) 07:09
父と風呂に入るのが恐怖だった。胸をなでさすりながら、「おっぱい大きくなっても
お父さんとお風呂入ってな。お姉ちゃんは入ってくれなくなったから」
毎回洗い場でおしっこをする所を見せろと強要させられた。「中でしちゃったらいけない
からな」「お風呂の前にトイレ入ったもん」半泣きで訴えても駄目だった。
一度だけ大きいほうを強要された。怖かった怖かった。
それから逃げまくった。何とか口実をつけて父を避けまくった。風呂に入っている時、
いつ父が入ってくるかビクビクしていた。(古い家だったのでカギなどなかった)

母は享楽的な人で、身を飾る事と、旅行する事が大好きだった。
空っぽの冷蔵庫、1円も置いていかずに泊まりに出かける事なんかしょっちゅう。
こんな事でやりくりと料理上手になりたくなかった。
「お姉ちゃんはね、橋の上で拾ったの。捨てた人はきっと誰かに見つけて欲しかった
んだね。お前はね、橋の下で拾ったの。捨てた人はきっと誰にも見つけられずに
死んで欲しかったんだね」
「お姉ちゃんは変わってるけど人に理解される変人だからいいけど、お前は誰にも
理解されない変人だから、気をつけなさい」
「お前は誰にも愛されないよ。小さい頃は可愛かったけど、今はどうしようもない
からね」
「お前が死んでてK一郎お兄ちゃんが生まれてたら良かったのに。なんであんたが
生まれたの」
(K一郎お兄ちゃんとは母が妊娠直後に流産した水子に付けた名前。性別なんて
分かってなかったはずだったのに、長男だと決めつけていた)
(つづく)
673あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/07/21(土) 07:09
>>530-540>>627-637
674671:2001/07/21(土) 07:10
大学受験を目指していた頃、(ちょっと自慢になるけど)自分の学校からは誰も
行った事がない某有名美大を志望していた。アトリエの先生からも太鼓判を押されて
いて、自分でも描くのが楽しかったし、いけそうな気がした。
3年生の10月。母が私にこう言った。
「あんた就職して。家建てるからあんたに出す金はないの」
1ヶ月間口論した。家にいる間中罵声が飛び交っていた。「なんで今、家建てるの?」
「○○さん(母の友人)が家建てるから悔しくて」
これで脱力した私は、就職して自分でお金を貯め、それから大学へ行こうと進路変更
した。先生方に迷惑をかけ、時期外れの就職活動に走り回った。
「信用金庫か。地元だししょぼいね」と母は言った。「あ、生活費もらうから」
就職とともに今までの疲れがドッと出てノイローゼになり3ヶ月で退社。
「あんたゴミだね」と言われつつ、「これは家族関係が問題に違いない」と考えて
図書館へ行って心理学関係の本を読みまくった。
工場のラインでバイトしながら、生活費と国民年金を納めた。「働いてないんだから」と
家事は私の分担だった。(母はしょっちゅうホームパーティを開いて楽しんでた)
675671:2001/07/21(土) 07:11
ごめんなさいこれでラストです。
「とにかく家族と離れなきゃ私はこのままダメになる」
美大はあきらめ、手に職をつける事にして専門学校へ通う事にした。体が弱いので
バイトの両立は無理と考えて恥を忍んで母から借金した。遊びもせず、ひたすら勉強した。
取れるかぎりの資格を取った。合間に秘書検定とか、学校の授業に関係ない資格も手を出した。
そして就職。残業が嬉しかった。家族と顔を合わせる事が少なくてすんだから。
バリバリ働いて、周りにも「頑張ってるね」と言ってもらえた。どうして会社の人達は
あんなに優しいんだろう、と思った。
贅沢は一切せずにお金を貯め、専門学校費とプラスそれまでの生活費と言ってかなり
まとまった額のお金を渡し、家を出た。

暴力と罵りに怯える事のない生活って素晴らしい。今は猫(拾った)とまったりと
暮らしています。でも、時々フラッシュバックするので精神科に通っています。
早く心も自由になりたい。

周りの人は誰も知らない。父は聖職者で、母は友達がすごく多い。
家に出入りする人にいたずらされた事もある。怖くて誰にも言えなかった。

長々とごめんなさい。吐き出させてくれてありがとう。子供のいらっしゃる方、
お子さんを愛してあげてね。心は絶対に伝わるから。
(私は父の暴力で視力と聴力と片足に障害が残っています)