【オカルト否定派の集うスレッド<2>】

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>>773
>人によっていっていることがバラバラ
ってことは、定義が不明瞭なまま“クルマ”について語るようなものですか?

「あの速度!危険と隣り合わせなのがサイコー!」とF1マニアが語り、
「つーか精密さがイイっスよね」と模型マニアが語る。
互いにどこか違う、と感じていても定義を曖昧にしたまま話が進み、やがて
「クルマは跳ぶよね(F1のクラッシュシーンを思い出しながら)」
「うん、飛ぶ飛ぶ。オレなんか飛ばしたし(プラモを投げた記憶)」
と奇妙な共通認識を獲得する。

そこへ飛行機マニアがやってきて、クルマは飛行できない、と話し始める。
揚力や航空力学を理解してもらえれば、クルマが飛行できないのは明らかになる、と。
「だったら俺が観た映像は何だ?」
「アンタはオレを嘘つき呼ばわりするのか!」
そのうち、しびれを切らしたもう一人の飛行機マニアがやってきて、言い放つ。
「クルマが飛ぶなんてウソか幻覚だ!」
「跳ぶ」「飛ぶ」「飛行」が渾然一体となり、クルマの定義すら曖昧のまま議論は
紛糾し、感情的な応酬が続くなか、救世主が現れる。
「私はクルマの飛行に成功しました!」

心の片隅で「航空力学的には飛行が不可能なのでは?」と考えているクルマ派は、
救世主の実演によって自らの体験が全肯定される可能性に狂喜する。
自分の主張を、時には人間性や精神状態をも否定されながら、平然としていられる
人間は少ない。
救世主は理解者であり、彼らの心を癒すヒーラーであり、クルマの未来に無限の
可能性を提示してみせる革新者だ。
「クルマが飛ばない、と思ってはいけない。邪心があるとクルマは飛ばない」
救世主はこう言って失敗した際の言い訳を用意する。
だが、それは盲目的な信心をクルマ派に要求することでもある。検証は悪となり、
クルマ派の主張は耳に心地よい言葉で肯定されたまま、教義へと発展する。

後半は>>775の1deathさんへのレス。私見ですけどね。