【オカルト否定派の集うスレッド<2>】

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636視子
昨夜は随分荒れてしまったんですね。
途中まで様子を見ていたんですが
私なんぞがうかうかと出ていくとますます荒れるばかりだと思って
発言を途中から控えました。

さち子さんはもう来ないのでしょうか。
もっとお話しして議論を深めたかったのですが本当に残念です。
否定派との交流は非常に有益だと思うのですが。

ひとつ皆さんにうかがいたいことがあります。

仏像には普通は優しい顔をしたものが多いんですが
中には非常に恐ろしげだったり鬼を踏みつけていたりするものもありますね。
私はいまだに具体的な宗教には入っていないんですが
子供の頃からそういう恐ろしい仏像がずっと不思議でした。

大人たちはそういう恐ろしい仏像について一応の説明をしてくれます。
悪い鬼を退治するために如来が化身した姿だとか。
しかし子供の時の私には納得がいきませんでした。
本当に力のあるお釈迦様なりだったら、やさしい姿でも悪いヤツを説得できるはずだと。

成長していろいろな人間関係を展開するようになってからようやく知りました。
人々の中には優しい顔で接するとかえってその人を駄目にしてしまうこともあることを。
如来が悪鬼の仲間のような姿をとるのは、力がないからではなくて、そうするのが唯一の手段だったんだ、と。

私自身は霊視をする一方で、
全知全能の神も仏もその存在など信じてはいません。
(歴史上の人物としてのゴーダマ=シッダルダは存在していたでしょうが。)
しかし昔の人は生活経験から相手のために鬼の形を取らざるを得ない場合もあることを知って
あのような像を用意したのだとは思います。

ネット上の人間関係も同じかな、そう私は思いました。
無闇に突っ張った態度で応じなければならないこともあると。
やさしく霊視に応じることで相手を駄目にしてしまうこともある。


この考えはどこかが間違っています。どこでしょう?