祟りやら呪いってのは言葉だと思うんですよ。言葉なくして
祟りも呪いもあり得ない。
また言葉無き呪い・祟りはそのようには呼ばれない。
得てして結果を見てからの判断なんですよね。
逆に言えば、言葉を使うことによって呪いや祟りを成就する
事も可能であるとも言えましょう。
「お前を呪ってやる!お前はやがて歩けなくなるだろう…」
という言葉を残したとします。言われた方はどうか?薄気味
悪く、普段より足をかばうかもしれません。ふとした足のケ
ガを見て呪いを思い出すかもしれません。ましてや本当に歩
けなくなれば呪いは本当だったと言うことになります。
呪いはあるんですよ。
続きます↓
ただし、よく言われるオカルティックな魔力だか妖力によっ
て引き起こされるものとは思えません。先ほども申しあげた
とおり呪いは「言葉」です。
上に書いた例え話。呪ってやると言った人が100人いたうち
の一つの話であったらどうか。残り99人の呪ってやると言わ
れた人達はその呪いの言葉を鼻で笑い、なんの変化もない日
常を過ごして居るんです。
ところが、上に書いたように本当に歩けなくなると「呪いは
実在する」という話だけが一人歩きをするようになります。
そして呪いはあるんだ、と主張する人達が出ます。しかし、
残りの99人の分が無視されています。呪いが叶った事ばかり
が取り沙汰されて、叶わなかった存在が無視されています。
続きます↓
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1death:2001/04/30(月) 03:41
呪いがある、とするならば「呪ったにもかかわらずそれが叶
わなかった人」の数も同じように話題にせねばなりません。
叶った人・叶わなかった人、この両者を比較して初めて呪い
の存在の可能性が見えてくるんだと思います。
つまり、現在の「呪いがある」という話は、他人の不幸を予
言してそれが偶然当たるという範囲を出ていないと思います。
もしオカルティックな力によって引き起こされるとするなら
ば、いつ・どのように不幸が訪れるのか。ここまで指摘して
初めて「オカルティックな呪い」の存在が証明されると思い
ます。
「呪いは存在するがオカルティックな力による呪いは存在しない」
今現在はこんな持論になってます。