>>499 むー、吉備津の鬼が朝鮮出身説は既に江戸初期には吉備津神社の縁起(元神宮寺の本願寺にあったが今は金山寺蔵)あったしな。
ただ、間違いなく「温羅」という名称は江戸中期以降に確定したから歴史は思いっクソ浅い。
王丹は戦国末期の吉備津宮遷宮記録に出てるから、鬼の当て字とは想像出来る。
写本は江戸初期だが、その用語や文章の特徴から室町初期成立でないかとされる吉備津彦神社に由来する鬼ケ嶽縁起には吉備津の鬼は単なる悪い鬼で
鬼ケ嶽(現鬼の城山)に盤拠していたのを吉備津彦神が退治したという単純な話。
それと吉備津の御崎が、というより全国の御崎が全て日御崎神社由来つーのは暴論な決め付けだな。
吉備津の御崎に関しては明治以前は吉備津彦命や吉備武彦命でなく、丑寅御崎といった御崎神の名で祭られていて
明治の各県への神社明細提出の際に、御崎(瀬戸内海地方で御崎は怨霊・祟り神扱いされる場合有り)や鬼神では宜しくないと御崎神の主にあたる吉備津彦命や子の吉備武彦命に変更されてるんだ。
また素盞鳴尊説は中世以来吉備地方には荒神・地神信仰が広く根付いていて、この神々も荒ぶる祟り神の側面と守護神の側面があり
御崎神信仰と神の性格と祭祀地域で被っていた。
これが江戸中末期には荒神が素盞鳴尊とされだし、明治の神社明細提出の折に吉備地方の荒神は多くが素盞鳴尊と提出された。
そのために御崎神の荒神と混淆されている地域では御崎神が吉備津彦命などにならず、素盞鳴尊になった場合もある。
これは明治初期の極一時期の岡山地域の状況に起因するのであって「日御崎神社起源」の根拠としては甚だ薄弱。
ただしそれとは別に、ここ二十数年来吉備津神社の鬼を善人扱いするのと朝鮮ネタをやたら絡める傾向が強まっており危険な兆候は増している。
鬼を善人扱いするのには原住民史観と密接な関係があり、これが左翼史観であるのは言うまでもない。