【九州】邪馬台国はオカルト【近畿】

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1本当にあった怖い名無し@転載禁止
邪馬台国は九州?それとも近畿?
未だに正確な場所さえ分からないオカルトティックな
邪馬台国について語りましょう。
2本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 13:12:58.19 ID:90/rfQ490
ということで、自分は九州説だと思うのですが・・・。
3本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 13:18:00.87 ID:PcreBgcP0
2でおわってた
4p1019-ipbfp505yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp@転載禁止:2014/05/10(土) 14:40:44.53 ID:EWn22Xnt0
琉球に邪馬台国があるかもしれない(異説)
5本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 15:01:47.15 ID:gnTyM6wB0
朝鮮半島説で

つまり、まともに発掘されなかったからミッシングリンクが発見されずに色々と重なって話が捉えられてる説
6本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 15:11:35.14 ID:8L8ulLJM0
九州から近畿まで大きかったんじゃないの?
7本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 17:12:25.01 ID:aOWHS1uk0
>>6
私もそう思ってるw
8本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 19:28:19.21 ID:riPuQXWw0
>>6>>7
当時の日本列島の政治地図を推測すると、一つの国はおおよそ現在の市町村く
らいの大きさ。たとえば倭人伝の30ケ国という表現は現在の市町村が30ケ
所集まったくらいの大きさだと推測されます。とすれば九州から近畿まで支配
するような国が有ったわけは無いよね。
9本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 19:52:18.58 ID:gnTyM6wB0
>>8
それどころか、東南アジアや台湾や南北アメリカも倭国連合って考えるべきだと思う
10本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 22:17:44.79 ID:riPuQXWw0
>>9
だからそう考える根拠、理由は?。
11本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 22:23:12.44 ID:0kVwsXhj0
わざわざオカ板に建てたのに、前世が邪馬台国の奴とか霊視で見えたとか言う奴も居ないのか
12本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 22:26:12.74 ID:gnTyM6wB0
>>10
支那の南方に倭国があって倭国の別種なりが邪馬台国で倭国連合が有った訳だろ?
なら環太平洋に倭国が跨ってたって事になる

つまり、所謂仙人国がそれに辺り夷州や瀛州、方丈、扶桑、蓬莱を含むと考えられる
そんで蓬莱とは南米クスコの事、所謂国産み神話のオノゴロ島で蓬莱とは炎を斬る的な意味からヒノカグツチの話に由来すると考察できる
13本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 22:45:18.41 ID:riPuQXWw0
>>12
まさにオカルト版だね。遠慮せずに世界中、地球上全部と言ったら。
14本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 23:00:36.37 ID:gnTyM6wB0
>>13
西側は委託統治して貰ってたんだろ?

倭は東方浄瑠璃世界が範囲なのではなかろうか?
15本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 23:38:43.28 ID:aOWHS1uk0
>>8
それって、現代において平均身長が170cmなんだから200cm越えの人がいるわけないよねって理論?
16本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/10(土) 23:47:43.33 ID:IVAS8plO0
オカルト的なネタスレにするのか、それとも真面目に考察するのか
方向性をはっきりさせてくれないか
17本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 00:36:46.95 ID:LmFVzHq10
築紫の磐井の乱ですが、あれはもしかしたら邪馬台国の末裔(磐井)が
新興勢力の大和(近畿)と日本の覇権を争って敗れたとみているのですが。
18本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 02:41:37.36 ID:3xFDjJzt0
>>1
マレーシア追加

というか、邪馬台国って閻浮台国と同じ意味のような?

本当に日本列島に限定されるのか?????
19本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 03:14:57.15 ID:3xFDjJzt0
邪馬一国 女王卑弥呼は狗奴国王子、卑弥弓呼と結婚したのではなかろうかと?

ムー女王とコー王子の結婚おめでとう!アトランチスの王クロノスより的なw

邪馬十国は日本列島でヤマト扱いとかなのかも
20本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 09:15:54.42 ID:c8cFigHn0
>>17
邪馬台国が台与の後に畿内へ東遷し、九州には分家が残った。200年くらい
はそのまま何事も無かったが、西暦500年頃から本家と分家が仲たがいをし、
主導権争いをしてしまった。それが磐井戦争だ。
21本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 10:45:47.40 ID:0JBYqHbu0
邪馬台国(ヤマタ)と大和(ヤマト)とヤマタノオロチ(ヤマタ)の語感が似ている事に
なんかそこはかとない不思議を感じる

本当に関係ないの?
22本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 12:06:33.73 ID:QzS5rrZd0
ああ、日本列島全体がヤマトだからさ
23本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 14:09:57.12 ID:3xFDjJzt0
鳴門を越えるとヤマトに成るとかあんのかねー?
24本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 19:53:08.07 ID:95yX/6QM0
邪馬台国は異世界に存在している。
そしてそれは今も。。
25本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 20:53:58.13 ID:YxsTh0+T0
九州の松浦地方とか東松浦が北にあるし 北松浦は西、 西松浦は南。これ魏の使者が故意に90°傾けて編纂したなごりだろ? 倭国は呉の東方になければならなかったから。 だから普通に近畿か北陸になるんじゃないの?
26本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 22:26:55.35 ID:MZAN87BL0
関西説は関西系の大学教授の歪んだ説らしいね。
地元に持っていきたいらしい。
27本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 22:32:00.90 ID:0rvgWA0X0
邪馬台国って佐賀にあるんじゃないの?
壱岐・対馬を経由、朝鮮半島と貿易(当時はそれを貿易とは言っていないと思うが)ができやすい。
だから発展した国になった。

これで説明がつくと思うのだが・・・。
28本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/11(日) 23:43:36.66 ID:LmFVzHq10
>>20
マジですか?それを匂わすような記述は、古事記や日本書紀に出てきますか?
29本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/12(月) 01:36:52.09 ID:U2RhfmSi0
伊勢じゃないの?
30本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/12(月) 02:12:39.14 ID:l7izotjq0
白鳳地震で海の藻屑となったんだよ
親魏倭王の金印は、高知県沖に沈んでいる
31本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/12(月) 06:00:02.29 ID:9vhCGfve0
当時、水銀が出たのが阿波しかなかったので、阿波という説もあるようですが・・・。
32本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/12(月) 08:47:42.94 ID:UXsBe+li0
>>28
記紀には邪馬台国はまったく記載が有りません。書紀の神功皇后の記事は倭人
伝に邪馬台国の記事が有るので挿入されたものとされています。また、倭人伝
には神武天皇やら神功皇后などは書かれておりません。したがって文献やら遺
跡・発掘物などの証明物が有るわけではありません。しかし弥生時代から古墳
時代の日本は常に海外・大陸からの文化の流入を九州北部で受けて、やがて東
へ東へと伝わっていること、天皇家の祖先の歴史が九州から出発していること、
倭人伝の邪馬台国・卑弥呼・台与は実在したことが確実視されること、などに
立脚して考えると20のような日本古代の歴史が推理・推測・推論されても不
思議ではないと考えられます。一つの歴史推理、仮説です。
33本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/12(月) 11:10:34.42 ID:hXKkwIDR0
冷静に客観的に考えてみよう
まず、邪馬台国の時代より前の倭国は、「分かれて百余国をなし」ていた(漢書地理志)
次に、邪馬台国の時代より後の倭国は、「東国55カ国」+「西国66カ国」の計121カ国からなっていた(倭王武の上奏文)
てことは、邪馬台国の時代の前後で倭国の総数は変化しておらず、一貫して120カ国前後だったとわかる
ということは、邪馬台国の支配下にあった30カ国というのは、日本全体の4分の1を占めるにすぎないことになる
この時点で、日本全体のほぼ真ん中に位置する近畿は候補から消え
さらに、西国66カ国の半分以下の国数であることから、西国のなかのさらにその西半分だけが邪馬台国だったことになる
どう考えても、九州限定だな
34本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/12(月) 20:26:33.69 ID:UXsBe+li0
>>33
すばらしい!。すばらしい歴史考察だ。これぞ本当の日本の歴史だ。
35本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/12(月) 22:01:05.19 ID:b+d94aKE0
宋書は東の毛人を平定した後の国数が加えられているので
それ以前は西日本の66国が全日本としないといけないのでは
36本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/13(火) 00:03:00.65 ID:0OVCOLaL0
>>32
そうなんですよ。畿内の王朝がなぜ九州にこだわるのか?
文化水準の流れからも、大きな国ができるのは九州しか考えられない
んですよね。
37本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/13(火) 00:12:05.17 ID:0OVCOLaL0
>>27
「水行十日、または陸行一月」にみんなこだわるけど、同じ西域伝にも
そのような記述があり、松本清張の「清張通史」によると、それは
「都より遠く遠く」の意味らしい。
かつて、有明海は玄界灘とつながっていて、有明海に大きな湊があった
らしい。貿易船が博多や松浦ではなく、直接、有明海に乗り入れていた
としたら、久留米、八女の線もあり得るね。久留米のちょっと下の筑後
に山門(やまと)という地名もあるね。
38本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/13(火) 00:55:07.01 ID:q2MvIind0
近畿説は近畿地方の教授が地元が好きすぎて作った
39本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/13(火) 10:38:42.15 ID:sUfw22iw0
>>37
不弥国から投馬国までは水行20日とだけ書かれていて陸行は書かれてない
つまり、不弥国から投馬国までは陸では隣接していて即日行けると考えることもできる
そう考えると、投馬国の位置は吉野ケ里あたりになりそうだ

ちなみに、卑弥呼の使いが西暦239年6月に帯方郡に来て、魏の皇帝に謁見したいと申し出て
そこから魏の都のある洛陽に向かい、同年12月に洛陽に到着して親魏倭王の金印を授かっている
つまり、帯方郡から洛陽までの2400kmの水行にまるまる6ヶ月かかっているわけで、
逆算すると、水行20日は260kmぐらいの長さになる
不弥国のあった糟屋郡から長崎沖を回って有明海を北上し、筑後川を遡って吉野ケ里までの距離とほぼ一致する
40本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/14(水) 11:39:40.17 ID:/z9xmlKx0
そう考えると、吉野ケ里から南、陸路なら1ヶ月、水路なら10日の位置に邪馬台国があるわけか
吉野ケ里歴史公園の天の浮橋からmapionのキョリ測でたどってみると、約22kmで有明海に出て
そこから九州沿岸沿いに行くと八代市あたりで計130km
三角半島から先を天草諸島東岸に沿って行っても八代海南端あたりで計130kmだ
奴国2万戸、投馬国5万戸で邪馬台国7万戸だから、奴国が福岡平野一帯だとするなら
投馬国は吉野ケ里を中心に佐賀・筑後平野一帯で、邪馬台国は八代を中心に熊本県一帯だな

なんだ、邪馬台国の行程記事って、文字通りすなおに解釈してもどこにも矛盾は生じないじゃないか
41本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/14(水) 11:47:49.16 ID:/z9xmlKx0
そう考えると、邪馬台国に服せず戦っていた狗奴国ってのは、八代市の南だから、宮崎県の高千穂の峰あたりだ
なんだ、狗奴国こそが天孫じゃないかw
42本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/14(水) 13:53:23.85 ID:0o6/EMKp0
いいぞ、いいぞ。どんどんオカルトらしくなって行くようだ。おもしれぇ。
43本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/15(木) 00:30:59.21 ID:DdFe8lhm0
>>39
吉野ヶ里(佐賀)と筑後川(福岡県久留米)とピント来なかったが、
地図で見たら近いところがあった。ちなみに不弥国は福岡県糟屋郡宇美町
と言われているようだ。
44本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/15(木) 01:02:52.91 ID:DdFe8lhm0
>>40
>邪馬台国は八代を中心に熊本県一帯だな

その考えはなかったなあ。福岡県の八女、山門郡辺りと思っていた。
45本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/15(木) 13:38:29.13 ID:TYC3VbQ50
>>44
投馬国5万戸の規模を考えたら、八女、山門郡あたりまで治めてると考えないと無理がある
人ひとりが生きていけるだけの米を生産できる土地の広さを1反といい、古代は土地の品質によって1反の広さは違っていたけど
平均ほぼ360坪だったことから奈良時代に1反=360坪に固定され、その後農耕技術の向上で江戸時代には1反=300坪に改められた
弥生時代から奈良時代までの年数と奈良時代から江戸時代までの年数はほぼ等しいので、弥生時代は1反=420坪ぐらいだろう
とすれば、1戸5人として420坪✕5人=2100坪=7000平米ぐらいの農地が必要
5万戸の人間を養うためには7000✕50000=3億5千万平米=350平方キロの農地が、投馬国の領土内に必要になる
いま現在の佐賀・筑後平野の農地面積は合計約40,900ha=409平方キロだから、これがまるまる投馬国だと考えてちょうど計算が合う
46本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/15(木) 15:00:20.91 ID:JPQF18f+0
>>45
中国人はマンコが好きで、だから今や11億人にも増えている、と言うのは冗
談で、白髪三千丈式の大げさな数字を倭人伝も書いていると推測される。した
がって万戸も実は千戸ぐらいが妥当だろう。字義どおり考えちゃダメだよ。
47本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/15(木) 16:04:16.61 ID:TYC3VbQ50
>>46
まずは字義どおり考えてみて、矛盾が生じたら、ああこれは白髪三千丈式の大げさな数字だったんだなと考えるのが順序というものだと思う。
48本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/16(金) 16:19:48.54 ID:HkzFe6Kw0
オカルト板的には、この推定に文句つけるのではなく
これを前提に、狗奴国が高千穂の峰を拠点に邪馬台国を攻め滅ぼして住民皆殺しにしたとか
そういう話題で盛り上がるほうが正しい方向性のような気がする
実際、現存する遺跡から推定する九州の総人口よりもはるかに規模が大きな国なんだから
その後村ごと地上から姿を消すような大虐殺があって遺跡としても残らなかったと考えたほうが自然だし
魏志倭人伝とも、残された遺跡の数の少なさとも整合するわけだ
49本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 00:02:59.05 ID:S+sYj1Ki0
邪馬台国は近畿にあります。
これは今の人口分布から決定的ですね。
50本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 00:35:43.65 ID:eUOUYgnt0
>>45
ニュー速板で邪馬台国の壱与が話題になった時に、相変わらず、九州説とか
畿内説の話題になったんだけど、久留米説の人が、当時の有明海は吉野ヶ里
(神崎)まで迫っていて、穀倉地帯は広くなかったから人口を養えなかった
と言われていた。自分も依然、我田引水の感がある、邪馬台国大牟田説
(福岡県と熊本県の県境)の著書読んだことがあるけど、陸地は丘陵地帯
からであって、現在の平地はほぼ有明海の下だったと書いてあった。律令時代
の地名(何々条)は丘陵地帯。
51本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 00:41:17.30 ID:eUOUYgnt0
>>49
それを言われると、近畿にある地名(吉野川ほか)は、同じように
阿波にもあって、実は時代は逆に阿波が古く、阿波の神社、古地名が
近畿などに多く残っているので、阿波の勢力が畿内に移ったという説も
あるよね。
52本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 07:55:15.20 ID:ygFsXczv0
>>49
じゃあ、邪馬台国は東京だね。文句有る?
53本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 09:38:41.21 ID:eUOUYgnt0
水行と方角を額面通り解釈したら奄美大島行っちゃうんじゃない?
54本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 09:41:26.56 ID:YNctp3bE0
だから方角と距離は無視すべき
55本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 12:14:06.19 ID:RqLQuzHk0
>>51 阿波は秘めたところがかなり有ると思うわ。
黒潮に乗って来て土佐辺りから上陸した海洋民は津浪を避けて阿波へ、、、。
弥生時代最大級の集落跡地が土佐から出たしな。
56本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 15:18:58.25 ID:feSgSP7T0
>>53
航海術込みの旅程でそこから東南アジア方面に行くとかあるんじゃね?
57本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 22:22:49.67 ID:eUOUYgnt0
>>56
これが台湾だったら、国民党が日本は俺たちのものとか
言い出しそうだな。
58本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 22:58:42.49 ID:eUOUYgnt0
>>55
阿波説で有力なのは、卑弥呼の時代に水銀が日本で唯一出ていた地域は徳島だった
という点なんだよね。
59本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 23:22:35.83 ID:IPwHODWY0
いや、唯一じゃない
伊勢とかでも縄文時代から水銀朱の採掘は行われてた
60本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 23:48:16.13 ID:feSgSP7T0
四国は四国でなんかあるかもだけど邪馬台国では無いと思うw
61本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/17(土) 23:52:05.47 ID:S+sYj1Ki0
>>52
いいえ、当時の東京は人がいませんでした。
当時も近畿は人がたくさんいました。
だから邪馬台国は近畿です。
みなさん間違っていますね。
62本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/18(日) 00:15:05.11 ID:3VeU6tGf0
>>61
青森に三内丸山遺跡があるのを見ても、縄文系の蝦夷は住んでいたと思う。
63本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/18(日) 00:20:15.01 ID:W/84mPS80
>>62
少数は住んでいたのでしょうね。
関東も同程度です。
近畿はもっと多かったのです。

よって邪馬台国は近畿ですね。
64本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/18(日) 00:21:57.77 ID:3VeU6tGf0
>>63
距離や方位はシナの嘘だから九州の八女(山門郡)でよかです。
65本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/18(日) 00:39:00.17 ID:YcKoUeQZ0
では八女は邪馬台国の支部と言う事で・・
本部は近畿ですね。
66本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/18(日) 06:16:13.94 ID:3VeU6tGf0
支部は近畿に譲りますよ。本家は八女で。
67本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/18(日) 08:19:43.53 ID:uDWYP7o70
>>58 阿波の飛び地?東の安房に向かう途中に伊豆諸島のひとつ、太平洋に浮かぶ神津島の神社が祀るのは

「阿波姫命」という姫神さま。

卑弥呼かと思わされるし。
阿波→神津島→安房と太平洋を又にかける海洋民のイメージがある。
68本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/18(日) 09:16:48.22 ID:kwphqSdk0
>>63
では西暦250年ころ、近畿では人口がいくらいたのかな?。九州の数分の1
であることは解かっているのだよ。さあ、何万人くらいいたのかな。答えてご
らん。答えを待っているよ。
69本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 11:43:05.23 ID:RfFrah6W0
>>39-41のように子細に検討すれば、文字通り解釈して距離も方角もいじらずに正しく場所を特定できるのに
わざわざ距離なり方角なりをいじって勝手に違う場所だと主張する意図が分からん
70本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 12:26:06.89 ID:RfFrah6W0
参考までに、天孫が高千穂の峰に降臨したとき、こう宣言した、と古事記に書かれている

「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。此地はいと吉き地」
=この地は「韓国」に向かって攻撃できる土地で、定住地である笠沙の御前からまっすぐ行ける場所で
 朝日も夕日も浴びることができる見晴らしのよい国で、とてもよい土地だ

>>39-41の検討を前提に、狗奴国が天孫だった場合、
この「韓国」と呼ばれた国が、当時熊本県を領有していた邪馬台国のことだと考えればすべて整合する
つまり天孫は、邪馬台国を討伐する拠点に適した場所を探して、ついに高千穂の峰を発見したというわけだ
71本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 12:58:34.20 ID:UvSPgxx10
まどろっこしい解釈に興味は持たれない
72本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 13:20:53.93 ID:RfFrah6W0
文字通りすなおに解釈するんだから、まどろっこしさから一番縁遠いはずなんだけどな
ただ、興味を持たれないのは確かかも
九州説にしろ畿内説にしろ邪馬台国がヤマト朝廷の先祖だと思って必死になってるわけだから
それを明確に否定されれば無視したくなるんだろうな
73本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 14:14:58.47 ID:RfFrah6W0
そうか、ここはオカルト板だから、オカルトっぽいネタで説を補強してみるか
「肥人書」と呼ばれる神代文字は、その名の通り、現在の熊本県あたりに昔住んでた人たちの文字だけど
その文字の形状をみれば、彼らの国が「韓国」と呼ばれるのも納得できるはず
74本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 14:23:02.09 ID:RfFrah6W0
さらに補強
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/184775/m0u/
ひじん‐しょ【肥人書】
上代、肥人(こまひと)が用いたといわれる文字。また、それによって書かれたもの。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/81927/m0u/
こま‐ひと【▽肥人】
古代、肥後国球磨地方に住んでいたといわれる人。

肥後国球磨地方は今では「くま」だが、昔「こま」と呼ばれていたとのこと
まさに八代市は球磨川の河口付近の市であり、ここに都があった国が「こま」=韓国だったことになる
75本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 18:20:44.43 ID:hDDf0E3F0
>>69
松本清張の「清張通史」辺りに魏志の西域伝辺りを引き合いに出して、
同じように水行云々、陸行云々と書いてあり、そこは「遠く遥か遠く」
の意味合いで使われているのだろうと書いてあった。ちなみに西域の
方は場所が特定されており、距離が全く合わないらしい。

>>72
エグザクトリィ!その通りであります。

>>73
熊本辺りは火の国で、熊襲か隼人のイメージなんですが。
この隼人の盾の文様は独特で、そう言えば熊本のチブサン古墳の文様に
似てなくもありませんが。

隼人の盾
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53367155.html

熊本県山鹿市チブサン古墳
ttp://www.city.yamaga.kumamoto.jp/www/contents/1264125462844/
76本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/19(月) 22:39:51.38 ID:d5l9R/VR0
邪馬台国に関するオカルト説(一例)
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-29c7.html
77本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 09:33:02.97 ID:0DP5z8eR0
魏志倭人伝て、海わたるまではものすごく正確なのに、そこから超テキトーなんだよな
78本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 09:36:31.26 ID:0DP5z8eR0
>>58
http://www7b.biglobe.ne.jp/~rakusyotei/kojiki_title.html
趣味で神社巡りをしてる人のサイトだけど、
http://www7b.biglobe.ne.jp/~rakusyotei/kojiki-21.html
蛭子神社の分布とか興味深いよね
79本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 09:50:02.64 ID:0DP5z8eR0
http://tosawo3864.blog116.fc2.com/blog-entry-500.html
ついでに
高知に「美宜子(みきこ)神社」と呼ばれる小さな神社があるけど、
現地では「大昔高貴なお姫様がハンセン病のため空舟に詰められて流されてきた」
「現地の人は温かく看病したが、その甲斐なくお亡くなりになったので祀られた」
と知られている
大昔というだけで伝えられてきたものであるが、七五の桐紋がほどこされていたり
自分は「空舟で流されてきた」「美しい託宣の子」という呼称
そこから奥に入るといざなぎ流の里がというとこに勝手にロマンを感じている

近畿から卑弥呼かトヨが流されてきたのかなあ、と
80本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 13:30:56.67 ID:G3RiPi0X0
>>79
すごい!。これぞオカルト。これぞロマンだ。教えてくれてありがとう。
81本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 15:01:39.72 ID:3Gc0DRkZ0
>>75
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku13/yamaic24.html
これによると、西域の「距離が全く合わない」とされてる里程も、短里だと考えればすべて計算が合うとのこと
邪馬台国への里程も短里なので、むしろ、邪馬台国への里程の正確さを傍証することになる
82本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 15:23:15.47 ID:lD78aoic0
八代は実家があるがw、せいぜい遺跡や古墳なんてこの程度だ
http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/ar/article_view.phtml?id=13070
あとは日本三大妙見神社のひとつがあることくらいのヒナびたとこだ
http://www.myouken.com/
球磨川流域で平野のためそれなりの文化があったには違いないんだけど
デカい遺構なんかが全然ないのがなあ…

しかし狗奴国ヤマト王朝説をとると邪馬台国は滅ぼされた側になるわけだよな
面白いなあ
83本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 15:54:09.52 ID:3Gc0DRkZ0
邪馬台国よりもずっとあと、13世紀にできた史上最強帝国の首都カラコルムは、その後の衰退で打ち捨てられ、いまや何も残ってない
邪馬台国が滅ぼされた側だとすれば、何も残ってないのは当然
84本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 16:44:19.24 ID:tf2hDHKj0
狗奴国との戦闘では女王側が勝利した
なぜならば戦争後、卑弥呼側の新女王壱与が擁立され女王となっているからだ
85本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 18:19:45.54 ID:3Gc0DRkZ0
ウィキペディアより

女王卑弥呼が死ぬと男子の王が立てられた。邪馬壹國[9]の人々はこれに服さず、内乱状態になり
1000人が死んだ。このため再び女王が立てられることになり、卑弥呼の親族の13歳の少女の壹與が
王となり、国は治まった。正始8年(248年)に邪馬壹國と狗奴国間の紛争の報告を受け、同年倭に
派遣された帯方郡[10]の塞曹掾史張政は、檄文をもって壹與を諭した。ただし張政の派遣は、正始
4年の朝貢の返しとして6年に出された詔によるものである。

ということで、壹與擁立後も戦争は止んでいません
86本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 19:09:46.93 ID:G3RiPi0X0
>>85
ウィキペディアは必ずしも正しい情報源とは言いがたい。まるまる信用して良
いか否か、自分で研究し確認することです。
87本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 19:27:06.81 ID:oQeg/qIg0
何だろう。青森にキリストの墓があるよみたいな、おらが村が邪馬台国みたいな
異説、珍説もっと持って来いって感じだなあ。せっかくのオカルト板だし。
88本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/20(火) 22:51:05.72 ID:tf2hDHKj0
晋書に、壱与は266年にも女王やってる記録あり
89ボクチン@転載禁止:2014/05/20(火) 22:56:12.68 ID:tf2hDHKj0
神功皇后紀に、卑弥呼と壱与の記録が挿入されてる。
だから日本書紀編者の舎人親王は、
神功皇后に卑弥呼と壱与が習合されていると解釈していたことになる

神功皇后は実際には4世紀の人
・七支刀が贈られたのは4世紀
・新羅出兵も4世紀

であるので、
つまり女性天皇=2人の女王と見られていたのが明白
なので神功皇后以前の3世紀に、女性天皇がいたことになる

すると古事記で「后」となっている崇神天皇が皇后だったことになる
記紀をみると、崇神天皇の時代に倭国大乱の記述がある
だから崇神天皇が卑弥呼と壱与の習合なのですよ
90本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/21(水) 07:21:24.79 ID:RauOUOg/0
狗奴国側にクコチヒクがいて、これが今の菊池市あたりでしょ。
このあたりが狗奴国の前進基地だとすれば、ここから南が狗奴国。
そうすると高千穂は・・・狗奴国の聖地か。
91本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/21(水) 07:50:59.97 ID:HljjYQOI0
初期歴代や異常に寿命が長いのは、色々な支配者を習合した結果なのか
神代のヒト類はマジに寿命が超長かったと思いたいけどw
92本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/21(水) 08:41:15.16 ID:QfMUNtpp0
すばらしい。オカルト満載だ。いいぞ、いいぞ。
93本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/21(水) 12:18:16.61 ID:+n5c2dyr0
日本書紀の記録によると、初期の事績の日付はほとんど、1日から15日までの間の日付になっている
昔の日本では新月から満月まで、満月から新月までを、それぞれ1ヶ月とする暦を使っていたのかもしれない
そのような暦はべつに珍しいものではなく、インドの古代の暦がそのような形態をとる
そうだとすれば、初期の天皇の年齢は、伝えられた年数の半分が実年数だということになる
94本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/23(金) 18:46:43.75 ID:fNObaYIu0
神功年間って六十九年あるんだよな。
尋常じゃない長命なわけだけど、これを複数の女王をまとめた結果と解釈するのか
本当に異常に長命だったと解釈するのか。

魏志や晋書だと卑弥呼の死は240年代?
95本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/23(金) 20:17:10.86 ID:uLmRMygn0
>>94
ああ、そのへんも俺は解いたのでヨロシク。
96本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/24(土) 01:26:38.18 ID:Dl/jKuMs0
昔は、二毛作で稲刈りに合わせて1年としていたらしいので、実質、1年が
2年に当たるという説もある。神武とか古代の天皇が人並み外れた長寿なのも、
それを考えるとまあ普通に長生きしたような感じになるという。
97本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/24(土) 10:32:42.05 ID:kM1ny5y30
>>93 >>95 >>96
もっとオカルトらしくやろうよ。
98本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/24(土) 14:27:39.15 ID:SvClvxQd0
卑弥呼が行っていた呪術の類を使役する巫女であると表現された神功皇后と
天孫系の体系化された神道に違和感がある
99本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/26(月) 13:52:35.66 ID:A+PeGXJ10
卑弥呼について「鬼道を事として能く衆を惑わす」と記載してるのは三国志の魏志倭人伝だが
同じ三国志の中で、中国の漢末に「道教」が大流行した記述の中、五斗米道の主宰者・張陵の孫・張魯について、こう記載している。
「魯、遂に漢中に拠り、鬼道を以って民を救う」
要は、卑弥呼の使っていた「鬼道」とはすなわち「道教」のこと

こうなると、邪馬台国は中国からの侵略王朝だった可能性が濃厚になってくる
そして、それに対抗する狗奴国が天孫降臨の高千穂峰だとするなら、そっちこそ天皇家の先祖だということだ
100本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/26(月) 21:27:46.38 ID:SdM3DQNf0
>>99
それはどうでしょうか。当時の中国人には遠く離れた邪馬台国の女王が、どん
な呪術を使っていたのか判らず、とりあえず「鬼道」と書いた可能性が強いの
ではないでしょうか。傘下の国々の男の王が恐れ重んじたこと、当時は非科学
的な呪い・心霊・シャーマニズムが信じられやすかったことなどを考慮すると、
卑弥呼の呪術の中身は「予言」だった可能性が強いと考えられます。しかもよ
く当たったので王達も人々も恐れたのではないでしょうか。「お前の国はもう
すぐ敵に攻められ、お前は殺されるぞ」などと予言されれば誰でも恐れおのの
くでしよう。道教だったというのは考えすぎだと考えます。
101本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/26(月) 23:05:40.52 ID:+k0HerYj0
おらこんな村〜いやだ〜おらこんな村〜やだ〜
道教をやるだ〜
102本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/27(火) 11:14:28.98 ID:nOR5hsSq0
ヤマタイは誤りで読みは「ト」。大和、ヤマト、奈良で確定。
邪馬壹  邪馬臺  祁馬臺  邪靡堆
邪摩堆  邪馬臺  邪馬台
邪馬臺 = 邪靡椎 『隋書』倭国伝 「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」
倭迹迹日百襲姫命= 卑弥呼 = 夜麻登登母母曾毘売命 夜麻登 ヤマト 
邪馬台国 ≒ 崇神時代 魏志倭人伝における補佐する男 = 崇神天皇
-------
夜麻苔  日本書紀  邪馬台
----
壹與   倭人伝表記  臺與   梁書、北史表記
台与 トヨ 卑弥呼の後継者  豊鍬入姫命 トヨ その後の伊勢神宮 初代斎宮 (現今上陛下の姉)
-----
壹  臺 臺  堆 堆  臺 台  ------- 苔   台  ----壹  臺  台
ヤマタイは誤りで読みは「ト」。大和、奈良で確定。 古墳時代以来一系。
殷王朝の祭司王の形式と周王朝の徳治の
文化を継承する易姓革命のない、古き良き中華文明の正統継承国。
103本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/27(火) 11:54:57.00 ID:EQWGDnhd0
卑弥呼の使いが頻繁に帯方郡に朝貢に来て、1度はそのまま魏の都まで行って親魏倭王の金印までもらってるのに
その女王がどんな呪術を使っていたのか判らないわけがない
104本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/27(火) 11:55:56.99 ID:EQWGDnhd0
>>102
アレキサンダー大王時代のマケドニアと今のマケドニアが全く別民族だという例もある
名前が同じだというのは何の理由にもならない
105本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/27(火) 16:09:21.94 ID:2Nx+6OsP0
>>103
卑弥呼女王は食事の世話をする家来(男)一人しか姿を見ることができなかっ
た。倭人伝にそう書いてあるよ。どうして呪術の中身が魏の使節に判るのか。

>>102
3世紀の中国語の発音では「ヤマト」ではない。
106本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/27(火) 16:11:44.38 ID:SIRIm3Rf0
>>102
天皇が補佐って冗談?
107本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/27(火) 16:18:05.98 ID:tZG51a8B0
のちの豊前、豊後の国を合わせた範囲、おおむね現在の大分県に当たる地域。
律令制以前には、一国として「豊の国」と呼ばれていた。
読みは「とよのくに」・・・・女王トヨの国?

ここで思い出されるのは、豊前国の一ノ宮、宇佐八幡宮。
八幡神は予言を能くすると言われるが・・・

宇佐神宮は、一説には、福岡県築上町に鎮座する金富神社の地(ここも豊の国の範囲)から
遷座されたものとも伝えられる。
この金富神社の地には、それ以前からの霊地であったとの言い伝えがあり・・・
108本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/27(火) 23:45:26.60 ID:8IXbIyKp0
邪馬台国は九州全体の事である。
109本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/29(木) 14:00:07.32 ID:iRK9C+300
邪馬台国の名前は本来大和であったが、現地の人が地名を問われて
「大和たい!(九州弁)」と答えたのが変化したものという説が出てる。
110本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/29(木) 15:06:44.64 ID:ODtkpq8t0
その発想はなかったwww>やまとたい!
しかし熊本弁って、古語がのこってたりするよね「しこつける」(かっこつける
111本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/29(木) 21:16:47.52 ID:aS+5nAL60
>>109
それこそ本当にオカルトだね。
112本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/29(木) 22:11:22.62 ID:GIafPfpP0
九州って一回も行ったことないわー
そそられん
113本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/29(木) 22:17:53.12 ID:kkTljNAl0
トンカラリンとか謎の遺跡がいろいろあるのに
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%B3
114本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/30(金) 00:23:04.61 ID:Aqs5aXhU0
九州はひとつの国のようなもの。食・観光・レジャー全てが島内で完結している。
実際、修学旅行以外で九州を出たことがないという人も多いくらい。
115本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/30(金) 13:26:22.11 ID:yOYTKEsm0
「トンカラリン」でぐぐって動画みつけた
http://www.youtube.com/watch?v=yZVxbxisDaQ
こうなると、邪馬台国は中国ではなく、朝鮮からの侵略王朝だったことになりそうだ
そして、それに対抗する狗奴国が天孫降臨の高千穂峰で、天皇家の先祖だということは、いよいよ確実に思えてくる
116本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/30(金) 18:43:40.99 ID:Juefz97+0
2〜3世紀の韓国が異国と思ってるうちは素人
117本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/31(土) 16:15:24.34 ID:8Y5CdKDY0
いまのチョンと古代朝鮮にいた人は別種族だよね?
118本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/31(土) 17:12:06.08 ID:ylUlGp4F0
よくわからんが、高麗の時代に高麗人に満州の異民族が大挙して押し寄せて
高麗は王権を乗っ取られ、民族的にも女真族系をはじめとした満州ツングース系に変容した
一説に押し寄せてきたのはエベンキ族の移住集団だったとか
119本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/31(土) 17:16:49.36 ID:ylUlGp4F0
統一新羅以前の朝鮮半島は、民族も王権も倭人・韓人ほかの混成だった
新羅王というのは倭の末裔であった
120本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/05/31(土) 18:08:47.77 ID:Lq5J4uDP0
高千穂の地域は、阿蘇のカルデラまで含めてその範囲だったらしい。
阿蘇は下高千穂と呼ばれていたとか。
クコチヒクが本当に菊池彦だったとして、「狗奴国の官」という表現が正しいなら
やっぱり狗奴国の本拠は高千穂だったかも知れない。
菊池市は阿蘇の北西の麓だし。
121本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/06/01(日) 14:09:53.30 ID:MIvT50FA0
松本清張さんはこう考えた

1.魏志倭人伝の作者陳寿は「倭人」と「倭」と「倭国」と「倭種」を使い分けしている。これの意味は?

2.魏志東夷伝の中の他の国は国名から書き始めるという同一書法を取っているのに関わらず、
  倭国のみ「倭人」からの書き出しになっているのは何故か?何故他国と同じように「倭国」ではないのか?

3.「倭」は韓半島の南海岸一体を領有していたと読める。韓半島の南にあった「倭」を国の扱いにしていないのは何故か?

4.魏志倭人伝の里程に関する疑問

 @里程の出発基点を「中国の首都」とする他の国々とは異なって、倭国のみ「郡都」からとなっているのは何故か?
 A里程を表記するのに水行・陸行に関わらず、途中までは距離数で表示し、途中から日数に変えたのは何故か?
 B伊都国から前は「出発地からの方角」「距離」「到着地の国名」という順序になっているのに、
  伊都国から後は「方角」「国名」「距離」という順序に変わったのは何故か?
  伊都国だけに「到」がついているのは何故か?

5.倭国と女王国とはなにか、女王国の以北とはなにか?
122本当にあった怖い名無し@転載禁止:2014/06/01(日) 19:03:20.11 ID:pmBsUTaa0
邪馬壱と邪馬十がくっ付いて大和

卑弥呼女王と卑弥弓呼王子が結婚
123本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/03(火) 08:49:37.36 ID:/t0h5VjS0
列島、中国江南から朝鮮半島の沿岸沿いに限らず倭人、倭種はヒマラヤ辺りまで広範に活動してたと思う。夏王朝や釈迦族も倭種かも。
124本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/03(火) 13:06:12.17 ID:da4lTkmm0
明確な根拠がないと韓国起源説と変わらなくなるぞ
125本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/03(火) 13:27:28.01 ID:6/3fuav00
韓国起源説ww
いまのチョンとは別物だとすれば魅力的だけど、
全く意図しないほうに持っていこうとするから結局話し合えないんだよね

熊本の遺跡に残る高麗形文化には惹かれるものがある
126本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/03(火) 13:37:38.03 ID:da4lTkmm0
縄文人がシュメールを作って日本列島に戻ってきたみたいな
キチガイじみた仮説だよ
証明できる要素はなにもない
日本人が立派だったを証明するためにどんな突飛な仮説も出してくる
韓国が世界の文明の発祥地と言ってるのと変わらん
127本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/03(火) 17:13:16.62 ID:D5YyrnB80
むしろ韓国の言ってるのは日本の後追いだな
128本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 00:10:34.36 ID:xXzwyuAe0
「夏王朝の小康がこの様に蛟龍を防いだ、、、」山海経

つう、この様にが文身の事だとか、また

ヒマラヤ辺りからモンゴロイドのグレイトジャーニーを思わせるのが法華経の薬王菩薩品事品という経典中の

「遥か昔、遥か東方に仏国土あり」

の件なんだよね。

仏教成立の
遥か昔=旧石器〜縄文?

インド、ネパール辺りから
遥か東方=列島?

薬王菩薩品には
「十六王子が各々が世界中に飛び至った」

みたいな件もあってグレイトジャーニーを思わせないか、と。

まあ、オカルト板だしね。
129本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 07:41:22.21 ID:5+OCq14j0
ガンダーラ♪ガンダーラ♪

極東から見ればインドが最果ての地みたいだけど、
逆から見れば列島が最果ての地だったw
130本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 11:50:15.26 ID:xB/WzUYQ0
韓国のやつらが古代自分たちは中国全土を支配してたとか言うやつがよく誇大妄想とか叩かれてるけど
日本には古代自分たちが全世界を支配してたとか言うやつが、韓国のやつらよりもずっと昔からいたんだよな
131本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 13:09:21.64 ID:bFaDAb7U0
筑後の国の磐井、その土偶や埴輪と違った石人、石馬の文化に邪馬台国のヒントがあるのではないか?
132本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 13:49:46.83 ID:xB/WzUYQ0
遺跡から邪馬台国を推定するのは全部無駄
そもそも邪馬台国は、>>33にあるとおり、日本全体のたった4分の1を占めるにすぎない勢力
しかもその後、大和朝廷の前身となる狗奴国に滅ぼされたとあれば、遺跡など残るはずがない
むしろ遺跡が出てきたら、それは邪馬台国ではなかったことが立証されたも同然
133本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 13:51:21.46 ID:y2euWr4i0
むしろどうして狗奴国が天孫であってはならなかったんだろう?
134本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 13:59:24.44 ID:xB/WzUYQ0
邪馬台国論争がそもそも出てきた経緯に関連するだろうな
戦前の記紀史観を否定する切り札として、中国の歴史書から邪馬台国を引っ張りだしてクローズアップしたわけで
記紀が「ウソ」である「証拠」としてGHQにより大々的に宣伝されたものだったから、その後の論争も初めに結論ありきだった
だから、九州説もその後東遷して大和朝廷になったとかいう説ばかり宣伝されてしまったってことだな

冷静に客観的に記事をよめば、邪馬台国は熊本の政権であり、その南の狗奴国こそ高千穂峰の天孫国だとわかるはずなのに
135本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 14:10:45.29 ID:Fmi+V5Yp0
松坂前方後円墳の3体の女性の遺体が
卑弥呼と壹與と壹與の娘の遺体なんでしょ?

3人ともシャーマンだったみたいだし
136本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 14:18:52.94 ID:bFaDAb7U0
福岡の志賀島から「倭の那の国王」の金印が江戸時代に農民から発見されたのも
怪しいよね。古代に偽造されたものかレプリカでない証拠もない訳だし。
137本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 14:26:15.47 ID:bFaDAb7U0
でも、西暦57年に倭の奴国、後漢の光武帝より「漢委奴国王」の金印を賜る
という事実から西暦184年ごろ 邪馬台国は卑弥呼がおさめている(『魏誌倭
人伝』)という事実から、倭国が日本を支配していた時期から、およそ130年
しか経ってないところを見ると、近現代史で言えば、明治維新からつい最近
くらいの時間間隔な訳で、近畿に政権が移っているのは無理な気がするが。
まあ、後で勃興した近畿勢力が九州を平定したと言うならあり得ない話じゃ
ないが。
138本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:07:11.67 ID:xB/WzUYQ0
漢委奴国王印は、材質は金95.1%、銀4.5%、銅0.5%でできていて、
発見された当時世界共通に使われていたベネチアのゼッキーノ金貨やフィレンツェのフローリン金貨(いずれも金87.5%)、
さらに、その後作られた世界最初の本位金貨であるイギリスのソブリン金貨(金91.67%)すらも超える金の含有率を持ち
こんな精製技術で金印作るなんて、江戸時代の農民や町人にはもちろん不可能だし
その含まれる金の重さ103.4gを今日現在の金相場(グラム4490円=田中貴金属公式サイトより)で換算すると
46万円以上の価値があるという、とんでもなく高価なハンコだから、これが偽造品である可能性はゼロと考えていい
奴国の位置は福岡市あたりと考えていい

ただ、それは「金印」という「文字資料」だからこそそういう結論になるのであって
文字を伴わない遺跡がいくら発見されても、そこが邪馬台国だという根拠には一切ならないのであり
逆に、親魏倭王の金印がなにも遺跡のない場所から発見されれば、それだけでそこが邪馬台国だったと言えることになる
139本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:12:34.87 ID:zBDoPNP/0
それ以前に大漢国が日本にあったぽいからソッチ関係の可能性がw
140本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:14:26.43 ID:xB/WzUYQ0
まぁたとえ神代文字だろうと文字資料があるのであれば、なんら文字資料の根拠のない説よりは信憑性あるだろうなw
141本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:16:57.01 ID:zBDoPNP/0
>>130
日本の場合は自称ではなく他称だけどな扶桑とかアトランティスとか的に
142本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:27:44.57 ID:xB/WzUYQ0
>>141
扶桑はともかくアトランティスは大西洋の大陸だ
それをいうならジパングじゃね?

で、朝鮮もじつはソロンゴスとかいろいろネタがあるわけで、大差ない
143本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:33:35.11 ID:bFaDAb7U0
>>138
ある一定の大きさの国があった地域で、礎石すら残ってない状態ってあり得るの?
144本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:41:04.22 ID:xB/WzUYQ0
>>143
ふつうに敵国に破壊されればそうなるだろ
145本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:53:17.30 ID:bFaDAb7U0
>>144
三内丸山遺跡の高見櫓跡や、
出雲大社の巨大神殿の礎石や朽ちた柱の一部ですら残っているのに?
146本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:55:29.25 ID:xB/WzUYQ0
>>145
どちらも敵国に破壊されてはいない
出雲に至っては国譲り神話で穏便に大和政権に国を譲っている
そういうところと、敵として戦った相手とを同視してはいけない
147本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 16:57:53.29 ID:zBDoPNP/0
>>142
10の太陽と日の昇るところ的な記述と日本の国号辺りがりが扶桑やアトランティスにリンク
148本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 17:04:56.10 ID:xB/WzUYQ0
>>147
前から思ってたことだけどさ
日本は「日」の「もと」であって、登っていく太陽それ自体ではないよね?
日の丸の太陽が赤いのも、地平線スレスレだからあの色になるわけで、太陽の本来の色は黄色だし
太陽信仰自体はエジプトをはじめ世界中にあるわけで、それと日本とは区別すべきだと思う
149本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 17:47:29.99 ID:bFaDAb7U0
>>146
うーん?出雲は国譲りは建前で、戦乱後平定され、その祟りを恐れた
大和政権が黄泉の国を司る神として残したと聞いたことがあるけどなあ。
150本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 18:14:59.66 ID:lrnWTDGX0
八代には古麓城という山城があるんだな
151本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 20:13:54.73 ID:Z0BZQWZn0
>>143
白鳳地震でggれ。津波で全部やられてても不思議じゃない
152本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/04(水) 22:27:19.56 ID:HvQwNZQF0
日本というのは、元々西方に住んでいた人じゃないと、名づけられないよね
153本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/05(木) 00:22:48.83 ID:uRxCb5QZ0
>>151
礎石って分かる?大きな柱が地中に陥没しないように、大きな石を少し深めに埋めてあるの。
その上に柱立てるの。人為的に苦労して掘り出さないと動き様がないんだけど。
154本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/05(木) 05:22:42.02 ID:JW3yvC3YO
中世から戦国末期までは、そんな石は城の石に持って行かれた事例はあるぞ。
なんも墓石や石仏ばかりでなく、寺跡の礎石や古墳の葺き石までがあったら手当たり次第引っ張られたりな。
石舞台古墳だってもとは土砂や石が沢山あったが、ごっそり取られて動かそうにも中々動かないあの石室だけ残ったのがあの姿だ。
地表に出ずに埋まってたのが運よく残ったともいえる。
155本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/05(木) 13:04:34.66 ID:mEz+Y2Re0
敵国に破壊された場合を前提で考えるなら、使えるものは何でも略奪するだろうから
礎石になるような貴重な大石を略奪せず放置するほうがむしろありえない
156本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/05(木) 13:06:25.91 ID:0xwvdhif0
吉野ヶ里遺跡があんなにきれいに残っているせいもあるねw
157本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/05(木) 13:39:48.72 ID:mEz+Y2Re0
吉野ケ里遺跡の建物跡は、掘立柱建物と言われていて、礎石を使わず直接柱を立てた跡だ
1970年代にここに工場団地を作るにあたって事前調査した結果発見した遺跡であり、逆にいうと
たまたまここを調査するということがなければ永遠に発見されない遺跡だったといえる
158本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/05(木) 20:09:38.33 ID:HywaA23N0
>>153
だから白鳳地震でggれと
土佐の一部なんて海中に沈んだんだぞ?
敷石どころか地面ごとやられとる可能性あるわ

逆に未だ邪馬台国が見つかってないのは、
これが原因じゃないかとすら思ってる
159本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/06(金) 03:18:18.41 ID:CTmEpJ/V0
すでに邪馬台国は見つかってるんだが、
間違った場所を正解だとする人であふれているので
本当が分からなくなってるだけ
160本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/06(金) 03:19:21.74 ID:CTmEpJ/V0
間違った場所を正解だとする人の中に
著名な人が大勢いるから話にならないのだ
161本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/06(金) 13:21:31.67 ID:0CnjRztr0
つーか、なんで吉野ケ里は敷石使わなかったんだ?
それが邪馬台国の文化だとするなら、敷石のある遺跡は全部候補から外れることになるな
162本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/06(金) 14:12:30.83 ID:hdvsmzE90
>>158
確か四国の南端辺りに巨石文明の痕跡があるんだよな
あの辺りが卑弥呼の鬼道とやらの発祥の地で
邪馬台国もその近辺にあったのかもな
163本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/06(金) 20:07:54.75 ID:Y3rheaE10
>>162
そう。それに当時の水銀関係の遺跡が残ってる徳島とか
なーぜーかー日本神話での立ち位置バカ高い淡路島とか
四国の南の太平洋沿岸辺りに邪馬台国があったのなら、
全部説明つく気がすんだよね
164本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/07(土) 20:03:13.77 ID:vrl4bHCp0
そういう気がするというのは、邪馬台国が後のヤマト政権に繋がってるに違いないという思い込みがあるから
記紀史観を根絶させるため、あたかも記紀が誤りである証拠であるかのように邪馬台国を持ち出してきたGHQの思う壺
本当の邪馬台国は、日本全体の4分の1に過ぎないショボい国
165本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/07(土) 20:41:42.78 ID:6Any68Th0
あいやっぱん
166本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/07(土) 21:34:12.16 ID:6Any68Th0
カナンの弓王子
167本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 05:08:27.45 ID:42r0OWuL0
邪馬臺国王権は大和王権に繋がってるでしょ
168本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 05:22:30.50 ID:kIE+xZexI
邪馬台国が北九州にあった説を取るなら繋がってるのは武藤少弐ラインだぞ
確かに庄内あたりは武藤氏の支配地域だったな
169本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 05:23:40.92 ID:pa3vqH3bI
つまりつながるのは大和じゃなくて越の国の方
170本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 05:30:32.95 ID:42r0OWuL0
こねくり回す必要なんかないんだよ
邪馬台国はやまと
171本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 05:34:23.75 ID:kIE+xZexI
無駄だw
172本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 11:16:44.53 ID:lnUZYSX60
古代マケドニアはギリシャ人の国だったが、いまのマケドニアはスラブ人の国
古代エジプトは独自文明の国だったが、イスラム帝国以降のエジプトはアラブ人の国
名前が同じだからといってつながってるとは限らない
173本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 11:35:15.64 ID:lnUZYSX60
つーかそもそも邪馬台国を「やまたいこく」と読むこと自体ステマのようなもの
馬を「ま」と読むのは分かるとして、邪をどうやったら「や」と読むんだよ?
174本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 12:00:52.14 ID:42r0OWuL0
日本書紀で日本のことを「やまと」といっているから
邪馬台がやまとのことだとわかる
175本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 12:02:28.38 ID:42r0OWuL0
しゃまと
じゃまと
というような発音は伝わってない
やまとはやまとだった
176本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 12:19:58.99 ID:5oiGyZFv0
じゃまとあぐに
177本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 12:47:22.43 ID:lnUZYSX60
>>174
それは、「日本書紀はウソツキだから、やまとの国は紀元前から天皇が治めてなんかいない、中国の歴史書にある邪馬台がほんとうのやまとの国だ」という意味?
そういう、初めに結論ありきの説は良くないと思う
178本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 13:06:39.50 ID:42r0OWuL0
邪馬台国がどこかっていう仮説は100を超えているんだよ
みんな結論有りきで自分に都合の良い解釈をする
そうゆうふうに幾通りにも読めてしまうのが倭人伝
179本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/08(日) 19:37:30.14 ID:8Q81Mg8V0
邪馬台国はやまと=日本であっていいと思うけれども、これは魏志倭人伝の当時、
日本の中心がどこにあったのか、という問題。
魏の使いの人は、どこで日本の女王と思われる人物と会ったのか?

大和朝廷東遷説は御都合主義的な説だといわれそうだけれども、説得力はある。
180本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/09(月) 11:33:02.02 ID:ciuqPLy10
>>179
でも客観的に資料を見ると、邪馬台国の30カ国は日本全体のたった4分の1だよ
日本の中心は残りの4分の3のほうじゃないの?
181本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/09(月) 21:12:33.92 ID:Ng0PN10S0
魏志倭人伝当時の呉の文献が残ってれば邪馬台国以外の呉と交流のあった倭人国家が載っていたかもしれない
182本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/09(月) 21:23:11.57 ID:AmB34xps0
素直にタイ王国辺りで探した方が早いかもね
183本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/09(月) 22:01:06.46 ID:n2A6PTH20
卑弥呼の時代って魏は蜀(諸葛亮)・呉(孫権)と覇権争ってる時だよね?
三国志と邪馬台国がイメージ合わなくてついつい失念してしまう

親魏倭王とか金印下賜したりとか結構な待遇受けてるのは
邪馬台国が呉に対する牽制にでもなると思ったんですかね?
184本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/10(火) 12:46:26.82 ID:vD9QpZHi0
よく考えると、日本に伝わってきた漢字音って「呉音」だよな
魏よりもむしろ呉のほうとの付き合いのほうが親密だったはずだ
185本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/10(火) 16:47:47.96 ID:IqcEYVtt0
【ローマ=中島健太郎】安倍首相は6日午前(日本時間6日午後)、
バチカンの法王庁でローマ法王フランシスコと会談した。
首相は法王に対し、鏡面を光に当てるとキリストの影が浮かび上がる、
江戸時代の「隠れキリシタン」たちが使った「魔鏡」を贈呈。
首相から「近く日本を訪問してほしい」と述べたのに対し、
法王は「ぜひ訪ねたい」と応じた。

 日本の首相とカトリック教会トップのローマ法王の会談は、
2009年の麻生首相以来、5年ぶり。

2014年06月06日 22時22分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140606-OYT1T50209.html
186本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/10(火) 16:48:29.99 ID:IqcEYVtt0
★「卑弥呼の鏡」再現…成分まで分析し忠実に
2014年06月09日 17時22分

「卑弥呼の鏡」ともいわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が埼玉県内で
唯一出土している同県東松山市が、復元鏡を作製した。実物から採取した試料の成分を分析し、忠実に再現した。

11日まで市埋蔵文化財センターで公開しており、市の担当者は「1700年以上前の人々が見た輝きを、
ぜひ感じてほしい」と話す。

同市の三角縁神獣鏡は2011年、高坂古墳群から出土し、古墳時代初めの250〜260年頃に
鋳造されたものと判明した。陳氏が作ったと刻まれ、4体の神像と2匹の獣像が描かれているため、
「三角縁陳氏作四神二獣鏡」と名付けられた。文様のある側が裏で、表側は鏡としての役割を果たす。
大和王権と関わりのある人物がこの地域にいたことを示す貴重な史料としても注目される。

復元鏡は通常、鏡の表面の成分を分析して作られるが、同市は12年5月、国立歴史民俗博物館
(千葉県佐倉市)の協力で三角縁神獣鏡の内部から0・05グラムの試料を採取し、より精度が
高い成分分析を行った。その結果、青銅を構成する金属の比率が、銅74%、スズ21%、鉛5%と判明した。

実物の型を取って作った樹脂製のレプリカから鋳型を作り、成分比と同じ比率の金属を流し込んで
復元鏡を作った。出土した実物のように緑青ろくしょうに覆われた緑色ではなく、銀色に近い。
問い合わせは同センター(電話番号はリンク先へ)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140606-OYT1T50240.html

高坂古墳群から出土した三角縁神獣鏡(左)と、銀色の輝きを放つ復元鏡
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20140606/20140606-OYT1I50042-L.jpg
187本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/10(火) 17:34:56.98 ID:vD9QpZHi0
三角縁神獣鏡が「卑弥呼の鏡」と言われるのも単なる憶測なんだけどな
たまたま時代が重なっただけ
アップル社がスマホ作った時期はアンドロイドが作られた時期と重なっているけど、アップル社が作ったのはiPhoneであって、アンドロイドではない
188本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/10(火) 19:36:11.27 ID:3ofsIU9W0
存在しない元号が刻まれてるわ、日本じゃ既に数百枚出土してるのに
中国ではいまだゼロだわ、副葬品としては明らかにそんざいに扱われているわで
常識で考えたら廉価版の国産品という結論にしかならんもんな
「卑弥呼の鏡」うんぬんは憶測というか、もはや畿内説派の妄想でしかない

それはそれとして>>186の復元鏡は綺麗だな
189本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/10(火) 21:35:50.07 ID:vyhmpU0h0
要は模倣品で箔つけるために年号彫ったらその年号は存在しなかったってオチ
190本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/10(火) 21:36:59.18 ID:4IIyvvI90
まともな鏡が出土しないという事実が全てを物語っている
邪馬台国はヤマト政権と敵対しており、その後ヤマト政権に敗れて徹底的に破壊された
だから遺跡も鏡も金印もなにも出土しない
191本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 07:54:20.53 ID:uak7KlWt0
ここはオカルト板だから、まじめな議論するなよ。オカルトアイディアを披露
して下さい。
192本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 09:29:52.96 ID:+Dr4Rpik0
ムー大陸やアトランティスがどこにあったのか検証するようなもんだろ
そもそも信憑性に疑問のある魏志倭人伝を完璧に事実だという前提で読むわけで、オカルトへの接し方としては王道だと思う
193本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 14:25:21.14 ID:OPOSOpZx0
>>191
それこそオカルト的なのも含めて語りつくされてる感のあるネタだから
新しく話を作るのも結構難しいと思うぞ
試しにお前さんもなんか考えてみたらどうだ?
194本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 18:15:37.70 ID:uak7KlWt0
はい、それでは。
卑弥呼で発展した邪馬台国は台与の時代に一段と勢いを増した。なにしろ台与
と日向の鉄器王カムヤマトイワレヒコが結婚しその息子ミマキイリヒコはヤマ
ト連盟構築の北九州大使として近畿に出向いていたところ、一番強い軍備を持
っているため初代の盟主(大王)に推された。これが邪馬台国東遷の実態なの
だ。邪馬台国は現在の天皇家に繋がっているのである。なお、卑弥呼や台与が
中国に使節を送ったことを朝貢と表現するア○ウがいるが、1の贈り物で100
のお返しを分捕ったという、みごとな外交の勝利を収めたと評価すべきである。
195本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 19:01:11.49 ID:tC5sM4zi0
>>192
寧ろムー+アトランティス=日本だからw

ビシュヌ+シヴァ=アイヤッパン
196本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 19:05:13.90 ID:MmSdOnyr0
>>194
これはデタラメ
197本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 20:00:14.36 ID:uak7KlWt0
>>194
オカルト、見事。
198本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 20:13:27.23 ID:2wkP9+Xz0
>>194
イワレヒコ、というか神武東征は銅鐸消滅時期だから卑弥呼より前の時代だよ。
199本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/11(水) 20:18:16.90 ID:SvzLCNVT0
鹿児島本線黒崎駅から南。歩いてほどない市街地に鎮座する岡田神社。
日向より出帆し、宇佐にて宇沙都比古(ウサツヒコ)、宇沙都比売(ウサツヒメ)の饗応を受けた
神武天皇が、次に立ち寄って一年逗留し、祖神を祀ったとされる所縁の古社である。
慶長十年、黒崎城築城の折りに遷座されており、元々の所在の地はここより少し西、皇后崎の地であったと伝わっている。

祭神は当然のごとく、神武天皇・神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト)。
こちらの八所宮に祀られるのは、神日本磐余彦命の祖神たる八所神、即ち高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、
神皇産霊神(カミムスビノカミ)をはじめとする八柱の神々である。
高皇産霊神は天孫・天津日高瓊瓊杵命(アマツヒコニニギノミコト)の祖父神であり、東征伝においては、
天照大神を差し置いて記述されることからも、この神こそが本来の皇祖神であったと考えられる。

しかしながら。
この神社には、もう一つ、別の縁起が残されているのである。

この地域は元々崗県と呼ばれ、熊族と呼ばれる人々の治める地であったと言う。
その熊族の人々が、洞海菊竹ノ浜に「祖先神を祀ったのがはじまり」であり、故にこの地は熊手と号された、と。
現在の北九州市、熊西町近辺である。

神武東征当時の崗県、熊族の地。
神武天皇・イワレヒコは、この地を、たまたま偶然に訪れたのか。
熊族の由緒の地であり、彼らの祖先神が祀られる地に、改めて自らの祖神を奉祀したのか。
そうしたことは、はなはだ考えにくいのではないだろうか。
むしろ、この二つの社伝は、同一の集団による同一の神の奉祀の事実を語っているとしたほうが自然である。
つまり、熊族が奉祀した神こそが八所神であったとしたほうが納得できる。
それは他でもない、おそらく本来の皇祖神なのである。

神武天皇・イワレヒコは、熊族であった。と、思われる。

では、熊族とは何者だったのか。
熊族とは、北九州一円に存在した製鉄業者であったとするのが、普通の解釈なのだが・・・
200本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 09:58:24.56 ID:K13IJ5Gm0
神武東征の経路をみると、当時のヤマト政権が九州の東海岸しか支配してないことがわかる
一方、邪馬台国の比定地は九州の西側から出ない
201本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 18:40:55.30 ID:vYU0wfuJ0
違う。実は神武天皇軍は福岡平野や対馬まで支配したと
各地の伝承があったのだが、記紀では省かれた
神武東征とは都合よく作られてるのだ
202本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 20:56:03.31 ID:YmrrmdWw0
いや、神武東征軍が福岡平野や対馬まで支配してないほうが整合性とれてる
糸島は景行天皇の時代にヤマト政権に服したとされてるから神武の時代は支配してないはず
203本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 21:16:33.48 ID:vYU0wfuJ0
神武東征は、起きてないでしょ。
204本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 21:40:43.53 ID:sXZUXM9J0
この板がオカルトだということが理解できない人達だねー。もっと邪馬台国を
題材にふざける能力は無いの?。
205本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 21:55:47.73 ID:RAiGd5Rq0
邪馬台国=大和朝廷って、卑弥呼=天照大御神のイメージのせいで勘違いされるんだろうね

個人的には神武は足利尊氏とイメージがダブってる
まあ、神武東征は個人の実績では無いのだろうけど
206本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 22:06:30.97 ID:Rv5IKBMi0
ヤマトと言うのは固有の地名だったのか。
ヤマトというのは固有の地名を示しているのではなく、後のミヤコとかと同じく、一般名刺だったんじゃないかと。
邪馬台国当時、日本列島にいくつか有った勢力圏の中心が、それぞれヤマトを称したかも知れない。

倭王武・雄略天皇は、葛城山中で自分とそっくりな姿をした一言主と遭遇している。
ヤマトと称する資格をめぐる争いみたいなものがあったかも知れない。
207本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/12(木) 22:08:40.35 ID:Q5OlDMfaO
>>196
ヒメコさんは処女だ
処女に決まってる
でないと、生涯童貞を誓って邪馬台国を探す俺の人生はどーなる?
208本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 00:18:51.53 ID:eFF5IEOE0
親魏倭王の印はまだ出て来んかね?
209本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 09:26:37.77 ID:Yt5/GcjT0
>>203
オカルト板的には、あったものとして真面目に立証すべきだと思うよ
210本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 12:11:50.63 ID:6id83Rav0
昔から中国では日本のことを扶桑国と呼ぶが、
その「扶桑」について、『山海経』によると、東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇るという。
その黒歯国の位置については『山海経』には記載がないが、魏志倭人伝に記載がある。

去女王四千餘里又有裸國黒齒國(女王国から4000余里に裸国と黒歯国がある)

逆算すると、邪馬台国は日本の北西4000里の地点だということ
釜山から対馬、対馬から壱岐までがそれぞれ1000里だから、4000里というと、釜山から壱岐までの距離(約150km)の倍になる
当時の日本の首都を奈良の橿原宮だとすると、そこから300km北西にあるのは隠岐諸島から出雲あたりの範囲
つまり、邪馬台国は出雲だということになる

ただ、この説の難点は、不弥国から南、南へと行ってどうやって出雲にたどり着くかという点
もしかしたら古代、地殻変動があって、それ以前は本州は九州の南にあったのかもしれない
211本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 19:42:42.66 ID:v3Zp7PWb0
巨木の北西300kmということなら、その樹の位置が分かれば邪馬台国の位置も分かるはず。
ググってみる。

九州ではまず、筑後国風土記と景行天皇紀にある三毛郡の栴檀、もしくはクヌギ。
三毛郡は、現在の福岡県大牟田市およびみやま市の一部。
高さは970丈。3000mくらい?
朝日の影は肥前国藤津郡の多良の峰を覆い、夕日の影は肥後国山鹿郡の荒爪の山をおおった。
もう一本、同じ樹かも知れないが、豊後国風土記で玖珠郡の名前の由来となったクスノキ。
これは多分、大分県玖珠町の伐株山に生えていたのかも知れない。

播磨国風土記で難波高津宮の井の上に生えていたと言うクスノキ。仁徳天皇の頃だろうか。
朝日には淡路島に影を落とし、夕日には大倭島根を影にした。
高津宮は大阪城築城の時に移されたというから、これは多分、上町台地?
神武天皇が通った、浪速の瀬を見下ろす岬の上だったかも知れない。

それから房総半島、上総と下総の境に巨木が生えていたとの伝承もあるとか。
他にもまだ有るのかも知れない。
212本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 19:51:15.31 ID:eFF5IEOE0
>>203
東方神起なら知ってるが。
213本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 20:01:39.06 ID:jBpuPji6O
↑バカじゃねーの
214本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 20:11:11.26 ID:X9YoqDs00
黒歯国はカカオとかコーラとか齧ってた奴等なんじゃなかろうかなー?と?
215本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 20:14:37.33 ID:Wj2f3qMC0
ふつうに考えて、お歯黒のことだろ
216本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 21:00:02.99 ID:nNU7/PsC0
>>207
邪馬台国オカルト大賞に決定しました。おめでとうございます。
217本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 21:41:27.14 ID:mmPGqPfs0
もう仕事をヤメたいから邪馬台国になったのが定説です
218本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/13(金) 23:46:00.31 ID:X9YoqDs00
>>215
なんの為のお歯黒ってのが微妙だから自然発生面からかんがれまつた
219本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/14(土) 06:24:09.42 ID:j2eKW1HR0
邪馬台国は韓国起源。
220本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/14(土) 20:02:09.52 ID:erSCPYHw0
いや、むしろ台湾起源
韓国起源なら邪馬韓国になる
221本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/14(土) 23:29:48.97 ID:j2eKW1HR0
>>220
そっちの方がむしろオカルチックだな。
222本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/16(月) 17:20:51.23 ID:L8dLqznf0
狗邪韓国は韓国起源
対海国は海起源
一支国は支那起源
末盧国はロシア起源
伊都国はイタリア起源
奴国は奴隷王朝起源
不弥国は阿弥陀仏起源
投馬国はマレーシア起源
邪馬台国は台湾起源
223本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/16(月) 17:46:31.50 ID:CztBc2OW0
>狗邪韓国は韓国起源
韓ってアメリカ起源じゃねーの?
224本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/16(月) 22:58:10.62 ID:bEbOkf7L0
犬食い文化圏?
225本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/17(火) 10:51:44.38 ID:otAilHR30
羊頭狗肉
226本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/17(火) 11:52:50.08 ID:tAERSW6xO
縄文時代の犬は大切に飼われていた形跡があるが、弥生時代の犬は喰われてたとか
さすがは弥生人
227本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/17(火) 12:48:44.33 ID:wuMvLiV10
卑弥呼の鬼道として、五斗米道みたいな道教系を想像してみる。
だとすれば、邪馬台国は渡来人の国だったということになるけど、やっぱりイメージが違う。

いや、むしろ日本列島に残っていた縄文以来の呪術が、大陸の道教に影響を与えた可能性も・・・
228本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/17(火) 12:52:38.68 ID:wuMvLiV10
>>226
弥生人は犬はちゃんと埋葬していたらしいけど・・・あれは食べ残しか?
229本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/17(火) 22:49:09.95 ID:e+YqdIo80
卑弥呼の鬼道は道教ではない。旧約聖書に出てくるような預言者だった。彼女
の予言が次々と当たるので諸国の王たちは恐れた。なぜならお前の国は近々に
他国に攻められ滅ぶぞと予言され、その予言の当たる確立が高いとすれば、死
刑を宣告されるのと同じだったろう。だから王たちは彼女を共立したのだ。
230本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 09:21:43.03 ID:fIVtAJRp0
なるほど、だとすると邪馬台国はヤマト政権とは完全に別物だね
231本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 14:34:26.81 ID:2wgZfv3k0
>>230
位置的な問題だけで関係性は普通
232本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 17:23:34.68 ID:5lkmrgwZ0
位置的な要素を言うなら石山本願寺と豊臣秀吉政権とは同じ政権だって話になるな
233本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 17:31:36.72 ID:Lq828fbC0
卑弥呼率いる邪馬台国はカルト教団の起こした国
周辺諸国に教団員を侵入させて内部から侵食して各国を乗っ取り、取り込んで拡大していった
234本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 18:06:03.09 ID:pfdalVKJ0
邪馬台国=大和政権だったとするなら、卑弥呼の鬼道は神道につながっているはず。
その場合、卑弥呼の宮殿は遺跡にはならないで、今でも神社として残っているのでは。
社伝とかにも残ってそう。

伊勢神宮が2000年?
出雲大社はさらに古いわけで、魏志倭人伝の当時にはすでにあったのだから。
235本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 19:07:14.50 ID:P8tbgHz10
あまり知られていないそうですが、伊勢神宮はその前にあった是世神社を
改造して造られたと言います。
その神社は伊勢神宮に改造される前約4000年前からあったようです。
236本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 19:11:55.09 ID:8Hogeapz0
【悲報】無料通話アプリLINEの全データが韓国国家情報院によって傍受、保管されてることが判明
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1403084752/
237本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/18(水) 23:49:07.79 ID:FfffA/EF0
>>235
それは嘘やわ。あり得へんわ。
238本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 00:31:52.69 ID:4bh3XedE0
>>236
おいまぢかぇ
239本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 01:44:29.49 ID:5P0W53zr0
卑弥呼は南方系
フェニキア人系の女神信仰で、インドネシアなんかの東南アジアから広がってきた
沖縄、九州一円に勢力を持っていたグループで
徳島、奈良にも勢力基盤があって、船で行き来していた
平氏、南朝、現在の天皇家
トヨは伽耶系のグループ
初期は丹後周辺に勢力を持っていた
伊勢神宮を信奉する
240本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 01:51:04.50 ID:5+uz5TaH0
>239
そう思ってるんだけど鬼道がひっかかるんだよな
南方系なら英雄道なり巨人道になるんじゃねーのかと
241本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 02:06:56.17 ID:hLyAM9hs0
> 英雄道なり巨人道

どういうこと? 詳細求む
242本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 02:17:15.96 ID:5+uz5TaH0
鬼がギガースで南はティターン

また南はヴィシュヌであって=オリオン=ティターン的な扱いになる
243本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 02:28:50.65 ID:5+uz5TaH0
あ、若しかすると丑寅扱いにして解決するのか???

それならば、鬼がそのまま扶桑扱いできる
244本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 02:37:50.00 ID:5+uz5TaH0
鬼道=マヤ=シヴァがそのまま当て嵌まるな解決ではあるw

南の牽牛丑+ヘカトンケイル(百足であり寅)
245本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/19(木) 06:47:32.30 ID:0+77XoLR0
いいぞ、いいぞ。オカルトらしくなってきたな。
246本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/20(金) 20:04:28.24 ID:Ctkq1zpA0
山鹿市のチブサン古墳の壁画とか、南方ぽい気がする。
http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/tok2-index/10Gasuka/hekigakohun/clip_image004.jpg

三本角の人(シャーマン?あるいは信仰対象?)とか。
247本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/22(日) 00:37:49.71 ID:HSfn/bHS0
チブサン古墳の模様と隼人の盾の模様って似てるよね?
何か関連あるの?

邪馬台国への招待状その3 隼人の盾とイモガイと
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53367155.html
248本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/22(日) 08:56:54.17 ID:C3tRBrQr0
蕨手紋かも
249本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/22(日) 22:54:42.60 ID:mXUtylB40
蕨手紋て蕨手刀とは関係ないのかな
蕨手刀なら東北地方、蝦夷の武器なイメージだけど・・・縄文圏伝統の呪術紋だったとか
250本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/22(日) 23:52:53.27 ID:T7NLdX5N0
251本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/23(月) 23:51:38.62 ID:zAuLyRqa0
山鹿と言えば熊本だから、古代は鹿児島・熊本の隼人勢力圏と、
築紫(末代は磐井か?)の勢力が争っていたという事かの?
252本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/24(火) 00:35:47.79 ID:cz2VY5u80
隼人=狗奴国
それ以外の平野部=邪馬台国連合
みたいな気はするのでチブサン古墳は狗奴国かその後継勢力の遺跡なのかも
253本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/24(火) 05:48:56.70 ID:7yd4cpQ20
継体って武烈の世継ぎがいなくて天皇になったんじゃなくて
磐井を倒したから天皇になったんだ
254本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/24(火) 08:33:25.61 ID:q/OqBJAw0
ということは、邪馬台国はさておいても、日本の皇統の本筋は磐井だったということかの?
255本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/24(火) 13:45:53.30 ID:05RfbS5d0
いや、「磐井を倒したから」というのは、敵討伐の手柄を立てたからという意味じゃね?
継体帝は即位19年後の526年になって、ようやく大和(当時は大倭)に都を定めることができたことになっているけど
その間、磐井を討伐していて、ほぼ制圧に成功した手柄でようやく、大和の人たちに認められて、都を置くことができたと

いわゆる磐井の乱というのは、継体帝が大和に都を移した2年後に起きている
それまで19年間続いていた継体帝の攻撃がなくなって、瀕死の磐井が新羅の援助を受けて立ち直ろうとしたと考えれば、
当時の日本が国内の混乱をさておいてでも、朝鮮に出兵する必然性があったことをうまく説明できる
256本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/25(水) 00:42:17.42 ID:IXcnuIUW0
という事は、現皇室の皇統は継体からはじまったと考えてもよいのかの?
257本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/25(水) 09:25:05.56 ID:UCS3czrL0
>>249
蕨手刀というのは北海道、東北から四国、九州まで出てんだね。
蝦夷・アイヌ=縄文系と古代ポリネシアの海洋民族は鯨面やら土器土偶なんかの共通点もあるんだっけか。

チプサン古墳の壁画も南洋ぽいし蕨手刀のルーツみたいのがポリネシア辺りにあるかも…って画像検索してるんだけどね。
258本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/25(水) 09:25:25.43 ID:i8H4Qv+90
いや、複数の傍流のうちどこが継ぐかの争いだろ
259本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/25(水) 20:55:27.28 ID:IXcnuIUW0
>>258
そういう事かの?
260本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/26(木) 20:37:25.61 ID:eWKpf8EX0
一応、蕨手刀も貼っておこう
http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-bunka/img/juho_kouko_image1_33.jpg

弘前市・熊野奥照神社所蔵
261本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/06/26(木) 20:44:58.58 ID:sSVCSdc00
蕨手刀は5世紀頃でしょ
262本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/07/01(火) 01:32:13.93 ID:435SxNct0
今でも深夜になると吉野ヶ里からは大量の赤い玉が放出されている事実を忘れるな。
263本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/07/09(水) 16:53:30.41 ID:/nUW4hCJ0
オカルトというよりも、安っぽい三文小説ばかりだな
ノストラダムスにしろムー大陸にしろ、オカルトというものはもっと緻密な事実認定をすることで、突拍子もない結論に現実味をもたせるものだ
264本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/07/13(日) 20:00:47.10 ID:rHdI6vNj0
という事で、邪馬台国は九州です。
265本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2014/07/13(日) 20:07:48.35 ID:oY/q6T5E0
そうです
そうなんです
まさにそのとおり
そうです
それが答えだ
266本当にあった怖い名無し@転載は禁止
スマトラじゃねーのか?