自由と平等をの概念を突き詰めていくと、どっちも両立できない矛盾した概念である以上、
公共性を基軸にして折衷点にしただけだろう。
個人の自由を突き詰めれば、他の誰かの個人の自由とぶつかる。そして平等でははない状態が産まれる。
対立し、矛盾する概念をより摩擦の少ない形にするためには、個人の自由にはある一定の制限をかけなければならない。
どこかの誰かが考えている自由なんてものは、この世にはないんだよ。
それを行使しようとするなら、その結果ワリを食った奴から殺されても、文句はいえない。
そういうことだし、そういう事態をあらかじめ会費するためには、何らかの手段を講じなければならない。
殺し合いをしたいなら、止めねーけどな。