[緊急事態]月讀命ネットワーク kagari 8

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107本当にあった怖い名無し
人類の大多数がエル・ランティ、もしくはエホバを崇拝すれば、
人類は地上でその支配下にある宗教色(政治色)に染まっていきます。
またアメリカに代表されるプレアデス派閥を選択するのなら、
人類は選民主義と金権政治、格差社会という時代を迎えるのです。
JUMUが怠慢なのは、人類が怠慢だからなのです。
そして人類が怠慢なのは、JUMUが怠慢でもあるからです。

このコインの裏表のような関係性を脱するのはどうすればいいのかをよくお考えください。

2011/10/29 No.1454
http://www.mandarake.co.jp/publish/space/
108本当にあった怖い名無し:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:y6Igtc2w0
エホバやエル・ランティたちがほしがる従順さは「素直」ではなく、
最近下のBBSでも出てきましたが「忍従」というものを求めています。
それは「盲目的な従順」というもので、五井先生がお好きな「素直」とはまったく異なるものです。

2009/4/27 No.766
109本当にあった怖い名無し:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:y6Igtc2w0
人類の祈りのエネルギーは最終的にはエル・ランティたちに行くようになっています。
イスラム教やキリスト教、仏教の背後にはエル・ランティたちが待ち構えているのです。
この構図は時代を重ねて徐々に作り上げられていったシステムで「信じるというエネルギーのシステム」
をうまく利用して自分のところにエネルギーが回ってくるようにしているのです。
(略)
でも人類は仏陀やイエスにその祈りを捧げているのではないでしょうか。
その通りなのですが仏陀やイエスは必要がないのでそのエネルギーは受け取りません。
だがエル・ランティやエホバにはどうしても必要なエネルギーなのです。


エル・ランティたちが受け取れる祈り
「個人的な願い事」
「魂・肉体の生存にかかわる祈り」

受け取れない祈り
「感謝」
「自分以外への祈り」

「宇宙全史1」485-486頁
110本当にあった怖い名無し:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:y6Igtc2w0
二元性を超えてもなお地球霊界にとどまっておられる五井先生の事情からお話いたします。
仏陀もそうなのですが、二元性を越えたにもかかわらず地球衆生のためこの地球霊域にとどまっておられる方たちがおられます。
彼らは何をするでもなく(人類に干渉はしません)、ただ見守っているという形をとっておられます。
ただ私が問いかけると答えられる範囲でお答えがいただけます。
それがなぜ可能なのかはまだわかっておりません。
とっくにこの世界をおさらばしてしまったような、二サルガダッタやドン・ファンでさえも、
問いかけに答えてくれます。
なぜでしょうか?
(中略)
祈りと申しますのは、大きく分けて「自我に戻ってくる」祈りと、「自我に戻ってこない」祈りがあります。
「自我に戻ってくる」祈りとは、欲望から発せられた祈りで「何かがほしい」「何かを実現してほしい」
というご自分に何かを与えてほしいという祈りです。
「自我に戻ってこない」祈りとは、いわば感謝の祈りです。
たとえば「今日も一日無事でした、ありがとうございました」とかです。
それでは「世界人類が平和でありますように」はどうなのでしょうか。
これも何かほしい・・・平和がほしいという欲望の祈りなのでしょうか。
そうなのです・・・しかし欲望にもレベルがあるのです。
欲望と申しますのはある意味「愛」なのです。
「愛」と申しますのは、様々な形、様々なレベルがありまして、物質レベルの「愛」が「欲望」なのです。
しかし「世界平和を願う」という欲望はとても物質レベルということはなく、
もっと高いレベルのいわば「希望」に近いような「愛」なのです。

考えてみますと人間にとって祈りは単純な作業ではありますが、使い方によってはものすごく効果のあるいわば「メソッド」なのです。

実は五井先生の祈りには肉体と魂魄(こんぱく)の間を調整する強い特別な力があるのですが、ここでは省略しておきます。

仏陀も五井先生も向こうから人類を見守っておられる姿は、非常に尊いものがあります。
何をするでもないのですが(干渉しない)、その見守るというお姿が究極の「祈り」なのです。

2007/12/30 No.24