232 :
本当にあった怖い名無し:
戦争になるとはいっておりません(そもそも戦争するような度胸が今の日本にはありません)。
ただなしくずし的に侵略されていくだろうということです。
なしくずしとは、知らない間に気が付いたらいつの間にか中国の支配下にあった・・・というようなことです。
それは力的(軍事力ですね)にもそうですが、経済的、文化的にもそういう形に持って行かれる
おそれが大いにあるということです。
いじめの問題が今話題になっていますが、あれと同じ構造です。
いじめられる人はいじめる人と同じ境遇なのです。
いじめられる人はいじめる人がいないと気が付かないことがあります。
そのためにいじめられているのですが、通常は「いじめはいけないこと」という
一般論で何とかしようとしていますので、どうにもならないのです。
まずはいじめられている人が気が付かなければならない問題なのです。
何か嫌なことをされて、そのまま何も反論せずにいれば(ちょうど今の日本のようなものです)
相手はよけいにかさにかかっていじめてくるようになっているのです。
その「相手がさらにいじめてくる」ようにさせている「いじめられている人」もいじめる人同様に
「修正」が必要な段階なのですが、それが是正されないまま、自分の内にこもってしまい、
最悪自殺という局面を迎えてしまうのです。
死ぬことはそれほど問題ではないのですが、それで問題を解決しようという根性が違うのです。
(つづく)
233 :
本当にあった怖い名無し:2012/12/12(水) 21:42:49.33 ID:SMhgr3sq0
どうせ死ぬのならせめていじめの相手と刺し違えるだけの覚悟がそこに求められているのですが、
それは中々難しいかもしれません。
その覚悟がすでにあるのなら、そこまでいじめられることはなかったでしょう。
(この宇宙といいますか、人類にはいじめる人が多数を占めています。
その中において先ほどもいいましたが、いじめられる人に気付きが求められてはいるのですが、
いじめる人という幼い段階の人たちにも同じくもう少し大人になるという気づきが求められてもいるのです。
それが学びということであり、学びの場である地球での修行なのです)
日本がここまで周辺諸国から(現在はほぼ全世界からですが)バカにされているのは、
はっきりした覚悟(戦略)を持たずに、弱肉強食の世界の中で、中途半端な国防意識しかなく、
島国という地理的環境の優位さの中で平和ボケしてきていたからでした。
それがここまでもったのは、アメリカの力の傘下にいたということと、経済力(経済人たち)のおかげなのです。
その二つが衰えつつある今、日本を守るものは次第に薄くなって来ています。
「消えていく姿で祈る」というのは、何事もせずして成り行きに任せるということではなく、
やるべき勤めを全力で果して、あとは天命を待つという心境をいうのです(これもすでに何回か書いておいたはずですが・・・)。
日本ですと、きちんとした一本筋の通った「いうべきこと」「主張すべきこと」をはっきりと国内外に明示し、
それに沿った戦略を「国防」「経済」「文化」の面で、国が展開していかねばならないことなのです。
そのうえで「相手国の天命を祈る」「世界平和を祈る」ということが生きてくるのです。
五井先生御自身ならただ祈られるだけでいいのですが、私たちの段階では
「やるべきことを全力で行う」という前提が必要になっているのです。
例えば世界平和の祈りを祈る前に、家庭の平和はどうなっているのか、夫との関係はどうなっているのか、
自分自身は安らかに過ごせているのか・・・そこがまず問われているのです。
(つづく)
234 :
本当にあった怖い名無し:2012/12/12(水) 21:44:01.27 ID:SMhgr3sq0
やがて左で明かされていきますが、くどいようですが私たちは弱肉強食の世界に生息する生き物です。
それを選択し、あるいはそこにしかいられない存在なのです。
その世界では、食う方も食われる方も同じ価値なのです。
どちらが悪い、どちらが正しいということもなく、あえていうのなら「どちらもお互いが必要だから存在している」のです。
現状の尖閣諸島の問題は、今後の人類の展望の縮図のようなものです。
お互いがどこまで大人の対応ができるか、
@日本が毅然とした態度で「日本古来の領土」と主張できるかという大人の対応
A中国や韓国は、ごり押しという幼い外交を顧みるという大人の対応
これらが今求められているものなのですが・・・
世界中どこでも昔から行われている行為ですが、いい加減反省しろよというところでしょうか。
月読の大神「くだらないことをやっている場合じゃないんだけどね」
2012/9/12 No.1604
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