怖い話とか霊とか呪いとか。
逆にお前らがどう考えてるのか知りたいわ
2 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 16:00:39.14 ID:DF92WXUdO
南無阿弥陀仏?南無妙法蓮華経?どっちよ
話はそれからだ
3 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 16:04:08.52 ID:LqAuVNdB0
権添簿委沿外損盆
4 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 17:17:31.19 ID:+cjYGZD20
スレ主じゃ無いけど、俺の題目は
「日面仏、月面仏」だ
5 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 18:21:09.95 ID:99tgORSa0
スレ主です。俺自体は南無阿弥陀仏の方の僧侶だが、一般仏教僧侶として答えたい。
あきりな
7 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 18:25:49.12 ID:99tgORSa0
あ、一般仏教っていっても仏教全体の思想ってことね
人に問う前にお前が答えろよ
霊現象に対しての浄土宗僧侶の解釈って奴をさ
9 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 18:29:06.71 ID:99tgORSa0
8、
浄土宗ではないが、浄土宗的に言うと霊は存在しないな。
10 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 18:29:51.27 ID:5/yo8IFg0
僧侶殿の実体験をお聞き願いたい
11 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 18:31:53.32 ID:99tgORSa0
10、
霊感?みたいなのは全くないな、そんな経験もまだしたことない
12 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 18:32:58.68 ID:5/yo8IFg0
>>8 言っちゃってよろしいのか!!
じゃあ、浄土って何よ。天国じゃなければ、霊体は、どうなるわけ
13 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 18:35:17.84 ID:99tgORSa0
12、
浄土には肉体を離れた霊が往くものではないんだ。
浄土に往生するってきいたことあるかな、浄土には生まれるものなんだ。
何のためにこんなスレ立てた?
極楽浄土を説くのは念仏唱える連中だろ?
一般仏教なんてヘンテコな看板掲げるなよ。
心霊とか言う坊主なんか信用ならんわ。
15 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 19:00:33.08 ID:99tgORSa0
14、
14は、なにかオカルトに興味があってこの板観てるんだろ?
俺も怖い話とか好きだからよく来るんだが、ふとお前らがどういう気持ちでこういう怖い話を観てんのか気になってな。
あと、浄土教全体が一般仏教でないなら、なにが一般仏教なのか教えてほしいわwww
16 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 19:04:14.35 ID:drcyGcNZ0
単発糞スレ立てんな死ね
>>9 輪廻転生で浄土道があるみたいな考えか
だから一般的僧侶として質問したい訳だな
個人的には幽霊は脳みそが作り出す幻だと思ってる
ただし、五感から得られる全ての情報を無意識に統合した「精度の高い幻」だと思う
犯罪捜査とかで顕著だけどある場所で起こった物事を推測する場合
壁の傷とか染みついた匂いとか多くのミクロな要素が案外残ってるもので
普段意識してないけど人間てそういう要素から多くの情報を取り込んで
無意識に統合してるんじゃないかと思う。
だいたいは忘却されちゃうけど、なんかの琴線に引っかかったときだけ
それが直観とか虫の知らせとかさっき言った幻として出てくるんじゃないかと思う
あと
>>1はちゃんとアンカー付けろ、怪しいぞ
18 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 19:15:45.40 ID:99tgORSa0
>>17 すまそ、
ほほう、「精度の高い幻」ね、おもしろいな。
俺も幽霊がいるとしたら、「幻」か「人間に知覚できない生物」だと考えてる。
19 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 20:12:34.05 ID:5/yo8IFg0
法師様には、師というものがおりますかね。
日頃何を説かれているのでしょう
20 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 20:28:58.46 ID:99tgORSa0
>>19 一休さんの寺があるんだけど、そこでは禅の修行してて、そこの修行者は師に次々に課題を出されるらしいぞ。
師:「父、母がいるな。では、お前はなんだ?」
修行者:「???」
みたいな。
お坊さまがいらっしゃる。
ちょっとお聞きしてよろしいでしょうか。
お寺さんに手水舎があるのは何故でしょう?
神社は、神さまに我々の穢れを遷さないよう、身を漱ぐ事が
その趣旨ですが、仏教に穢れの思想は無いと思います。
ただ真似ただけですか?
それとも何らかの意味があるのでしょうか。
お答えいただけると幸いです。
>>20 >師:「父、母がいるな。では、お前はなんだ?」
>修行者:「???」
>みたいな。
公案って言うんだよ。「父母未生以前の本来の面目」というのが正確な表現なんだけど
現実存在というのは因と縁によって成り立っていて、その本質は「無」であるという話さ。
あれだよ。「千と千尋の神隠し」のテーマと一緒だ。
最後の方で千が多くの豚の中から、本当の両親を見つける様に命じられるだろ?
しかし、色々な経験を積んだ千には偉大な直感が働くんだ。
「この中に私の両親はいないわ!!」
子供は親を選べない。
親も子供を選べない。
それらを許そう。過去を許そう。現実を許そう。運命を許そう。
そして自分自身を許そう。
ちなみに、この公案はカート・ボネガットや村上春樹にも影響を与えているね。
夏目漱石が円覚寺に参禅した時に与えられた公案でもあった。
漱石は結局、何も悟れず、その後「門」という小説を書いて
全てを許した。
23 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 20:44:50.51 ID:99tgORSa0
>>21 日本はもともと神道。日本仏教は神道と仏教が習合したときお寺に手水を取込んだのだと思われる。
まあ、仏教に穢れの思想がないとは言い切れない。特に日本仏教は神道との習合で穢れの思想も取込んだとも考えられるねえ。
>>23 お答えいただき、ありがとうございます。
やっぱり神仏習合の名残ですか。
ある事が悪いとか言っている訳ではないのです、やはり仏さまに
お会いする時も身ぎれいにして行きたいと思っていますので。
それと、大阪の愛染堂勝鬘院さんでは、6月の晦日に水無月の大祓を
行い、四天王寺さんから上人さまが多数お見えになりますので、
そう云うのも素敵だなと思うのです。
良き仏縁をありがとうございました。
25 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 20:56:11.07 ID:99tgORSa0
ほかにもいろいろ公案(禅問答)あるから、
>>19は調べてみるのもおもしろいかもな。
禅以外にも、師は基本的にいる、その師が何を説くかと言えば、その宗派の教義かな。
縁起とか真諦俗諦とか仏教の基本思想とか教えてくれるんじゃないかな。
26 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 22:33:17.64 ID:Xoq0yl5vO
>>1 @女性は生理の時はお寺に行っちゃだめなの?
A人間に一番近い神仏はどなた?
Bお札にはどんな効果があるの?
C一番苦しい修行はなに?
Dお参りにくる客で嫌いなタイプは?逆に好きなタイプは?
E仏様との縁のある人がわかったりする?
27 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 22:52:39.60 ID:99tgORSa0
>>26 @そんなはずはない。どこ情報?
Aもと人間の閻魔大王とかじゃないか?人間には結構優しいらしいよ。
Bそれに込められた神仏の利益があるらしいが、
俺の宗派はお札やらはいっさいやらんからわからん。
28 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 22:55:14.45 ID:99tgORSa0
>>26 C千日回峰行だろうな、俺は比叡山延暦寺じゃないからやってないけど
D嫌なタイプはいない。好きなのは熱心な人かな。
E皆さんありますよ。
29 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 22:57:16.85 ID:99tgORSa0
あ、Cは日本の場合ね。
チベットとか比じゃないから。
盆と盆踊りと墓の習慣の本当の元ネタってなに?
31 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 23:25:14.01 ID:99tgORSa0
>>30 墓は釈尊の骨を分骨してそこに塔を建てた仏塔(ストゥーパ)が元だろうな。
お盆の習慣は神仏習合の結果だろうね、精霊や先祖の供養なんていかにもだな
32 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/28(土) 23:31:34.49 ID:99tgORSa0
もちょい詳しく言えばお盆は中国発祥とされていて盂蘭盆経って経典がもとな儀だな。
盂蘭盆経は釈尊が説いたんじゃなく中国でつくられたから、経ではないんだけどね
リンガが元って話が聞きたかったw
盆は移住の話が聞きたかった
34 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 01:25:39.38 ID:3mkRggod0
柔道惜しかった
35 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 01:36:28.73 ID:ViOuBMjBO
ほっとけ
36 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 03:26:01.51 ID:KDvJtQwq0
悟りを開くってどういうことですか
曹洞宗の坊さんはにちゃんにはいないんか
少し聞きたいことがあるんだが
神社仏閣板に行った方がいいかな
38 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 08:24:46.71 ID:3mkRggod0
>>36 輪廻転生って思想があって、
私たちは六道(天 人 修羅 餓鬼 畜生 地獄)を輪廻(生まれ死ぬことを繰り返す)してるって考え方。
これら六道はみんな迷いの世界だと考えられている。
その迷いの世界から抜け出すことを解脱って言うんだけど、
それが悟りを開くってこと。
39 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 08:27:20.31 ID:3mkRggod0
>>37 曹洞宗の作法はわからんが、禅についてなら少しならわかるぞ。
>>38 悟りって具体的にどういう思想なの?
デカルトの「我思うゆえに我あり」はある意味悟りだと思うけど、彼は仏教ではどう位置づけられているの?完全無視なの?
41 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 10:46:22.35 ID:d7/sFrMqO
悟りが具体的に説明できるんならそいつはもう輪廻から解脱してんじゃね?
我思う故に我ありは唯識じゃないか?
唯物、唯識、空性、
禅宗の哲学は厨二で面白いぞ
42 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 10:52:57.58 ID:3mkRggod0
>>40 デカルトね、「神の存在証明」は絶対的なもの究極的なものを証明する点においては確かになっとくするが、
仏教ではすべてを縁起で考えるから、デカルトの言っていることは、否定できる。
43 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 10:59:57.22 ID:3mkRggod0
>>41 具体的には説明できないよ。
悟りは真如と言い換えることができるんだが、俗人である我々がいくら言葉で相対的に表そうとしても、
絶対的な真如は表すことができない。
悟りがどういうものか表すためにお経があるんだけど、
釈尊でさえも悟りがどういうものかは、方便によってしか示すことができていない。
あのさ、警策って、木刀でやったらマジ只管だと思うのよ。
真剣試合って、そういうことだと思うのよ。
エクストリーム禅定とか、ガチヤバニルバーナだぜ。
ただし、助警は寸止め自在な居合の達人限定な。
つか、剣禅一如などという言葉があるぐらいだからな。
だが、
ガチヤバニルバーナは自己責任だぞ。
悟りとは既存の言葉の一言で言って天狗道の事
常識と言う名などの地上の法、礼、に囚われず世の中を俯瞰できる
生命の流れを転生の大台で思想できるようになる
古代には一般に布教されてたらしいが悟ってからじゃないと実感出来ないため
廃れていったと思われる
天道説も悟ったものの実感を顕した事と思われる
あ〜署名忘れてたなw
48 :
井上明菜:2012/07/29(日) 15:49:43.26 ID:Tl32U6hE0
49 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 16:36:56.63 ID:3mkRggod0
>>46 それはどうだろうな。
縁覚声聞の悟りを言っているのかもしれないな。
>>49 と、言うか仏教じゃ悟りを認めちゃ拙いとか言うことになってそうだよなw
古代の宗教を押し退けた辺りを正当化するためなのか知らないけどww
51 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/29(日) 21:01:43.44 ID:3mkRggod0
ある日の出来事
チベット僧「なあ、お前今までに生き物何匹殺してしまった?」
俺「んー。そうだな•••。(考え込む)わからない。」
チベット僧「そうなのか、わからないのか。俺なんて今までに5匹も殺してしまったんだ。」
俺「そうか。(五匹って!!俺ついさっき腕に止まった蚊たたき殺したよ!!)」
仏教徒って何さ?
何を以て自身を仏教徒と自認しているん?
なんでこんなスレ立てたん?
54 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 02:32:11.72 ID:djERMefa0
>>52 仏教を信仰してる人
仏教を信仰してるから
上のほうに書いた
ブッディは種類が多すぎてコンフュージョンだよね
大杉てわけわかんねーから、どの流派が最強なのか決めといて
犬作がハバ効かせてる時点で仏教徒とか一ミリも存在価値ないから。偉そうにすんじゃねえよヘタレ産廃ハゲ。ぶち
57 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 02:45:05.63 ID:FUtdJIoP0
>>56 偽物が調子に乗ってるから全部ダメみたいな屁理屈が通用すると思っちゃったの?
中卒なの?高卒なの?
58 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 04:01:04.34 ID:73jikxPK0
世界三大荒行は、
@比叡山の千日回峰行
A日蓮宗の大荒行
Bインド苦行僧のヨガ
と云われているそうですね。
@とAは知ってるけど、Bはどのようなものなんでしょうか?
59 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 04:28:12.23 ID:djERMefa0
>>58 苦行は人間が苦しいと思えることをひたすらやって、肉体的な限界を目指すことです。
例えば、右手をあげ続けるとか、太陽をずっと見るとか、
それこそ、ヨガの元になったものだから、あるポーズをずっと維持し続けるとかね。
>>59 早速のご回答有り難うございます。
なるほど、インド苦行僧のヨガというのは、ヨガの元になった本格的なものなのですね。
しかし、太陽をずっと見るなんて失明したりしないのでしょうか? (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
61 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 04:41:49.72 ID:djERMefa0
>>60 現場は見たことなく、私も知り合いの開教師(海外で布教する僧)に聞いた話なので断定はできませんが、
普通に考えて、失明はするでしょうね。
苦行は自らやるとこまでやるので、終わりがありません。
それこそ死ぬか悟るかです。恐ろしいですね。
>>61 >それこそ死ぬか悟るかです。恐ろしいですね。
そういえば、日蓮宗の大荒行も昔は死者が普通に出たらしいですね。
今は死にそうになったら、ドクターストップで退場させるようになったそうですが。
比叡山の回峰行も、途中で歩けなくなったら僧侶を辞めるか首を吊って死ななければならないとか・・・
苦行の精神は、「近代文明」の価値観が染み付いた現代人にはとても理解し難いことですが、
「道を求める」ということは、本来は恐ろしく厳しいことなんでしょうね。
63 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 05:21:59.63 ID:djERMefa0
>>62 そうですね、
私は僧侶ですが、僧侶はただの職業ではないと思うのです。
僧侶とは求道する生き方だと思っています。
「道を求める」そのやり方は様々ですが、
その方法の実践こそ仏教であり、生き方だと考えています。
苦行やら荒行やら言ってるけどさ
仏陀(ゴータマ・シッダールタ)は
「難行苦行なんて全然意味ねーじゃん! 止めた止めた」
と言った途端に悟るんだよな。
多神教なんておかしくない?
アラーだけが唯一神なのに
>>64 でも、仏陀がその境地に至るまでには、想像を絶する苦行を行っていたわけで。
苦行を極めて苦行を意味が無いと悟るのと、最初から苦行も何もせずに意味ねー!というのでは全然違うと思う。
67 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 15:14:13.98 ID:djERMefa0
>>64 確かに釈尊は禅定により悟ったといわれていますね。
68 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/30(月) 15:22:15.30 ID:djERMefa0
>>65 そのような混乱は確かにありますねww
ヤファウェイやアッラーを「神」と翻訳した人がいけないんですよ。
「神」ではなく「God」、諸宗教の「神」と「God」は全く別ものです。
やっぱ食事は午前中しか食べれないの?
社会的に何の役にも立たない行動をとり続けることに対して、良心の呵責はありますかしね?
坊さんは宗教なのに何故金儲けにばかり走るの?
何故世襲するの?
73 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 06:34:34.25 ID:wvCBNxgU0
>>69 ヨガのもとは苦行ですよ。
禅とヨガ(苦行)の違いは、禅は心統一の方法心を静める方法、苦行は肉体を追いつめ衰弱させる方法
74 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 06:36:55.37 ID:wvCBNxgU0
>>70 部派仏教の人たちは午前中にしか食事をとりません。
日本仏教にも、そういう宗派があるようです。
76 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 06:41:00.09 ID:wvCBNxgU0
>>71 はは、厳しいことをいいますね。
しかし、仏教の僧ほど社会的に役に立ってる職業はないと思いますよ。
あなたももう少し、理解しようとすればいいんですけどね。
まあ、現代の感覚からいって仕方のないことですが。
77 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 06:44:01.31 ID:wvCBNxgU0
>>72 金儲けに走っている僧も確かにいます。
わたしはそれについて批判てきな意見を持っていますが、どうすることもできません。
世襲していけないとは思いません。跡取りがいないという問題もありますからね。
禅って何のためにやるんですか?
心をしずめ統一してどうするんですか?
あと、心を統一って言いますけど・・・心っていくつかにわかれているんですか?
もしかして意識の集中のこと?
79 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 06:48:51.48 ID:wvCBNxgU0
>>75 最終目的は悟ることです。
釈尊も禅行により悟ったと言われていますから、
現在いかなる時代であっても、
悟りという真理は不滅という思想です。
>>79 なるほど!
では、ぼーっと座っていれば悟れるのですか?何か具体的な
ほうほうとかあるんですか?
81 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 06:58:51.63 ID:wvCBNxgU0
>>80 ごめんなさい。禅僧ではないのでわかりませんが、
前述してますが、例えば一休サンのお寺では問答を行ったりしています。
その答えを禅による精神を静める方法により、探ります。
密教では阿字観から始まり、システマチックに悟りに向かう
カリキュラムがありますが、
>>1さんの教派は如何ですか?
83 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 07:09:02.60 ID:wvCBNxgU0
>>82 そうなんですか。
派を特定してしまうとそれに関する質問しかこなくなるので、
あくまで仏教全般ってことで。
失礼しました。
仏教全般ですね、了解しました。
戒名ってぶっちゃけ意味あるの?
86 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 08:26:20.65 ID:wvCBNxgU0
>>85 まあ、意味はあります。
キリスト教に洗礼をうけるってありますよね。
イエスーキリストが川に入って洗礼を受けたので、
現代でも水なんかをかけてもらって洗礼としてもらうなどが多いようです。
これの意味は生まれ変わりです。
戒名もそれに似た意味です。
戒名をうけた方の考え方次第ですけどね。
戒名をつけるのって、死後に仏教徒として弟子入りする為のものですよね?
その際のお布施の額が(現実的に)文字数で変わるってどういう解釈なんだろう?
長い法名つけておくと、何か良いことあるのかな?
あと、なんで戒名つけるのは死んだ後なんでしょう?
キリスト教(洗礼)みたいに、生まれた時につけたらまずい理由があるんでしょうか?
なんだか回答が不適当なような気がする箇所が目についたので、
間違ってるかもしれないが幾つか指摘します。
>>8に対して
浄土宗的には霊魂は存在しないって言っているが、霊魂は存在しないと明言するのは浄土真宗、
浄土宗においては霊魂については明言はしていなく、他宗派同様にあやふやな対応を示している。
>>13に対して
往生の主体は何かというのは古来から議論されるテーマであるが、
その回答だと霊魂が行くって言っているのと変わらない事ない?
>>27 閻魔大王は輪廻の限りない世界のいつかで人間で有ったことはあるかもしれないが、
一般的によく言われるヤマの兄弟うんぬんは六道で言うと類は天だよ。
>>42 デカルトの言っていることは否定できないと思います。
唯識などでは外界は非実在であり唯、識による転変によって世界は形成されていると考えている。
たしかに西哲においてはその根底をキリスト教的価値観に基づくものだけれども、
それだけで仏教とは完全に違うスタンスだっていうのは無理があると思う。
>>73 ヨーガの原型はあくまでヨーガでしかないだろう。同じように苦行の原型も苦行でしかないだろう。
これらはただ解脱か昇天のための方法として用い要られてきただけで相互の関係性はあまりないんじゃねえの?
あと、ヨガって言ったら一般的に体操とかのヨガが指され、ヨーガと言ったら修行としてのヨーガを指すものとして区別されるもんじゃない?
また、禅とヨーガを区別することはその内容的にはほとんど無理、つまりは称える人と場所が違うだけで内容はほとんど一緒。
そしてまた、禅とヨーガとその方法に違いがあるのはどちらかと言えば釈尊の菩提樹下の禅定や部派仏教における禅定。
>>74 八斉戒を守る人が昼以降の食事ができないわけで、日本の古来よりある宗派においては八斉戒の厳守が掲げられる宗派は存在しない。
唯、授戒作法を執り行う期間だとかで、特別の状態を保持しなければならない時においてのみ守るってケースがほとんど。
ちなみに今の日本だと上座部(テーラワーダ)の人々は厳守されている方が多い。
>>78-79 禅は何のために行うのか、最終的に悟るためです。って仏道修行はそのほとんどの目的を悟りとする点で意味がないだろう。
日本における禅は空性(今認識している「有る」と見えるものは仮に「有る」という状態になっているに過ぎず「有る」のでは無いって考え)を理解することを目的として禅を行う。
禅宗の人が居たら怒るかもしれないが、釈尊が菩提樹下の成道の際に用いた禅定は心のなかで論理的に色々な事物を考えるって禅定、
禅僧のやっている禅はココロの中をからっぽにすることによる禅定。
この禅僧の禅は釈尊の禅定より、当時のヨ-ガ行者のアーラーラ・カーラーマ等のヨーガに似ているもの。
気がついた箇所のみだけど、勉強になれば幸いです。
これだけだったらアレだし、質問を一つ。
今の日本の僧侶が受けている戒は一部の宗派を除いて戒壇院からの血脈が保たれているものだけれども、
実質的には形骸化し、その効力を持っていないように思え、また律にいたっては無いところも多い。
出家と在家を明確に区別するのが戒律の奉持であると自分は思うんだけど、今後、戒律ってのはどうしていくべきだと思う?
90 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 09:25:20.98 ID:wvCBNxgU0
>>87 別に戒名は死後でなくともつけてもらえますよ(宗派の僧侶次第ですが)。
お布施の額が文字数に比例するのは確かにおかしいことですね。
しかし、お布施はお布施ですので好きな金額でいいんですよ。
それを強制する僧侶はおかしいことです。
91 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 09:34:00.85 ID:wvCBNxgU0
>>88 >>89 うーん、指摘に再指摘するのはやめておきます。
なるほどと納得する指摘は参考にさせていただきます。
戒律の問題ですね、私は仏教の主体は個人だと思いますので戒律は受けるものというより、
自戒という形に変わっていくべきと思ってます。戒律という基本は残して、
戒の主体を個が意識すれば、形骸化もなくないますしね。
92 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 14:44:31.93 ID:gSIEOtng0
>>77 世襲なんてしたら、志があり住職さんになりたいという人はなかなかなれず、志がなく親がやっているから流れでって人が住職になってしまうじゃないですか。
だから腐敗するんじゃないですか?
そんな寺、坊さんはいないほうがマシではないですか?
93 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 14:57:29.58 ID:4dNxzJWr0
天部、や仏との霊験話は現代にもありますか?
94 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:04:00.38 ID:OmAH6gPz0
「両極を知って、中道を生きる」 仏陀が残した言葉であります
自分の知識を正しいとすることがこの世のおかしさ(洗脳)だと
思いますが、中道を生きるということこそ悟り、自身の存在が
元々相対性であることのいわれではないかと
仏教徒の方は上記の考えをどれくらい重要視しているのか是非
お伺いしたく
95 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:15:13.25 ID:wvCBNxgU0
>>92 あなたはお坊さんになってくれますか?
お坊さんを志す人なんて仏縁に会う機会の多い人だけです。
志のある人が住職になれば、それはすばらしいことです。
しかし、現状は世襲する他ないお寺がほとんどです。
私は別に世襲はいけないこととは思いません。
96 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:19:01.86 ID:wvCBNxgU0
>>93 現代で私は聞いたことはありませんね。
観念仏など行っている仏教派ならば、あるのかもしれません。
97 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:20:22.07 ID:OmAH6gPz0
>>92 世襲を善悪で判断するということは右極を否定しているということ
でしょうか、私はすべてのものが太極図のようなもので統合してこそ
悟りがあると考えています。片方を否定し続ける限り世界はおかしく
なる
98 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:27:51.48 ID:OmAH6gPz0
悟りは自分の知識、価値観を相対的に見ること(ドグマを客観視する)
だと私は考えています。すると自身の存在がもともと"空"なのだと
いうことが認識でき外部のエネルギーに左右されない不動心という
ものが身につくと考えています。相対的に見ればみるほど感情的に
なることがどんどん少なくなります
99 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:37:33.82 ID:OmAH6gPz0
自身の自我がすべて自身の価値観から来るものであり、客観視する
ことにより自我(エネルギー)のコントロールができるようになり、
解脱できていない自我をみずからの逆の(+-反転)自我によって浄化
する、決して価値観によって抑圧することではなく。自己の確立
ともいうべきでしょうか
100 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:42:03.20 ID:wvCBNxgU0
>>94 中道を生きる道としるのが仏教でありますので、教義内においても影響を受けている宗派はほとんど全てだと思います。
かといって、重要視しているかと聞かれると宗派によって異なるところです。
少なからず全ての仏教徒の生活の意識に組み込まれて入ることは間違いないと思います。
101 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:49:45.30 ID:wvCBNxgU0
>>98 >>99 確かにそれが実践できればすばらしいです。
しかし「空」は完全な悟りではないと私は思います。
確かに空の思想を理解することは悟りに必要であります。
自ら悟るには、
悟り=空+etc
です。
102 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:51:34.19 ID:OmAH6gPz0
>>100 有難うございます。仏教も多様な宗派がありますよね
私自身一神教(絶対的なドグマ)が世界の混乱の元であると
考えており(イスラム、キリストの対立等)、自我を自身で相殺
できることが次世代の新人類?になるのではないかと本気で考えて
います
そのことを知る上ではドグマは必要なものともいうべきでしょうか
103 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:53:50.46 ID:OmAH6gPz0
>>101 仰るとおりです。空を判断するための材料というべきものでしょうか
104 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 15:59:07.83 ID:wvCBNxgU0
>>102 それができれば新人類は間違いないです。
そのような新人類さんが増えれば争いはなくなるでしょうね。
新人類でない私がお答えするのは恐縮ですが、
ドグマは必要だと思います。
絶対的なものとの相対という点においての意見ですが。
105 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 16:03:25.79 ID:wvCBNxgU0
>>103 そうですね。
「空」を理解、実践することは、どのような自力の修行段階でも最終段階に近いものだと思います。
それに至るための材料ですね。
106 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 16:09:10.30 ID:OmAH6gPz0
>>105 有難うございます。私は"悟り"の概念を持つ仏教がこれからの世界の
架け橋になると思ってます
二項対立は進化に欠かせないものと認識しておりますが、地球が有限
であると考える限り、上記の結論に達っさざるを得ない状況です
毘盧遮那仏と大日如来のいずれを神道で表される天之御中主神な存在と解釈して宜しいか?
もしくはいずれとも高御産巣日神と神産巣日神みたいな存在と考えた方がいいのですか?
そうなると最高仏神はどなたなんだろう・・・
108 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 17:12:33.86 ID:wvCBNxgU0
>>107 創造の仏ということですか??
ということでしたら、そのような仏はいないと思います。
仏教に最高仏神という思想はありませんね。
目の前に答えを転がしても理解する気が無いんだから無理なんだろうなぁ
仏教徒はなんで匿名なんですか?何宗の誰なんですか?
111 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 18:07:14.16 ID:4dNxzJWr0
俺は仏教徒だが、験しか信用しないな。
修業して験を出せる人しか信用しない。
日本の仏教とインドの仏教は全然別物になってしまってるよね
先祖供養ひとつとっても何でこんなに違うの
>>112 仏陀釈尊の基本姿勢が対機説法だからじゃないかな。
>>111 加持祈祷を行ったことが、仏教の普及に大いに役立ったことは確かだな。
思想や哲学を語っているだけでは、現実に苦悩する大衆を救うことは出来ないからね。
ただ、更に進んで仏法の思想も学んで欲しい。
>>91 回答ありがとう。
指摘が少しでも参考になれば幸いです。
けれどもちょっとよくわからないんだけど、
戒律の戒はもともと戒の条項を自身によって自戒する事だよね。律は教団によって守れと強制されるものだよね。
>戒律は受けるものというより、自戒という形に変わっていくべきとおもいます。
ってのは
律を自身で決めて守っていくってこと?
それとも戒の条項を自分で決めるって事?
それと戒の主体というものはどういうものでしょうか?
戒の形骸化は抑えられても、律の形骸化はどうやって食い止めればいいのでしょうか?
>>1はニートなんですか?
聖☆おにいさんってあるじゃん? それって実際宗教を信仰してる側だとどう思う?
仏教での最高仏と云うのは語弊があるだろうけど、中心となる
仏さまは大日如来さまでしょ?
その周囲を菩薩や諸天が囲んで、所謂曼荼羅が出来上がって
居る訳で。
119 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 22:16:54.41 ID:wvCBNxgU0
>>115 すみません。言葉不足でしたね。
第一に戒や律が形骸化すること自体がおかしいわけですので、
自らが戒律の中に生活をしているという意識が必要ということです。
自らの意識のもと戒や律を守らないと形骸化は防げません。
120 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 22:18:11.23 ID:wvCBNxgU0
121 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 22:19:38.47 ID:wvCBNxgU0
>>117 あれ、おもしろいよね。
しかし、たまに間違っていることが書かれているので要注意です。
読む分には、とてもおもしろい。
122 :
本当にあった怖い名無し:2012/07/31(火) 22:22:47.89 ID:wvCBNxgU0
曼荼羅やシュミ山の思想の上ではそのように成ることが多いですね。
しかし、大日如来を中心と考えるのはどうかと思います。
>>119 >
>>115 > 自らが戒律の中に生活をしているという意識が必要ということです。
でも、現在の各宗派においては授戒はあっても受律が無く、
すでに律が名称のみを残して実態の無い藻屑と化してしまっていますよね?
> 自らの意識のもと戒や律を守らないと形骸化は防げません。
そこで守るべき律とは何ですか?
また、戒も円頓戒や梵網戒のようなものが一般化されてしまって
それにともなって極めて抽象化が行われてしまっていますよね。
元来、律蔵に基づく厳格な戒と律の厳守がなくなってしまった現在。
律のみを再び再構築するべきなのか、それとも戒律を再構築すべきなのか、
けれども再構築となったら伝統はどうなるのか、
現在日本では在家と出家の区別は授戒と宗脈の有無のみになってしまっているのが現状です。
これらの現在における戒と律の有様についての>>1の考えを拝聴したい次第です。
それと法華経等の大日如来を想定する宗派、経典論典においては大日如来が中心になり、
その法華経等の大日如来を想定する経典を踏襲しない立場にある宗派経典論典においては大日如来を中心と捉えないように思います。
曼陀羅や須弥山の思想に限定するのは如何なものかと。
また、須弥山の思想というものはヒマラヤを中心と捉えるインド古来の宇宙観に基づくものであり、仏教における導入も倶舎論などを見てもわかるようにインド思想の踏襲ですので、
その点からも
>シュミ山の思想の上ではそのように成ることが多いですね。
というのは誤謬を伴った理解に思えます。
124 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/01(水) 02:09:59.36 ID:eNhntpwk0
>>101 確かにetcは色んな解釈ができますね、相対性の世界で何を
これから掴むのかは自分次第なのでしょうね
125 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/01(水) 02:19:38.38 ID:eNhntpwk0
そして"空"と"進化"はイコールで結べますね、なるほど
126 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/01(水) 03:47:31.02 ID:EZcUv0TX0
>>114 そうか?
確かに加治祈祷のような現世利追求が、大衆に仏教を広めるのに役立ったのは事実だが、仏教思想自体でも十分人を救えるだけのものはあると思うんだけど。
なんだニートか。じゃあ全部許す
>>126 うん、そうなんだけど、世俗の価値観以外にも見るべき世界があるということを知らしめるためには、
世俗の価値観に竿を指す形から入っていかないとキツイと思うんだよね。
そして徐々に、仏法の本質に導くというやり方が一番効率がいい。
>>127 今はニートなのかもしれないが、一応浄土系の僧侶として出家得度を済ませた人らしい。
つまりは坊主。
5 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2012/07/28(土) 18:21:09.95 ID:99tgORSa0 [1/15]
スレ主です。俺自体は南無阿弥陀仏の方の僧侶だが、一般仏教僧侶として答えたい。
130 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/01(水) 17:56:33.17 ID:QCh72k9d0
仏教徒の人は聖天様やダキニ天様を財運福徳で信仰してる一般大衆の人をどう思われますか?
仏教的な観点において戒律に反した場合はやはりユダヤ・イスラム両教のように罰を持って制する必要がありますか?
あくまで原則論ですけど因果応報により生じた罪という概念に罰という行為は必要無いような気もします
仏教にも原始キリスト教のベースでもある懺悔と許しを基本とした理念ってあるんですかね?
もちろん後世には阿弥陀信仰という許しをベースとした思想も現れていますが、この点お釈迦様はどうとらえていたんだろう?
132 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/01(水) 21:02:09.81 ID:5sHPHYDhO
餓死は自殺に含まれますか?
仏教的に自殺の定義ってあるんですか?
133 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/01(水) 21:27:34.87 ID:017wSPKuO
仏教なんて、キチガイ以外誰も信仰してないし、いらないでしょ。
寺も潰し、何も産み出さない僧侶は食えないようにしろ。
134 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 09:02:40.35 ID:UxsMoMXa0
なんで坊主はハゲなの?
>>132 捨身や解脱自体が自殺的行為とも解釈できる
136 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 16:56:28.82 ID:WSpFaQzi0
>>131 仏教における戒律は自らの成仏の為に必要なもの。
よって、戒律をおかした者を罰を持って制する必要はないと思われます。自分が成仏できないだけです。
しかし、教団の維持といった観点で言えば必要といえる場合もあるでしょうね。
137 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 16:59:31.47 ID:WSpFaQzi0
続き
原始キリスト教のような懺悔と許しを基本とした思想は仏教にありません。
どちらかといえば、罪を許してもらうというより、罪の根本を除こうとするのが仏教です。
138 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 17:00:40.30 ID:WSpFaQzi0
>>133 あなたは、何か信仰をもったことがありますか?
139 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 17:05:28.79 ID:WSpFaQzi0
>>132 自殺は自らを殺すと書くように、自分を殺そうとする意思があるかどうかです。
よって餓死は自殺ではないと思います。
仏教的に自殺の定義があるかは、わかりません。
他者の為に自らが犠牲になるという、説話がよくあるので、
他のために死ぬことは自殺にならないと考えます。
140 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 17:08:47.83 ID:WSpFaQzi0
>>130 加持祈祷など思想の違いですので、あまりどうこう思わないと思いますよ。
141 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 17:16:53.30 ID:WSpFaQzi0
>>134 結構難しい問題なんですよね。
近年、剃髪している方と有髪の方が分かれていますね。
宗派の規則などで剃髪していらっしゃる方もいらっしゃいます。
なぜ坊主にするのかというと、もとをたどれば、釈尊に由来してます。
>>141 なんで宗派によって違うん?
釈尊に由来ってのは釈尊がボーズだったん?
でもお釈迦様パンチじゃね?
>>141 頭を洗わなくていいとかシラミが湧かないとか言う現実問題だったら笑えます
144 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 18:04:47.77 ID:WSpFaQzi0
>>142 釈尊は出家した当時髪を剃りました。
真理を悟り、仏となった後は螺髪(パンチ)となりました。
よって、出家したら髪を剃るという規則がある宗派もありますが、
そのような、規則がなく個人の意志に任せる宗派もあります。
145 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 18:06:22.26 ID:WSpFaQzi0
>>143 髪がない方が楽ではありますので、そのような理由で髪を剃る僧侶もいらっしゃいますよ。
無知ゆえの質問なので根本から間違ってたらごめんなさい
般若心経で有名な一説に「色即是空」というのがありますが、これは「自我を捨てて無になる」と自分は解釈してます
そこで質問なんですがこの「自我」というものが「無」生まれたそもそもの原因なんかは教典なんかで解説されてるんですかね?
まあ「自我」というものがなんなのかすら自覚できないからそれを知ったところでどうしょうもないんですけどね
147 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 20:10:54.46 ID:WSpFaQzi0
>>146 「我」というものを「虚空(「無」と近い意味)」「縁起」によって否定解説した経典はあります。
仏教でよく言われる「我」はバラモン教などで言われる、アートマン、ブラフマンの「我」であります。
一般的な意味での「我」は仏教ではあまり用いませんね。
>>146 そこまで興味あるなら「スッタニパータ」を読んでみなよ。
ただ業に流される主体として、「自我」を見る限り
何の答えも出ては来ないよ。
仏教なんだから。
149 :
本当にあった怖い名無し:2012/08/02(木) 20:48:07.20 ID:LH2ennX50
>>146 仏法は唯識という心理学で解釈したほうがいいです。
>>148 あとダンマパダとウダーナヴァルガ。
あれは名典だと思うし、法句経として大乗仏典でも翻訳されてるし。
律蔵的で教えの哲学的な部分には迫りにくいけど、タメになるとは思う。
仏教を知るにはダンマパダから読むと良いと思った。
なんだか回答が不適当なような気がする箇所が目についたので、間違ってるかもしれないが幾つか指摘します。
>>131 仏教的に戒や律を違反した場合は教団追放としての罰か反省が要請されます。
おっしゃる通り、仏教においては因果論、
つまりは業論を重んじるために肉体的精神的金銭的な罰は存在しません。
また懺悔については、先にも述べたように戒律を違反した際に反省として
複数人の僧侶の前で違反内容を告白し、悔い改める事の宣誓を行います。
また釈尊は重い罪(阿羅漢や母父を殺したり仏に傷をつけたり)を行ったものには
それを上回る善業を積むことを進めたとされています。
>>132 自殺の定義というか自から死を選ぶ事には種類があり、
他人のために自身が自殺することは善であり、勧められます。
しかし、自分が現実が苦しく、苦しみから逃れるための自殺は否定されます。
ここでの後者が俗に言う自殺であり、ここでの定義は苦しみから逃れるために自身を自身によって殺す事です。
他者によって自身を殺さしめるのは自殺とされますが、他殺としても認められてしまいます。
>>142 よく一般の方が重要視される「色即是空空即是色」という般若心経の一句ですが、
「自我を捨てて無になる」と解釈するのは少し難しく思えます。
この「色即是空」は難しいことをいってるのではなく
「物という存在があるのではなく、今は色々なものが集まって物という状態であるにすぎず、ずっとある物なんてない」
って言うことを言っているにすぎません。
空は縁起(すべてのものは原因と縁によって生じて、常に変化し続ける。)と同じことを指していると思ってくださって結構です。
自身で色々と考えてみるのもいいですが、何かを読んでみるのもいいと思います。
般若経などに興味があるならば 中村元「龍樹」を、我に対する執着の解明に興味があるならば 三枝「バウッダ」
あたりが手頃でいいと思います。
また、諸法無我などの無我は近代仏教学以前はバラモン教批判だとされてきましたが、
近代の研究に基づくならば素朴な我執や我慢をさした素朴な我であるとされています。