怖い話 創作練習スレ

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1本当にあった怖い名無し
・ここは ホラー小説(長編はご遠慮ください) 実話怪談風創作の習作を発表するスレです。
・論評は可です。
・作品の著作権は2chに帰属します。
・まとめサイト等への転載はご遠慮ください。
2本当にあった怖い名無し:2012/06/17(日) 19:34:38.66 ID:lemAEIdN0
単発糞スレ立てんな死ね
3本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 00:45:50.79 ID:U1Om0+b40
だからね。君みたいな何の魅力もない馬鹿がね
何をやったって人が集まってくるわけないでしょ?
4:2012/06/18(月) 05:49:21.52 ID:3PqH2fbl0
ん、人を集めるつもりはないよ。
5本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 05:59:27.16 ID:3PqH2fbl0
とりあえず他スレに書いたのを転載しとく

オカ板の怖い話スレを読むといろいろと奇妙な地方の風習が出てきますが、
わたしも子どもの頃に土地神への捧げものとなった体験があります。そのときのことを書いてみます。
わたしの住んでいた所は今は合併で市の一部になりましたが、
約三十年前の当時からすでに過疎の進んだ山村でした。
秋祭りにしては遅い十月の初めに「おさっしゃ」と呼ばれるお祭りがありました。これは漢字にすると
どの字を当てるのか未だにわかりません。これが正式な名前なのですが、村の大人達は里にいるときには
このお祭りのことを「おかえし」とも呼んでいました。

里からやや外れた山中まで四百段ほどの丸木を据えた山道が続き、古いお社があります。
そこは二間四方ばかりの小さな社殿一つだけで、ここ何十年も改築などされておらず、
柱などはそうとうに傷んでいました。ご神体は社内にはなく背後の深い山々がご神体そのものであるようでした。
当然、神職も常駐してはいません。社の前は草木が刈られて小さな広間となっておりましたが、
そこに神職はじめ村の主立った者が集まって土地神へ捧げるお祭りをとり行うのです。

そのときに社前で舞を舞う男の子が一人おり「にしろ」と呼ばれていましたが、これもどのような漢字を当てるかは
わかりません。そして次の年の「にしろ」にわたしがなったのです。
「にしろ」は前年の祭りが終わった十二月に十一歳の男の子の中から選ばれます。自分で言うのもなんですが、
「にしろ」に選ばれるのは、顔立ちの優しい体つきの華奢な子です。そして選ばれたその日から「にしろ」は
女の子として育てられます。髪を伸ばし、女の着物を着て村長のお屋敷の一間を借りて過ごします。
6本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:03:00.35 ID:3PqH2fbl0
学校へはその一年は行きません。義務教育なので行かなくてはならないのですが、村長が肝入りでもあり、村立小学校でも
問題にはせず欠席扱いです。そして学校の勉強をしない代わりに、お祭りで舞う踊りを習います。神職が笙の笛、古老がひちりき
などを担当し、陽気ではあるものの現代の音楽に比すればずいぶん間延びした曲を演奏します。生まれつき鈍かったわたしは
習い覚えるのにずいぶんと苦労したことを思い出します。村長のお屋敷から外に出ることはできませんが、毎日のように
両親や祖父母が会いに来てくれました。ただ学校の友達とは会うのを禁じられていたため、それは寂しく感じました。

早いもので一年が過ぎ、「おさっしゃ」の前日となりました。この頃には家族との面会もできなくなっていました。
髪はもう肩の辺りまで伸び自分で鏡を見てもまるきり女の子でした。その日は水垢離をして眠ります。
いよいよ当日となれば、朝から薄化粧を施されます。昼中は村は農作業をするものもおらず、平日でも学校も昼には終わります。
お神輿などの神事は特になく村人の多くは提灯を掲げたりして家でお祀りをしています。神職達はこまごまとお祭りの準備をします。
わたしは昼時に神餅を少し食べさせられただけです。そして夕暮れになると巫女のような着物を着せられた「にしろ」は
「にご」という竹で編んだ大きな鳥籠のようなものに入れられ、丸木を組んだものの上に乗せられ男衆二十人ほどに担がれて
かけ声と共に山道をお社へと向かいます。このとき女や子どもは山に登ることはできません。

山道の途中途中にはたくさんの幟が立てられ、お社前の広場には煌々と篝火が焚かれています。「おさっしゃ」はまず、
神職の口上から始まります。村人の中にも意味のわかるものは少ない日本語とは思えないようなものです。その後に
神への贄が捧げられます。酒と御幣と数日前に村人が仕留めた一頭ずつの鹿と猪です。そしてまた祝詞のようなものがあり、
わたしは「にご」から出されます。ここで一年間習い覚えた踊りを披露します。わたしは無我夢中で踊り、なんとか一つも
間違えずに終えました。周りを囲んだ男衆から口々に「よい出来だ」「今年はよい」などの声が聞こえます。
そうして踊り終えたわたしは茶碗一杯の御神酒を一息に飲むように命じられました。
7本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:04:33.37 ID:3PqH2fbl0
そして一同はこれで帰ってしまうのですが「おさっしゃ」はわたしにとってはまだ続きます。明日の朝、里で一番鶏が鳴くまで、
このお社の中に一晩こもって過ごさなくてはならないのです。雪の降る地方ではないのですが、十月の山は寒く薄い白い肌襦袢を
着て過ごすので寝ることはほとんどできないという話を事前に聞いていました。わたしは初めて大量に飲んだ酒のために体が火照り
まだ寒さは感じず、何もない社殿の中の山側の壁にもたれていました。神職がわたしの側に来て「ちょっと怖い目をするかもしれないが
心配ない、何も危険なことはないから、けっして逃げ出したりせずしっかり務めてくれ。」そう言って外に出て扉に錠をかけたようでした。
板のすき間からわずかに見えていた篝火が消され、男達の声も消えました。お社の中は灯りもなく真の暗闇となりました。外はほとんど風も
ないようです。

不思議と怖いとは感じませんでしたし、危険があるとも思いませんでした。なぜならこれまで毎年代々「にしろ」を務めた人たちは、村を出た
人以外はみな健在であったからです。ただし「にしろ」としてこのお社の中で経験したことは、絶対に人に言ってはいけないし、
また聞いてもいけないことになっていたため、どのようなことが起きるのかはわかりません。かすかに木の葉がさやぐ音が壁を通して伝わってきます。
三時間ばかり過ぎ寒くなってきました。これでは寝ることはとうていできません。一枚だけ与えられた薄い白絹の布にくるまり壁にもたれて
膝を抱えていると、ふっと真っ暗で何も見えないのに社殿内の空気が変わったのがわかりました。それと同時に社殿内がものすごく獣臭くなり、
何者かがいる気配がします。それも二頭の息遣いに聞こえます。身を固くしていると、あっという間に白絹をはがされ、わたしの体は宙に浮きました。
ひょいと足首をつかんで持ち上げられたのだと思いました。

8本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:06:11.33 ID:3PqH2fbl0
そして肌襦袢も脱がされ、体中をまさぐられる感触があります、それも毛むくじゃらの手で。何本もの手で全身をまさぐられています。
わたしは怖ろしさで声も立てられず気が遠のいていくのを感じましたが。そのとき獣のうなり声が聞こえてきました。そしてこれは声に出した会話
というのではなく、直接わたしの頭の中に意味として入ってきたものです。
「これは見目よいと思うたがおなごではない」「おなごではないな」「またたばかられたか」「今年もたばかられたか」「酒と獣肉はもろうておこうぞ」
「これは返そう」「うむ、返そうか」そしてわたしの体はどーんと床に投げ出され、今度こそ本当に気を失いました。
そして次に目覚めたのは小鳥の声、そして朝のまぶしい光でした。社殿の扉が開いており神職達が迎えにきてくださっていたのです。
これで話は終わりです。



基本的に俺が創作の練習を書くのに立てたスレだから、にぎわうなんてないよ。
9本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:10:16.47 ID:3PqH2fbl0
子どもの頃ひい爺さんから聞いた話を書きます。

ひい爺さん(以下爺さん)は明治の早い時期の生まれで、しかも山村で育ったため
いろいろと奇妙な風習を知っていて、自分が子どもの頃によく話してくれました。
爺さんの村では送り番という役回りがあり、これは三軒ひと組で回り番で当たる遺体の
埋め役のことだそうです。当時爺さんの村はまだ土葬で、寺で葬式を行った後に遺体の
入った棺桶を荷車にのせて村はずれにある墓域まで運ぶのです。村の顔役や男手のない家
では代わりを頼むこともできましたが、葬式では酒も振るまわれ些少の礼金も出たそうです。

ただ遺体は棺桶(これは四角い棺ではなく丸い大きな桶)ごと埋めると場所と手間、費用も
かかるので、4〜5尺ほどの穴を掘って、死装束の遺体をそのまま埋めるのだということでした。
そうするうちに村で人死にがあり、これは当時では珍しく自殺だったそうです。五十ばかりの
百姓が土地争いの裁判で負けて先祖代々の耕作地をすべて失ったのを苦にしてのことでした。
そして爺さんと組んでいた埋め役の一人が訴訟の相手だったのです。これは具合の悪いことでした。
遺族もその人にやってほしくはなかっただろうと思うのですが、その人は、葬式には出ないが
村のしきたりの埋め役はやるといって頑としてきかず、これは後で考えると村内で弱みを見せたくない
という虚勢や打算があったのではないかと爺さんは言っていました。
10本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:12:32.03 ID:3PqH2fbl0
葬儀では棺の中に古銭を入れたりなど各地でさまざまな風習があるものですが、爺さんの村では
遺体の口の中に鬼灯(ほおずき)を入れるということをしていました。表向きは死出の旅の慰めに
ということになっていましたが、本当は死人が口を利いたりしないよう封じるためだったろうとのことです。
葬式が終わって、寺の外で待っていた訴訟相手の人ともう一人の人と三人で荷車に棺桶や鍬などの道具をのせ、
街灯もない街の灯りもない月もない夜道を、くくりつけた提灯の明かりだけを頼りに出かけていった
そうです。墓所までは三十分ばかり、さらに小一時間ほど穴を掘って遺体を桶から出して穴に下ろします。
丁寧にやっていたつもりでしたが、底まで一尺ばかりのところで誰かの手が滑ったのか遺体を頭から
穴に落としてしまいました。するとポンと音を立てて口から鬼灯が飛び出しました。

もう後は土をかけるだけでしたので、鬼灯はそのままにして腹から土をのせていきました。さすがに
顔に土をかけるのはためらわれるので、一番最後になることが多いのだそうです。爺さんはこれでもう
終わったようなものとやや気を緩めていたところ、急に月が雲間から出て穴の底まで射し込み、死人の
顔を照らし出しました。すると死人はかっと目を見開き、目だけを動かして辺りをねめ回しておりましたが、
訴訟相手の人を見つけるとその顔を見据えて、吠えるような大声で「お前が送り番か、悔しい」と叫んだのです。
もちろん三人は鍬も何もかも放り出して一目散にその場を逃げ出しました。


11本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:14:35.22 ID:3PqH2fbl0
葬式を行った寺に駆け込んで一部始終を住職に話しましたが、住職も怖じ気づいたのか確かめるのは
日が昇ってからということになり爺さん達は寺の一間を借りて過ごし、住職は朝まで経をあげていた
そうです。翌朝になりますと訴訟相手の人の姿が見えなくなっていました。無理をいって隣町から
医者を呼び一同で墓所に出向いてみると、野犬などに荒らされることもなく遺体は穴の中で顔だけ
出した昨晩のままでした。もちろん掘り返して医者が確認しましたが、亡くなってからずいぶんと
時間が経過しており生き返った様子もないとのこと。ただ当時の医学だからどれだけ信用がおけるか
わからんよ、と爺さんは笑って話してくれました。遺体の目は昨晩最後に見たままにかっと見開かれた
状態で、閉じさせるのが大変だったそうです。

もう一度日中に埋葬が行われ、今度こそ何事もなく執り終えました。訴訟相手の人は半年ほど行方が
わからなかったのですが、猟師が山中で首を吊っているのを見つけました。そうして死体を下ろしたときに
口からぽんと鬼灯が飛び出たのだそうです。
爺さんは作り話で子供を怖がらせるような人ではなかったと思っていますが、この話に関しては半信半疑という
ところです。もうずいぶん前のことになりますので、記憶違いなどがあるかもしれません。
12本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:18:06.74 ID:3PqH2fbl0
わたしが子どもの頃のお話をします

五月に入ったばかりの日暮れ時のことでした。
村の田んぼ中の一本道を「おほほほほほォ〜」とおたけびをあげて走ってくるものがいます。
下の瀬の茂平です。肩に鍬をしょったままものすごい勢いです。
よく聞くと茂平はこんなことをがなり立てています。
「隣の仁吉さあの倅はじつはオラの子じゃああァ あんまり仁吉の嫁がかわゆいて
オラ夜這いをかけたんじゃあああ〜〜〜」

それをたまたま丘の畑で見ていた上郷のヲスエ婆さんが坂をコロリコロリと前転して下りてくると、
「嫁を殺したのはオラじゃあ〜 立ち居振るまいの一つ一つが憎くての〜 毎日少しずつ飯に
農薬を入れとったのよォ〜」絶叫しながら茂平の後について走ります。

そうして田んぼの堰で泥遊びをしていた八歳の竹公の脇を走り抜けていきます。
すると竹公は手網を放りだし、
「ごめんよお〜 寝小便して弟と布団を取り替えたのはオラじゃ〜 ゆるしてけろォ〜」
そう言って後に続いて走ります。
13本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:18:53.62 ID:3PqH2fbl0
一人また一人とその走る列に村人が加わります。そして口々に自分の秘めた悪事をがなり立てます。
一本松を過ぎる頃には総勢三〇人ほどにもなっていました。中には村の駐在や村長の姿まで見えます。
「殺したのはオラじゃ〜」「憎くての〜どうしようもなかったんじゃ〜」
「村のおなごに瘡かきをうつしたのはオラじゃ〜」「吾作の井戸に糞尿を入れたのはオラじゃ〜」
「許してけろォ〜」「殺したァ〜」「許してけろォ〜」
全員のがなり声がまぜこぜになり、皆が皆大きな口を開けて天を向き、
村の一本道をよだれを流し息せききって走ります。

もう走る人は五〇人を越え、村の一本道は行き止まりの旦那寺珍宝寺へと近づいています。
珍宝寺の前では、和尚のどんたく上人が一張羅の袈裟を着て待っていました。
そうして土煙をたてて走ってくる五〇数人の前に立つと、錫杖を振り上げ、
「喝!!」という大音声とともに地面に突き立てました。

するとそれまで疾駆していた人たちは皆憑きものが落ちたようにその場に立ち止まりました。
中には疲労のあまりくたくたと崩れ落ちる人もいます。
和尚は皆を見渡すと一言「狸じゃよ まーた化かされおってからに 馬鹿どもが」
不機嫌そうにそうつぶやいて寺に戻って行きます。
その場の人たちは皆照れくさそうに笑い、ゆっくりと歩いて自分の家へと帰っていきました。
そうして次の日からは村は何事もなかったように日常へと戻ったのです。

これはわたしが子どもの頃にあった本当の話です。
14本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:20:41.45 ID:3PqH2fbl0
15年くらい前、俺がまだ中学生だった頃に体験したことを書いてみます。
俺が住んでいたのは大きな市の郊外にある新興住宅地で周りはみな同じような新しい家がたち並び、
当時は俺の家族も引っ越してきたばかりだったので、
小路を一本間違えて入ると自分の家のすぐ近くなのに迷ったりすることもありました。

引っ越してから半年あまりたった頃に町内で殺人事件がありました。5歳になったばかりの女の子が
町内の公園で殺されたのです。たしか日曜の午後早くのことだったと記憶しています。
主婦だった母親が弟の乳母車を押して散歩の途中、知り合いと会って立ち話をしているすきに、
その女の子が近くだった公園に走り込んで遊具で遊ぼうとしてトイレに連れ込まれ殺されてしまったのです。
しかもこの手の事件は絞殺が多いのに、刃物で腹部を刺されるという残虐な犯行でした。

短時間で犯行が行われたこと、現場が迷路のような新興住宅地の一角であることから、警察は近所に住む者に
嫌疑をかけているという噂が広がり、小学校では集団登校の班が組まれるなど当時は大変な騒ぎでした。
俺は中学生で自転車通学でしたが、たまたま通学路がその公園の脇の道にあたっていたため、
十分気をつけるようにと学校と家族から注意を受けていました。ただ俺は男だし中学生には見えない大柄な
体格をしていたし、公園から道路をはさんだ反対側は当たり前に民家が並び建っていたので、
そう怖いと思うこともなく毎日通っていました。
15本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:25:49.15 ID:3PqH2fbl0
その公園はさして広くはなくちょうど宅地一軒分くらいで、遊具も回旋塔とブランコ、ジャングルジムに砂場が
あるくらいです。トイレの周囲に10本くらいの木が立っていましたが、それが犯行を隠した原因とみられ、
事件後はすべて伐られました。そのためそれまで葉陰になっていた町内の案内板がよく見えるようになりました。
犯行があってから3ヶ月くらいたったある日、部活の帰りだったので7時半くらいでしょうか、
俺はその公園の横に自転車を停め案内板に向かいました。社会の公民で地域の発展といった授業があり、それで
町内の商店数を数えてみようと思ったのです。

事件の後公園の外に街灯が設置され十分に見える明るさでしたが、その時に俺はおかしなことに気づきました。
その案内板の半分くらいが汚れて黒くなっているのです。近づいてよく見るとそれは小さな手の跡が
いくつもついているようでした。ふと、夜だから黒く見えるけれど昼ならば赤黒いしみに見えるのではないかと
考えてしまい、急に水を浴びせかけられたようにぞっとしました。それで自転車に飛び乗って全速力で
家に帰りました。次の日の朝、その道を通るのをやめようかとも思ったのですが、思い切って家を早めに出て
もう一度その掲示板の前に立つと、遠くからは全体的な汚れに見えるのですが、近づいてよくよく見ると
うっすらとしたたくさんの小さな手の跡です。しかもやはり乾いた血のように思えます。

俺の町内は8丁目までありましたが、国道を挟んで1〜4丁目と5〜8丁目に分かれています。そして手の跡は
1〜4丁目側にすべてついているのです。その時俺は、この公園で殺された女の子に幽霊話が出ていることを
思い出しました。それは夜半に車を走らせていると、その時間には外に出ているはずのない小さな女の子が
よろよろした足どりで道を歩いている。車を停めようかどうか迷っていると、いつの間にかその子の姿は消えて
しまうというような話で、学校でも噂になっていました。そして、よく考えてみるとその目撃があった場所は
自分の家があるのと同じ国道の西側、つまりこの手型がついている側なのだと思い当たったのです。
16本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:26:37.40 ID:3PqH2fbl0
このことに気づくと俺はとても奇妙な考えにとらわれてしまい、ものすごく怖い気持ちになりました、そうして
その道を通るのをやめ、相当遠回りして学校に通うようにしていました。
それから3ヶ月ほどして母が急病になりました、2・3日前から具合が悪く、医者にいったところ風邪だろうと
いわれて勤めを休んでいましたが、夜中に高熱と激しい咳き込みにおちいってしまい救急車を呼んだのです。
救急車には父と自分が乗り込み救急指定病院へと向かったのですが、そこは町内の7丁目、国道の東側にありました。
幸い急性肺炎であるものの症状は重篤ではないとわかり、父が病院に付き添うことにして自分はタクシーで家へ戻る
ことになりました。夜中の2時過ぎです。

病院の前に常に待機しているタクシーに乗り込みました。住宅地であり道を通る人影はありません。そのとき前の方の
家の門の陰から小さな女の子がふらふらと出てきて車の前を横切ろうとしました。俺は後部座席に乗っていましたが
その姿ははっきりと見えました。運転手さんが急ブレーキをかけ、車の外に出ました。ひとしきりあたりを見回して
いましたが「おかしいな、誰もいない」といって戻ってきました。そして車を発進させたのですが、車窓から後ろを
振り返った俺は、真っ黒なシルエットになった小さな女の子が両手をあげてスキップするようにして一軒の家の門内に
入り込んでいくのを確かに見ました。

そらから1週間ぐらいして、新聞に女の子を殺した犯人逮捕の記事が載りました。殺人犯は浪人中の予備校生で、
本人が警察に出頭したとのことです。その日の新聞には書かれてはいませんでしたが、後日犯人の住所がわかり、
それはあの日俺が病院の帰りに女の子の影が走り込んでいった家そのものでした。・・・もう書くことはあまりありません。
犯人が逮捕されたことで俺も何となく軽い気持ちになり、ひさびさに公園の横の道を通ってみました。案内板を見ると
小さな手の跡は以前より増えていて、国道の5〜8町目側にまで及んでいました。そして女の子を殺害した犯人の家の
上には手型ではなく文字らしきものが書かれていました。薄く、しかも上の方なので俺は伸び上がってその字を読みました。
そこにはたとどたどしい筆跡で「ここだ」とあったのです。


17本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:27:12.52 ID:3PqH2fbl0
自分の親父と骨董の話を書きます。
親父は紡績の工場を経営していましたが、何を思ったか50歳のときにすっぱりと
やめてしまい経営権から何から一切を売り払ってしまいました。これは当時で十億
近い金になり、親父は「生活には孫の代まで困らんから、これから好きなことをやらせてもらう。」
と言い出しました。しかしそれまで仕事一筋だった父ですから、急に趣味に生きようと
思っても、これといってやりたいことも見つからず途方に暮れた感じでした。
あれこれ手を出しても長続きせず、最後に残ったのが骨董品の蒐集でした。

最初は小さな物から買い始めました。ありがちなぐい呑みや煙草の根付けなどです。
「初めから高額の物を買ったりして騙されちゃいかんからな。小遣い程度でやるよ。」
と言って骨董市で赤いサンゴ玉がいくつか付いた根付けを買ってきました。
「何となく見ていてぴーんとひらめいたんだよ。このサンゴ玉は元々はかんざしに
付いていたのかもしれないね。」などと言って、書斎に準備した大きなガラスケースに
綿に乗せて置きました。これが我が家の異変の始まりです。まず親父になついていたはずの
飼い猫が書斎に入らなくなりました。親父が抱き上げて連れて行ってもすぐに逃げ出して
しまうのです。さらに家の中の物がなんだか腐りやすくなりました。梅雨時でもないのに
食パンなどは買ってすぐに黴に覆われてしまったりして、台所は常に饐えた臭いがするように
なりました。それから家には小さいながら庭もあったのですが、全体的に植木の元気が
なくなり、中には立ち枯れるものも出始めました。また屋根の上の一ヶ所につねに黒い煙いの
ようなものが溜まり何人もの通行人に火事ではないかと言われたりもしました。しかし
はしごをかけて屋根に上ってみてもそこには何もないのです。
18本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:32:40.03 ID:3PqH2fbl0
その頃、親父は時宝堂という骨董屋の主人と親しくなりました。その人は小柄な老人で
親父が金があると目をつけたのか、ちょくちょく家に尋ねてくるようになったのです。
ある日親父は家族に向かって「この間から、家の中がちょっと変だったろう。どうもあの
サンゴの根付けが原因らしい。時宝堂さんから聞いたんだが、ああいうものはお女郎さんの
恨みがこもってるかもしれないってね。だが、そういうのを打ち消す方法もあるって話だ。
それでこれを買うことにしたよ。」と言って一幅の掛け軸を見せました。それはよくある
寒山拾得(中国唐代の2人の禅僧)を描いた中国製で、それほど高い物には思えませんでした。
そしてそれは和室の床の間に飾られることになりました。掛け軸が来てから家の中の異変は
いったん収まったようでした。相変わらず猫は書斎へは入らないものの、植木は元気を取り戻し、
物が腐りやすいということもなくなったのです。親父は、「古い物はほとんどが人間の一生以上の
歴史を持っていて、中には悪い気を溜め込んでしまっている物もある。そういうのの調和を取るのが
骨董の醍醐味だと時宝堂さんから聞いたよ。」と悦に入っていました。

ある日のことです。当時自分は中学生でしたので和室に入る用などめったになかったのですが、
たまたま家族が留守の時、学校で応援に使ううちわが和室の欄間に挿されていたのを思い出して
取りに行ったのです。すると家の中には誰もいないはずなのになぜか人の話し声が聞こえてきます。
ごく小さな声ですが和室の中からです。ふすまの前で聞いているとこんな感じです。
「・・・・これで収まったと思うなら浅はかな・・・。」「ただ臭いものに蓋をしたにすぎないだろ
・・・今にもっとヒドイことが・・・。」どうも二人の人物が会話をしているようです。
自分はコミカルな声調だったのであまり怖いとも思わず一気にふすまを開けて見ました。
しかし当然ながらそこには誰もいませんでした。
ただ床の間の絵を見たときに、なんだか2人の僧の立っている位置が前とは違っている気がしました。
そしてそれから2・3日後、夜中に家に小型トラックが突っ込んでくるという事故が起きたのです。
塀と玄関の一部を壊しましたが幸い家族にケガ人はありませんでした。
19本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:34:59.27 ID:3PqH2fbl0
親父はこの事故のことでずいぶんと考え込んでいましたが、それからはますます骨董買いに拍車が
かかりました。古めかしい香炉、室町時代といわれる脇差、大正時代のガラス器などなど。
そしてそのたびに家に変事が起こり、また収まり、そしてもっとヒドイことが発生するといった
くり返しになりました。骨董に遣ったお金もそうとうな額にのぼったと思います。
「あっちを収めればこっちの障りが出てくる、考えなきゃいけないことが十も二十もある。こらたまらんな。」
親父はノイローゼのようになっていました。そして今にして思えば骨董蒐集の最後になったのが、
江戸時代の幽霊画でした。これはずいぶん高価なものだったはずです。
それは白装束の足のない女の幽霊が柳の木の下に浮かんでいる絵柄で、高名な画家の弟子が描いたもの
だろうということでした。親父は「この絵はお前たちは不気味に思うかもしれんが、実に力を持った
絵だよ。この家の運気を高めてくれる。」と言っていました。

そしてその絵が家に来た晩から自分の小学校低学年の妹がうなされるようになったのです。妹は両親と
一緒に寝室で寝ていたのですが、決まって夜中の2時過ぎになるとひーっと叫んで飛び起きます。
そして聞いたこともない異国の言葉のようなものを発し、両親に揺さぶられて我に返るのです。
もちろん病院に連れて行きましたが何の異常も認められないとのことでした。家の者はまた骨董のせい
ではないかと疑っていましたが、それを親父に言い出すことはできませんでした。時宝堂が来ていたときに
親父がこの話をしたら「おお、それはいよいよ生まれるのですな。」と意味のよくわからないことを言っていたそうです。
そしてその日の夜のことです。やはり2時過ぎ、妹はうなされていたのが白目をむいて立ち上がり、
「がっ、がっ、あらほれそんがや〜。」というような言葉とともに大人の拳ほどの、白い透明感のある石を
大量のよだれとともに口から吐き出しました。
20本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:35:32.35 ID:3PqH2fbl0
次の日、時宝堂が来てその白い石は中に魚が入っていると言ってかなり高額で買っていったそうです。
親父はこのことを契機に時宝堂とのつき合いをたち、骨董の蒐集もすっぱりやめてしまいました。
「家族には迷惑をかけられないからな。みんなの健康が何よりだよ。これからは庭いじりでもやることにする。」
そして我が家の異変は完全に収まったのです。
21本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:37:18.61 ID:3PqH2fbl0
前にムサカリ絵馬の話を書かれている方がいましたが、それと少し関連した体験があるので
書いてみます。このような掲示板にまとまった文章を書くのは初めてなので、乱筆お許しください。

今からはもうだいぶ前のことになります。そのころ私は美術の専門学校を卒業したばかりで、さらに
金属工芸系を深く学ぶためにその地方の中核都市へ出てきていました。学校の手続きはすぐに済みましたが、
アパートを探さなくてはなりません。当時私は母親しかいない家庭で仕送りなどあまり期待できませんでした。
専門学校もアルバイトをしながら卒業したくらいでしたので、あちこちの不動産屋を回り少しでも条件がよく
家賃の安い物件を探していました。

そして数軒目の不動産屋でありえないような格安の物件を見つけたのです。それはアパートではなく
一階建ての一部屋で隣に住む大家さんが自分の家の庭に離れとして建てたものでした。そして家賃は
ちょっと考えられないほど安かったのです。なぜこのような物件がいつまでも残っていたのかというと
不動産屋からは「大家さんたちは老夫婦で、だいぶ前に息子さんを亡くされている。その思い出が
やっと薄らいできたので、息子さんが使っていた離れを人に貸そうという気持ちになった。
ただ同じ敷地内にあるようなものなので、できれば女の人に借りてもらいたいと思っている」このような話を
聞かされました。さらに「大家さんたちは借り手と事前に面会して、その人が気に入ったら決めると言っている」
とのことでした。
22本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:38:02.15 ID:3PqH2fbl0
その場所は私の学校からは二駅しか離れておらず通学にも便利で、ぜひともここに決めたいと思いました。
そして不動産屋にセッティングをしてもらい、大家さん夫妻との面接に臨んだのです。不動産屋の車で
大家さんの家へ行き、玄関のチャイムを鳴らしました、出てこられたのはご主人が70歳代、奥さんが
60代半ばといったところでしょうか、どちらも白髪の上品な人たちです。「ささ、お上がりなさい」

私たちは和室に案内されました。そこは裏の山側に面した上品な一室でしたが、床の間に他の調度に
そぐわない鷹の剥製があり鋭い目を光らせているのが少し異様に感じられました。そうして私は学校のことや
将来の夢などをご主人に問われるままに語りました。奥さんのほうはつねににこにこと微笑んでおられる
だけでした。ただ私が出身地の県のことを話したときに、奥さんは「これは」というような顔をしてご主人と
目配せしたのを覚えています。ご主人は話の最後に「これはよいお嬢さんだ、どうだね○○(奥さんの名前)
この方に決めようじゃないか」「ええ、それがよろしゅうございますね」こうして私は夫妻の家の離れに住む
ことになったのです。
23本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:39:50.68 ID:3PqH2fbl0
そして帰る前に離れの部屋を見せていただきました。そこは夫妻の家から10mばかり離れた庭の中にあり、
外観はまだ新しいものでした。「ここは元々は息子が動物を飼育するための小屋として使っていた場所で、
ひとり息子が死んでから今年でちょうど10年になる。それで私たちもいつまでも悔やんでいてもしかたないと、
ここを建てかえて人に貸すことにしたのだよ。あなたのような人に住んでもらうことになってよかった」とご主人。
「ほんに。息子は生き物の好きな子でしてねえ」と奥さん。

それを「これ」とご主人がたしなめ、「あなたが都合のよいときに引っ越してきてください、いつでもかまわんよ」
とおっしゃってくれます。私がお愛想のつもりで息子さんの仕事について尋ねますと、ご夫妻は顔を見合わせていましたが、
ご主人が「なに、わたしの跡を継いで職人をしていたんです。あなたも工芸をおやりになるそうで、息子が生きていたら
気が合ったかもしれませんねえ」
と答えられました。部屋は6畳の一間に台所、バス・トイレと普通のアパートと違いはありませんでした。ただ
建物の外観に比べて内部がせますぎるように思われました。しかし壁などを厚くしていねいに造っているのだろうと
解釈することにしました。
24本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:42:00.98 ID:3PqH2fbl0
それから1週間後、学校の始まる3日前に引っ越しました。荷物は布団や小型冷蔵庫など最小限で、さほど時間は
かかりませんでした。その時は私の母も一緒でしたが、大家さん夫妻は満面の笑みで出迎えてくれ「何か不都合な
ことがあったらいつでも言ってきなさい」「これはこの地方でとれる蕗の煮物だよ」と奥さんからはお料理まで
いただきました。

冷蔵庫の中身はまだ買っていなかったのでありがたく思いました。母は翌日も仕事があるためすぐに帰り、
スーパーなども近くにあったのでとりあえず買い物をして荷物の整理をしているうちに早くも日暮れとなりました。
その日は疲れていたのでスーパーで買った出来合いのお総菜といただいた蕗の煮付けを食べて早く寝ようと思いました。
その蕗の煮物を一口食べて奇妙な味がするのに気がつきました。不味いというわけではないのですが
不思議な香りがするのです。西洋ハーブのアニスによく似ています。この地方特有の味付けかと考え、せっかくの
ご厚意にこたえないのも失礼と思って全部食べてしまいました。

布団を敷いて横になるとすぐに眠ってしまいました。そして奇妙な夢を見ました。それは大広間のような和室に
大勢の人が集まりみな喪服を着ています。どこか田舎の大家のお葬式のようです。そうしてそこに次の間から自分が
和服の花嫁衣装を着て入っていくのです。すると両脇から大家さん夫妻がやはり喪装で、昼に見たような満面の笑みを
浮かべて私を迎え、手を取って上座の席に連れて行きます。隣の花婿の席は空いています。やがて一同は両脇に
分かれて座ります。そして一斉に拍手をします。すると正面のふすまが開き、紋付袴の花婿らしき人が入ってきます。

その顔はわかりません。なぜなら黒い頭巾で頭部全体を覆っているからです。花婿が私の横の席にすわります。すると
獣臭さがわっと襲いかかるように鼻につきます。花婿が私の手をとります。お婿さんの手には茶色いごわごわした毛が
生えています。そうしてもう一方の手で自分の黒い頭巾を上に引っ張ります。紋付の肩に茶色い毛の束が広がります。
頭巾をすっかりとってしまうと、そこにあるのは何とも種類の判別しない動物の頭です。しかも両目がありません。
私は絶叫しました。
25本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:45:24.38 ID:3PqH2fbl0
そして目が覚めました。枕元の時計を見るとまだ2時過ぎです。とりあえず夢とわかってほっとしたところでしたが、
すぐに部屋の中が夢と同じに獣臭いことに気がつきました。何かがいる気配がします。それも一匹や二匹ではありません。
大きなもの、小さなもの、羽ばたくもの、這うもの、あらゆる獣が私の布団を取り囲んでいます。少しでも動けば
襲いかかってきそうに思えます。部屋の中は真っ暗ではありません。

電気製品や時計のわずかな灯りで見た目には何もいないのです。それでも尋常ではない殺気のために身動き一つできません。
そうして何時間が過ぎたでしょうか。カーテンごしに窓に朝日が当たっているのがわかります。
すると一つまた一つと小さなうなり声を残して、それらの獣の気配は部屋の南側、押し入れのあるほうに吸い込まれるように
消えていったのです。

どれくらい布団をかぶっていたでしょうか。光が差し込んだ部屋の中はすっかり朝の雰囲気となり、昨夜のことはどこまでが
夢でどこまでが事実だったのかわからないような心持ちになりました。
おそるおそる時計を見るとまだ6時半を過ぎたばかりです。

私は起き上がり、昨夜の獣たちが消えて行った押し入れの前にいき戸を開けました。そこには昨日私が入れた段ボール箱とわずかの
寝具があるだけでしたが、突き当たりの板を押してみるとなんだかごわごわします。後ろになにか柔らかいものがあってそれに板が
当たっているような感触なのです。そこで押すのをやめ、てのひら全体をあてて横にずらそうと試みました。するとそれほどの力では
ないのに板が大きく動きました。・・・そこに見たものは押し込められるように立ち並んだ十数体の動物たちの剥製でした。
毛のある生き物ばかりではありません。私は夢の中のように大きく悲鳴をあげて、パジャマのまま部屋の外に飛び出しました。

26本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:48:04.62 ID:3PqH2fbl0
離れの外に出ると、少し離れた庭の池の前に大家さん夫妻が立っていました。夢で見たとおりの喪服姿でした。
ご主人が口を開き「あなたなら息子の嫁にふさわしいかと思ったのに残念だ・・・。」
奥さんが「杯を交わすまであと少しだったのに・・・」さも心惜しそうにつけ加えます。
私はそのまま家の門を走り抜け大通りに出ました。そしてその日一日を大勢の人に紛れて駅で過ごしたのです。

それからしばらくたって、荷物などは男性の友人に無理に頼んで取りに行ってもらいました。
その人の話では、離れは取り壊されてすでになく、母屋も引っ越しをしたらしく中はがらんとした状態で
私の荷物だけがそっくり玄関先にまとめられていたということです。
あれからずいぶん立ちますが、今でもあの押し入れの奥でちらと見たもののことを思い出します。たくさんの剥製に
囲まれるように紋付袴姿の男性がひっそりと佇んでいた気がするのです。

27本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:49:30.24 ID:3PqH2fbl0
怖くはないのですが不思議な体験をしたので投稿します。

もうだいぶ前のことになりますが、当時私は金属加工の小さな工場を経営していて
折からの不況もあってその経営に行き詰まっていました。
そしてお恥ずかしい話ですが自殺を考えたのです。

もう子供たちは成人しておりましたし、負債は生命保険で何とかできると思われる額でした。
今にして思えば何とでも道はあったのですが、精神的に追い詰められるとはあのことでしょう。
その時はそれしか考えられなくなっていました。

五月の連休の期間に家族には告げずに郷里に帰りました。
郷里といってももう実家は存在していなかったのですが、
自分が子供の頃に遊んだ山河は残っていました。

この帰郷の目的は、裏山にある古い神社にこれから死にますという報告をしようと思ったことです。
昔檀家だった寺もあったのですが、住職やその家族に会って現況をあれこれ聞かれるのが嫌で
そこに行くことは考えませんでした。
28本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:50:53.95 ID:3PqH2fbl0
神社に行くまで少し坂を上りますので、鳥居をくぐったときにはだいぶ汗ばんでいました。
この神社は村の氏神のようなものですが、過疎化の進んだ昨今は常駐する神主もおりません。
例祭のとき以外にはめったにお参りする人もいないような所です。
大きな石に山水をひいた手水鉢で手を清めようとしてふとその底をのぞき込んだときに、
くらくらと目眩がして、水に頭から突っ込んでしまいました。

深さは五十センチ程度だったと思うのですが、
私の体はストーンとそのまま手水鉢の中に落ち込んでしまいました。
そしてかなりの高さを落ちていった気がします。
ばしゃっと音をたてて井戸の底のような所に頭から突っ込みました。大きなショックがあったのですが
そのわりには体に痛いところはありませんでした。

そこはおかしな空間で、半径1.5mほどの茶筒の底のようで1mくらい水が溜まった中に
私は立っています。回りの壁は平らでつるつるしていて、
しかも真珠のような色と光沢で内部から光っているのです。
一番不思議なのは、真上10mくらいのところに手水鉢と思われる穴があり水がゆらるらと
ゆらいで見えることです。しかし私自身の顔は空気中にあり、下半身は水の中にいるのです。
29本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:52:12.52 ID:3PqH2fbl0
私が浸かっている水はまったく濁りがなく透明で、さして冷たくはありません。底の方を見ていると
足元に20cmばかりの井守がいるのに気づきました。それだけではありません。
井守は一匹の小さな青蛙を足の方から半分ほどくわえ込んでいます。
蛙はまだ生きていて逃れようと手をばたつかせますがどうにもなりません。
その状態が長い時間続いているようです。

私はふと、その蛙の姿が工場の資金繰りに行き詰まってもがいている自分のようで、
かがんで手を伸ばし助けてやろうとしました、
その時、頭の中に声が聞こえたのです。
ーそうだ、その蛙はお前だ。ただし今のお前ではなく自死したのち罰を受けているお前の姿だー
私はあっと思いました。

がつん、ばしゃっという衝撃があり、気がつくと手水鉢の縁に頭をぶつけていました。少し血が出ました。
血は神社の境内では不浄と思ったのでハンカチで押さえながら急いで鳥居の外に出ました。
不思議なことに体は少しも濡れたりはしていません。
そしてその時には、あれほど頭の中を占めていた自殺という考えはすっかりなくなっていたのです。

郷里から帰った私は奮闘し、工場の経営を立て直しました。そして毎年その神社へのお参りはかかしていません。
話は以上です。スレ汚し失礼いたしました。
30本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:53:01.48 ID:3PqH2fbl0
もう二十年も前になりますが山で体験したことを書きます。
私は当時釣りにこっていまして、一口に釣りといってもいろいろなジャンルがありますが、
その頃は山行をかねての渓流釣りがメインでした。
むろん竿と大荷物を背負ってですので、山行といってもハードな山登りではありません。

秋の連休に年休をプラスして一週間以上の休みをとり、
場所は詳しくは言えませんが、東北のA岳近くの渓流への単独行を計画したのです。
関東からはずいぶん長距離のドライブでしたが、
休み屋の駐車場に車をあずかってもらい沢へと入りました。
好天に恵まれ、釣っては放流をくり返しながら水源のほうへと登っていきました。

二日目に入って、川の岸辺に木がなく一反歩ほどの草地になっているところに出ました。
こういう場所は、たいがいは林でなくとも灌木のおい茂る藪になっているものですが、
短い草がびっしりと生えていてテントを張るにはまさにうってつけです。
そしてやはり先客が張ったらしいカーキ色のテントがありました。
その人は河原に出て竿を出していて、私の姿を見つけると気軽に声をかけてくれました。

31本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 06:53:39.00 ID:3PqH2fbl0
六十歳代の定年退職をされた方で、この渓流で昨年この場所を見つけ、
今年はここをベースにして行動しているとのことでした。
そして興味深い話を聞かせていただきました。
「君、菌輪という言葉を知ってるか? 菌環ともいうし、外国ではフェアリー・リングというらしい。
夜に妖精が輪になって踊って、疲れて眠ったところに朝日を浴びると茸と化してしまう。そういう伝説があるんだな。
ここがそれみたいなんだよ。ほら」

そう言って案内してもらいましたが、確かに草地の回りを真円に近い形でひょろひょろした茸が取り囲んでいます。
「調べたんだが、これはハラタケというのの仲間らしい。菌輪のできる原因についてはよくわかってないけど、
これらの茸は地中で菌糸つながっていて、全体が一つの細胞の一つの生命体だという説もある。面白いだろう」
そして菌の力が強力で共生している芝以外の植物が生えないのではないかという推論も話してもらいました。
この菌輪は大きいものでは直径五百メートル以上になり、菌としての年齢は数百年を越える場合もあるのだそうです。

「でね、この大きな菌輪の中にさらにあちこちに小さい菌輪ができてるんだよ」
確かに、直径数メートルから数十センチの菌輪がそこここに見られます。小さいものは様々な形をしていて、
真円のものはむしろ少ないようです。
「これなんか変な形だろ、人の寝姿に見えないか。こことあともう一体あるんだ」
32本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 07:30:22.15 ID:3PqH2fbl0
それを見たときに私は、不謹慎かもしれませんがテレビドラマなどで警察官が死体のあった場所に描く
人型の白線を思い浮かべてしまいました。
「こんなふうに生えるには、われわれには想像もつかない理由があるのかもしれないね」
私は数こそ出るものの大物が釣れない今回の釣果には満足していませんでしたので、
さらに奥まで入り二日後に引き返してくることにしていました。
その方はまだここにいるとのことでしたので、再開を約束してその場は別れました。

かなり体力を消耗しましたが奥には大きな岩魚がおり、私は十分に堪能してその場所に引き返してきました。
もう夕方になっていたので、いっしょにテントを並べて一泊しようと思ったのです。
はたしてカーキ色のテントはそこにありました。まだ寝るには早い時間と思い中に声をかけてみました。
「・・・うううっ、誰だ」その方の声ですが妙にくぐもっています。
「二日前に通った者です。どうしました、具合でも悪いんですか?」と私。
「・・・いや何でもないちょっと怪我をしたんだ。それよりここに泊まるんじゃない。もっと下れ」

単独行で怖いのはやはり怪我です。滝登りなどで足を滑らせて骨折でもしたりすると命取りになります。
特にこのような人の来ない場所では。「大丈夫ですか、麓から応援を呼んできましょうか?」
「いやいらない。・・・あんたはこの場を立ち去れ、早く夜がくる前に」
「いや、そうは言っても・・・」
するとテントの前でかがんで話している私の前に、ジッパーの間からぬっと枯れ木のようなものが突き出されたのです。
びっしりと生白い茸が生えた、人の手であってそうではないようなおぞましいもの。
33本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 07:30:54.72 ID:3PqH2fbl0
テントの中から大きなうなり声が聞こえます。
「ううう逃げろ、とにかく逃げるんだ。やつらはみなわかってるんだぞ。俺のようになりたいのか」
私は急に怖くなって「救援を呼んできますから」と一声残して、走って沢を下りました。
そのうちに夜になりましたが、何度も転びながら何時間もかけ続け、どうにか県道の通る場所まで下りました。
通りかかった車を停めて事情を話し、翌日の朝には地元の山岳会の方などを案内してその場へと戻りました。

テントはそのまま残っていましたし、荷物一切もそこにありました。しかしその方の姿はどこにも見えません。
とりあえずテントはたたむことにしましたが、中にはあの茸がたくさん散らばっていました。
ペグを外してテント全体を持ち上げたとき、その下の地面に茸が小さく頭をのぞかせていることに気づきました。
そしてそれは人の形に生えかかっていたのです。
その後警察も出て大がかりな捜索がなされましたが、その方のゆくえは杳として知れず、遭難扱いとなりました。
私はそれ以来渓流釣りはもちろん山にも入っていません。
34本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 07:38:36.18 ID:3PqH2fbl0
ここまでで転載は終了。
これらは「何でもいいから怖い話を集めてみない?」というスレに書いたもので、1時間で一話怖い話を書く
という条件を自分に科して書いた、文章よりもどちらかというと発想の練習。

これまでも洒落怖にはおそらく50話以上書いてるんだけど、自分としてはできれば創作であることを
はっきりさせて書きたくてこのスレを立てた。創作板に立てろという意見は当然あるだろうけど、向こうは
オカルト知識のある人はさすがに多くはないから。

ヒマな時間を見つけてぼつぼつ書いていくので、自分以外にも創作の練習をしたいという方はぜひどうぞ。
あと話を書かない人も、感想、酷評なんでもどうぞ。

35本当にあった怖い名無し:2012/06/18(月) 22:42:25.44 ID:hauvpeTK0
単発糞スレ立てんな死ね
36本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 00:23:28.63 ID:ew0mcqpH0
私が体験した話を書きます。
今からおよそ半年ほど前のことになりますが、当時私は新婚ほやほやでした。
主人の両親が手広く不動産業を営んでいたため、お祝いにマンションの一室をいただいて
そこに移り住み、家具などを整えるのに大忙しでした。
この結婚はいわゆる玉の輿で、主人をめぐって結婚までには多くのライバルがいましたが、
それらの人に打ち勝ってゴールインしたようなものでした。
私は勤めていた会社をやめ、念願の主婦業に専念することになりました。

新婚旅行から帰って1週間目くらいにけっこう大きな荷物が送られてきました。
それはダブルベッド用の羽根枕でした。有名デパートからの送り状には結婚祝いと書かれていましたが
送り主の名は記されていませんでした。主人に尋ねると、
「よくわからないけど友達の一人じゃないか、名前を書き忘れたんだろう」ぐらいの反応でした。
手入れが難しそうと思いましたが、たいへんよいデザインでしたのでさっそく使わせていただくことにしました。

それから2〜3日は何事もなかったのですが、ある日朝起きると主人が目が痛いと言い出しました。
見ると両方のまぶたが腫れ上がり、白い部分が充血して真っ赤になっています。
これではとても会社には出られないからと、病欠の届けをして眼科に出かけました。
私は朝食の後片付けをし掃除を始めましたが、寝室のベッドの枕を見て妙なことに気づきました。
ダブルの羽根枕の主人の側のほうにだけ、ポツポツと鉛筆の先でつついたようなくぼみがたくさんあるのです。
それは穴になっているわけでも汚れているわけでもなく、手で押しなでると消えてしまうくらいのものでしたので、
何だろうとは思いましたが、すぐに忘れてしまいました。
37本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 00:24:19.31 ID:ew0mcqpH0
眼科から主人が帰ってきて「寝ている間に無意識に目をこすってばい菌が入ったんじゃないかと言われた」
とのことでした。翌日にはまぶたの腫れはひき、
一週間ほど目薬を点しているうちに充血もとれてきたので安心していましたが、
ある夜、12時過ぎに寝たので時間は2時くらいでしょうか。ふと嫌な気配を感じて夜中に目が覚めました。
何かが布団の上を歩き回っているような気がするのです、それも一つや二つではなくたくさん。
重さは感じないので大きなものではないようです。怖くなって目をつぶったままでいると、
それらは隣で寝ている主人の方に集まっていくような気配です。
つんつんというような音がかすかに聞こえ始め、主人がうなされ出しました。

私は思いきって上半身を起こすと枕元の灯りのスイッチを押しました。するとそこに見たのは、
5〜6羽くらいの鳥でした。たぶん鶏だと思います。どれもいっさい羽根がなくブツブツした鳥肌の状態でした。
主人の顔の辺りをつついていた鶏たちは一斉にこちらを見ました。鶏の目は煮た魚のような白で瞳がありません。
一羽がこちらに向かって蹴るように片足を上げました。そこに爪はなく足先は折れた割り箸のようになっていました。
私は絶叫しました。
「何だ、どうした」そう言って主人が起き上がりましたが、その両方の目の端から血が流れていました。
私はベッドから跳ね起きて部屋の入り口の方に後ずさりしました。その時には鶏たちの姿は消えていました。
「うわ、なんだこれは」そう言ってベッドの上では主人が両目をティッシュで押さえています。
布団と枕の上には羽毛が散らばっていました。
38本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 00:25:14.15 ID:ew0mcqpH0
主人の目は血が出ているものの、それは目尻の傷で視力そのものに影響があるわけではないようでした。
「あなた、鶏が、鶏が・・・見た?」と離れたまま私が聞くと、
「一瞬だけど目を開けたときに顔の上を何かが横切った・・・あれは鶏なのか?」そういって
主人は「この間のもこれか、この羽根、この枕に関係あるのか?」そう言って枕カバーを引きはがすと、
枕とカッターを持って浴室へ向かいました。私も後に続きました。
浴室で枕を切り裂いてみると、羽根が偏らないようにいくつかの部分に分かれている枕の中央部から
白い布でくるんだ棒のようなものが出てきました。その布をほどいてみるとカラカラと乾いた音をたてて
浴室のタイルにこぼれたものがあります。干からびた鶏の足先がいくつも。

それだけではありません。くるりと丸められた紙が一枚、開いてみるとデジカメと思われる写真でした。
主人と私であろうツーショットの写真。どこで撮られたものかもわかりません。写真の中の主人は両方の
目の部分がくり抜かれ、私は頭全体がなくなっていました。そして裏には毛筆で書かれた梵字?のような
ものが隙間なくびっしりと。
次の日一通のはがきが届きました。やはり差出人の名前はなく文面はワープロでシールに打った文書を
貼り付けたものでした。そこには、
「昨夜は驚いたでしょう。どうやら効果は本物みたい。○○(主人の名前)さんはそんなに恨んでないから
あの程度だけど、あなたは別。願いがかなうまで1年くらいかかるでしょう。それまで楽しみにしていてね。」
と書かれてありました。


39本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 22:36:21.54 ID:p3V+0kF60
別に怖い話ではないんだけど、奇妙な話なんで書いてみます。

自分はフリーのライターをしていて、得意分野は歴史、旅、温泉、神社仏閣、アメカジ、ホラー映画
洋楽など多岐にわたります。地方から上京してきて業界誌の編集を経てフリーになりました。
人脈もあまりなく、また昨今の出版不況もあいまって食っていけるようになるまで大変な苦労をしました。
いや今でも、原稿書き以外のカルチャー・スクールの講師やイベントの司会なども合わせてやっと生活が
成り立っているようなありさまです。

自己紹介はこれくらいにして、先日とある若手実業家の立食パーティにお招きをうけて行ってきました。
その人は三〇代に入ったばかり、自分より五つくらい年下ですがなかなかのやり手という評判で、
最も力を入れている事業が今や日の出の勢いのインドとの貿易だそうです。
なんでも新しくファッションと文化をからめた雑誌を出すらしく、廃刊雑誌の話題ばかりの出版業界で
何をやっても芽はないと思うのですが、これは赤字上等の税金対策じゃないかという噂もありました。

パーティはホテルのワンフロアで行われ、若干の会費はありましたが料理や酒は豪勢なもので、持ち出しが
多かっただろうことは想像できます。まあその実業家にしてみれば顔つなぎのつもりで、
要はそれだけ他で儲けてるってことなんでしょう。
自分は開始時刻より少し遅れて会場に入りました。ラフな服装の人が多い中で
主役の実業家だけは長身に黒のタキシードを着こなし、声も張りがあって一目でそれとわかりました。
40本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 22:37:04.81 ID:p3V+0kF60
こういうホテルでタキシードを着て、けしてボーイに見えないというのは若くても貫禄のある証拠なのですが、
なぜか両の手を行儀悪くタキシードの下のズボンに突っ込んでいます?!
実業家が談笑の中心にいて、グラスを持った人たちが周りを取り囲んでいます。中には知った顔もちらほらと
見えます。自分もブランデーのグラスをもらってそちらに近づいていくと、
どうやらインドについての話をしているらしく、拝聴することにしました。

「・・・で、このインドのロープ魔術の実在には英女王からの賞金も出されたんだけど、ついに実態はつかめなかった。
また近代に入っても同じ条件で実演できた奇術師はだれもいない。」

ははあ、と思いました。インドの伝説のロープ魔術の話のようです。
広場で老魔術師が笛を吹くとトグロを巻いていた麻のロープがひとりでにスルスルと宙に昇っていき、
ある長さまでに達すると魔術師の弟子の少年がロープをよじ登って姿が見えなくなります。
老魔術師が口に短剣をくわえて少年を追いかけていき、
上空で悲鳴があがると同時に少年の手足胴体がバラバラになって地面に落ちてきます。
ロープをつたって降りてきた魔術師が、少年の体の部品を拾い集めて箱に入れ気合一閃。
すると箱からは五体満足の少年が無事に出てくるという一幕で、イギリスのインド統治時代の本で有名になりました。
41本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 22:38:14.17 ID:p3V+0kF60
この魔術はいろいろとタネが推察されていて、行われるのは薄暮の時間帯に限られること、また高い木のある
場所でしか行われないことなどからある程度の想像はできます。また落ちてくる少年の手足は作り物で、
双子のトリックも合わせて用いられていると指摘するむきもあります。
・・・講釈はこれくらいにして話の続きを聞きましょう。

「・・・で、何とか魔術の実態を知りたいと思っていろいろ調べた、インドに足を運ぶたびにね。」

聴衆の一人が、自分が上に書いたような解釈を口にしました。

「いや、いや、いや、この世に不思議は本当にあるんだよ。ずいぶん金もかかったけどついに見つけた。もちろん
ほんものの魔術だよ。それどころか、実際に自分で魔術を体験させてもらったんだ。いやいや、僕に魔力はないから
弟子の少年のほう、魔術師にバラバラにされる役回りさ。」

実業家が反応を確かめるように周りを見回すと、みな流暢な話しぶりにすっかり引き込まれています。
42本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 22:40:43.67 ID:p3V+0kF60
「いや痛かった。切れ味鋭い剣だけどやっぱり痛い。血もだいぶ出たさ。それでね、一つ困ったことが起きたんだ。
どうやら魔術師が体をくっつけるときに間違えたみたいなんだよ。僕の腕をね、右と左を取り違えたみたいなんだ、ほら。」

そう言って実業家は芝居気たっぷりに両の手を、掌を上に向けてズボンから出します。
すると普通は外に向かってついているはずの親指が両方とも内側を向いているのです。
ひっ、と息を呑む音がし、聴衆は静まりかえります。しばらくの間。

「・・・なあんてね。いや冗談ですよ。この世に不思議はありません。ただし術はあります。
私もインドは長いので、先生についてヨーガを習ってたんですよ。それで体の関節を自在にできるようになったんです。」

そう言うと実業家はちょっと顔をしかめ、ゴキゴキと音を立てて腕を元に戻してみせたのでした。

43本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 00:50:02.95 ID:qaa3K/+f0
私の体験を書きます。
私はごくごく平凡な家庭の生まれで、父は高校の教師をしていましたが
校長にも教頭にもならず退職しました。私自身も堅実に公務員をめざして勉強に励み、念願がかなって
今は県の水道局で技師をしております。

本題に移ります。
私は子供の頃から同じような夢をくり返し見ていました。それも悪夢でもないやはり平々凡々とした夢です。
この夢を見るときは、寝入りばなに夏でも薄寒いような何とも言えない奇妙な感覚があって、
気がつくともう夢の中に入っているのです。

どんな夢かといいますと、典型的な田舎の街路を歩いているだけです。
夢の中での季節は夏の時もあれば冬のときもありました。冬の場合は道ばたに雪がつもったりしているわけです。
これは現実の季節と同じ時も、まるで違っていて秋なのに夢の中では春の花が花壇に咲いていることもありました。
普通の夢のようなぼんやりしたものではなく、夢の中の風景の質感はリアルそのものです。
ただ私自身は歩きながら、ああこれはいつもの夢だなということを理解しているのです。
44本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 00:50:34.33 ID:qaa3K/+f0
田舎といっても夢の中で通るのは田んぼ道ではなく舗装道路で、両側は町並みです。黒い板塀や生け垣の
並んだ道を何か探し物をしているような気ぜわしい心持ちで、下を向いてずっと歩いていくのです。
この道をずうっと行くと、左手に火の見櫓と消防ポンプの入った木造の小屋が見え、さらに行くと右手に
小さな郵便局がありそこで道は右に折れて、向こうの突き当たりにお寺の門が見えます。

道は全長二kmくらいのものでしょうか。不思議なことに私が歩いている間は車はおろか人っ子一人通りません。
そこをとぼとぼとした感じで歩いていくのですが、毎回違うところで夢は終わります。
ある家の門の前までくると急に、目的が達せられたような実にほっとした感じがしていつもそこで目が覚めます。

そして私が立ちどまる家は毎回夢を見るたびに違っているのです。
郵便局を曲がった突き当たりのお寺にまでたどりついたことはありません。
そして一仕事しおえたような充実した感じは、目が覚めてからもしばらく残っているのです。
ですからこの夢を見るのは私はけっして嫌いではありませんでしたし、誰かに相談したこともありません。
45本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 00:51:32.14 ID:qaa3K/+f0
この夢を見るのは一年に一回までの頻度はありません。三年に二回くらいのペースで、私が小学校六年生になったときに
見たのがはじめてです。それからもう三十年近くもたつのですが、面白いことに夢の中の田舎町も、
私が成長し時代が進むにつれて様相が変化していくのです。
例えば街灯一つをとってもずいぶん現代的な形に変わってきています。現実の時代の進歩とリンクしているといえばよいでしょうか。
ただちょっと見では町は繁栄しているという様子ではなく、なんだかさびれていっているような感じがしますが、
今日び田舎はどこもそんなものかもしれません。

そして先日のことです。年度末の三月に珍しく一人で出張することになりました。
このようなところに書いてはいけないのでしょうが、出張旅費の予算が余ってしまいそれを消化するための視察旅行です。
このような場合、たいがいは大きな都市の近代的な設備を見てくることになるのですが、担当部署から回されてきた
計画書の行き先は辺鄙な田舎町の浄水場でした。

何でもその町では地元の農業高校と共同研究をしていて、
浄化槽の生物濾過にちょっと変わったバクテリアを用いているのだそうです。
そんなものを見ても機械専門の私にはおそらくちゃんとは理解できないでしょうが、
要はパンフレットをもらってきて報告書を書けばいいだけですので、この忙しい時期、独身の私には頼みやすかったのでしょう。
46本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 00:53:20.39 ID:qaa3K/+f0
計画では電車を乗りついでその町の駅までいき、そこからタクシーで川沿いの浄水場に行って視察をします。
そして町中へタクシーで戻り、一泊して次の日の午前に電車で帰ってくるというだけですが、
上で書いたような事情があり十分な旅費をいただいています。
浄水場では事前に上から話を通してもらっていたこともあり歓迎していただきました。
また研究している内容も素人の私からみても興味深いものでした。

そこでタクシーを呼んでいただき町へと戻ります。
ホテルなどない町でしたので昔からの商人宿のようなところを予約してあります。
タクシーが町中に入り二・三回交差点を曲がると町の風景に見覚えがあります。
この道はあの夢でいつも見ている町そのものです。タクシーの窓から下の部分だけ見える火の見櫓もまったく同じです。

私はタクシーを停めてもらい領収書を受け取りました。子どもの頃から夢で見ていた謎がとけるかもしれないと思ったからです。
道を歩き始めて、風景は最後にこの夢を見た二年前の記憶とほとんど変わりありません。
ただ夢と違っているのは道行く人がちらほらといて車通りがあることです。
雪解けの道を歩いていくと、黒いフードをかぶったお婆さんとすれ違いました。
お婆さんは私の姿をちらっと見るとぎょっとしたように立ち止まりこちらの顔を穴のあくほど見つめましたが、
その歳でよくもという勢いでフードを両手で引っ張り顔を隠して走り去っていきました。
47本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 00:54:36.86 ID:qaa3K/+f0
それだけではありません。次にはちょうど家の門を出てくる私と同年配の男の人と鉢合わせたのですが、
その人はこちらの顔を見るなり、何とも情けないような表情になりすぐに家に引っ込んでしまったのです。
その後数人の人に出会いましたが、どの人も私を見ると、この世の終わりが来たような顔つきでその場を去ってしまうのです。
何なんだと思いながら歩いているうち、道の行き止まりになっているお寺に近づいてきました。

私はわけがわからないながらも参詣だけでもしていこうとお寺の門をくぐりました。
本堂の前で作務衣の上にジャンバーを着た七十代くらいのお坊さんが掃き掃除をしています。
そして私の気配に気づくとつかつかと歩み寄ってきて、しげしげと確認するように私の顔を見つめると、
「あんた、何でこんなとこに来た。帰りなさい、大変なことになる前に。」と強い口調でまくしたててきます。

私が「出張ですが・・・私のことをご存じなんですか?」と問い返すと、
「この町で、あんたのことを知らない人間はおらんだろう。まさか実際に来るとは思わなかった。・・・どうだ来てみた感想は。」
「そうですね、失礼ですがあまり活気がある感じはしません。それに、町の人はよそ者が嫌いなのでしょうか、
私の姿を見ると逃げていってしまうんですよ。」私が冗談めかしてそういうと、

老僧は「活気がない・・・そうだろうこの町には人の魂をとっていく幽霊が出るんだ。何十人もここで葬式をあげた。」
と、にこりともせず応じます。
私が「幽霊、まさか。何かの冗談なんですか・・・どんな幽霊です?」とさらにおどけた口調でいうと、苦々しそうに
「あんたの幽霊だよ。」そう言い残して、後ろも見ず足早に寺務所の中へと歩み去っていきました。
48本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 01:16:08.16 ID:yVnj6uOo0
ということで、発想から投稿まで1時間以内という制約を自分に課して練習をしています。
1時間でできなかった日は投稿しません。何かお題があれば出してください。書ければ書きます。
例えば「吸血鬼」とか「エレベーター」とか「カボチャ」とか。・・・「カボチャ」は無理かもしれん。
49本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 19:42:43.58 ID:ng00yyYu0
リクエストがないんで「カボチャ」で書いてみる。
50本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 20:37:03.86 ID:lJwIxMFP0
怖い話ではありませんが「カボチャ」にまつわる話ということでしたので書いてみます。

もうずっとずっと昔の太平洋戦争中のことになります。
わたくしはその頃、まだ国民学校にあがる前の幼女でございました。
当時わたくしの家族で家におるのは、母と祖母、十四歳の姉、十歳の兄、そして五歳のわたくしでした。
職業軍人であった父と二十二歳の長兄は出征しておりましたのです。

それぞれの出征の日には町内会をあげて見送りをしていただき、
わたくしはずいぶん誇らしい気持ちになったものですが、今にして思えば母や姉にとっては
さぞや複雑な心境であったろうと推察されます。

それで「カボチャ」ですが、当時は都市部はどこも食糧難でありまして、
公的な配給だけではまったく不十分で、栄養失調で亡くなる子供も多かったものです。
そこで庭のある家では植木などを抜いて畑とし、野菜を植えて少しでも食料の足しになるようにしておりました。

たいがいは腹の足しになるカボチャやイモを植えたもので、
これが原因で、わたくしたちの世代ではこれらの野菜にお世話になりながらも、
食料が十分にある今では姿も形も見たくもない、という方もおられるようでございます。
51本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 20:37:48.40 ID:lJwIxMFP0
さて、わたくしの家でも庭にカボチャを植えておりまして、わたくしも摘心や玉直しなどの手入れを
よく手伝わされたものです。収穫したカボチャはひと月くらい置いておきますとデンプンが糖分に変わって
甘みが増すため、その時期には床の間にいつも数個のカボチャが転がっておったものでした。

父は大陸、兄は南方方面へと出征しておりましたが、兄の誕生日に内地でもささやかながらお祝いをしようと
まだ熟していないカボチャを二つ収穫しました。鶴のように痩せていた父とは違い、出征前の兄は体格がよく、
顔なども丸々と太っておりましたので、二つあるうちの大きな方をこれは兄の分、
やや小さい方を父の分といたしまして、並べて床の間に飾っておいたのであります。
 
それから一週間ほどたった夜のことです。わたくしは夜半にお手洗いに起きたのですが、
寝間からは長い廊下を通って厠まで行かなくてはなりません。
そして座敷の横を通ったとき障子越しに座敷の中がぼうっと光っていることに気がつきました。
当時の薄暗い裸電球とは異なる不思議な白い光です。

なんだろうと、さほど怖いとも思わず障子を引き開けてみますと、座敷の床の間にあるカボチャの片方が
内部から発光するように淡く輝いているのです。そうしてわたくしがぼんやりと見ておりますと、
カボチャの表面に濃淡のある陰ができ、それがだんだんと人の表情のように変わっていったのです。
かなり容貌はやつれ、様変わりしているものの確かにそれは兵隊に出ている長兄の顔でした。
52本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 20:38:25.31 ID:lJwIxMFP0
その顔はしきりに目を動かしてあたりを見ようとしていましたが、
さらには口を開けて何かを言おうとしているように見えます。
数回口が動きましたが、そのまま誰かに後ろに強く引きはがされるようにして顔は消えてしまいましたので、
何を言いたかったかったのかはわからずじまいでした。

わたくしは朝になってから家族にこの出来事を話したのですが、母も祖母もわたくしの話を聞きますと、
そんな馬鹿な、とも言わず押し黙ってしまいました。
そして兄の戦死公報が届いたのはそれから三日後のことでした。

これは後になってからわかったことですが、南方の兄の部隊は戦闘よりも食糧不足がひどく、
戦死よりもマラリアなどの病死、病死よりも餓死が多いという有様だったそうです。
敗戦が決まって数ヶ月後、父は無事生還してまいりましたが、
この話を聞きますと兄の霊が最後に何を言いたかったのかわからなかったことをしきりに残念がっておりました。

最後になりますが、兄の霊が写ったのは二つ並べたカボチャのうち、兄のためにと摘んだ大きい方のカボチャではなく
小さい方のカボチャであったことを言い添えておきます。
父親に遠慮をしたのか、ただの偶然なのか、また何か別の理由があるのか、そこのところは判然といたしません。
乱筆のスレ汚しご容赦ください。
53本当にあった怖い名無し:2012/06/22(金) 20:40:21.23 ID:lJwIxMFP0
発想のノート

まず「カボチャ」という題で頭に浮かんだのはハロウィンのカボチャ、ジャック・オー・ランタンだけど、
これを使うとどうしても話がバタ臭くなってしまう。
次に頭に浮かんだのはシンデレラのカボチャの馬車で、この寓話を現代に置き換えて一つの話にすることは
できそうだけど、長くなるしカボチャが主役になりそうもない。

で、カボチャ、カボチャと考えているうちに出てきたのが、向田邦子のエッセイ。たしか戦時中に学童疎開
から帰ってくる妹のために、カボチャをたくさん収穫して床の間に並べた。普段小さいのをとると怒る父も
このときは何も言わなかった、という話を思い出して舞台を戦時中ということにしたら、あとはとんとん拍子に
できた。むろん決してよいできの話ではない。やっぱお題をいただくというのは無理だな。
54本当にあった怖い名無し:2012/06/23(土) 23:00:01.77 ID:83LnbGlA0
私はごく平凡な団体職員で二児の父です。怖い体験をしたので投稿します。
去年の七月のことですからもうすぐ一年になります。第三の土日に地域の神明社のお祭りがあり、
小学生男児二人をつれて夕方から夜店巡りをすることにしました。

本来なら子供らは昼のこども神輿に毎年参加しているのですが、今年はスポ少のサッカーの大会とかち合ってしまい、
親の会の幹事として送迎や昼食などの手配をした女房はすっかり疲れきって家で休んでいると言いましたので、
お祭りは明日もあることですし、三人で出かけていきました。

商店街の奥の俗に山皇さんと呼ばれる神社の例祭なのですが、大きな規模ではなくどこにでもあるようなお祭りです。
商店街も日常的に商売をしている店はだいぶ少なくなりましたが、空き店舗の前を借りて夜店がたち並び、
地元の女子中高生は浴衣に化粧をして参加したり、この二日間はけっこう賑わいます。
昼にこども神輿があり夜は大人の山車が出て、神社ではお神楽も行われます。

子供の頃からこの地域に住んでいましたので、私は30分も見て廻ると飽きてしまいましたが、
子供らはチョコバナナを片手に興奮しています。次は焼きソバか焼きイカか・・・この分では自分たちの夕食は
いらないと女房に連絡した方がいいかなと思っていると、珍しく金魚売りの屋台が出ていました。
55本当にあった怖い名無し:2012/06/23(土) 23:00:31.34 ID:83LnbGlA0
金魚すくいなら当たり前ですが、大型水槽をいくつも並べて高級金魚と呼ばれる種類を売っていました。
ほう、と思いました。なぜなら私の趣味は熱帯魚の飼育で、家には三本の水槽があり金魚も飼っています。
しかも売り手は顔見知りです。小さなお祭りですので、専門の香具師ではなく地元の人が立てた屋台のほうが
多いくらいで、ここでは近くの工務店の社員が店主を務めていました。

私が「へええ、お祭りで売るにはいい金魚じゃないか。」と声をかけますと、
「あっどうも○○さん、いえね、ちょっと事情があって安く仕入れられたんですよ。ほら震災がありましたでしょう。
あれで水槽が壊れたり、停電で魚が死んじゃったりして熱帯魚やる人がだいぶ減ってしまって、チェーンではない
個人の熱帯魚店がけっこうつぶれてるらしくて、そういうとこから手に入ったんです。」という話。

確かに相場よりもだいぶ安いので何匹か買っていこうと子供らも交えて品定めをし、10cmくらいの琉金一匹と
オランダを一匹、あと一匹分は水槽に余裕があるかなと思って見ていると、水槽の奥から泳ぎだしてきた黒い金魚が
気になりました。「あれ、黒いので出目金じゃないのは珍しいね。それももらおう。」

ということで、私は三匹の金魚を入れたビニール袋、子供らは綿菓子やヘリウム風船を持って家路につきました。
買ってきた金魚は入念に温度合わせ、水合わせをして玄関にある金魚の水槽に放ちました。
翌日の日曜日は子供たちも予定がなく一家して朝寝する予定でしたが、
「お父さん、金魚の水槽がたいへん!」という子供の声で起こされました。
56本当にあった怖い名無し:2012/06/23(土) 23:01:03.42 ID:83LnbGlA0
わたしはてっきり昨日のお祭りで買った金魚が死んでいるのかと思いましたが、水槽を一目見て愕然としました。
「何だこれは。」水槽の中は魚のうろこやはがれた皮、頭部などがフィルターの水の流れにのって渦巻いていました。
まるで大型の肉食魚が暴れ回って食い散らかしたような状態です。魚の体液の濾過が追いつかず水が泡立っていました。
急いで残骸を網ですくい出し水替えをしましたが、十数匹いた金魚のうち生き残っているのは、初めからいた二匹と
昨日買った黒いのの計三匹だけ。

熱帯魚の飼育家というのは、魚が死んだ場合水質や器具の不全など原因を特定しようとするものですが、
なぜこんなことが起きたのかまったく見当もつきません。金魚はもともと鮒ですので口に歯はなく(喉にはあります)
また共食いするなどという性質も持ち合わせてはいないはずです。猫などは飼っていませんし、家に侵入したとも
考えにくいのですが、その可能性を考える他はありませんでした。

その後水槽を丸洗いしたので何とか水はきれいになりましたが、広い水槽に金魚は三匹。二匹は隅の方に固まって、
黒い金魚だけが悠然と中層を泳いでいます。その後特に何も起こらず一週間が過ぎたので、
ためしに二匹だけ新たに金魚を買って入れてみましたが、そのときは特に問題はなさそうでした。

次の朝、朝食の準備をしようとしていた女房が何気なく水槽を見て大きな悲鳴をあげたのです。
行ってみると、水の中に黒い髪の毛状のものがたくさん詰まってぐるぐる回っていました。
まさに髪の毛にしか見えませんでしたが、おそるおそるすくい上げてみるとそれは黒く長い藻の固まりのようでした。
短いヒゲ状のコケはよく出るのですが、こんなのは見たこともありません。一夜でこれだけ繁茂することもありえません。
実に異様で気持ちの悪い光景でした。そして四匹の金魚は水面に浮き、生き残っていたのは黒い金魚一匹だけ。
57本当にあった怖い名無し:2012/06/23(土) 23:04:24.37 ID:83LnbGlA0
その時は出社時間が迫っていましたので何ともできませんでしたが、会社でもずっと水槽のことを考えていました。
そして馬鹿馬鹿しいとは思うのですが、お祭りで買ったあの黒い金魚のことが気になってしかたありませんでした。
帰宅してすぐ、私は網を持って水槽に向かいました。黒い金魚をすくい出して近所のドブ川に放そうと思ったのです。

腕まくりをして水槽に手を入れると、黒い金魚は右へ左へと逃げ回ります。それがこちらをあざ笑っているかのように
思えて意地になって追い回していると突然腕に鋭い痛みが走りました。すぐに腕を抜きましたが水槽の水が赤く濁りました。
右の手首が深くえぐれるように切れていました。

私は大きな声をあげ、女房にタオルを持ってこいと怒鳴りました。どうやら太い血管が切れたらしく噴き出すように
血が流れます。タオルで強く圧迫しながら、女房の運転で近所の外科医にいき、
すごい傷ですねと驚かれながら処置をしてもらいました。

病院から帰る頃にはあたりはすっかり暗くなっていました。玄関先で車から降りると、生け垣の前に六十代と思える
男女が並んで立っていました。そして私に向かって深々と頭を下げてきます。私は仕事関係の知り合いの方かと思って
お辞儀を返しましたが、頭をあげてみるとその姿は消えていました。
車をガレージに入れてきた女房に聞いてみましたが、そんな人たちは見ていないとのこと。
家に入るとすぐに水槽を見てみたのですが、黒い金魚の姿はどこを探してもありませんでした。

その後、暇を見つけてお祭りのときに金魚を売っていた工員のいる工務店に行きました。昼休みの工員をつかまえて
話を聞かせてもらいました。お祭りで売っていた金魚は廃業した熱帯魚店で仕入れたこと、廃業になったのは店主夫妻が
自殺したからであること、夫妻で店内で首をくくったがご主人のほうのヒモが外れて水槽に頭から突っ込んでいたらしいこと
・・・などです。その水槽にあの黒い金魚がいたのかどうかはもちろんわかりません。
58本当にあった怖い名無し:2012/06/24(日) 21:28:50.63 ID:ugQUNtnG0
これはわたしが子どもの頃に本当にあった話です。

よい月が出ている七月の宵、下の瀬の嘉吉が一杯機嫌でふらふらと村の一本道を歩いています。
小辻の地蔵堂まで来たとき、名前を呼ぶものがあります。
「こ〜れ、嘉吉」
嘉吉は提灯を突き出してあちこち見回しますが、人影一つありません。

「こ〜れ嘉吉や、お前の寿命は明日の正午までだぞ」
どうも声は地蔵堂の中から聞こえてくるようです。
「こらあ、地蔵さまかい?オラの寿命がなんとしたて?」嘉吉が尋ねますと、
「そうだ、われこそは地蔵尊なり。お前は因業が深いゆえに明日までの命と決まった」
「そんたらごだ嫌じゃ。因業たたて、オラ清く正しく生きできただど」と嘉吉。

「ほぉ〜、作二の田んぼの堰を切って自分の田に水を引いたのはだれじゃったか・・・
 丘の御陵から古鏡を掘り出して売ったのはだれじゃったか・・・子どもの頃に茂市を川に突き落として・・・」
「もーええじゃ、もーええからやめでけろっ。オラぁ死にだくねえだだぁ」
59本当にあった怖い名無し:2012/06/24(日) 21:30:47.99 ID:ugQUNtnG0
「それでじゃ嘉吉、お前は毎日弁当を少し残してこの地蔵堂に供えるなど奇特なところもある。よって
 命のたすかる法を授けてやろう。明日の正午きっかりに、死神がお前を迎えにくるゆえ、
 お前がこの村でもっとも憎いと思う者に小便をかけてお前の臭いをつけろ。
 さすれば死神が間違えてその者を連れて行くよう取りはからってやろう」
「お地蔵様、ありがとうごぜえますだ。ああ、ありがてえ」嘉吉は平伏して何度も地面に額をこすりつけます。

さて翌日は村の檀那寺珍宝寺で昼から説法会がありまして、和尚のどんたく上人はもうすでに袈裟に着替え
茶などすすっております。「これ小僧、とん念はおるか」
「何でしょうか、和尚様」「村人らは集まっておるか?」「はい、百人ばかりも来ております」
「百人と?今回は馬鹿に多いの。よいよい、お前は正午になったら鐘をつけ、さすればわしが説法を始めようぞ」

どんたく上人が本堂の縁に進み出ますと、村の衆の老若男女は玉砂利にひざまずいておりましたが、
陽気がよいせいか竹筒やひょうたんから水を飲んでいる者の姿が目立ちます。ゴーンととん念のつく鐘が鳴り、
上人がまさに説法を始めようと大きく息を吸い込んだところ、
奥沢の庄助が不意に立ち上がり、「すまねえっ、オラの変わりに死んでけろ〜」そう言って着物の前をはだけて
走り出し、蕗山の多平の頭めがけて小便をかけ出しました。
60本当にあった怖い名無し:2012/06/24(日) 21:31:41.82 ID:ugQUNtnG0
それと同時に男も女も多くの者が立ち上がり、目指す相手を見つけては尿をかけようとします。
「たのむ、身代わりになってけろぉ」「家族の面倒はちゃんとみてやるけえ、死にくされ〜」
「オラの代わりに死ぬがええだぁ」「あああ、かける前に全部出ちまうだあぁ」
子が親に、女房が旦那に尿をかけている姿も見られます。本堂はたちまち小便臭くなってしまいました。
どんたく上人の前にも村人が十人ばかり、ふんどしや腰巻をたくし上げた姿でじりじりと迫ってきます。

「くわぁ、かあー喝!喝!!!!!」どんたく上人があらんかぎりの声を張り上げて床をどーんと踏みならしますと、
狼藉の限りをつくしていた村人たちは、はっと我に返ったように小便の溜まりにへたりこみます。
「ま〜た狸じゃ、やれやれ。なんでお前らはこう馬鹿ぞろいなんかいの。・・・ちゃんと掃除しとけよ」
どんたく上人はそう言い捨てると、不機嫌そうに本堂の奥へ引っ込んでしまいました。
そうして翌日から、村は平和な日常へと戻ったのです。

これはわたしが子どもの頃に実際に起きたできごとです。
61本当にあった怖い名無し:2012/06/25(月) 00:43:22.65 ID:IQdGEjly0
長い

読みにくい

つまらん
62本当にあった怖い名無し:2012/06/25(月) 20:37:43.21 ID:BJubRJDG0
長く書かないと練習にならんのだよ。
今日は疲れているのでパス、そのかわり前に洒落怖に書いたのを再投稿しておきます。


63本当にあった怖い名無し:2012/06/25(月) 20:38:17.84 ID:BJubRJDG0
自分は子どもの頃から大学に入るまでずっと浜で育ったんだけど、
海辺ならではの不思議な話がいろいろあった。
自分の家はその界隈で一件だけ漁師ではなく親父は市役所の勤め人だった。
砂浜があって国道がありその後ろはすぐ山になっていて、
その山の斜面にぽつんぽつんと家が建っていて、
浜に漁のための小屋があるようなところ。

自分が小学校頃までは8月の最初の週、
7日の日までは漁師は漁に出ちゃいけないことになっていて、
特に7日の晩から朝までは子どもは家の外へも出ちゃいけないことになってた。
何でも沖に「ふだらく様」の舟が来て外に出ている子どもは引かれてしまうらしい。
こういうのは神隠しとか普通は女の子が危ないんじゃないかと思うけど、
特に本家筋の跡取りの男の子なんかが危ないという話だった。
大人達は集落の公民館に集まって朝まで酒飲むし漁師だから喧嘩もする。
夏休み中の子どもは家でおはぎを食べて早く寝るという日なんだ。
ただそんな日でも国道は少ないながらもときたまは車が通ってるわけだし、
世の中が合理的になったのか自分が中学校になる頃には行われなくなった。
64本当にあった怖い名無し:2012/06/25(月) 20:38:48.20 ID:BJubRJDG0
それでもやっぱり8月7日前後は海で遊んじゃいけないとは言われてたんだけど、
中学校2年の8月6日の日の朝に浜に出て水死体を発見した。
岩場になってるところを歩いていて外国のブイなんかの漂着物を探していたら、
海中2mくらいのとこに人のお尻が見える。
あわてて大人を呼んで、引き上げられたのは近くに帰省してた大学生だった。
波で海パンが脱げて頭を下にして沈んでた。
その前日の午後には亡くなってたのだろうと来た警察の人が言っていた。
自分がまだ当時健在だった爺ちゃんに「ふだらく様」と水死した人は何か関係があるのか聞くと、
「関係あるかもしれないね、ふだらく様は男が好きだから」という話。

その出来事で自分は子どもながらもすごくショックを受けたんだけど、
次の日が8月7日で本来の忌み日。ちょうどテレビで怪談特集とかやってて
自分は見ないで早く寝た。けど早く寝すぎて夜中の2時過ぎ頃トイレに起きてしまった。
その頃は実家も改築する前で、家の外にボットントイレがある状態。
トイレは山側なので浜を見ることはないけど、
まだ暗い夏の闇の中を裏戸から出て歩いていると
沖の方からドン・ドンと太鼓を叩くような音がかすかに聞こえてくる。
自分はその時「これは、ふだらく様だから見にいっちゃいけない」と思った。
65本当にあった怖い名無し:2012/06/25(月) 20:40:51.89 ID:BJubRJDG0
思ったけど自分は馬鹿だから見に行ってしまったんだよ。
そしたら国道をはさんで沖の方に板屋根のついた昔の小さな舟が浮かんでいる。距離感がよくわからない。
本来沖は真っ暗で見えるはずがないんだけど、赤い光がその舟を包んだようになってて見えるんだな。
沖は波が荒いのか舟は上下に浮き沈みしてて、よく見ると舟には何本か鳥居がついている。
太鼓の音も小さく聞こえていて、自分を呼んでいるような気がする。
しばらく見てるうちにぼうっとしてきて浜の方に歩き出そうとした。
そのとき国道を大きな音をたてて大型トラックが通って目が覚めたようになった。
もう一度見たら沖の舟は消えていた。
まあそれだけの話。怖くなくてすまん。



これは洒落怖向きに書いたんだけど、もっと長くできる話なので、あとで10倍ぐらいに字数を増やして
短編に仕立てようと思っている。
66本当にあった怖い名無し:2012/06/27(水) 12:06:57.11 ID:MEfr1j/T0
接続詞が少ない。
一文が長すぎる。
テンポ良く読めない。

以上に注意して書いてみてください。
67本当にあった怖い名無し:2012/07/14(土) 02:31:41.20 ID:i+zcPOGN0
長い割に読み応えが無くネタとしては駄作の部類
68 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 :2012/08/07(火) 01:11:02.39 ID:swofOonS0
>>‎1
69本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 07:36:18.51 ID:knUTxdui0
テンポ悪すぎてくそつまんね
完全に駄作
時間返せ
70本当にあった怖い名無し:2012/08/19(日) 15:40:25.24 ID:yTuvpxi0O
ポワポワウフフ
71本当にあった怖い名無し:2012/08/19(日) 16:32:25.87 ID:S+R5r8VWO
長いのは読む気せんな
もっとシンプルに、できれば三行くらいで
おばけがでた、ひゃああ
でもいいんだよ、怖かったら
72ふだらく様 1:2012/08/22(水) 22:40:51.42 ID:TfDuHLVl0
しょうがねえなあ。俺が推敲してみます。

ふだらく様


――補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた捨身行である。こ
の行為の基本的な形態は、南方に臨む海岸に渡海船と呼ばれる小型の木造船を浮かべて
行者が乗り込み、そのまま沖に出るというものである。その後、伴走船が沖まで曳航し、
綱を切って見送る。場合によってはさらに百八の石を体に巻き付けて、行者の生還を防止
する。
船上に設置された箱の中には行者が乗り込むことになるが、この箱は船室とは異なり、
乗組員が出入りすることは考えられていない。すなわち行者は渡海船の箱の中に入ったら、
壊れない限りそこから出ることはない。
渡海船には艪(ろ)、櫂、帆などの動力装置は搭載されておらず、出航後、伴走船から切
り離された後は、海流に流されて漂流するだけとなる。

「三千円、持ってきたか?」
「今日はこれしかないよ」
 私は一枚の千円札を見せた。
「おい、てめえ、なめてんじゃねえよ」
 ゴンは私の髪をつかんだ。
「払えねえなら、これ食えよな」
 やっこが割り箸を近づけてきた。子供というのは残酷なもので、先端に青虫を突き刺し
てある。まだ生きていて、うごめいている。
 ぴろしが私のあごをつかみ、無理やり口を開かせる。
 人はなぜいじめをするのだろうか。弱い者からむしりとり、自分の生きる力とするのか。
「こら、お前ら、何をやっている」
 源兄ちゃんだ。
 私は一人っ子だったが、源兄ちゃんは本当の兄のように親しくしていた。
「この時期子供は外に出ちゃいけねえって、母ちゃんに言われているだろう」
73ふだらく様 2:2012/08/22(水) 22:42:53.94 ID:TfDuHLVl0
「ああ、分かってるよ」ゴンが源兄ちゃんをにらむ。「こいつがふらふらしてるもんだから、
連れ戻しに来たんだ」
「健太は虫なんか好かねえけどな」
 源兄ちゃんもすごみを利かせる。
「ああ分かった、分かった。おい、帰ろうぜ」
 ゴンは子分達を連れて走っていった。
「健太、お前も帰るんだ」
 当時、小学生だった私は漁村で暮らしていた。砂浜に沿って国道があり、その後ろはす
ぐ山になっていて、斜面にまばらに家が建っている。浜に漁のための小屋があるようなと
ころだ。
 いじめの理由はみな漁師の子で、私だけが市役所の勤め人の息子だという、ただそれだ
けのことだった。人間は異物を排除したがる動物だ。
 八月の初めの七日間、「ふだらく様がお通りになるから」という理由で漁は休みだった。
 特に子供達は外に出ることさえ禁じられていた。ふだらく様の船が来て連れていかれる
という。実際、本家筋の跡取り息子が神隠しにあったらしい。
 大人達は公民館に集まって朝まで酒を飲み、漁師は気が荒いので喧嘩もし、夏休みの子
供はおはぎを食べて早く寝るという風習だった。

 やっちゃいけないと言われるとやりたくなるのが子供だ。八月の四日か五日だったと思
う。その朝、私は岩場の方に歩いていった。するとなにやら人だかりがある。
 巡査と刑事らしき人物がいて、男の人二人に尋問している。女の人が泣いている。この
近辺では見かけない顔だ。
 源兄ちゃんがいたので私は近づいていった。
「何があったの?」
「まったく、都会のちゃらちゃらしたもんがこんな時期に海になんか来るもんじゃねえ」
源兄ちゃんは怒りをあらわにしていた。
「大学生が遊びに来て、一人おぼれ死んだんだとよ」
 こんな時期に?
「ふだらく様と関係があるの?」
「そうさなあ」源兄ちゃんは怒ったような、悲しいような顔をした。「あるかもしれねえなあ」
74ふだらく様 3:2012/08/22(水) 22:45:38.94 ID:TfDuHLVl0
 その夜、早く寝すぎた私は二時頃目を覚ましてしまった。その頃は実家も改築する前で、
家の外に汲み取り式便所があった。懐中電灯を持って、裏戸から夏の闇の中に出ていった。
 トイレは山側なので浜を見ることはないが、海の方から太鼓を叩く音がかすかに聞こえ
てきた。
 ふだらく様だ。見ちゃいけない。
 私の意に反して、体は坂を下りていく。私の家は山のふもとにあり、浜まではすぐだ。
尿意も忘れ、催眠術にかかったように足が動く。
 砂浜の近くに船が見えた。懐中電灯の明かりではない。赤い光がその小船を薄ぼんやり
と包んでいるのだ。板屋根があって、前後左右を鳥居が囲んでいるという、奇妙なデザイ
ンで、太鼓の音はその中から響いているようだ。
 国道を横切ってさらに近づいた時、男の声が聞こえた。
――坊や、おいで。いい所に連れていってあげるよ。
 それは、耳からではなく、頭に直接入ってくるようだった。
――いい所って、どこ?
――南だよ。補陀落に行くんだよ。
――ふだらく? ふだらく様?
――浄土だよ。
――じょうど?
――みんながあこがれる場所だよ。願えば何でもかなうよ。お菓子だって、いくらでも食
 べられるよ。おもちゃだって、好きなだけもらえるよ。恨みも、妬みも、争いもない平
 和な所だよ。
――争いが……ない。
 私の脳裏にゴンと、やっこと、ぴろしの顔がちらついた。一歩船に向かって踏み出した。
「行くな」
 突然後ろから右の二の腕をつかまれた。振り返ると源兄ちゃんが立っていた。
「源兄ちゃん、じょうどって、何?」
「あの世だよ!」
 源兄ちゃんのおっかない形相は今も忘れることができない。
「お前、もう少しで死ぬとこだったぞ」
75ふだらく様 4:2012/08/22(水) 22:48:42.39 ID:TfDuHLVl0
 もう船は消えていた。
 子供が神隠しにあわないよう、若い者が交代で見張りをしていたとのことだった。源兄
ちゃんは見なかったけど、私が船に引き寄せられているのは確実だと直感したそうだ。

「お前、ふだらく様に会ったんだってな」
 おそらく、源兄ちゃんが誰かに話して、その誰かが誰かに話して、いつの間にかゴン達
の耳に入ったのだろう。次の日、電話で学校の体育館の裏に呼び出された。行きたくなか
ったが、行かなければまた何をされるか分からない。昨日のこともあり、家から出るなと
厳重注意されていたが、家族の目を盗んでこっそり抜け出してきたのだ。
「なんて言われた?」
「言いたくないよ」
「隠してんじゃねえよ」
 ゴンの拳がこめかみに当たる。
「浄土に連れていってくれるって」
「じょうど? なんだそりゃ」
 あの世だよ!
「とてもいい所なんだ。願えば何でもかなうんだよ。お菓子だっていくらでも食べられる
んだ」
「ケーキもか?」
「俺チョコケーキ食いてえ」
 やっこが無邪気にはしゃいだ。
「俺モンブラン」
 ぴろしもよだれを垂らさんばかりだ。
 漁村の子供にとって、ケーキは年に数回食べられるぜいたく品だった。
「何でもって、ファミコンもか」
もう少しで死ぬとこだったぞ。
「ああもちろんだよ。ソフト全部もらえるんだ」
 ゴンは目を爛々と輝かせた。
76ふだらく様 5:2012/08/22(水) 22:50:09.87 ID:TfDuHLVl0
 翌朝、ゴン達は姿を消した。捜索願も出されたが、ついに見つかることはなかった。私
は大学に入って浜を離れた。現在は東京の製薬会社に勤めている。ゴン達は今もケーキを
食べながらゲームをしているのかなあなどと、時々思う。

(了)
77本当にあった怖い名無し:2012/08/30(木) 19:36:05.14 ID:ZkN4z8ZA0
文章上手すぎだろ…。
てか別の話になっていて全然参考にならんぞ(´・ω・`)
78本当にあった怖い名無し:2012/09/18(火) 22:30:41.99 ID:ekkizmtf0
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79本当にあった怖い名無し
ふだらく様あげ