どうして悟った奴が、愛に目覚めたお節介野郎になるかってとこも重要なポイント☆
その無我の体験の凄まじさにあり得ないほど驚愕したんだ
そのヤバさ。一度すべてを忘れちゃう。何もかも。分別どころかあらゆる認識のすべてを、一度ぜんぶ忘れちゃう
すると強烈な寂しさを自分を演じてたこの認識(魂ってイメージしてね)が訴え出すんだ
ナイナイ。何も無い。何も分からない。ヤバい。助けて!って、、、大の大人がのたうち廻って奇声を発するほどの寂しさを訴えだす
そこから無理やり今までの認識を取り戻すなり、自然にその無我から抜け出せると、寂しさが恐怖にすら変わったその無我を振り返る
そうか、愛だ。それだけがこの世に光明を差せるんだ〜。なんて言ったらクサイけど
愛することで、より良い自分を沢山の他者から貰うことができる。て言うか、その他者との関わりの相対間の中に顕現できる
そんな風に思うと、今まで「自分と思っていた自尊の、勘違い認識による暴走を食い止められる」
と同時に、今までその自尊が悩み抜いて苦悩しまくった哲学の迷宮地獄の足跡すら、微笑みで振り返れちゃうんだ