シベリア郵便局から書いて貰ってる
そもそも、寂しさ、は、愛されたい、で
出すもの変えれば、迷い込んだ個々の人生哲学の地獄にも光明が差す
愛されたい、故にその地獄で彷徨い苦しむ。理であろうと思われる理のイデアと向き合い勘定するは、己が救いを探し求めるが故
己が無いを体験したとき、相対間の中にだけにある己を見いだせ、そうしていた目的を思い出す
己が無い。を知り得た上で、俗世での目に映るものが、そこに己を発生させて、あるがままを投影された自分の鏡ならば
弱みよりも強み。それが武器になる。さすがにその無我というモンスターに丸腰では太刀打ちできないから
無限の0の中に有限たる1を生み出せる。そんな気もした。それが始まりだという気もした