951は
>>943へのレス
大人になってから瞑想中に、今の人生だけじゃない前世?(時代が不明の場面もある)を
見るようになって、今までの苦痛には全部理由があることに気づいた
今生の課題のひとつにカルマの清算があるらしい
宇宙は実に公正にできている、不平等に見えるのは短いスパンを切り取って見るから
自分自身の経験しかサンプルがないから
>中には人に何かを教える任務でそういう役目を背負っている人もいるはず。
ご指摘のようなことがあるかどうかは正直わからない
カルマを超えることができるかどうかもまだわからない
ヨガ系の本(ヨガナンダ等)とかダスカロスなんか読むと、因果からは逃れられないっぽい
自分の本性を悟るまでは、ヨガナンダの本に弟子が屋根から落ちて腕を折るシーンがある
師は事前にそれを察知しているけど指摘することができない、
それは清算しなければならないことだから
先生も似たようなことを言っていた(未来が見える人だった)
絶対に避けられなことや変えられないことがあるんだと、
避けては通れない、変えてはならないことがね、予めトラブルに見舞われると
わかっていても逃れられないこともある、
(逃れられることもあるのかはわからない) 不平等や不公平はこの世この次元だけ
そう見えるだけ、宇宙の法則は絶対だ、多分ねww
何か善行をしたか?
募金とかボランティアに何かひっかかる人が多いらしい
なんか無理やりやらされて(お金取られて)損している感があるなら
偽善だとか感じる人も多いんだろうね、偽善でも悪よりゃマシなんだけど
でも惜しんで出すなら、嫌々やるならやらない方がいいかも
その損した気分(やや恨み入ってるw)も自分に戻るから、喜んでできることをすればいい
波動が下がってしまうなら害になる、感謝の気持ちや親切心を込めることにも
意味があるし
「無一文から億万長者となりアメリカンドリームをかなえたヨシダソース創業者ビジネス7つの法則 」って本
お勧めするww子供を助けてくれた病院への恩を忘れず、多額の寄付をしている
なげぇ・・・
959 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/18(水) 11:18:31.71 ID:+RtLDnBr0
清算されるのはまだいいけど、新しい因果を生んでしまったらもっと大変だ。
献血や募金、寄付は割とするほうだけど、嫌々やってると自分にもどるってなら、ちょっと当てはまるなぁ。
嫌々ではないのだけど、やらないといけないっていう罪悪感を、植え付けられてしまった。
献血は高校の時に、保健室の看護師さんが、「人が死ぬのにやらないの? 死んでもどうでもいいの?」
とどなっていて、その日は熱があってやるわけにはいかなかったのだけど、やらないことはいけないことだって
感覚が植え付けられてしまった。理屈では看護師さんの極端である部分はわかるのだけど、やることで命が助かるというのも事実ではあるので。
寄付なども、左翼の友人などに責められたりと、人のせいにしたいというわけではいのだけれど、家庭も道徳的に押しつけがましい兄弟であったことなどもあって
○○すべき、○○しないのは悪い、っていう観念が植え付けられやすい環境だったので、
喜んでやるっていう感覚とはちょっと違う。全くないわけでもないけれど。
電車の席なども、他の人より圧倒的によく譲るけど、譲らないといけない、悪いっていう感覚。
他の人より周りに注意を払っている。
961 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/18(水) 12:30:11.16 ID:5JFvqSGO0
そろそろ新スレ立てて。
罪悪感を操作されて操り人形になるのはよくあるな
こわやこわや
献血が無償なのは(待遇いいところはあるけどお金は出さない)優しい人の血が欲しいからだと勝手に思ってる
血を売る人もいるだろうけど、たぶんそういう血は栄養状態悪いよね
963 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/18(水) 18:31:41.88 ID:BGOWFkmj0
嫌々やってもしないよりいいんじゃないの?宇宙はそのまま返ってくるんだから嫌々やった場合は未来性で
嫌々助けて貰えるんじゃない?助けてもらえないより嫌々でもしてもらえたほうがいいよ。
>>957 気持ちをこめることが重要なんですね。本の紹介ありがとう。
生きてるうちにカルマを解きたいですね。
長文さんはカルマを解く方法は知ってる?
輪廻とは、その意味だけをとらえれば単に“輪っか”というだけの事。
この世は大小様々な輪っかが折り重なって出来ている。因果応報もそんな多様な輪っかの中の小さな一つ。
生命現象としての輪廻はもっと大きな枠組みでの「輪っか」。
輪っかとはつまりは円だけど、武術ではこの円を多用する。それは法に叶うこと、理に叶うこと。しかし…
円に理があるように直接の理というものもある。
円を断つ直線。
最短を最速で撃ち抜く剛の技。
般若心経の中では真言とよばれるアレですね。
でもこれは非常に多くの誤解を含み易く、仏教系カルトと呼ばれるものの中には我欲やエゴに「一直線」である事が幸福であるかのように説くものもある。
円の理に熟練せずして直線の理は理解に遠く及ばず、脆弱な直線は円に巻かれる。
この「直線」が執着心と結び付くと、狂信者が生まれるというカラクリ。
追記
輪廻も因果応報も、脱するヒントが「直線」にあることは、カルトにかかわらずその通りだとは思う。
連投失礼。変換ミス
>>965 ×円に理があるように直接(←)の理というものもある。
○円に理があるように直線(←)の理というものもある。
>>965 もう少し詳しく聞きたいです…因果を解きたいので。
般若心経の真言は、ギャーティー・ギャーティーとすると、悟りのことですか?
円が、つい同じ行動を取ってしまうこととすると
直線は、意識して行動や心、言葉を変えること?
それともひとつに意識を集中して、迷いがない状態?
>>968 真言や陀羅尼は、直訳しても意味の通じないものだといわれています。
それでもその意訳は様々になされており、
俺ぃらが一番しっくり来るなと思う直訳は以下のものです。
「往きましょう 往きましょう (此岸から)彼岸へと 迷い無き世界へ 共に往きましょう (悟りよ)成就」
真言も陀羅尼も表面的な言葉そのものにはさほど意味はありません。
その言葉の持つ音韻こそが重要だとされ、般若心経の前半は訳されても、最後の真言の部分だけはギャーティーギャーティー…のまま残されている、というパターンのものは多いです。
で、その音韻なんだけど、
どの意訳でも共通するのは、「ひたむきさ」「一心さ」「真っ直ぐさ」を表すものとなっています。
どこから来て(此岸)、どこに向かう(彼岸)のか。
なんの為にその因果を解きたいのか、その心の発し処は、その心の在り様はどうなのか。
守りたい俺、俺は、俺の、というのは最初から無いのですよ、と。
それを(空であると)明白にして強い信念(?)を持ち、輪廻(大小様々な輪っか)からひたすら真っ直ぐ脱しなさい、という事だろうと解釈しています。
最後に、無私・無我による輪廻(繰り返し)は、応報はないので良いそうです。
我から発し、我に頑なにしがみついた“繰り返し”は、いかに力づくで強固に押し通そうとしても、そんな“脆弱な”直線は輪廻の円にいとも容易く巻かれると思う。
人の文明たる巨大建造物が、天変地異の前に簡単に崩れ去るが如く。
>>970 レスありがとうございます。
輪廻から抜けるのは、無我、無私をひたすら貫くことなんですね。
無我の境地に至るには、きっと日々精進あるのみですね。
昔から悪いことするとバチがあたると教育されてきた
なので悪いことは出来なかった
悪いことをすると、すぐに自分に返ってきた。でも言い聞かせた。因果応報じゃない、たまたまだ。もしくはそう教育されてきたから
脳が「自分が悪いことをしたら悪い事が帰ってくる行動をしなきゃ」って行動してるんだって
そう思ってたけど、説明できない事で不幸がきて(ちょっと人に悪い気持ちでいたずらすると数時間後に自分が行動しえない所で不幸が訪れる)
ああ、私はそういう運命になってしまったんだ、そういう人間になったんだと思った
言霊と似た感じで自分には見えない色んな電波や意識があって、それが集合して私の運命を動かしてるんだって。
私の場合昔から「悪=バチ」だったからその意識や行動、そうなるべく何かがたくさん覆う様になったんだって。
実は、今日ものすごい悪の心で人をからかって遊んでた。
はー楽しかったって数時間後に絶対ゆるがない契約が弁護士経由で延期された
最近悪いことを全くしてなくて、かなり久々に悪の心全開だった。傷つけてやろう、顔真っ赤にさせてやろう、更に立場を悪くさせてやろうって。
そして思い出した。ああそういえば私って返って来る人だったって。忘れていた。
それが年をとるごとに見返りが大きくなっている、大人の階段上って成長してる分、悪の心も制御できるのにしないからって事だろう。その分大きく返って来る
しばらく善をつかもうと思う、すいませんでした。
うん。
というか、直線に「強さ」を与えるのが無我・無欲かと。
我欲を強く押し通す、とは例えるなら砂鉄を鍛えて刀を造ろうとするようなもので、ひどく脆い。
それと、「ひたむきに」「一心に」というのが、ともすれば
「信心が足りない」
などと言われてカルトに埋没していく原因にもなっている。
実生活の中で迷った時、ひたむきに真っ直ぐ向かうべきは無私の良心・正しいと信ずる「想い」なのであって、教団や教祖ではないよ。
生きていれば必ず何かしらの因果を生みながら生きるのは、しゃーない。
俺ぃらは武術を通して理や法が実在する事を「体感」する者、でしかないから、前世の因縁やら霊界(お化けの類い)やらの事は分からない。
でも実際の武術では直線だけでなく、当然円や曲線の理、梃子や駒の理ほか、色々な理を使い分けてる。
直線のみが最強とかじゃなくてね、
回り道が必要な時もあるでしょうね。
外柔内剛、硬軟両用、緩急自在…etc
>>972 >それが年をとるごとに見返りが大きくなっている
メダカの稚魚がお腹に大きな袋を抱えて生まれてくる。神の加護を得ての事だけど、生命は成長とともに加護は薄れて独り立ちさせられる、と聞いた事があります。
オサーン・バサーンになるとツキさえ無くなってくよねw
俺スレ立てできないのでどなたかおながいします。
レス消費しすぎなので今日は寝落ちしまーす
>オサーン・バサーン
アラブ系の外人さん?、それか、お産婆さん?
って思ってしまったorz
978 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/20(金) 11:59:46.88 ID:pGp3iChc0
おつ
おつ
>>977 乙です。
>>973 失敗して初めて身にしみるってありますね。
仏教では三毒が身を滅ぼすと言われますが、自分が欲と怒りと愚かさが原因で失敗して、初めてその意味が分かりました。
無我は、利他の延長にあるものかなと思います。なんとなくですが。
981 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/20(金) 17:14:09.72 ID:fC9p5ubD0
年をとるごとに神の加護は薄れていくの???
なんか実感するような、だけどそうあってほしくないような。
982 :
サジタリウスの矢 ◆MavUaQI6Mg :2012/04/21(土) 15:23:00.45 ID:YBb18V1lO
赤ちゃんは例外なく軟体。ころんでも靭帯断裂とかしないように。
身体が「軟らかい・硬い」と言われるけどこの表現はあまり正しくなく、じつは人間の関節の稼働域に個人差はほとんどない。
大人になるにしたがい、「使わない神経(シナプス)」が退化し、身体が“動かなく”なってるだけ。
大人になると、ヘンな転び方すると怪我しやすくなるよね。
生命は等しく加護を受けて生まれてくるが、“使わない”部分は神に見放され退化していく。
“善なる心”も同じなのかもね。
983 :
サジタリウスの矢 ◆MavUaQI6Mg :2012/04/21(土) 15:33:19.72 ID:YBb18V1lO
因みに、
シナプスは筋肉の神経内における生体電気信号を伝える器官なんだけど、栄養と休息を取り、正しく柔軟運動をすれば、大人になっても
時間はかかるけど再生することが分かっている。
人として与えられた能力を、日々使うことじゃないかな。
退化は別に神の意思じゃないです
年を取るといつまでも神さんにおんぶにだっこしてるだけ、というわけにもいかないかな、と。
自分で自分を整えて自分から神さんに近づいていかなきゃな、と。
986 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/21(土) 17:49:26.78 ID:YBb18V1lO
様々な人生苦を神が与えし試練である、と、そこには神の意思を介在させる解釈がありながら、退化や淘汰に神の意思がないとはこれいかに?たこにあわび?
987 :
Anti-hu:2012/04/21(土) 20:28:58.52 ID:v3pDTtJT0
みMIめみめには
やんちょこ
988 :
Anti-hu:2012/04/21(土) 21:22:01.21 ID:v3pDTtJT0
名前は?腕立て伏せずず
989 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/22(日) 02:48:56.47 ID:xKLq+38K0
>>983 若い頃の柔軟性を取り戻そうとがんばってます。
必ず同じようになれると信じて。
努力してできるものではない。
オメガ3脂肪酸、つまり菜種油や魚を食べればできる。
ほ
992 :
サジタリウスの矢 ◆MavUaQI6Mg :2012/04/23(月) 00:22:19.52 ID:3ZWuUGS7O
月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして
行きかう年もまた旅人なり。
船の上に生涯を浮かべ
馬の口とらえて老いを迎える者は
日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
by松尾芭蕉
無私、無欲とは大欲なんだとw
まぁ生まれながら修行の道に行く人生を選んでいる人もいるでしょう
小乗仏教国の坊さんとか(口減らしのための知恵でもあったんだけどね)
ヒマラヤ?のヨガの聖者とか、修道僧(キリスト教の)とか
まるっきり世俗を離れて瞑想と修行の毎日って人生を選んで来る魂も中にはいる
欲も執着も捨てて、孤高の道を行くって人生もありだけど
そこまでする覚悟が本当にあるか?すべてを神仏に捧げることが無私無欲だ
それが自分が本当に望むことならいいけどね
自分に嘘をつくと歪むよw
自分の肉体を含むすべてを神に捧げるのが無私無欲だ
マザーテレサなんかはそういう人だったんだろうな
(キリストも、磔刑は究極の自己犠牲)
彼女には個人の所有物は一切なかった、使命としての自己犠牲と献身
それを喜んでできるなら無私無欲は本物だけど
偽物がそれをやると
神のためと称して金集めに走るw、血分けと称して淫蕩の限りをつくすとか
(麻原とか統一教会とか摂理とかなんとか学会とか、大小様々なカルト教を見ればわかる)
金に女に権力に名誉欲にやってることは生臭いw
松尾伴内って、元気なんかね。
996 :
サジタリウスの矢 ◆MavUaQI6Mg :2012/04/23(月) 13:36:19.68 ID:3ZWuUGS7O
>>993 >無私、無欲とは大欲なんだとw
そうなの?名誉欲や金銭欲と同様、涅槃に達する事を「成功」と捉える為の、通行手形のような無我なら罪(というか、欲?)だぞ、
という戒め的ニュアンス以上の意味があるなら教えて下さい。
つか、今時無我に達したからとて金や名誉になるわけじゃなし=3
マザーテレサもかなり苦しんだらしいよ
イエスとのつながりを感じられなくて
それでも確信し続けられるかの最終試験だったんだろうか
菩薩レベルの人にもふさわしい苦しみがあるもんだね
998 :
サジタリウスの矢 ◆MavUaQI6Mg :2012/04/24(火) 01:56:15.53 ID:p1O5SFGeO
ヒンズー教でも涅槃という言葉を使うらしいけど、仏教のそれとは違うみたいね。
じつは天界は二層式(笑)になってるらしく、上層に梵天界というのがあるそうな。
そこはあらゆる苦しみが無く、快と楽しかない世界。苦しみがないから老いも死もなく、永遠と思われる時だけが流れている。
ヒンズー教の涅槃やキリスト教の天国はここに該当する(?)
ところが仏陀によれば、梵天界に生まれかわりたい、という最後の執着心のために、生前の功徳が切れると再び輪廻を始めてしまうんだとさ。
仏教が目指し、他の宗教と決定的に違うところ、それは
二度と転生する事のない
完全なる消滅。
松尾貴史。
1000なら復活
1001 :
1001:
γ
(
_ノ
/
__
,、'" . `' 、
i`ー _ ',
. l| !| i""!|
}: }i |{ !j
〈| 'J |! }j :}
_ノ;し i} {J |
,、-,、' ハ- 、
( .( '、_ _ ,ノ ノ:i )
,、'""`ー---‐'"フ、_ - _,、' -'"
( _ ,、'"  ̄
`ー--─'"
千本目の蝋燭が消えますた・・・
新しい蝋燭を立ててくださいです・・・