ЖЖЖ大麻はなんだかとてもオカ ルト19g目ЖЖЖ
855 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/22(日) 00:15:36.93 ID:wFlEpKLT0
ジャンキーに質問。
「私は神である」とのワンネス的な前提。
一方で「命VS権威の闘争」で、旗色の悪い命側で生活している現実。不満。
このジレンマをどう解消、あるいは包括していますか?
ジャンキーにとっては、不満でもジレンマでもないかもしれないけれど。
856 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/22(日) 03:41:16.25 ID:RzQP9Nhe0
必死w
857 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/22(日) 07:53:26.31 ID:PAcCFTmc0
素面の世界はc4爆弾みたいなもんだ。
素面の世界は窮屈に感じるかもしれないだろう
しかしな、あのプラッチック爆弾ちゅーのは
周りがガチガチに固めた圧力がかかる程
爆発、起爆力があがる。まぁ
日常からセッティングは始まってるし
因果というコーザル体、ブラフマンの使者にも感謝だ。
てなかんじで、日常ちゅーのはブースターに燃料補給
ぶっ飛んで大気圏突入後はブースタの役目はおわり
(自然と心のメッキが剥がれる)
後はロケット本体が宇宙遊泳を楽しめばよい
858 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/22(日) 08:23:35.66 ID:PAcCFTmc0
この顔にピンときたら110番!
思わずダイヤルひねってTELしたくなるね
このスレではピンとくるキーワードがあって
ついついTELしたくなるw
ワンネスとかキーワード聞くと
あの極地を思い出す。あいつ(ブラフマン)は
シュレテンガーの猫である。
我が輩はパブロフの犬である。
絶望した後、これからの人間の生き方に何故かワクワクしています。
アセッションあるぞ
今の社会生活に疑問を感じ飽きちゃうんだよね
個性が纏まり纏まり
気づいたら絶望が待ってるぜ
その後は必ず祝福がやってくる
覚者の皆さん
同性愛者について覚醒前と覚醒後で見る目は変わりましたか?
真面目な質問です
864 :
みっかぼーず:2012/04/22(日) 17:26:45.15 ID:2XsRJt5Q0
私たちとの会話からの発見を記させていただきます。
貴方が話を出来る世界がこっちです。
貴方が行動を起こせる世界がこっちです。
貴方の足が感じている世界がこっちです。
貴方に聴こえている世界がこっちです。
貴方の体を血液が流れている世界がこっちです。
貴方の体が熱を感じると同時に冷たいことを感じ、固さはつまり柔らかさだったことを知り、体の一部の痛みは周りの肉、皮膚、筋・・・全ては繋がっていること知ります。
こっちの世界はクローズ悪です。私も服は着ますが、夏は基本裸です。服にも色んな意味があるかと思いますが、新しい時代で掲示板に書き込む場合はこういう事を了承してください。
「主観で見てるってことを自分が了承するということです」。この文を記したことで、聖域において俗の屁理屈は侵入できなくなりました。
最初は皆、自然だと知ると、自分が素面(すっぱだか)になると震えます。
この世界はあくまで太極の世界です。世界の一つはこっちにもあっちにもあります。
つまり、我々が生きている世界(仮に社会)の真理とはこれらの対極を包括した物になりそうですね。
座禅や瞑想を行う場合、無に持っていくようなイメージ(妄想を消す)を抱きがちですが、ここでそれを完全に消すことは出来ない訳ですから、戻るわけです。
その戻りは素直であれば一つに戻ります。この方法の対極として、全て吐き出すという方法(無限から一つに戻る)もあります。
だから、私は感じてください。妄想してください。と言います。そして、それらを全て包括する努力をしてください。
努力とは女の又の力と力ですから、セックスです。肚を鍛える運動とでもいいましょうか。
チワワの話に戻りますが、彼女は虚勢をしていたため、その動作を忘れてしまっていたようです。
865 :
みっかぼーず:2012/04/22(日) 17:27:46.59 ID:2XsRJt5Q0
>>855さん
ジャンキーは不在のため、私が返答させていただきます。よろしく。
「命VS権威の闘争」で、旗色の悪い命側で生活している現実。貴方は既に答えに到達しているようです。
VSとした時それが現実でそれが事実です。核を打ち込まれればこの世界で命は終わりですから。それを忘れないでください。
まぁクローズ正ですから、本人が実行することはないですよ。過去のカルマをいじくり回すという方法(圧力)を好む連中は、
どっかの国を使うかとは思いますが。しまいには、ジャンキーじゃなくても切れるぞ。俺も切れそうになる。しかし切れたら負けです。核が飛んできます。
つまり、皆同じですから、愚直に(事実を飲み込んで)仕事(遊び)をこなしていかなければならないんです。日本人はこういうのが大得意です。
866 :
みっかぼーず:2012/04/22(日) 17:40:04.08 ID:2XsRJt5Q0
>>863さん
私は基本的に変わらないです。ジャンキーの言うように手を放してみたらいいんじゃないですか?
放した後、求めれば解放されたって事でハッピーだし、求めなければただの勘繰りって事で終了です。
867 :
みっかぼーず:2012/04/22(日) 17:44:55.51 ID:2XsRJt5Q0
つまり、同性愛者に成ってみる。同性愛者の事を想ってください。
私の場合、どっちもいけますが、満足できる人間は1人しかいないです。
これは、私の趣向と理解してください。
緊張させることを集中だと思っている人がいるけどまったく違うんだよね。
其々の事情がどんなものかは計り知れない妙な期待はするなよ。
ここにいるのは偶然であり必然に過ぎない。
内なる不安を取り除く、乗り越えなくてはならない【己の世界】
納得や理解がやってくる。外から植えつけられた取るに足らない価値(勝ち)感ではなく
本当の勝利の感覚。安心や満足がついてくる。大切なのは成長して祝福される事なのだ
未熟な魂を聖なる領域へ高めてくれる。神聖さは未知への修行であるからだ。
聞こえる音が全てではない。見える映像が全てではない。
そこには【無限】に続く道が在るはずだ。そうじゃないから【限界】を感じている
メソッドいらずのクリシュナじいさまは言わば生まれながらの超天然瞑想体型とでもいいましょうか
格(核)が違いすぎるwww(汗。)
869 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 21:49:13.84 ID:kSLze29B0
【「命VS権威の闘争」で、旗色の悪い命側で生活している現実】をもう一度おさらいしておく。
私たちは馬鹿げた偏見や差別によって、また、それを了解して、人間社会の中で暮らしている現実がある。
その根底にあるのは、人間主義、ヒューマニズムの信仰によって、人間を特別扱いしているという事が
前提になっている。非常に簡単に言えば、猫の命よりも人間の命のが重いと感ずる事であるし、
もっと言えば、蚊など殺してもOK!ってわけだ。もちろん、牛や豚などは食っちゃえ!って事。
そんで企業では、法人(会社・組織)を優先して命ある人間は解雇!って事で切り捨て。
金と命はどっちが重いか?金に決まってるだろ!と言わずとも、やってることはそれ!って事です。
「権威」とは非常に簡単に言えば、でっち上がられた優性思想です。
ようするに優れたものや特別なものが存在して、その差別化を図るという差別、偏見の思想です。
権威すなわち、どっかの馬鹿野郎がつくった、また空気によって暗黙の了解として決まってるようで、
まったく無根拠に信じられている価値体系です。
興味があれば、「優生学「やら「優性思想」などで検索して、人間優位の考えの愚かさを知るのもよいでしょう。
命という宇宙全体を貫く実在であり平等。違いはあれどどれも無差別に存在する。
別に何が偉くもなけりゃ、何も凄くもない。逆に全部スゲー!という考えで、至極
当たり前の事です。
さて、
一方で「命VS権威の闘争」で、旗色の悪い命側で生活している現実。不満。
このジレンマをどう解消、あるいは包括していますか? についてですが…。
870 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 21:57:42.66 ID:kSLze29B0
「命VS権威の闘争」の結末は命が勝つに決まってる。
それは簡単な事で人間は人間から生まれたからです。
権威は命あっての権威であって、平和が約束され、安全が確保されている状況においてのみ、
権威を振るう事ができる。
ようするに震災の中であるいは有事の最中には、権威は崩壊して、人間の中に宿る
生命が覚醒して、命と命のコミュニケーションが成立して、概念で言えば、助け合いや
譲り合い、団結、その他素朴な行動を行うようになる。
争いがあるのは、平和な時です。自分の縄張りの中で平和が存在しているときのみ争いがある。
全てが平和ではなければ、争いは起こらない。
ようするに取り合うものが無い場合は、争いは起こらない。
争いに勝つ為に、権威が必要になってくるという事です。
なぜか?権威ってものは、人を蹴落とす為、威張り腐る為のでっち上げられた勲章であり、代紋だからです。
みんな権威や代紋、金という偶像を崇拝するでしょ?権威主義やヒューマニズムってものは巨大宗教なのです。
871 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 22:16:15.81 ID:kSLze29B0
だから、「命VS権威の闘争」で、旗色の悪い命側で生活している現実の意味は、
多くのバカ共が未だに、この権威主義やヒューマニズム信仰という偶像崇拝を
している。その中での異端である「私」は疎外されまくってる。
ヤダよね!奴らは攻撃、搾取、罵倒して、命は常に脅かされている。
この威嚇的な凶暴な野蛮人達とどう接し、彼らをどう受け止めればよいか?つまり包括的視点って事ですが…。
例えば、原始的生活を営む土人、野鳥、ゴキブリ、海、川、山をどうするか?どういう包括的視点があるのか?
認めるって事です。排除する必要はないでしょう。
全ての命は自分の環境を広げます。ある意味別の生命からすれば搾取かもしれない。
しかし、一気にすっとびますけど、宇宙の中で宇宙の一部が取り込まれている現象です。
大きな重力のものに小さな重力のものは融合する。適当な距離を保つ存在はその周辺の軌道を回る。
これが惑星宇宙の姿です。
これは人間で言えば、似たような思想や似たような者は、その種の属性の最大の重力場をもつ
存在に取り込まれるという事です。だから、弱い種は絶滅し、強い種は繁栄する。
いつの時代でも思想などや科学技術などはどうでもよく、宇宙は生き残る種が次の宇宙を
つくってゆくだけの事です。絶滅種の結末は、共食いです。
同種の存在が増えすぎると同種の生命を補食しますね。こうして生命は無意識に
数のバランスを確保して種の全体の調整を行うわけです。
だから思想で言えば、争点ってものはもっとも古い思想って事です。
命VS権威は、実は両者とも偶像崇拝者って事です。
872 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 22:24:15.03 ID:kSLze29B0
命VS権威は、実は両者とも偶像崇拝者って事です。
権威を怖がる命と、命は権威によって守られる命、まあ、俗に言う左翼、右翼だね。
左翼を簡単に言えば、左脳派、右翼を簡単に言えば、右脳派。
理性派、感情派。
理性も感情も、それを司る絶対的な価値基準があるでしょ。
それに照らして、正しいだの、間違いだの、好きだの、嫌いだのって感じているわけです。
その正体は、しょせん、ヒューマニズムと偶像崇拝であって、そこに序列思想がある。
これが優生思想です。これが現在の思想全般を貫く巨大信仰って事です。
でもこれがなければ科学技術や資本主義は発展しないのです。
価値が存在しなければ、目的も発生しない。目的もなければ計画がなりたたない。
計画が無ければ論理が無意味になる。そう、この巨大信仰は、無意味ってものを嫌うわけです。
「私」は人生には意味が無いと言う。そして「私」の人生は「創造」によって「意味」をなす。
873 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 22:34:54.97 ID:kSLze29B0
もっと身近で自明な事を懐疑しましょうか?
偉い、ヒーロー、アイドル、有名人、凄いですか?「私」と比較して凄いですか?
その凄さとはなんですかね?みんなが認めるからですね。たぶん。
逆にいえば、みんなが認めないものは価値が無いっていう思想ですね。
やばいですね。この思想は。だって、あんたらはタダの人。無価値な人。
でもそうでしょうか?
学者や官僚やどっかの社長。偉いですかね?なぜでしょうか?
みんなが、そいつのもっている「何か」を凄いって思ってるわけでしょ。
じゃあ、それをもっていない者は無価値って事?
じゃあ、話せない人は価値がないのでしょうか?
可愛いとかブスとかそういう美意識の優劣ってものはなんでしょうね?
これを信じなさいっていう偶像崇拝の巨大信仰の伝道者が沢山いるって事です。
この目線は電通、博報堂の愚かさを浮き彫りにする目線ですね。
彼らは現代の伝道師だね。電波野郎って事です。
彼らから観れば、「私」は電波ですが…。
ただ、この勝負は、摂理として偉大な存在の重力場に居る「私」の方が勝ってしまうという事です。
それは単に論理や争いが証明するのではなく、時代が証明してしまうという事です。
874 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 22:51:46.68 ID:kSLze29B0
「命VS権威の闘争」で、旗色の悪い命側で生活している現実。不満。
このジレンマをどう解消、あるいは包括していますか?のジャンキーの結論は…。
「私」に目覚め、真の自立を果たす事。
すなわち、完全なる自己肯定を達成すること。
その為には、なにもする事はなく。むしろ、辞める事。堕落すること。
どのように堕落するか?
偶像崇拝の信仰を脱退し、それにより優性思想は信仰者の中で消滅する。
優性思想が偶像崇拝信者の中での洗脳が取れてくるにつれ、自分と他者との比較で、
自分の位置確認をするという優劣判断も消滅する。
すると、比較の論理も消滅する。これが消滅するともはや否定するものが消滅する。
すると反省して、出来事が起こってから、こうすればよかった。ああすればよかったという
逆戻り再生の人生の妄想も消滅する。そう反省が無くなる。
反省がなくなると、納得しかない。つまり自分の行いは全て完璧だ。
人間は全てが完璧故に人の失敗も完璧性の顕れだと知る。
すると「私」の行い全ては肯定あるいは否定対象ではなくなる。
すなわち「今」に生きる事になる。
今に生きるとは、過去未来は消滅する。すると、未来も過去も今起こっている事を知る。
あるいは、知らされる。さらにいえば、認知するようになる。
だから、偶像崇拝の信者を辞め、洗脳を解くって事がスタートって事になります。
どうやって解くか?は、優性思想に基づく他者比較の自己確認はもう辞めって事で、
あなたは、完璧、私も完璧。すべてはアート(表現)だ!と絶叫することだろう。
875 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 23:02:32.68 ID:kSLze29B0
ようするに、私たちは、どんなに偉そうな事を言ってもやっても、
ある好みによって成り立っているのです。
そして好みってものは、つまるところ、何を信じているのか?です。
そして「私」は偶像崇拝しないから、非個人を信じている。
「私」が起こす事は出来事が起こっている。
しかしながら、「私」は私の行いの責任は日本国民の一人として果たす。
生きているという状態にある時にはね。その責任こそ「私」の運命と
言われるものであり、使命と言われるものである。
これに自覚的か無自覚か?はたまた妄信か?によって「迷い」「不安」「恐怖」「魔境」など
次の別のステップの問題になってくる。
876 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/22(日) 23:22:43.57 ID:2XsRJt5Q0
<<870<<871助かりました。
みっかぼーずというコジコジはメルヘンの国で浄化してきます。
877 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 23:33:56.20 ID:kSLze29B0
>>863 私はあなたの言う覚者の定義は解らないが、私の同性愛についての考えは、
まずは、異性という概念を定義しないといけないと思います。
異なる性質をもとめることが相反するという意味において相性って使われます。
だから相性がいいっていうのは、反対側に位置する存在で、かつ惹かれ合うというおまけがないと、
カップルとして、つまり両思いにならんですよね。
惹かれるってのは、可愛いな…。と思う感じで、ある意味、バカだな…。という思いで
これは何を意味するか?といえば、解りきった事をあえてするように見える。
それでいて、本人はその行為を自分で認められないぼやき状態。
これって可愛いわけです。
魂的視点でいえば、罪悪感(負の側面では悔い・正の側面では使命)の克服を共同で供養する関係性だから、
そのトラウマが取れるまでは関係が続くという事でしょう。
上手に取る事が良い。
異性という形態でトラウマ取りを行うという出会いもあるが、同性という形態で
トラウマを取る場合もある。
だから私のジェンダーに関する考察は、異性愛という結婚制度に基づく信仰とは無縁で、
その価値を計ります。身体的距離感から観る目線もありますよね。
これは接触するから関係をもったのか?無接触だから関係がないのか?
また男女間であっても挿入の有無で関係が在る無しは計れないよね。
要は、理屈などどうでもよく、ジェンダーを超えたパーソナルシップってものは事実上存在しているから、
容認すりゃいいだけの話しだと思います。マイノリテーの人権向上を負う使命を背負う人もいるでしょうから、
社会的な私の立場は応援する側に立っています。
878 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 23:49:04.45 ID:kSLze29B0
惹かれる。この感覚の正体を考えてみると、ようするに合体したい。
成りたいという方向性でしょう。
そこで重要な事は、完全なる合一を極として、どの距離感を望むのか?という問題がある。
長く付き合うと上手くいく距離感が解ってくる。
その感覚が、つまるところ、可愛いと思える距離感です。
合一の一歩手前は、引くわぁ〜!となるかもしれない。怖いと思うかもしれない。
合一の遠く離れた距離感だと、憧れたり、無力感を感じたりする。
だから、カップルは、常に、二人の距離の思いを解り合いたいと確認しあいたい衝動が起こる。
お互い、私の事をどう思っているのだろうか?というのが最大の興味だろう。
解り合うってのは、この距離感をお互いで知っているという事でしょうね。
可愛いと思える距離感が一番、デレデレしていられる状態で、この「可愛い」と思える
距離と私が言っている「可愛い」感覚は、人それぞれ違うし、この共有を二人の間だの
価値観の一致の心地よい距離感の感覚の共有という。
この距離を栄えに、追う関係や追われる関係などイビツな構造になる。
構造的にはいくらでも語る事はできるが、事実上の関係はやっぱり縁や出会いという言葉に
集約されて、出会いの不思議さや妙さに、やはり開かれたものであるほうが幸福だと思う。
879 :
ジャンキー:2012/04/22(日) 23:57:10.66 ID:kSLze29B0
惹かれるというのは、誤解されやすい表現なので補足しておく、
好きと嫌いは同意語で、惹かれるというのは興味を示すという事で、
大嫌いなヤツというのは、惹かれているという事です。
好意的な意味での惹かれるという表現で言及しましたが、
より重要な事、すなわち供養の概念からとらえると、嫌いなヤツという意味での
惹かれる対象が重要です。
この合一は、自分の嫌いな部分との合一、和解を他人に投影した状態です。
だから嫌いなヤツがもっている部分は自分が持っており、それを自分で
認められない時に、あるいは、それを解消しようと、供養するときに、
出逢う(投射)される様相で、嫌いなヤツが顕れる構造だという事です。
駆け足で語ったので、解りずらいかもしれないが、むしろこちらのほうが
トラウマ取りの観点から、あるいは苦の浄化の観点から重要です。
880 :
ジャンキー:2012/04/23(月) 00:13:37.85 ID:5x7CoCqA0
ところが、この浄化が進むと、仮想的に好き嫌いを表明しないと、
他者に話が通じなくなる矛盾をはらんでいる。ここが大問題です。
他者に話すときには、他者のフレームを理解しないとまったく伝わらない。
他者が信じている世界に、届く言葉というものが重要だという事です。
この意味は、知らない振りをする必要性と知っている優位性を
如何に恣意的に利用しないか?という誠実性が試されるという事になります。
何が言いたいか?というと、智恵はみずからの智恵によって監視される…。
故に、つまるところ、ハートの開き具合によって智恵の流量は制限されているという事ですから、
やっぱり、無定義に語ってしまえば、愛や感謝というものが大事って事になる。
って事で、理屈などはどうでもよく「吸え」って事になる…。
881 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/23(月) 02:18:16.76 ID:pv7yjX9S0
ジャンキーには再びお礼を言わなくてはいけないようです。ありがとう。
私の限界は、実行する前に答えが出ているのでそれ以上は進めないということでしょう。
これが今の私の段階の役割ということになりそうです。
私もここからの私たちの先は知りません。当たり前です。皆で創るわけですから。
私は概要を知っているというだけです。なのに私はしゃべりすぎです。
何かしらのヒントがあってくれればいいです。使えるのものは使え。貴方の言葉です。
ここに来た最大の目的は、貰ったものを返す事です。乗っ取りに来たわけではありません。
そのつもりがここの事を考えるのが楽しすぎて、惹かれすぎて長居しすぎました。本業が疎かになっています。
そっちに戻らないといけないので関係を一時的に中断させてもらいます。
しばらくしたら、私自身の生長と共にまた来たいと思っています。
嫌と言われても来ちゃいます。次回はもっと時間をかけて具体的かつ論理的に説明するつもりです。
その時は皆さんどうぞお手柔らかに。面白可笑しくもない文ですが、これで失礼します。
882 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/23(月) 02:50:27.92 ID:knp7tTDX0
ジャンキー相変わらず痛快だな
オレ、ちっちゃい頃からブランド品もスポーツも興味無かったけど
これはこれで良かったんだなって思う
ルールや価値は自分で決めなきゃな
普通に考えたら何か起こってからその出来事に付随して感情が湧くけど
まず先に感情ありきで起こってしまう。そんな事を、何やってもうまくいかない時やスランプ
逆に何やってもうまくいく。棚ぼたラッキーハッピーが不思議な程続く時本気で思ってしまう。アッペンダウン
大いなる無意識(神)からの洗脳とでもいいましょうかw顕在意識にリモートコントロールされっぱよりは
そんな事を疑いなく思ってる瞬間ってのはスランプだろうが幸福な時間であるかもしれない
そういう論理的じゃない時に少し矛盾する様だけど心がフラットでいられたら。
884 :
855:2012/04/23(月) 20:25:12.93 ID:ZrhETukj0
ジャンキーありがとう。
行動としての達観の具体的な方法ですね。
やりかたはわかったので、やってみる。
過去スレで聞いた無時間に入る方法も、その移行期間の苦痛の軽減法も、とても役に立った。
お陰で身近な人間関係は、とても良くなってきている。
ただ遠景の旧態依然の利権構造や、大衆の動向がなかなか変わらず苛ついており、
今回質問したのだが、気が急いていたようだ。冷静になれた。
本当、いつも感謝してる。
885 :
ジャンキー:2012/04/23(月) 22:03:23.09 ID:5x7CoCqA0
太陽の磁場の変化が騒がれている。磁場と生態系への影響やゼロ磁場ポイントなど、
磁場と生態系についての論文など読んでも、現在の科学では解っていないようだ。
重力だって同じ。光だって、電気だって同じ、なんで在るんだ?という質問に
科学は応えられない。病気だってそうだ。風邪だってなんでひくのか?解らない。
発生原因やその存在そのものについては、科学は無力だ。つまり観察の限界は
存在するという事だろう。
ようするに観察すればするほど、この世界はなぜ創られたのか?解らなくなるのです。
しかし、唯一ヒントがあるとするならば、科学はこの時空を観察して法則を発見する
学問である。これは、光の速度が私たちの時空を司っている大前提があるという論は
科学、すなわち時空観察の限界であって、光の速度を超えるものは観察という手法が取れない。
故に、精神は観察できないし、想念だって観察できない。
光の速度の世界では、重力も無いし当然物質も時間も空間も無い。
もちろん、過去も未来も無い。このように否定もできるが、肯定もできる。
なんでも在るとも言える。なんでも無いが、なんでも在る。
これは創造の世界、ファンタジーの世界とも言える。
しかもその世界は無いと否定も肯定もできないのだ。
ところが、まさに、その概念を体現している存在で、かつ、私たちは在ると
認めている存在は、心、思考、感情、感覚、夢、そんな無形の存在だ。
これが存在しないと証明できる人は居ないが、在ると認めている人は大半である。
この在ると認めている状態が、生きているという状態だ。だが、しかし死んだ後も
それが在るかは、私は死んだことがないから解らない。
が…。まさに、私は死んだ事が無いかもしれないのだ。
886 :
ジャンキー:2012/04/23(月) 23:00:37.02 ID:5x7CoCqA0
ハチソン効果(反重力浮遊現象)、テスラコイルのフィラデルフィア実験。
それからUFOを象徴とする。ここではない世界の存在。
色々、時空に関する興味の尽きない問題もあるが、この問題はあまりにも
日常とかけ離れている。
確かに、昨今のネット社会を過去の私に向かって、どっかの誰かが語っても、
現実感は無かっただろうが、今は、もう当たり前のように使っている。
自分が過去夢みた事は実現し、逆に夢みなくても偶発的にまた運命的に、
今在る自分は過去の自分からみれば、まったく想像しがたい事である。
今、私は…というか、実感レベルで正逆反転、なんか変だなという思いも含めて、
いくつもある可能性の一つを選択できるのだが、それは過去からみればとても贅沢で、
いつでもできることになってしまった。
いつでもできるのだから、今、しなくても良いと考えてしまいがちなこの感覚とは
なんなのだろうか。あえて行う事で、新しい何かを実感するのだろう…。
実にとりとめのない戯言であった。
怪我してわかったわ。
笑うから怪我や病気に効くんだこれ。もちろん精神にも。
腹いてぇぜw
889 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/25(水) 23:52:57.62 ID:f4pomGVG0
向こう側からこっち側戻ってくると
肉体を伴って人間でいること自体
凄い奇跡に思える。
同じ心の状態が一見関係ないような様々な場所で同時に出現するのと、同じようにそれを見る
もしくはいつも空に飛んでいてこちら側がみえる状態になる。。
宇宙人説もおもしろいけどUFOは瞑想をふかめる人たちが標にしてすすんでいくシンボル象徴や
自然と共通してみるとされるさまざまなシンボルなどと似たようなものなんではないか。
なんてあまりのぼらないひとが山登りしてキャンプファイヤーしてる時見たんだって聞いた時おもった。
アンポン向け特別サービス授業 禅のバカさ加減、例えば有無について @
私たちの世界は現象の世界である。これを禅では「有」と表現するらしい。
そして有は有ならざるところから生じたと考え、有ならざるそれを「無」
と呼ぶらしい。(対象ではありません)
たしかに現象側から見られた存在は無と見分けがつけられませんが、
禅における無は、有の根拠でありながら、有と同次元に措定されています。
これでは無も生じたのではないか?と無限遡及を懐疑されるのは必然です。
まず、現象(有)と存在(無)との次元が異なっていることが理解されるべきです。
これを哲学では「存在論的差異」(現象と存在の位相は異なる)と呼びます。
無限遡及が起きるのは、現象(有)と存在(無)を同次元に位置づけるからであり、
そこで禅の思考では、苦し紛れに「有無未分の場所」を要請することになります。
でも「有無未分の場所」の要請が、論理的要請であることには気づきません。
どこまで行っても「場所の有無」は問われ続けるのです。(無限遡及します)
禅の思考では、論理という私たちの生の形式を通り越して短絡させてしまう。
ともかく、発生論的に「はじまり」を求めても答えが出ないことには気づきました。
それで「有無未分の場所」を想定したのだから、ここでは無限遡及は問いません。
にもかかわらず、現にこの世界(有)は存在している。
そこで、本来「一」であるはずの「有無」が、どうして分離したのか?
などと考える始末になります。
もちろん、答えなんてでません。
そこで「有無がどうして分離したのか?」という問い自体を抹消してしまう。
これが禅の「不立文字」の立場であり、「無意味」の正体です。
考える能力がないからって「考えるのやーめた」なんて
ずいぶん禅はポジティブですね、みなさん納得して「無意味を悟る」らしいです。
55 名前:バカ女[sage] 投稿日:2012/04/05(木) 03:38:14.35 ID:0rZQiiN0
アンポン向け特別サービス授業 禅のバカさ加減、例えば有無について A
で、禅は、有無の分離について考えるのをやめたはずなのに
今度は、それは隠された神秘ではなく、思考の側に問題がある、と言い出す。
やっと生の形式という世界把握の前提に気づくわけです。
この前提が「有無の分離」という問題を生じさせている、と。
それだけではなく、思考によって解明できないということは、
それが思考以前の生の形式だから、と留まるところを知りません。
そこで生の形式の抹殺計画を思いつく。(前提への盲従にも気づかず)
前提にとらわれないようにするために、2つの事実を宙吊りにする。
「有無についてはわからない」と「現に世界は存在している」を。
どうなるかと言えば、有無の区別はつかない、と言ったそのことさえ
はたして有るのか無いのかわからない、というような始末になる。
なぜなら「現に世界は存在している」という有からはじめたつもりが、
気づいてみたら有は無によって限界づけられていた。
でも「有無についてはわからない」のだから、その考えも無効である。
こういうメチャクチャを「支離滅裂」と呼びます。
要するに「有は有ならざるものから生じた」=「無から有が生じた」
という考えが間違いなので、最初に戻って考えなおすべきなのです。
「生じる」という事態は、この世界の、だから有の形式だからです。
最初に指摘したように有無を同一の次元に位置づけるから誤ります。
それでは有に対する相対無の域を超えません。
最近ここに来たので、ジャンキーまとめブログを読み出したとこなんだけど
この世界自体が実は死後の世界ってくだりで思い出した
10年くらい93やってないんだけど、あのときの感覚、認識を死後の世界と言われて思い出してきたよ
894 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/26(木) 14:50:21.07 ID:GLrZn4cJO
この世界はバーチャルではない
もう民主主義飽きたよ
なかなか次のが出ないもんだね
896 :
ジャンキー:2012/04/26(木) 21:45:21.01 ID:ZVvTl5zH0
今の社会の変化と社会の変化はどのように行われてきたのか?という
問題について言及する。そしてこれは個人も「変化」というキーワードに
ついての変化の仕方については同じ事だから、この変化の仕組みを知ることで、
変化という動的な状態を客観視できる視点を提供しようと思う。
産業革命から始まった大量生産に基づく私たち社会がやってきた事は、
様々な私たちの衣食住の環境を整えて来た。先進国とは衣食住の環境が
発展途上よりも整っているという意味です。本当は衣食住が充足すれば
衣食住の充足環境は満ち足りたもので、そこを目指して終了のはずだった。
ところが付加価値や贅沢など過剰な欲求までも追い求め、それを充足させようと
して、衣食住の充足の最大化をおろそかにしてしまった。
そのおかげで、食えない、住めない人達も出てきた。
これが産業革命後の姿で、産業革命の残骸のまっただ中に私たちは生きている。
廃墟の美を思う気持ちや破壊衝動は、この流れの愚かしさを漠然と思い、
その象徴として思い感じているというように夢判断することもできる。
897 :
ジャンキー:2012/04/26(木) 21:55:38.51 ID:ZVvTl5zH0
私たちはこれまでシステム、つまり様々な仕組みを作ってきた。
これは科学でさえも同じで、重力を「在る」としたニュートンから、
光を超える時空は存在しないと喝破した、アインシュタイン。
彼の場合は、光の世界が在ると暗に断言しているという事にもなる。
その結果、ボームが量子力学。つまり何でも有りだが、観察が条件。
さらに、超ヒモ理論という証明はできないが論理的にはあり得るという流行思想。
これらは全部、無いんだが、在ると認める事で在る前提で世界観が構築され、
私たちの日常生活に降りてくる概念で、それによって様々なテクノロジーが
生まれ変わっている。
つまり私たちが今、存在すると認めているものは、全部、
無かったが、見えるようになったり、感じられるようになったり、
触ることができるようになったり、考えられるようになったりした
先人達のおかげである。
例えば、「人生」という概念は発明品ですし、「生死」とて発明品。
時間とて同じです。つまり私たちは認識を先に変化させ、次ぎに、
●●を認める事にしよう!ならば、これもこうなって、あれもこうなって…。
というように応用がどんどん作られるという事なのです。
重要な事は、最初は無かったが、ある存在を認めるだけで、
次々にパンドラの箱を開くようにわぁ〜と可能性がどんどん開けて来るという事なのです。
そのキーワードは認識、すなわち認識器官を当たり前のように呼んでいる「心」というものでしょう。
898 :
ジャンキー:2012/04/26(木) 22:10:21.84 ID:ZVvTl5zH0
理論物理学や社会学、哲学、なんでも良いですが、オルタナティブな
既成概念の外を直感的に感じ、それを様々な既存の要素(数字、社会統計、言語)で
降ろして、それを伝達して、人々の心を広げる事で、人々の可能性を開いて来たというのが、
これまでの変化の仕組みです。
私たちは認識を広げると同時に、広げ過ぎる混乱を避けるために、法律や学説、
原則、ルールも同時につくってきて、様々な情報の交通整理をしてきたが、
この交通事故が頻繁に起こり、自由に認識を走らせる事すらできないまでに
がんじがらめになってしまったというのが、この社会の認識の状態です。
本来、認識というものは、完全に自由なのです。しかし、既存の原則に当てはめて
検証するから、不自由になってしまうのです。つまり、「ありえない!」という
レッテルを貼ってしまうのです。
でも良く考えて下さいよ。これから新しく起こる事は、過去、あり得なかった事ばかりです。
逆に今あり得る事は、過去あり得なかった事ばかりなのです。
では、そんな事はあり得ない!っていう結論って、その認識状況とはなんなのでしょうか?
そう、今、そんな事は起こらない!って事ですね。この認識は一見、今を語っているようですが、
実は、今は既に過去なのです。今っていうのは、まさに、今ですからね。
次ぎの瞬間起こるかもしれない。起こるかもしれない選択権を放棄するという事は
すなわち隠蔽工作ですが、なぜ自由を放棄するのか?
自由って怖いものなのです。つまりコケルって怖いものなのです。
そしてコケタ後の痛さを想像すると、とても恐ろしいって事なんでしょうね。
でもその想像ってあり得るわけでしょ。あり得ないって言う人は、そういう想像は
その人にとってはあり得ているんですから、面白い所なんですね。
899 :
ジャンキー:2012/04/26(木) 22:27:02.25 ID:ZVvTl5zH0
今、人々が求めているものは、なんでしょうか?もっと言えば、人は、私は、
なにを求めているのでしょうか?人々は言います。感動だ、愛だ、承認だ、安定、安心だと。
でも、今から、その状態になるには、変化が必要です。
では何を変化させればいいのでしょうか?それは結果から見れば、認識の仕組みです。
仕組み、つまり法律だったり、ルールだったり、認識という感じ方を走らせる
道路をシンプルなものにするという事です。
私たちの認識は、ちょうど道路のようなものです。ほとんどの人は常識(日常の意識)で
社会生活を送っています。この顕在意識の特徴は、同時並行処理はできませんね。
二つの事を同時に考えられない。正確に言えば、一つの事を考えて、次ぎの事を考える
というように直線的に思い考え感じるというのが顕在意識の発明ですから、
私たちはそれに準じた意識を使っているという事です。あくまでこれは発明であり、
この意識を常識として、私たちは主に使っているし、これを基準として社会のシステムを創っている。
道路のように、考える道の通りに考えるのが顕在意識ですから、立入禁止のような所もあれば、
一方通行の場所もあるし、工事中の所もあれば、渋滞している所もある。
クラクションを鳴らし合い、譲れない道もある。しかしこのように顕在意識の道路が
あるが故に、みんなと同じ意識を共有できている。
顕在意識、すなわち常識は自明な事ではなく、これも一つの認識だという事を言及しました。
今、人々が求めているのは、世の中のルール変更なのです。でもそれは象徴であって、
本当は、認識をチェンジしたいのです。世の中が変化しても自分の気持ちや感覚が
変化しないならば、それは変化したと思えないでしょ。
900 :
ジャンキー:2012/04/26(木) 22:43:32.45 ID:ZVvTl5zH0
顕在意識の特徴をもう少し具体的に表しておきます。
メールは同時にコミュニケーションできません。なぜならば言葉のキャッチボールだからです。
意志疎通や意志決定もいつも時間差が発生します。
何故、時間差が発生するかといえば、お互いが「発信」するからです。
顕在意識の最大の特徴は、「発信」です。
受け身ではないって事です。
でも思いつくというのは、受け身です。「受信」です。
気づくってのも「受信」です。
気づきたいからっていって、発信型の顕在意識でもって、気づく手法をいくら
模索しても、そもそも、気づくってのは、「受信」だから気づけるわけが無い。
解るってのも、知るってのも、気づくってのも、理解するってのも
全部「受信」つまり、能動的にインプットするのではなく、
なんか知らんが、インプットされたが故に、受け入れ認知し、認めたわけです。
認識の変化は、何かをするのではなく、何かを受け止めるという事なのです。
人々の認知自体が「受信」型に変わっているが故に、空気読むとか、
鈍感力とか、見抜くとか、そういう方向性の認知、つまり私に言わせれば、
みんな祈ってるとしか言いようがない状況に見える。
ただ、祈りは叶うので、あんまり悪夢はみないほうが良い。
能動的な念の使い方は念力で、受動的な念の使い方は祈りでしょう。
思いを成し遂げたい!というのが能動的。成し遂げる思いに気づくのが受動的。
人は気づいた事は行動に結びつくが、成し遂げたいという意志の力は、
やっぱり疲れる。結果的に人々は疲れない方法を必然的に選択してゆくわけです。
901 :
ジャンキー:2012/04/26(木) 23:03:14.25 ID:ZVvTl5zH0
もし、この世界の真実の姿を知りたいのならば、全てを肯定すれば良いわけです。
否定するという行為は何を意味するかといえば、究極的には殺意のベクトルです。
これは既存の宗教、キリスト教で言えば、イエスであるし、アーメン(その通り)
だという事です。日本語で言えば、認知、認識、認めるって事です。
原罪の正体は、実は、「否定」です。切り捨てです。
何を切り捨てているのか?といえば、顕在意識にそぐわない意識を捨てている。
顕在意識とは常識であり、毎日、社会生活を送る為に必要な考え方です。
そして今話しているのは、意識の話しですから、意識は万物共有の一なる意識という
前提を私は暗にしていますが、個人に当てはめても同じ事です。
意識を扱う時にしては成らないことは、顕在意識つまり「切り捨て」の意識を
持ち要らない事です。
もちろん日常生活を送る時は、切り捨てしなければなりません。否定すべきでしょう。
否定すればするほど、意識は顕在化しますし、すなわち常識意識の持ち主振りを
演出できるのですから…。ただ、顕在意識主体のその個人の内面では、
交通ルールは厳格化され、窮屈で臆病な精神状態でピリピリ神経症となってしまいます。
そして病気になって…。でも命は強いですから、顕在意識は病気によって浄化され、
結果的にがんじがらめの顕在意識は放棄せざるをえなくなるでしょう。
そして楽して生きるという所に結果的にも落ち着くわけです。
最初から楽しろ!って私なんかは思います。
真の安定性を得るには、不安定が必要
だから酔うのだろうと
無心のまえぶれ、とどかぬはずの底へ
無垢と経験の梯 個人の損得をこえた徳を承る
無念無想無為ってえのは実は無意味なところでなく
受け取る場所へ精神なり肉体なりを戻した時の定義上の表現だったのかもしれない。
903 :
本当にあった怖い名無し:2012/04/27(金) 03:44:46.46 ID:ADKx9zVq0
言が発される時点で、在るんだよな。
それを無かったことにしようとする否定は、確かに本末転倒の、人間のバカ頭だ。
だったらこの世に生まれてなんか来ず、黙っていれば良い。
904 :
本当にあった怖い名無し:
ジャンキーのいう創造する事と祈りとは同じ事ですか?
怖い事ほど想像力をかきたてられると思うのですが、悪夢をみるとはどういう状態の事ですか?