中国分裂、朝鮮真空パック 第227夜

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532本当にあった怖い名無し
今から重要なことを書く。
信じなくてもいいから目は通しておけ。

1937年初頭もしくは1936年末ごろに、
国民党と英国軍事顧問団が満州国の一部を占領した。
日本が国民党に対して満州国の一部を割譲する趣旨の
偽造された国書を真に受けたことが原因だ。
偽造したのは中共とソ連軍事顧問団だった。
この事件により、満州で旧正月に予定されていた、
愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の結婚式が延期された。
ちなみに日本での結婚式は1月の予定だった。
人民の反発を考慮し、旧正月があけるのを待ち、
1937年3月、日本軍と満州国軍は共同で国民党に宣戦布告。
占領地を取り返した。
1937年4月、国民党軍&英国軍事顧問団が
日本&満州軍相手に戦っている隙をついて、
中共軍とソ連軍事顧問団が南京を急襲し、占領する。
日本は中共と不可侵条約を結び、
南京で捕まった捕虜を返してもらい、北京方面に撤退。
中共軍は国民党軍&英国軍事顧問団に対して大虐殺を行う。
国民党軍&英国軍事顧問団&米国ペンタゴンから
伝書鳩にて日本にSOSが発せられる。
万が一応じない場合は、日本を海上封鎖し、締め上げると恫喝。
中共軍は日本の動きを封じるために、盧溝橋などの重要拠点を破壊。
1937年7月7日、日本は中共との不可侵条約を破棄する。
1937年7月末、日本軍の攻撃により南京陥落。
その後、日本は上海租界防衛のために南京を離れる。
1937年8月から9月13日まで、日本軍のいない南京にて、
国民党軍&英国軍事顧問団&米国ペタゴンによる
中共軍&ソ連軍事顧問団に対するリベンジ大虐殺が行われた。