1 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :
今生の体験の一節とした「六道的解釈の地獄」はさておき
皆が体験した、または想像した地獄の世界を書いてくれ
2 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/17(土) 05:46:51.35 ID:lTlHq5vY0
朝鮮半島
3 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/17(土) 05:55:41.73 ID:lRoeJBgSO
4 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/17(土) 05:57:10.11 ID:fNSZVgO8O
痛みも無く癒やしも無い
終わりもなく始まりも無い
嘘も無く真実も無い
かといって 無 であるかと言えば 無 では無い
6 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :2011/12/17(土) 06:56:41.48 ID:U0N3xowQ0
宗教的な解釈の、戒めや脅し、倫理観の植え付け目的、いわば「善玉」にとって都合のよい解釈の地獄は存在しない気がする
たとえばアケロン(三途の川)があるとか、大悪魔はジュデッカのコキュートスで氷漬けにされてるとか
7 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/17(土) 07:02:37.18 ID:lTlHq5vY0
>>5-6 だから地獄は朝鮮半島か支那、ソマリア、フィリピンのよく分からん村や離島、
中東の紛争地、ブラジルのちょっと辺鄙な町、日本の同和地区、日本の朝鮮地区だってば
ただただ殺風景で、ただただ殺伐とした空間に、ときおり自分の破滅を願うモノどもと出くわすだけ
その動機として、みなが飢えている。というだけ
まるで自分が広大な砂漠の只中に生きる一匹のトカゲにでもなったかのような感覚
空から、陸から、砂の中から、オアシスの水の中からも捕食者が狙い、また自分も他を捕食するために狙うだけの日々
それじゃただの輪廻転生説と同じか
南アフリカのヨハネスブルグが地獄だとか、メキシコが犯罪者の巣窟で地獄だとか
そんな人間性の「ほんの欠片」でも感じるところを地獄というのは、生やさしい気がするよ
地獄は「言語」すらない場所であって欲しい
誰よりもいち早く「言語」を捨てた者がもしや、地獄に往きつけるのかも知れない
「死」の無い世界。
地獄よいとこ一度はおいで
苦しんでいる人が
いっぱいいるトコ!
地獄の説明
まず、この世界の言語で表すことが出来ないことを前提とする。
そして、いる者はすべて人間ではなくなっている。
社会性はないが社会性がある所もある。
自由である。だが全く自由が無いとも言える。
確定されるのに確定がない。
敵がいるのに本当は敵ではない。
そういう二律背反ばかりが並び行くのが地獄である。
というかちょっと本気を出して見る。
自分自身の整理も含めて綺麗に書いてみようと思う。
多分ここにいるみんなが行く所も含まれている。
まずは死後の世界としての地獄。
人が死ぬと皆が進む所。その関門でもあるのが地獄だ。
通常は死ぬと自分の霊が集まる集団に直結していけるエレベーター側の霊(魂)以外はこの地獄を通らなければならない。
その場所を「三途の川」などと言ったりする場合もあるが人それぞれの見え方があるので一概には言えない。
まず、死んだ後に行く「魂を小奇麗にする場所」としての地獄は「走馬灯」のような人生の復習が起こりそれらを感じる必要がある。
同時に延々と彷徨い歩くというイメージに似ている「無への回帰」としての何も考えられない状況を与えられる。
また、その後で自分を削ぎ落としていく事が出来ると溶けていくように自分がなくなっていく段階が来る。これを「浄化」と私は言っている。
浄化されていくと、今の自分は終了してしまう。
これが死んだ後に行く次の世界でじわじわと起こっていく。
それを「重なり合う世界」と私は呼んでいる。それはあの世の一つであるだろう。
私から見れば魂のレベル等が比較的に低い段階でもすぐに行く事(感じる)が出来るが2ちゃんの人はほとんどが行けてもいないように見える。
この話に関して宗教の差など微塵も無い。また無能者のくだらない意見は受け付けない。
現世における地獄
現世において、人間としての地獄はあるだろう。それは様々にある。
仏教でも学べばほとんどの地獄の説明がそこにある。
あなたの現実としての地獄である苦渋、苦悩もそこに書いてあるだろう。
そしてそれが例外を除いて100%なのだろう。
だが、仏教においては高いレベルの苦についての説明が甘い。
なぜなら人間としての人間の苦を書いているだけだからだ。
だからその部分を補足として書く必要があるだろう。「四苦八苦」だけではないものだ。
「世界や人(自分)に価値を見出せない苦」
これは自分が生きながら死んでしまう苦である。
戦争等のわかりやすい世界の苦も全部地獄とも言える。それらはすべて頭の中に構築される地獄である。
世界は坦々と進んで行くだけで全く地獄ではない。
地獄と言われる本物の場所(1)
人間であるとか無いとか、一般に言う神であるとか無いとかまるで無意味な場所。
それを私の知りうる限り小分けにして見る努力をする。
まずは地獄に行く者とは何か、誰かということから。
基本的に人間が何をしようがこの「本物の地獄」に行く事は無い。殺人、大量殺人、虐殺、何をしようがこの地獄には行かない。
私も一般人との会話としてなら行く事にするだろう。それによって彼ら、彼女らは満足を得ることが出来るからだ。
だが、実際は行かない。さらに言うと、そういった者は地獄などではなくその後に高い位置に行ったりする。
「虐殺をした者」でもせいぜい行くのは死後の地獄であり、そこで殺した者達からの復讐心をもらうことになる。
それら一つ、一つの思いを貰うから、居る期間が多少長くなるだろう。だが、それはこれから書く地獄ではない。
普通はこの地獄には絶対に行かない。
ただし例外がある。
神への反逆である。神と言っても実際は何の事だかわからない人間だらけだ。
だから地獄に行く事は無い。だが、神を知っていて尚且つ敵対するものがいる。
それらは「悪魔」と呼ばれているものだ。そいつらが巣食っているのが地獄の側面の一つである。
地獄と言われる本物の場所(2)へ続く
地獄と言われる本物の場所(2)
「悪魔の巣食う場所」としての地獄は凄い数の分類になる。悪魔は自分で領域を作り、あるいは自分達で領域を作りそこに世界を作っている。
だが、そうやって「神の干渉逃れ」をやっているわけだがそれでも干渉してくる。
なぜしてくるのか、それは「悪魔は神に干渉をしている」からだ。
もちろんこの世界にも「割り込みの魂」を来させている。そういった話も地獄の一つだが本質ではない。
本物の地獄は「神も落ちてくる」。一神教ならば「天使も落ちてくる」というのがいいのか。
その辺は定義がわからない。
ただあなたの魂の根っこにある霊の集まり(霊団)その物を落とす事もあるということだ。
人間のような「個」としての思考において考えれば、霊団の中全く悪さをしていない魂もあるだろう。
だが、そんなものは「管理側の神」には関係がないのさ。この管理側の神を「中位の神」と言おうか。
ちと桁が違い過ぎると考えて貰っていい。この「中位の神」はこの世界だけを管轄しているわけではない。
私は道理というものにくっ付いている神だと認識している。もちろん間違っている可能性もあるわけだが、そしたら指摘して欲しい。
これらの神を「管理側」と私は呼んでいる。
地獄と言われる本物の場所(3)に続く
地獄と言われる本物の場所(3)
地獄はすべてを消し去るような強い拡散が起こる場所だ。
この世界で例えるならば、要するに大きな焼却炉と言った所だろうか。
ちと違う感じだが、その地獄という大きな領域に行くとたくさんの世界がある。
それらはすべてを拡散させる場所の中で「我」を保つ悪を潰す地獄だ。
そこで「我」を保てるというだけでも相当の力があるわけだが、当然、自分達がいいようにしたいので「自我」から「自世界」を作り出す。
このネット掲示板のようとでも言うべきか。いやそうとも言えない。悪魔は「我」が強い。
その悪魔の「我によって生み出される自世界」が乱立している中で、当然に潰し合いが起こる。
神の干渉も原因の一つだ。裏切り、破滅、絶望、ありとあらゆるこの世界にある感情以外にもたくさんの「負の思い」を紡がされる。
それが地獄だ。地獄にあれば自世界ですら安定できない。
だから皆が逃れたいのだ。この世界でもまた同じ意味合いがあるのかも知れないが。
だが無理だ。神が頭を抑えているからだ。
正義だから神なのではない。強いから神なのだ。地獄に行かされるのは弱いからだ。
だから強くなるために争う。それもまた地獄だ。
そしてそういう争いにうんざりして自世界に隠れている者もいる。それも地獄だ。
機会があれば、次は「死後の地獄」をさらに細かくやろうと思う。
そっちが自分から見ればどうでもいいが普通の知りたい方ではなかろうかと思う。
当然に「死んだらどうなるの?」の答えの一つでもある。
死んだら、その人の波動の世界に行くだけだ
暗く重苦しい思いを抱いたまま死ねば、自縛霊になるw
魂が純粋な人はすぐに光の世界に行くけど
妄念体をいっぱいつくっちゃうと浄化に時間がかかるだろうね
自分の本質から離れてしまうと
地獄を探求すると生命力を失う、
>正義だから神なのではない。強いから神なのだ。地獄に行かされるのは弱いからだ
これは妄念以外のなにものでもないなww
ただ人間の側の正義と神の正義は違うかもしれない
人間ごときが広大な宇宙を創造した(人間も被造物のひとつ)神の全体を把握するなんて
無理な話だw、人間は神の子なれどGODではない
もとは神とひとつで、神の光の一端ではあるけど
神を海に例えると、人間は海の水の一滴であって、
海そのものではない、まだまだ未熟な存在だ、何でも知ってると思い込むのは誤りってか
傲慢さの現れだ、謙虚じゃなきゃ成長しないんだよw
不完全で当然な自我と自我の争いの場
それが地獄かあ〜
この世にも腐るほど在るぞ“制約”を受けながらそれを目の当たりにせねばならんぞ
「制約」が無いだけ、地獄のほうが居心地が良さそうだな〜
人と人とが自由に殺し合えれば
そもそも自我や自尊など誰も望むに価せぬぞ
それを望むるは、救いを求めた脆弱な霊魂の訴えぞ〜
表裏一体 とか 二重拘束 をなんとかしたみたいな
上手く説明できるお方・・・・おぬがいします。
それぞれの程度に応じて霊達が集まり、
より高次の霊から見る時、地獄と見える。
とかって、スエーデン・ボルグ?が書いてなかったつけ?うろ覚えすまん。
地獄よいとこ一度はおいで
救い無き世の潔白さが懐かしい
早く地獄へ帰りたい
やだ!明るい所に行くもんw
>>29 地獄の種類の一つと数えても差し支えないだろう。上から見れば下は全部地獄。
落ちる事が怖いという恐怖心の地獄なのか、あるいは下にある事柄そのものが地獄に見えてしまうのか。
なんにしろ綺麗に見えることが天国であると仮定するならそうなるだろう。
そう思うと天とは悪そのものでそこが実質的な地獄ではないのかと思える。
ただ、それはその彼の言う地獄の見え方から推察する天国という場所の話だ。
果たして天国なるものがそんなにわかりやすい所かなというのが残るが・・・。
地獄の話を進めよう。
六道で言うと
たとえば何も考えたくない奴は「餓鬼道」が天国だろう
たとえば日本人に有りがちな、会社に対して強い帰属意識をもつ社畜ならば「畜生道」が天国だろう
たとえば物事を真面目に考え過ぎて疲れた者は、人間道よりは「修羅道」のほうが分かり易い極楽になるだろう
普通に非力でしたたかで悪意も良心もある人間ならば、人間らしく「人間道」がお好みだろう
生涯において、己が霊性を試すことを志すのであれば「天道」に心置くことを望むだろう
六道でいう「地獄道」これは怨み辛みの心境で、誰もその地獄を望む者は居ないだろう
餓鬼道、畜生道、修羅道、これは本人が好んでいても否定や罵倒を受け、地獄を抱くだろうし、人間道も絶望すれば地獄へ堕ちる
ちなみに俺は人間道と畜生道が大キライ。苦しんで死ねばいいのにと思ってる
ある日突然、話すことと読み書きすることを辞めて「修羅道」に身心を置けたらどんなに気が楽だろうか
こう思う人間はかなり多い。何故ならもしゲームから「戦闘、競争」を省いたら誰も買わなくなるからだ
35 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/19(月) 05:05:13.31 ID:VrVlB8gOO
そういう妄想話いらないから
実際に念で覗いた奴だけが教えてくれない。地獄というより魔界というもんを
36 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/19(月) 08:00:09.52 ID:LBzVe8BWO
天国と地獄は隣にある
精神がそのまま外見となって見えるわけだから自ずと地獄の意味がわかるはず…
地獄とは身体的に苦痛を受けさせらるのではなく
本人の精神の外形が本人の心に苦痛となってのしかかるのでは?
神様なんてのはいない
みんな元はただの人間
ただ凡人からすると神のような能力を持った魔法使いのような元は人間だった存在
ランクも当然あるだろな
誰かが決めてるわけではないただ能力の差でピラミッドになっている
だから賽銭投げられて神様に頼まれても神様は困る
いろいろ叶えて欲しいと願い事ばかりされても神様は叶える能力はない
ただ願い事を叶える努力の方法方向は教えてあげられるだけだろな
努力した者と努力しなかった者の差それが天国と地獄になって存在できる場所さえ分けてしまうだけだろう
大昔(20年以上昔だ、すまん)、古本で「死後の世界」的な本を読んだ時、
ヒトラーが死後の世界で延々と誰もいない何もない砂漠を歩き続けているという
ことが書いてあった。子供のころはヒトラーみたいな大悪人が砂漠を歩くだけなんで
納得いかなかったが、いまならあれも地獄の一つと思う。
38 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/19(月) 10:36:53.52 ID:dSZaUSnH0
>>37 砂漠と言うか、「汚泥の沼」じゃなかったっけ?
「死後、ずっと歩き続けていて、足は半分腐ってしまった。でも、
歩き続けなければならない...」と、告白していた本だろ。
39 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/19(月) 11:31:32.29 ID:RdZNZfn4O
餓鬼地獄を現世に具現化したのが朝鮮半島
お坊さんが説法の中で言ってたこと
「地獄とはあなたのことが大嫌いな人しかいない世界
極楽とはあなたのことが大好きな人しかいない世界
だから偏見や思い込みで他人のことを嫌う人は地獄にしか行けない」
自分の破滅を願う者しかいないほうが、思惑が交錯する人の世よりマシ
そこが地獄の潔白さ
ひじょーにわかり易い
光も救いも幸福も要らないから
ただ、真実だけをくれ
かち合ったら殺し合うしかない真実だけの極楽浄土。それが地獄
自然を畏怖・尊敬せず、環境を破壊し、このまま人間中心主義で行けば、
地球は人間を頂点に発展、宇宙の果てまで行っても自己存在意義の無い苦しみ、孤独の地獄が待っている。
アフターマンの様に結局宇宙の果てまで行っても地球に戻る。
自然と調和し、草花や虫・細菌や鉱物等を大切にし、適度の欲望の発展で行けば、
宇宙人や幽霊もいる違う次元で魂が生きられる。
みんな嬉し嬉しとなる。 面白くて楽しい天国となるだろう。
適度の欲望の発展とは、極端に言えばお金の存在しない物々交換な社会である。
お金の存在があると、お金中心に発展し、人間の欲望は肥大化するからである。
適度のお金で足りないお金で頭使ってやりくりするのが楽しいのである。
お金で買っても私物化し、感謝せず、不満・不安定だと、悪意が沸いてくる。
悪意は悪魔の大好物、悪魔になって最後に地獄行きである。
お金で買った快楽は一瞬である。一瞬なのに永続させようとさせる事は罪深い事である。
お金で買った時点で喜びは半減する事を心得よ。買った時点で他力本願だと気付け。
不満を抱かずに何も苦痛が無い事に感謝せよ。丁度もの足りない位で幸せである。
それ以上求める事は自己の身分以上に貪欲傲慢の始まりである。
地獄とは人間中心主義であり、天国とは自然主義である。
人間中心主義は苦痛や厳しさから逃げるのである。
自然主義とは苦痛や厳しさは当たり前であり、だが真の喜びがある。
地獄とは人間中心主義の天国であり、
天国とは出来事が起こる前考えずにやり遂げる自然主義の習慣である。
ながくてごめん
行きたく無いのか?
地獄へ
人間道とは、結局はまた人間に生まれ変わるということ?
今生きるこの世も地獄?
48 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/26(月) 02:31:16.25 ID:oGrz156V0
この世は地獄の掟の元に神々が生きる世だ
49 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/26(月) 02:31:44.11 ID:oGrz156V0
この世は物理ルールの掟の元に神々の子らが生きる世だ
50 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/26(月) 02:32:16.67 ID:oGrz156V0
地獄がお好み焼きです〜
51 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :2011/12/27(火) 00:09:40.70 ID:Xyi8YwWzi
はやく俺を修羅の地獄へ帰してくれ!
天界
混沌←俺たちが住んでるのはこのカオス
魔界
腸内細菌みたいに善玉の天界成分が多かったり悪玉の魔界成分が多かったりするらしい
天国からの人助けなんてそんな柄じゃないと思った。
でも地獄での人助けなんて望むものじゃなかった。
周りの人達まで巻き込んで生き地獄をつくってしまった。
天国に行ってほしかったのに引きずり降ろしてしまった。
地獄で出会うのが自分が苦しめてしまった人達だとは思わなかった。
助けたかった人達をさらに貶める事になるとは思わなかった。
そもそも自分が誰かを助けられるなんて思うのがおこがましかった。
55 :
本当にあった怖い名無し:2011/12/30(金) 22:38:08.91 ID:Xq4q8K7w0
すなわちこの世が地獄
地獄に行きたくない。犍陀多にはなりたくない
足るを知る 無知は怖い
地獄とこの世界で呼ばれている所をどこにするかなんだけどそれも問題だと思う。
一般的な地獄は全部が全部悪の巣ではない。自分が見た地獄や居た地獄はとても楽しかった。
私の居た地獄は毎日殺し合いをさせられた。地獄の中だと年中生まれ変わる。殺し合いのために生まれ変わる。
だけど、それでも楽しかった。生まれ変わるというのは輪廻のことだから。
子供で殺されても、また生まれて殺されて、少し大きくなって戦って殺されてそういう世界。
地獄に居た敵はこっちでいう竜でとても強かった。
でもその竜もどうして戦うのかはわからなかったと思う。
ただお互いに殺し合いを延々としているだけだった。個人ではなくて、集団だった。
始めは個人だったのかもしれないけどいつの間にか集団になっていたような感じだ。
だから一心同体みたいな感じだった。
そういう気持ちになれることは地獄なのか、天国なのか。別れは悲しいけどまた会える事がわかっている。
主力組みは特に気持ちが一つだった。だから地獄は好きな所。
では他の視点に変えて見る。
地獄は何も戦いの地獄だけじゃない。たった一人の何もない空間。
この世界でいうなら一人分のほら穴。そこにただじっと居るだけ。別に何もない。
何も面白くない。ただ心の中で同じ光景が繰り返されるだけ。
自分の思い込んで居た事、悩んで居た事、それをずっとそこで考えている。地獄に時間はない。
だからどれだけ考えているのかもわからない。ただひたすらにそこにいて何もない。
何の意味も無い。ただの存在としているだけ。
こっそり系の地獄だね。
ここも結構楽しいんだ。ある程度行くとやること無いから違う事を考え出す。
でも、そうやって有を生み出すことが神の餌なんだけどね。
そういえば、この地獄もこの世界にあるね。同じような物だね。
はい、他の視点。
ただひたすらに落ちて行く地獄。
穴に「ヒューン」
何も出来ない。ただ怯えるだけ。いつ底に着くかのかはわからない。だから怯えるだけ。
延々と落ちていく。何も出来ることが無い。体勢を整える事も出来ない。ただひたすら落ちて行くだけ。
あるのは絶望だけ。最後に辿り着く場所でどうなるのかはわかっている。
でも何も出来ない。できることはどうやって潰れるか、どの体勢がいいか、それだけ。
これはこの世界に無い地獄と思ったけど、やっぱあるな。
生きるとはこういうことって感じか。
一緒に落ちている奴とすれ違う時に観察をする事が出来れば案外やることがあったりする。
ここの少しでも長く落ちている状態にいるために相手を蹴っ飛ばして自分を上に上げようとする無意味さ目撃すると笑える。
ただ上から素早く落ちてきた奴にぶつかると加速してしまう。
ただ実は底が無いので延々と落ちるだけだったりする。そこに居る時はそうは思わないが。
>>22 これらはすべてこの話に通じて居るね。我や個を徹底的に潰しに来る。
一体感にしろ、孤独感にしろ、絶望感にしろ、すべてが実は同じだ。
我を潰す。
それでも自分を押し通すことが出来る物が地獄に居られる。
そうでない物は地獄にいられない。
良い人間は早く地獄からいなくなるということだ。
魔がどうのなんてのは無い。そんなものは人間の作った妄想だ。
良い、悪い、なんてのも同じだ。実はそんな物は無い。
あるのは自分と共通性があるか、無いかだけだ。共通性が無ければ敵であり、悪であるということだ。
というわけで地獄とこの世界との差異を探してみようと思う。
地獄とこの世界の違いはほとんど似通っているけど、全く違う点がある。
地獄の方が完全な世界に近い。この世界は若干完全不安定だ。
もしかしたらだが、新しい道理が追加されるかもしれない。
例えば表面張力というのがあるが、別にあの道理が無くても世界は変わらん。
絶対に必要な道理ということでもない。
関連として分子等の結びつきが出てくるが、それを言うなら液体、気体、固体とかもおかしいことになる。
新しい道理が来るのは分かっていて、もんやりとなんだが分かりそうなんだが、どうも人間関連らしい。
例えば男が外で、女が中で見たいなのが最近、壊れたけどそういったことではなくて何か根本の部分がすげ変わるらしい。
実は知っているのだがいまいち言いたくないな。人間の発生とそのメカニズム関連だと言っておこう。
そういった進化にも似たしょぼさ、不完全さがこの世界にはある。
そこを面白いと感じることが出来ればいいが、知ってしまうとつまらなさがこの上ない。
だから変な人はあまり介入してはいけないのだと思う。
そうなると地獄について書くのもどうかと思うのだが・・・。
つまり、こういった変化が地獄には全く無い。
思いがこうやって交錯してどんどん変化していくことはないのが地獄だ。
そういった意味だとこの世界で言う天国も同じだ。
あれも何も変化が無い。こっちで色々と天国に関してのイメージは変化するだろうけどずっと同じ。
地獄だけに焦点を絞ればやはり神の横暴こそが私には悪に感じられる。
2ちゃんに普通の能力者がいるのかはわからないし、話が合うのかもわからないが一ついえる事がある。
全能の神はいない。この世界で言うなら死んでいる。この世界を作った神はだからいない。
いると思うなら説明と内容を知りたかったのだが、話がそこまで進みそうな人がいなかった。
世界を運営する神や道理の神はいる。
だが、この世界の関連する世界も含めて、すべてを作った神はいない。
この(量が無限と言う意味で)数十京にも及ぶ世界群を束ねる神がいない。
要するにこの一連の世界で神と称する神が勝手をしているわけだ。
そういう意味なら人も神の一部なのだから神をしてもいいだろうに。
ま、神から見た悪魔側としてはそういう論理だ。
神側としては悪魔は悪いので人間の敵ですべては悪魔の所為なんだろうけどな。
地獄に落とすと脅すのも今の神側ということさ。ただ、それは永遠じゃない。
永遠に神などと力を振るってほしくはない。そういう考え方が悪魔だね。
じゃっ、そっち方面の視点を行って見ようか。
おっと一瞬で書こうとしていた内容が頭の中で消えたわ。ちょっと思い出すよ。
ただ、ねあふかは実は悪魔側の意見をかなり代弁しているけど、悪魔側でも神側でもなかったりする。
もう一つ解脱がどうのなんていう意見があるけどいまいち過ぎる。解脱なんて出来ません。
人間等の動物が終われば神としての活動が始まります。肉体の無い形のものです。
ただ、霊団の作業に入るだけなので今とあんまり変わらないかもしれない。
釈迦のように自在化は元(もと)が違うので出来ません。どの時点を解脱と呼ぶのかにもよると思います。
一言で言うと出来ません。ただそれだけです。
我が無くなった程度では全然、低レベルなことです。
この世界のすべての興味を消失させたとしても別に解脱など出来ません。
意識固定は解かれていないからです。全部の線を切断しても地獄に落とされるだけで解脱など出来ません。
4期目の釈迦も地獄で自己世界を構築したと思いますが、それが出来たとしても自己世界から逃れられない。
つまり世界の延長線上にいるだけになる。
ま、いうなれば解脱を目指すなら地獄や悪魔は必ず通る道でもあると言える。
仏の道は悪魔の道でもあるかも知れない。面と向かって誰も言わないが。
しっかりと自分の身分を果たすことで上の位に生まれ変われると信じるヒンズー教からすれば気にいらない話かもしれん。
解脱とはその意味が実は一番大きい意見だと思う。
自分が修行者だった時ここで終わりだと思ってそれからどれだけ先があったことか。
それの繰り返しだった。今でもわからないことが時々あったりするから詰めが甘いのだろう。
大体のことは言葉違っても言っている内容はわかる。何を言いたいのか何を表しているのか、どの部分を言っているのか、
どの神を言っていているのか、どこを間違えているのか、そういうことがほとんどわかる。
そこから外れている時に若干考えないといけないが、大体のことはわかるようになって時々つまらん。
ま、地獄は階層化もあるし、広さもある。場所によって全然違う。生まれ変わりがある場所もあるし、無い場所もある。
だからと言って何でもありじゃない。自分がってが出来るわけでもない。
言うなればこの世界と同じ。そこに居る時はなんでいるのかわからないし、がむしゃら過ぎて何がなんだかもわからん。
ただ、ただ、そこにいるというだけ。
死後の世界で言えば、死んだ後は地獄を通るわけだがただ今世で生きた内容の復習と反省、また未消化の思いの具現化を受ける。
例えば一般のアイドルとかならあの子と結婚したいと思われていたらその思いの固定化が強ければそれを感じるというか、受けると言うかそういうことだ。
実体がないから説明は出来ない。ただ、そういうのがちときついかもしれない。消化されていれば大丈夫だ。実は生きている間も魂はそれをやっているんだよ。
2ちゃんの他の人から言わせるとねあふかは能力が無いらしいので全部妄想の話と言うことで、これぐらいにしようかな。
あと来年は2日か4日ぐらいにまた見に来るよ。自分がわからない話を期待したい。
答えるかはわからないが質問には返答する努力をするぞ。そんな感じだ。
今日はサファリパークに行って来たのだがあれは「なんだかなぁ〜」という感じだ。
ダチョウのお尻の羽を他のダチョウがむしっていた。だからダチョウ3匹のお尻の羽が全部無い。
あれはあのダチョウ達の流行りなのか、なんなのか、わからないが狭い範囲に押し込められるとおかしくなってしまうのだろう。
サイが走り込みの練習をしていた。あの狭い範囲で走りこむサイは一体・・・・。
とにかくサファリパークはわけわからん。あれは天国か地獄かわからん。あそこの動物は暇を持て余している。なんか人間と似ている感じだな。
おっと乗っ取り過ぎているな。
さて、書き込みを止めましょうかね。どうも乗っ取りがちなんだよね。
地獄なんていい所じゃないよ。言うことを聞かない人間が行く所だ。
別に殺人犯が行く所じゃない。
例えば騒音おばさんとかが居たけどああいう人が行く所が地獄だね。
何度行ってもわからないから分かるまで居させてくれる良い場所が地獄だ。時間は無いから大丈夫。
無限に拷問を受けることが出来るパスポートが漏れなく付いてくる。
それをそう感じるか、感じないかは本人のレベル次第だ。低いものはただの苦痛にしかならない。
高いものは身分差があるので効かないんだこれが。
何にしろ、自己世界の構築が出来なければ悪魔としての程度は知れているし悪魔で無ければ(この世によりかかるだけの魂を持つ人間、金がどうの、セックル連呼とかの奴なんかが代表的)
地獄などただの拷問世界そのものだ。来ないようにした方がいい。土俵が違うから。
悪さでもして紛争地のアフリカ人とかに生まれ変わるのがのがパターンだと思うぞ。
生まれてすぐに親に水につけられて殺されるのも一つの人生のあり方だ。
この世界は本質的にはなんでもありの自由な世界だ。覚悟さえあればだが。
ふむふむ
反逆地獄へ逝くんだ、俺の本質がそう欲求を出してる
想い願いを引き寄せる人の魂。それをやっつけ仕事で叶える神。これが気に食わん
神に反逆するんだ、幸不幸の勘定は後回しでいい。先ず、神に挑むんだ、殺すんだ
凡ゆる分別も、神を殺してからでいいんだ
真面目なやつが神に馬鹿を見せられてるだけなんだ
74 :
本当にあった怖い名無し:2012/01/11(水) 01:34:23.20 ID:bk2mgO6r0
75 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :2012/01/14(土) 17:04:02.10 ID:FUMlnf860
地獄の夢を見た
心地好い緊迫感があり
言葉がなく、みな性別がなく
凡ゆる交友関係が不必要な環境と境遇
他を破滅させる共通認識が有るだけ
「片割れ」の観点で見れば
「片割れ」の観点での良し悪しが出るが
地獄には其れが無い
と感じた
ムダがなく
情緒的に物事を観察する事もないほど
居心地の好い処
他を破滅させることだけが
益を得る最短の術
「言葉」は、一切必要はない
78 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :2012/01/14(土) 17:19:23.54 ID:FUMlnf860
心地好く、心地好く
人の世の習わしを否定できる場所
人間がくればこの上ないご馳走
人間がくれば、この上ないご馳走だ
79 :
本当にあった怖い名無し:2012/01/14(土) 22:32:46.86 ID:XGgE4jvs0
軽い地獄=韓国
思い地獄=北朝鮮
汚い地獄=中国
地獄界から派遣されたような人たちが
虎視眈々とこの世の人を狙っている
といっても類友の法則で
心が清らかな人には醜く悪臭漂う悪霊は寄り憑かない
例え陥れようと思って近寄っても、清流には住めない魚がいるのと同じで
長くは近くにいられない、
悪霊がいる場所は陰気で汚くて淀んだ場所
悪霊が好むの人は、陰湿で陰険で心に暗い渦々(エネルギーの捻じれ)を抱えている
人を妬み、人の不幸にほくそ笑み、人を陥れるのが大好きな人たち
人の痛みや苦しみが快感って人だな、要するに邪悪な人
そういう人はもれなく死んだら地獄界の住人になれるよ
邪悪になり切れず、かといって善良でもない人が多いけどね現実は
そういう中途半端で自分さえ良けりゃいいって人、自己中な人を狙うんだよ
本当に邪悪な人は黙ってても暗いところへ行くけど
良心がちょっとだけ残ってる人とか、善と悪に揺れる人を闇に突き落とす
悪霊を見たらああはなりたくないと思うよ
とんでもなく酷いから、
肉体の美しさに惑わされるけど、この世は
あっちにいったらその人の心がそのまま姿に反映する
邪悪な人凶悪な人はもうねゾッとするほどキショク悪い姿形をしているよ
なぜ人は邪悪になるんだろう?、生まれたての赤ちゃんとか3歳児に極悪な人間はいない
その人の日々の「選択」、つまりは自由意志によって思いを、心をつくっていく
日々刻々、物事をどう捉え、どう考え、どう感じ、どう行動するか問われている
肉の欲のままか、感情のまま衝動のままか、自分はどうありたいのか?
どう生きたいのか?問われている、自分を偽るも苦しくても真実を生きるのも
その人の選択次第、意志をどう働かせるか?
一生かけて人格を築く意味があるんだよ、選択の積み重ねでその人の心が形成される
魂に泥を塗りたくるのも自由だし、魂を浄化する生き方もできる
心のあり方が問われる
人間は自分がなりたいものになれる
これ本当
まぁ一回の人生じゃ無理かもしれないけど
どんな自分になりたいのか?自分に問うたことがあるだろうか?
いつも問いかけられていることに気づいているだろうか?
苦労しても魂が磨かれた人は美しいよ
顔には皺が深く刻まれていても
魂を輝かせることができた人が勝ちだよ
この世でいくら贅沢したって、ほんの一時のことだしね
84 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :2012/01/15(日) 03:08:00.27 ID:h/sqhmwc0
地獄を覗くおヌシもまた
魂に汚れがあるのざぞ
闇を覗くものは
その闇に覗かれていると言うこと
85 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :2012/01/15(日) 03:09:20.59 ID:h/sqhmwc0
覚悟がある今なら
「フクシマ」へ逝けばいい
86 :
うんこ 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆boczq1J3PY :2012/01/15(日) 06:17:48.02 ID:Y4xXsCvpi
俗世は言葉の地獄だね
今日も地獄の夢がみたい
なんの気兼ねもなく当たり前に殺せて
当たり前に殺される地獄の夢を
問答無用の救いの心地
俗世の苦痛を癒してくれる修羅の世界
人間辞めて鬼に戻りたい
名前も家族も凡ゆる俗益も要らない
ただの一匹の鬼に戻りたい
百万言の俗毒に勝る毒ナシ
生病老死の四苦もしょせん俗毒
次に並ぶ八苦もまた俗毒
しょせん言葉によるもの
鬼のほうが数百倍お気楽
フクシマが〜、フクシマが〜好き〜♪
水の心配、食糧の心配、衣服に住居
身を守る武器、他者の手助けの有無
法的処置への畏れ
思えば思うほど単に俗毒が回ってるだけ
しょせん俗毒。ただの言葉
92 :
本当にあった怖い名無し:2012/01/15(日) 21:37:24.60 ID:saFEa3sg0
地獄の写世は
中国の一部
韓国
北朝鮮
地獄?いまここにいるやん?
>>93 地獄は救いがないけど、ここはだいぶ救いがあるから違うよw
地獄のような世界が、この世にも顕現することはあるけどね
地獄の門が開いて魔物どもが跳梁跋扈する世界
まぁそうなるのは、人間の側の欲と恐怖が誘因なんだけどね
恐怖ってのは伝染性が強い感情で、恐怖→パニック→人格崩壊→悪鬼悪霊が人にとり憑き放題好き放題
そうなるともうこの世の地獄だ、天の助けも仏の慈悲も届かない闇
人の心に闇ができると、地獄の扉が開くのかもね
欲より愛や思いやりが勝っているうちは大丈夫だけど
今日も嫌なもの見ちゃって眠れないよ
しばらく見えなかったのに
……話せば多少マシになるかもしれないよ?
だから、、
なんで地獄を望まないやつがスレに混ざっちまうんだ?
鬼どもは純粋に排他欲求があるだけだ
建設的な意図の押しつけは
それを述べるものの保守意識しか感じないから
悪鬼に付け狙われるだけだろう
地獄では人間どものご都合的解釈による平和維持の為についた嘘の清算を迫られるだけだぞ
否が応でも人は教育という洗脳を受け苦汁を舐めさせられるだろ
否が応でも地獄ではその清算を迫られるだけだから心配すんな
自由を大切にしてきたものだけが、鬼として地獄を満喫できるだけだ
肉の声だけしか聞かないからそうなる
自由ってのは欲望の赴くままに動くことじゃない
ちょっと想像力を働かせればわかること
欲をコントロールできなかったら、欲の奴隷になる
そして我を失うんだよw
欲望のまま、感情のまま、衝動のまま生きれば人間ではなくなる
本能の箍が外れた獣になる、魔ものの奴隷ってか乗り物になるんだよ
本当の自由は自分自身の主になること、馬車(犬ぞりでもいいけど)に例えるなら
ちゃんと「自分」が馬(犬w)をコントロールして
暴走させることなく、目的地まで行けるようにすることだよ
馬が勝手な方向に走りだしたら行きつく先は?
馬車馬は目隠ししてるからね、暴走して他人を傷つけるとか転落するとか
それが自由じゃない
肉体は乗り物、乗り物の暴走を許すこと=自由だと思ってる人はバカだよ
エゴってのは、肉の声の延長だ
どっかにも書いたけど人間は絶対矛盾の自己同一
肉体を持った生き物=動物としての自分と
魂の自分
肉体は乗り物で、魂こそが本当の自己なんだけど
なんか魂ってとぼんやりとした幽霊的なイメージがない
肉体にくっついてるおまけが魂、みたいなイメージ
だけど、肉体は有限の借り物、魂が抜ければ肉塊→土くれに戻る
魂こそが人間の核であり、本質なんだけどね
肉体と魂を繋ぐのが心だ
この心にはフィールドがある、心はどこにあるか内側にあるって考え方もあるけど
人間を取り囲む卵型のエネルギーフィールド(オーラフィールド)
それが心の場だ、
肉体の思いと魂の思い、そして思いを乗せる媒体であるエネルギーが入る「場」だよ
絶対矛盾の自己同一
これの意味は、肉体というのは生き物としてDNA(遺伝子)が組み込まれていて
肉体を維持し、子孫を残そうとする、そのためには他者を蹴落としたり打ち負かすことも辞さない
お金が欲しいのも、力(権力や肉体的な強さ、ケンカが強いとか)への欲求も
自己保存の本能から生まれる、肉体の欲求、快楽、安全、それが基礎になっている
それと人間ってのは社会的な動物だ、集団の中で目立ちたいとか
人から敬われたいとか、人を支配したいとか、そういう欲求も生まれる
エゴってのは、肉体から生まれた声でできている
一方、本来の自己はエゴとは無関係だ、元々肉体はなかったんだから
魂には、エゴとは違った「思い」がある
魂がその思いを達成する道具として肉体を必要としたかもしれないけどね
肉体の声を聞くなとは言わない
魂の声は微かで小さい、肉体の声の方が大きい
腹が減ったとか、繁殖したいとか、それを満たしてやるのも主の務めwだけどね
肉体を疎かにしろってんじゃないけど
エゴだけが自分だと思うと、他人なんてどーでもいい、自分さえ生き残れればってな気持ちになる
自分だけ得をしようとかね、本能の箍が外れた獣である人間は
魂がないと、どんな動物より強欲で残酷になれる、歴史が証明している
どんな獰猛な動物でも欲に制限があるので、行きすぎることはない
神(自然)の支配下に置かれているからね
人間は神のごとき「自由意志」を与えられた
選択の意志、ただ本能のまま、欲望のままじゃない
理性の声、良心の声を選択できる
この世の価値観は肉の声=自己保存の欲求が基になっている
わが身の安泰のためお金を欲しがる、権力にすがる、名誉を求める
肉体を離れた時愕然とする
価値が逆転するから、死んでから問われるのは魂の思いを達成したか否か?
あるいは愛したかどうか(肉欲愛欲とは違う)
エゴの声しか聞けないのは、魂を取り巻く影が多すぎるか
自分の真実に蓋をする選択をしているか
まぁ色々あるけどね
肉の欲望のままってのは、自由ではなく奴隷への道だよww
魂を取り巻く影、それを罪と呼ぼうがカルマと呼ぼうが
それをつくったのも自分だ
誰にでもあるけどね、
あまり自分の魂を裏切ることを繰り返すと、自分に嘘をつき続けると
魂がどんどん遠くなる
魂は光でもある、光が全く届かないとその人の心には魔が棲みつくかもしれない
それが邪悪ってこと
あるいは心を分断することで狂気に至るかもしれない、そうなるともう
わたしがわたしで「ある」意味がわからなくなる
あまり魂が遠のくと、真っ暗な闇=地獄に至る
魂と人格が近ければ、波動は上がる
魂と人格が遠のけば、その間に影(シャドー)または罪またはカルマと呼ばれるものが
存在すると、魂の思いは人格に届き難い
この世で苦境に陥るとか病気とかトラブルとか起こるのは
神の分霊である魂の光がなんらかの理由で遮られていますよって知らせるサイン
天意でもある魂の思いが届かない理由が、そこに隠されている
だからピンチはチャンスなんだ
魂の思いから外れると、当然波動は下がるよ
魂がほぼ完全に隠れてしまうとか、魂の方が人格を見限ると
その人は光に帰れなくなる、
一筋でも光が届いていれば、時間がかかっても本来の自分である魂を辿っていける
浄化に時間がかかるけどね
完全に自分(人格ではなく本質である魂)を失うと
地獄の住人になるしかない、彼らは果たして救われるのだろうか?
それとも永遠に闇をさ迷って、生きた人間を闇に引きずり込もうとするのか?
いつか消滅してしまうのか?わからない
死刑前に「改心」させるのは
魂との繋がりってか絆を再び結ぶためだ
自分から逃げていては悔い改めることはできない、魂が戻ると良心が復活するから
酷いことをすればするほど、苦しい思いをする、心の痛みは半端ない
それが嫌だから自分の罪から顔を背け、俺は悪くないと嘯く
悔い改めることなく、罪を悔いることなく死ぬと
魂が離れたままだから、死んだあと自分が誰だか本当にわからなくなってしまう
神(魂)とひとつになれなくなる
そうなると、行くところは霊界の底の底とも言うべき地獄か
この世とあの世をさ迷うか
だから、地獄はどういうところかという話しをしろよヴぉケが
行く行かないは個人の勝手だろこのスットコドッコイが
アンチ地獄いちいち湧いてくるなウジ蟲
113 :
本当にあった怖い名無し:2012/01/27(金) 21:12:09.82 ID:JBgH9gH/0
北朝鮮や韓国みたいなところもある
114 :
本当にあった怖い名無し:2012/01/27(金) 21:14:42.06 ID:/6bbEgd40
韓国仁川地方警察が26日に、実の娘を10年間に渡って性的暴行を加えてき
た51歳の男を親族間強姦罪の容疑で逮捕していたことが明らかになった。
韓国メディアが伝えた。
仁川警察の調査の結果、男は妻と離婚してから長女と次女の3人暮らしだっ
たが、2004年長女が小学6年生の時から10年間に渡って常習的に性的暴行を
加えていたことが明らかになった。
警察は親族間強姦容疑で男を逮捕し、現在16歳の次女に対しても、同様の
行為を行っていた疑いがあると見て余罪を調べている。
一方、別の事件で、16日には実の娘が10歳から28歳になるまでの18年間、
性的暴行を繰り返していた高校教師に対する裁判が行われ、懲役8年、電子
足輪(位置追跡システム)を10年間装着、性犯罪者の身辺情報公開5年の実
刑判決が言い渡された。
韓国では親族間の性的暴行事件が後を絶たず、昨年12月と9月にも実の娘に
対する性的暴行事件が報じられていた。
2006年から2011年6月までの5年間に親族による性暴行は、延べ2089件発生し
ており、年平均400件以上の高い発生率となっている。
(編集担当:金志秀)
ソース:サーチナ
http://n.m.livedoor.com/f/c/6226066
116 :
本当にあった怖い名無し:2012/01/30(月) 20:20:04.29 ID:xmOPWv9H0
韓国は何で身体障害の子供が多く生まれるの?
それを欧米に輸出してるんだろ
スウェデンボルグの霊界なんとかという漫画読め
捗るぞ
118 :
本当にあった怖い名無し:
北朝鮮は地獄の顕現したものだろ
ましな地獄だよ