後味の悪い話 その124

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154本当にあった怖い名無し
>>150の生き埋めで思いだした。
古来仏教には、究極の修行として即身仏となるというのがある。
文字通り、生身でありながら仏となるのだけど
そうなれる人は極僅かで先ず、即身仏となる事を志願したとしても、
周りの人たちが本人をそうなれるだけの徳や悟りのある高僧として
尊敬していなくてはならない。

そして即身仏になるには、前段階として人間の身体にある脂肪分や水分を
究極まで落とさなければならないので、修行もそれは厳しいものだった。

修行場となる北国の山中の小屋に最低でも3年以上籠り
夏も冬も薄い行衣一重のみで火も厳禁、水垢離等の荒行を繰り返し
段階に沿って五穀十穀を断っていき最終的には木の実、木の根のみの
生活て徹底的に身体の余分な肉と水分を抜く。
この段階で大多数の即身仏志望者は、修行に耐えられずに道半ばで空しく命を落とす。

それに耐え抜いて下山が叶ったとしても、それから即身仏に成るためには
まだ厳しい食事制限と身体を痛めつける荒行を続けて、初めて土中入定の儀に入れる。
土中に石室を掘り、そこに座って空気穴代わりの竹筒を通してそのまま土を被せられ
水も食物もない真っ暗闇の中でひたすら読経(と鈴を鳴らす)を続けて
竹筒から読経の音や鈴音が消えてから3年間放置されて、その後やっと掘りだされて
即身仏として崇められる。

でも、そうやって辛い修業をクリアしてやっと入定したものの元々が密教なので
いつの間にか伝承が断たれて、埋められっぱなしになってしまった人や
中には土中入定したまでは良かったが、幼い小僧さんが「和尚様が可哀想」と
つい竹筒から饅頭を差し入れようと筒の中に突っ込んだので穴が塞がり、
このこの人は最後の最後で「悟りを開いて生きながら仏」になったのではなくて
単なる窒息死の事故死扱いになってしまった・・とかの文献を読んだ事があって
何だかなーと思ったよw