1 :
本当にあった怖い名無し:
法学・哲学で人間を動かしてみましょう。
そのための情報発信基地です。
法学教室・ジュリストを軸に、最近は「現代思想」も加えたのですが、
哲学の情報は「世界ランキング4位」のスタンフォード大学の情報が使えます。
「スタンフォード哲学百科事典」
http://plato.stanford.edu/ あくまでも人間の研究を行う場所です。
スタンフォード大学の情報を活用しましょう。
「心理学主義」スタンフォード哲学百科事典。
http://plato.stanford.edu/entries/psychologism/ 日本の教育は、言語学に「英語」を選択しているが、そもそも「文法」というもの自体が
「心理学」の知識を借りている。"will"は予定や推測、意思を表し、"can"は可能を表し、
"must"は絶対の確信や義務を表す。
これは心理学の知識を借りないと分析できない。
言語学と心理学はどう関わっているのだろうか。
これが巨大な哲学ビジネスになっている。
ジョン・スチュアート・ミルは、言語も心理も「経験」から形成されるとしている。
彼は言語学を「真理を探究するうえでの人類の共通了解を扱う科学」であるとしている。
世界には「物」があり「内容」があり、「行動」がある。これらを言葉で説明することは可能だが、
人間の心理を言葉で説明するのは「思考の過程」を一定程度説明できるに過ぎない
としたのだ。
粗削りな議論だが、ミルの議論は、その後の「哲学産業」を非常に豊かなものにしたのだ。
心理学の核心は「その人がどういう判断をするのか」ということにあるが、
その背景には「どういう概念をもっている人なのか」「どういう予測を立てられる人なのか」
という分析も必要なのだ。
ここに言語学も絡んでくる。政治家は政局を読む上で個別のファクターのこの部分を
どこまで読み切れるかを「政局カン」と呼んでいる。
今では「言語学こそが心理学である」と主張する論者はおらず、言語学は
一定限度で心理学に準ずるものであるというのが通説なのだ。
4 :
記憶喪失した男:2011/08/02(火) 17:20:09.00 ID:hyCmjR5B0 BE:1642449683-2BP(0)
1おつ。
せめて、「背徳の暗黒騎士団其の弐拾」
にするべきだったね。
1のテンプレも、本スレをまねるべきだった。
これじゃ、使ってもらえないよ。
日本国最強の統治集団である東京大学に、世界ランキング4位のスタンフォードの情報を
入れるんですよ。もうすでに「制圧」扱いだけど、情報発信しない「おままごと」は
相手にされないということですよ。
スレの一大イベント。
来年8月の「喜多対小野戦」(ライトヘビー級4回戦)
「死と向き合うこと」スタンフォード哲学百科事典。
http://plato.stanford.edu/entries/afterlife/ 序文:
人間は年老いたら死ぬし、体は朽ち果てる。しかし、死んだ後も自分は不滅である
という考えは「死の否定」とは別の意味で広く共有されている。しかし、
多くの人は「深く考えない」という対応をとっているとされ、中には「死を考える必要はない」
とする人もいる。しかし、この重要なテーマに対して「考える必要はない」と言い切るわけにもいかず、
この論稿はその「死」と向き合うものである。
大きく分けて「自分は死んだ後も生き残れる」という発想と「何か別の世界に行ける」という
発想をみんな取っているとされる。
「生き残り」と「別の世界」という発想が死に向き合った人の共通の考えなのだ。
「別の世界」という発想は、自分が死んだ後にも何か新たな体験があるのだろう
と考えるものであるが、「生き残り」という発想は、自分が生きていたコミュニティーで
記憶として残るという点を重視する。この「生き残り」という発想を考えたのはギリシャ哲学だ。
実際に生きている人は、すでに亡くなった人を記憶として残しているのは実感している。
だから当然、何らかの批判に耐えうる人生を歩んで自分も人々の記憶に残りたいと
考える発想があって当然だ。これは宗教以前の説明になる。
仏教では「輪廻転生」「涅槃」などという説明があるが、涅槃に関しては一体どういうものかという
詳細に関しては仏教界の中枢は沈黙しているとされる。
生きているうちに目撃した「他人の死」から学ぶ方法と、宗教の方面から研究する方法が
あることが分かる。
宗教の方面からの説明は多様なものがあり、その人の信仰に委ねるとして、
本稿ではより現実的に、
「人々の記憶に残る」という発想への「二元論からの批判」「「唯物論からの批判」
「臨死体験の研究が人々の死生観にどのような影響を与えるか」
「形而上学的な”死”の探求」
に関する記述で本稿を終える。
政治家のおじいちゃんたちは「歴史に残る業績を残せばいつ死んでもいい」と考えるだろうし、
庶民は「さんざん贅沢したらいつ死んでもいい」と考えるだろう。
それぞれ「二元論」であり「唯物論」だ。
今のテーマはこの「死と向き合うこと」なんですよ。介護関係の仕事をしている身内が多いからね。
明日からやります。
まず、「死んでも人々の記憶に残るではないか(生き残り)」という視点が、人間の「死」と
どう関わっているかが二元論の立場から批判された。二元論は「心と体」を二元的に
とらえ、もし人が死んだら、物質的には体は消滅する。では、人々の心に残るもの
とはなんであろうか。少なくとも「魂」までは残らない。ほとんどの人がその人の魂までは
知らないのだ。せいぜい「外見の印象」であったり、肉体に関する記憶を残しているに過ぎない。
そしてその肉体は死んだらすでに消滅しているのだ。
まずこの観点から「生き残り」は批判されることになった。
しかし、この「二元論からの批判」もさらに研究が必要だった。
その人が生きている間に、人々は「その人」と認識しており、なぜ亡くなった途端に「心と体」
に二元的に区別するのだろうか、という形而上学的な批判にさらされたのだ。
死をきっかけになぜ急に二元的になるのかと批判されたのだ。
認識論の観点からも同様の批判があった。
15 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 07:26:47.08 ID:9uMYzNpT0
二元論の立場からは、生きている間も人間の「魂」は肉体をはなれて存在しており、
物事を考え、信じ、何かを望む営みもすべて魂の作用であるとし、それは死んでも
不朽のものではないか、としたのだ。魂の不朽から「人々の記憶に残る実体がある」
と説明したのだ。
16 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 07:33:52.38 ID:9uMYzNpT0
しかし、「魂の不朽」とまで議論を始めると、実際に死に直面している人にとっては
何のリアリティも持たない議論になる。人間のDNA識別をするように、個々の魂を
どうやって識別するつもりなのか。非常に抽象的な議論になってしまい、
この「魂が人々の記憶に残る」という主張は急に切れ味が悪くなるのだ。
17 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 07:40:14.71 ID:9uMYzNpT0
人が死んだら「魂が抜ける」という発想は、アメリカ人にはなじみがあまりないらしく、
「なぜ死んだら魂は肉体を放棄して抜け出すのか」と議論する。
その議論なりイメージなりが「死」に直面した人が本当に想定しているのだろうか。
漫画でそのように描かれていても、死に直面した人が体感するものであるということは
証明できないだろうとするのだ。
18 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 07:48:24.60 ID:9uMYzNpT0
H・H・プライスは、「死んだら魂が抜ける」という説明に一定の答えを与えた。
1953年の著書だ。人々は死んだらテレパシーで交流し合う一つのイメージの世界
を構築するのであり、そう考えるのはイメージとして受け入れやすいとし、
もしそうは思わないのであれば思わなければいいだけだとした。
注)手塚治虫の「ブッダ」で描かれている「宇宙」とは、人間の魂のかたまりが球状に
一つになっていると説明されており、これが「ブッダの知りたいことだったはずだ」と
ブラフマンが説明する。しかし、これは、プライスが1953年に論じた議論と
まったく同様の説明であったことになる。
19 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 07:50:46.03 ID:9uMYzNpT0
現時点で、20ページの論文の4ページを終えただけだが、今後この論文が
手塚治虫の「ブッダ」を早くも超えていくことが明らかになった。
続けようと思う。
20 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 08:01:48.30 ID:9uMYzNpT0
論者は、このような説明では、たとえば個々の魂に記憶はあるのだろうか、とし、
多くの部分で問題の多い議論であるとみなした。たとえばさまざまな宗教で説明される
地獄界などの説明を一切省略していたりするのだ。
しかし、この発想の世論の受け止め方はむしろ「唯物論」からの説明に比べて
はるかに好意的だった。
21 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 11:58:08.63 ID:9uMYzNpT0
「唯物論からの批判」
死んでも人間は生き残る(人々の記憶に残る)という説明は、唯物論からも批判された。
しかし、唯物論は当然「魂の不朽」は相手にしないだろうが、批判の標的は「復活」に
向けられたのだ。死後の「復活」があるのなら、当然、いずれ復活するであろう死んだ人を
人々は記憶にとどめておくことになる。この「復活」はユダヤ教・キリスト教・イスラム教などにおいて
共通の発想であるが、発想の基盤はそれぞれに異なるものだ。
唯物論から見る「復活」に対する議論が「死んでも人々の記憶に残る(生き残り)」の議論の
中心テーマとなったのだ。
22 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 12:03:47.19 ID:9uMYzNpT0
唯物論者は、死んでも魂は永続するという発想を根拠のないものとし、そのため、
死んだ人が復活するというのは、死んだ人と復活した人をどのように同一人物であると
識別できるのかとした。人は老人になって死ぬだろう。それが若者として復活するのだろうか。
そういった部分が全く詰め切れていないし、追究すれば説明できないことばかりなのだ。
23 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 12:11:21.47 ID:9uMYzNpT0
この批判に対して、「神は人を死んだときの姿でよみがえらせる」とした人がいたが、
「神が」行うのならばなぜ死んだときなのか、若い時ではいけないのか、他の選択肢も
神ならば採用できるだろうと批判した。また、死んだときの姿で「復活」するという考えを
とるのならば、他の人の臓器移植を受けていた場合はどうなるのかとされる。
ドナーも「死んだときの姿」で復活すると説明するとたちまち議論は困難なものとなる。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の核心に関わる議論であるからこそ、哲学の方面からも
なんだかバカバカしく思えるような議論を真剣にぶつけたのだ。
24 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/03(水) 12:38:28.55 ID:9uMYzNpT0
25 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/04(木) 12:21:18.15 ID:ynpQEXsS0
「死んだときの姿でよみがえる」という説に対して、まず、神は全知全能であることから、
たとえば、457年に燃やされてしまったはずの聖オーガスティンの論文が、神の手に
よって翌年復元されたとされる言い伝えに着目する説がある。
神は細部に宿るともいえる説だが、一人一人の、「全体の第一印象」で人々は「復活」
するのではないかとされたのだ。一般に、その人の同一性はその人の肉体にはないとし、
その人の「印象」が復活するとされたのだ。
その人の同一性は肉体にはないとしてしまうと、その人の持っている考えや判断力で
区別されるようになるが、それではみんな似たり寄ったりのものが大勢「復活」するのか
とも議論された。同一性は「肉体」に依存する部分が大きいのだ。
そのため「全体の第一印象」が復活するとされた。
26 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/04(木) 12:43:43.94 ID:ynpQEXsS0
一方で、人が死んで、別の肉体として復活するという考えに反対する説もある。
なぜ人は別の肉体に乗り移るのだろうか、とし、そもそも神は人間をこの世に
「生まれさせている」という点に着目するのだ。この力は神の強烈な力であり、
復活だって「二度目に生まれる」ことが可能だろうと考えるのだ。
神の強烈な力によってふたたび生まれるのが「復活」であり、それがどのような
形になるかを追究するまでもないとするのだ。
27 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/04(木) 13:11:46.83 ID:ynpQEXsS0
唯物論は人間が死んでも「復活」があるから人々は死んでも記憶に残るという現象を
自らの立脚する立場から批判的に検証したが、唯物論者にもキリスト教徒はいたのだ。
復活を信じる唯物論者の中には、人が死んだら、その肉体が朽ち果てるまでに、神は
その人の脳や主要な肉体の厳密な検証を行い、それに基づいて復活がなされるのだろう
とした。しかし、現代のあらゆる医学をもってしても「主要な臓器」から新たな生命を
作ることはできず、「神の領域」に全部委ねる理論には変わりがなかった。
そのため、この論者も、「何らかの主要な臓器の連続性があるのだろう」と発言を
後退させた。しかし、この議論が唯物論者の公約数的な見解となっているようだ。
さて、二元論の立場や唯物論の立場から「人間は死んでも人々の記憶に残る」という
点を説明してきたが、さらに検証が必要なのが、やはり「臨死体験をした」などの
体験談が「死に最も近づいた人」である以上、死を語るうえでは無視できないのだ。
そのような点を研究してみようと思う。
28 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/04(木) 13:16:41.66 ID:ynpQEXsS0
29 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/04(木) 17:11:20.02 ID:ynpQEXsS0
臨死体験の研究よりもこっちを掘り下げてみる。記号論なども出てくるようだ。
明日からやってみる。
「心理学主義」スタンフォード哲学百科事典。
http://plato.stanford.edu/entries/psychologism/ 日本の教育は、言語学に「英語」を選択しているが、そもそも「文法」というもの自体が
「心理学」の知識を借りている。"will"は予定や推測、意思を表し、"can"は可能を表し、
"must"は絶対の確信や義務を表す。
これは心理学の知識を借りないと分析できない。
言語学と心理学はどう関わっているのだろうか。
これが巨大な哲学ビジネスになっている。
ジョン・スチュアート・ミルは、言語も心理も「経験」から形成されるとしている。
彼は言語学を「真理を探究するうえでの人類の共通了解を扱う科学」であるとしている。
世界には「物」があり「内容」があり、「行動」がある。これらを言葉で説明することは可能だが、
人間の心理を言葉で説明するのは「思考の過程」を一定程度説明できるに過ぎない
としたのだ。
粗削りな議論だが、ミルの議論は、その後の「哲学産業」を非常に豊かなものにしたのだ。
心理学の核心は「その人がどういう判断をするのか」ということにあるが、
その背景には「どういう概念をもっている人なのか」「どういう予測を立てられる人なのか」
という分析も必要なのだ。
ここに言語学も絡んでくる。政治家は政局を読む上で個別のファクターのこの部分を
どこまで読み切れるかを「政局カン」と呼んでいる。
今では「言語学こそが心理学である」と主張する論者はおらず、言語学は
一定限度で心理学に準ずるものであるというのが通説なのだ。
30 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/05(金) 07:06:19.44 ID:OYzY77Mc0
「フレッジの心理学主義への反論」
フレッジは、ミルの主張に数学の証明があらゆる言語による証明に勝るという議論が
含まれていたことを徹底攻撃した。数学で一定の数字を証明したからと言って、
言語学的に、あるいは世界を物質的に証明することになるのだろうか、としたのだ。
数字が現実社会とどう関係するのかとも主張した。現代で言えば、パソコン(計算機)が
どれだけ計算機能が優れていても、それだけでは何も証明しない。ユーザーの能力で
何かを証明しなければならないだろう。そのような観点から、フレッジは「数学と言語学」
の関係を疑わしいものとして批判したのだ。
さらに、フレッジの批判は法律に向けられた。正しいと考えられるものが法律だとすれば、
我々は法律のように考えなければならないのだろうか。小さなアパートと賃貸契約を
結んだからと言って、自分がそのような契約を結んだということに、我々の心理は何ら
制約されない。法律上説明されることから我々の心理を拘束することはできないという
趣旨のことをフレッジは言っている。
31 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/05(金) 07:51:52.46 ID:OYzY77Mc0
32 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/05(金) 12:55:19.90 ID:OYzY77Mc0
「フッサールの心理学主義への批判」
フッサールは、言語学を、現実的規範的実践であるとし、その理論的基礎は少なくとも
心理学ではないとし、その言語学の理論的基礎はどこにあるのかを論じた。
以下では、なぜ、言語学の理論的基礎は心理学ではないのかを記述したい。
33 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 10:57:11.21 ID:1Tte5Mve0
フッサールは、言語学は「現実的規範的実践」であるとし、それは、あらゆる科学が
科学に関する理論を探求したのと同じだとする。
問題群にどのように科学者はアプローチするのか。どのような条件で方法論は
うまく機能するのか。それぞれの科学に内在する概念の構造とはどんなものか。
それらがどのように関連するのか。そして、科学者はどうやって「間違い」を避けるのか。
このような「科学の方法論」の探求から「言語学と心理学」の関係も探求したのだ。
34 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 11:02:44.39 ID:1Tte5Mve0
フッサールは、言語学は非常に確かであり明確さをもっているのに対して、心理学は
あいまいさをもっていることに着目する。そのため、言語学の法則は、心理学の法則には
のっとっておらず、あくまでも、人々の「経験」が言語学の基盤にあるのだろうとした。
また、言語学の法則を探求するうえで、研究者が心理学の法則を参照している事実はないとし、
言語学の基盤は心理学ではないという論証を行っている。
また、数学では心理は永遠のものであるのに対して、心理学での真理は永遠ではない
という点にも着目している。
この議論をするうえで、フッサールはスペンサーの議論を参照している。
35 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 12:30:33.65 ID:1Tte5Mve0
スペンサーは「明るい雰囲気というのは暗い雰囲気を前提にしているし、暗い雰囲気も
明るい雰囲気を前提にしている」としている。言語学的には「明るい」「暗い」は対義語
とされているが、これを言語が心理学を基盤にしているのはトートロジーでもある。
しかし、フッサールはスペンサーを批判してはいないようだ。スペンサーの「矛盾でない原則」
というこの「明るい」「暗い」の議論はそれなりに評価していたようだ。
36 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 13:06:33.75 ID:1Tte5Mve0
フッサールは「三段論法」にも着目している。言語学上の三段論法は非常に明快だ。
しかし、心理学的にはどうであろうか。人間が心で描く三段論法は、ときに明確であり、
ときに曖昧であることが分かる。いろんな観点から「言語学と心理学」の研究は
可能なのだ。
37 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 13:41:45.35 ID:1Tte5Mve0
フッサールは結局、心理学とは、個々の人の相対論であり、人類学であるとすべきとした。
「真実とは相対的である」という主張も相対的であり、ばかげた部分があるが、その人にとって
真実であるものが他の人にとって真実でない、あるいは他の人には別の真実がある、
という意味で、誰も世界を正しく定義できないという事実を心理学は念頭に置くべき
であるとし、それが心理学の宿命であるとした。
フッサールの哲学者としての地位は、心理学というものを追求したことで確固たるものとなった。
38 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 13:49:53.37 ID:1Tte5Mve0
フッサールは、結局、言語学というのは一定の法則をもつことで、人々の心理に
影響を与えるにとどまるとした。また、各自が確信したものは他の人にとっては
真実ではないかもしれないけれども、各自の確信は真実にすら勝ると結論付けている。
以下、フッサールの議論に対する批判を論じたいと思う。
39 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 13:58:49.77 ID:1Tte5Mve0
40 :
shin:2011/08/06(土) 23:22:39.32 ID:qRLCqxdn0
日本は憲法第九条にもかかわらず、アメリカ合衆国と一緒になって、宇宙戦争をやりました。
宇宙戦争の結果、アメリカ合衆国は債務不履行の一歩手前まで来ています。日米同盟だとかいって、日米安全保障体制でしかないはずの所をやたらに持ち上げて、
日本に格付けの下がった、次のアメリカ長期国債を入札させて、なお、日本を宇宙戦争に巻き込もうというのですか?いい加減にしてください。アメリカ合衆国は、
もはや宇宙人を撃退することはできませんよ。ただ戦争をやっている振りをして、国債を発行し、同盟国を募ろうというだけです。
宇宙人は用意周到にも、宇宙戦争の講和をパイオニア11号、ボイジャー1号、ボイジャー2号という形で、アメリカ合衆国に打ち上げさせておいたのでした。
それにもかかわらず、アメリカ合衆国では、講和を認めようとしないで、なお軍備を整えるために、国債を発行しようというのです。ただそうやって国債を発行して、
戦争をやっているという振りをしているだけなのです。アメリカ人が講和を受け入れない限りは、宇宙人は引き上げようとはしないでしょうし、国債など入札したって、
何の利にもならないことははっきりしています。いたずらに被害を拡大させるためだけに、日米同盟だとか言って戦争を煽らないでください。
41 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/07(日) 05:46:01.81 ID:wHop3/U00
42 :
shin:2011/08/07(日) 11:47:34.39 ID:Jk3f25fR0
アメリカが台湾に武器を売却して、なお宇宙戦争を続行させようしているので、
宇宙人は台湾に台風9号を居座らせていたようでした。アメリカ合衆国は債務破綻するまで、
宇宙戦争をするという振りだけをするようです。
43 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/07(日) 12:00:24.19 ID:wHop3/U00
44 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/08(月) 05:03:02.31 ID:I6vWIo4Y0
「フッサールへの批判」
フッサールは、言語学には「〜すべきである」という命令法があると論じていた。
しかし、新カント派の論者が、結局「〜すべきである」というのは価値を根拠にしているのでは
ないかと論じたのだ。
・馬をうまく乗りこなすには、しっかりとまたがりうまく馬を制御すべきである。
・しっかりと馬にまたがり制御すれば馬をうまく乗りこなせるだろう。
・戦士は勇敢であるべきである。
・勇敢であることは戦士の美徳である。
のように、「〜すべきである」というのは、結局「価値」を根拠にしており、それに反論するのも
自由であることが分かる。これはサイエンスとしての言語学に、非常にいい視点を持ち込んだのだ。
45 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/08(月) 11:08:33.71 ID:kgaVFXQD0
フッサールは「〜すべきである」という言語学上の発想に「他者の反論を許さない論理」
を見出していたのだが、それが新カント派の批判を浴びたと考えていい。
言語学上の法則には、やはり心理学的な背景があり、その基盤には、我々の実験や
人生を通した、あるいは日々の経験や、意識の現象などがあるのではないかとされた。
つまり、数学のように明確な法則を言語学は持っていないことになる。
46 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/08(月) 11:27:17.36 ID:kgaVFXQD0
新カント派の論者は、言語学は何らかの抽象性を基盤にしているとしたのだ。
我々の心が経験したことも人それぞれバラエティをもった抽象性をもっており、
その人がどのような判断をしたのかという判断の基盤はなんだったのかを
議論していくべきだとした。そうすれば、おのずと言語学の基盤は心理学であり
それが抽象性をもっているから人それぞれ多様であることが分かるとした。
47 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/08(月) 11:45:51.62 ID:kgaVFXQD0
フッサールは「三段論法の明確さ」に注目し、新カント派に反論した。
三段論法が人々の心理を基盤にしているのならば、人々は判断を間違えるはずがない、
とし、つまり、三段論法は心理学を基盤にしてはいないとする。言語学と心理学の
関係に関する議論はフッサールを中心に展開されたのだ。
48 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/09(火) 09:16:25.35 ID:I8jvL4wT0
♪ほら黒いサングラス少し気取ってかければ ポーランドシネマのヒロイン♪
「カメオのコンパクト」渡辺美奈代
ポーランドシネマって何だろうと思ったのだが、秋元康はよっぽど幅広く映画を
見まくったんだろう。俺もちょっと調べてみたのだが、ポーランドには
「リボフ・ワルシャワスクール」と呼ばれる哲学者集団がいたそうだ。
スタンフォードもこのテーマで研究している。
いずれ課題にしようと思う。今は保留しておくけどね。
「リボフ・ワルシャワスクール」スタンフォード哲学百科事典。
http://plato.stanford.edu/entries/lvov-warsaw/
49 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/09(火) 09:40:46.27 ID:I8jvL4wT0
50 :
本当にあった怖い名無し:2011/08/10(水) 00:01:08.69 ID:2vAo5uot0
日本人って、論理的ではないけれど、その代わり、本質論的だよね。
「ようするにこういうことか。」みたいな、簡単に納得できるものが好きだ。
だが、それが間違うこともあったり。
51 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/10(水) 07:27:47.01 ID:bR51BHFk0
>>50 まあ、俺はアメリカ人の論文を翻訳している日本人だが、アメリカ人が「言葉をごまかさない」
から翻訳も本質論に近づける気がしている。
翻訳もかなりダイジェストみたいになっているので論理性は薄まっているかもしれん。
52 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/10(水) 07:43:04.71 ID:bR51BHFk0
53 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/10(水) 07:55:00.20 ID:bR51BHFk0
54 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/10(水) 08:18:42.04 ID:bR51BHFk0
記号論とは、意味や表現、参照などの説明をする学問である。パースは「私は他の
学問分野はほとんど知らないが記号論にだけは傾注した」と語っている。
パースは1860年から1910年まで本を出版したが、彼の議論が現在の記号論の
基盤を作っている。もちろん、それ以前にも記号論は長い伝統をもつものなのだが、
パースの研究を抜きには語れない学問である。
記号論の基本構造を説明することからこの論稿を始めたい。
55 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/10(水) 08:41:02.03 ID:bR51BHFk0
パースは記号論に関しては様々な定義を試みているが、代表的なものは、
「記号とは、対象と呼ばれる他のものによって定義され、その定義が、解釈という形で
人々に影響を与えるものである。対象→定義→記号→人々に影響を与える(解釈)という
ものだ」と定義した。
これがこの論稿の議論の基盤となる。
56 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/10(水) 08:49:42.65 ID:bR51BHFk0
つまり、記号論は「記号」「対象」「解釈」の三つから構成される。記号とは場合によっては
「文字」であり「人の声」であったり、「煙」が火という対象の記号となるのだ。
ここでは「解釈」が「対象」と「記号」の関係を決めるのであり、「記号」がどのように解釈されるかが
問題であることから、記号論の核心は記号ではなく解釈なのである。
英語では記号は「サイン」と呼ばれるが、当然、スポーツでも大事なのはサインの解釈であろう。
最近のプロ野球では「サイン」を用いておらず、「特殊な伝達方法」を用いていて守秘義務が
選手にかけられているとされる。余談であるが。
57 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/10(水) 23:26:51.51 ID:bR51BHFk0
パースによれば、記号というのは何かを特定するものであるが、「記号」とその「表現物」と「表現」、
そしてそれらの「基盤」から構成されるものと考えた。そして、記号には「記号の器」が
あるとされ、その記号の器は粗削りのまま対象物を表現するのとどまり、すべての
表現物の詳細を表現するわけではないとした。
58 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/11(木) 08:37:39.20 ID:XhMGvbh+0
「対象」というのが記号を定めるという仕組みだが、対象のすべての特徴が記号化できるわけではない。
ある側面を特定して記号化しているのだ。その「ある側面」は解釈に委ねられている。
対象の持つ思想が記号の持つパラメーターにうまく表現されなければならない。
対象の持つ特徴が記号化するうえで重要な意味を持つのだ。
ボクシング中継で実況が、「左!」というのと「左アッパー」というのでは対象の切り分け方が異なる。
より適切に、何を記号化したらいいのかを考えなければならないのだ。
59 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/11(木) 08:49:22.87 ID:XhMGvbh+0
記号と対象の関係は、対象のより洗練された理解によって、解釈が発展し、記号が
より精緻化される関係にある。
それによって我々の理解もより向上するのだ。
対象の特徴を深く理解し、その特徴を記号の器にうまく乗せることが大事なのだ。
パースはこれらの研究を主に3つの時期に分けて研究を深めている。
いか、その3つの時期について記述していきたい。
60 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/11(木) 08:57:02.09 ID:XhMGvbh+0
61 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/12(金) 19:49:46.78 ID:a/Gmc0cp0
「パースの初期の研究」
パースは、記号が解釈によって対象物を表現するという構造は、解釈というものの
果たす機能から、自然と「記号がより洗練されて高度になる」と考えたのだ。
この高度化は無限のプロセスをたどるのではないかと考えた。これが彼の初期の
問題意識であり、当然、批判も浴びた。しかし、彼の記号論の研究のキャリアは
ここから始まったのだ。
62 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/13(土) 08:42:48.30 ID:UhB4jNS50
63 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/13(土) 13:23:50.86 ID:UhB4jNS50
ユダヤの信仰を確立した人物にイブン・エズラという人がいるのだが、
「AHYH」「YHWY」という記号の意味を明確にしたのだ。
「A」はすべての数字の基礎を築いているとし、
「H」は「5」を意味し、「W」は「6」を意味する。「5」と「6」はすべての最も高い力の最後の一桁
だとされる。
「Y」は「10」を意味していて、「次の秩序の始まり」だとされる。
これがユダヤの発想なのだ。
「AHYH」は二つの秩序で成立していて、「YHWY」は、一つの秩序を完成させて次に続けている。
俺の一族は「二つの秩序」で人生を成立させることになる。
人によっては「一つの秩序で次に続ける」人もいる俺の天皇即位以前と以後で秩序を変える奴もいれば、「一貫させる」奴もいるということだ。
それがユダヤの研究だ。
秩序を一貫させるのは人間の強さだ。「持っている概念」「将来を見通す能力」を基盤にする「判断力」
がずば抜けていなければできない。
「YHWY」こそが選ばれし人間の取る道であり、
「AHYH」は行き当たりばったりの人間を意味している。
心理学というのは「何を考えているのか」をさぐる学問ではない。
「どういう判断をするか」を探求する学問だ。そうでなければ役に立つ研究にはならない。
「判断」を分析するということは「持っている概念」「将来を見通す能力」を分析するということだ。
「持っている概念」はその人がどういう人生を生きてきたかを分析する。
「将来を見通す能力」はその人の発言・言動を分析する。
それで使える人間かそうでないかが分かる。
64 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/13(土) 13:27:14.48 ID:UhB4jNS50
「ユダヤ教カバラ」に関してはすでに述べたが、やはり国家統治においてはユダヤも「占星術」
を用いている。そういう意味では他の民族とは変わらなかった。
惑星の研究と恒星の研究をしたが、恒星の研究がメインで、「その星の下に生まれた」
という発想を採用していた。
しかし、ユダヤは占星術に「動物の生贄」という儀式を持ち込んでいたのだ。
星の配置によっては生贄を用いた。これには納得しない信者もいたそうだ。
イブン・エズラは、彼より優れた思想家は大勢いたが、多くの人の共感を呼んだから
歴史的な立場が守られたとされる。
しかし、出エジプト記23:30で、主が「この地から敵を追い払う」と約束していることと、
人がどのような形で死ぬにせよ「霊魂が生き残る」ことに関する説明は一切なかったし、
そもそもなぜ霊魂が肉体に宿ったのかも説明していない。
エズラは、哲学者としての歴史に名を遺すほど強烈な発信力はなかったのは
認めざるを得ないのだ。
65 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/13(土) 21:54:56.85 ID:UhB4jNS50
66 :
本当にあった怖い名無し:2011/08/17(水) 01:24:30.90 ID:NcG3CMByP
>>64神代の後は、神との交信つまり巫術の時代が長いことあったんだね。または精霊との交流とかも。
その後は、呪術とか、精霊を利用するとかの時代になって、
自然科学からは科学的合理主義が主流になって今に至っている。
67 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/17(水) 13:58:19.99 ID:lrzq+Hcq0
>>66 なるほど、イブン・エズラは12世紀前半の哲学者となっていますね。
何か新機軸を打ち出したというよりも、人々の共感を得て考えをまとめた人
という位置づけのようです。
68 :
66:2011/08/17(水) 21:08:09.08 ID:HxgVY7gR0
だれがイブン・エズラなんじゃい?(違うぞ)
69 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/17(水) 21:13:01.89 ID:lrzq+Hcq0
等質教授も暇人なんだな・・おれのなかまだ。
71 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/18(木) 12:01:23.36 ID:wCSWzn+r0
72 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/21(日) 20:05:29.95 ID:Ox3Gz1LV0
今後、このスレにあたら菜情報源が加わりました。ともに洋書です。
ロナルド・ドゥオーキン「ハリネズミの正義」
フランク・シブレイ「美へのアプローチ」
の二冊です。
これらの本からも積極的に情報を流そうと思います。
73 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/21(日) 20:06:10.77 ID:Ox3Gz1LV0
あたら菜→新たな
74 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/21(日) 20:07:42.22 ID:Ox3Gz1LV0
英語の哲学情報に満ちたスレがこのスレです。
あくまでも主力はスタンフォード大学なのですが、いろいろと本を注文しました。
75 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/23(火) 10:22:03.31 ID:BmEsWWqK0
ドゥルーズの論文を読んでいるのだが、人間の主観というのは神や両親から授かった
ものなのに、与えられたものがなぜ主観になるのだろうという研究をしている。
主観の抽象性を研究したり、哲学とは宇宙や世界を説明する学問ではなく、
「何か新しく生まれたもの」を説明する学問であるとしている。
彼は膨大な映画の研究をし、「動きのイメージ」「時間のイメージ」などの論文を
出している。映画界に与えた影響は計り知れないだろう。
76 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/23(火) 15:10:47.14 ID:BmEsWWqK0
シブレイの本が届きました。目次と序文だけ読みましたが、彼が残した論文集を
本にしたもののようです。「色について」「独創性と価値について」「形容詞の研究」
などが議論されていますが、シブレイの「モナリザ論」を簡単に書きたいと思う。
作品というのは、やはり誰が書いたか、いつの時代か、どういう背景があったか、
を論じなければならないという視点が重要だ。モナリザはいろんな意味で時代に
新しいものをもたらしている。
色の配置や奥行、形、ラインだけでなく、背景にはダヴィンチの修練や技術が
詰まっているのだ。たとえば、彼は、ブラシやパレットナイフというものをこの作品で
絵画の世界に持ち込んでいる。
そういう歴史的意義を研究するからこそ、模写とはエックス線を使ってまで
区別しなければならないとするのだ。
77 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/23(火) 16:10:36.08 ID:BmEsWWqK0
シブレイは「色」についても詳細に論じている。まず、「あれは緑色だ」という証言が
あるとする。多くの哺乳類は色を認識しないとされているが、人間は「色」という
パラダイムをもっており、これが重要な情報として扱われている。
自然に存在するものとしては「エメラルド」があるが、人間はあくまでも「色」という
パラダイムで「緑」という概念をもっているのだ。
これが彼の議論の出発点だ。
78 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/23(火) 16:26:36.93 ID:BmEsWWqK0
「色」に関しては、人類をさかのぼれば、最初はグレースケールで世界を認識していたと思われる。
明るい、暗いなどだ。しかし、人間は光が当たると色を認識する。他の人が同じ色を見ているかは
分からないだろう。しかし「赤」はルビー、「緑」はエメラルド、というように、いろんなものを
識別する必要性から「色」というパラダイムが生じたのだろう。
たとえば「グループAの経験」「グループBの経験」というものが「色」によってジャンル分け
されたとされる。こうやってパラダイムは生まれた。若い女性がピンク色を好むというのも、
そういう「グループ分けされた経験」で何らかの位置づけがなされるからだと思われる。
79 :
shin:2011/08/24(水) 18:35:48.25 ID:YiraPN7+0
80 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/24(水) 18:39:30.80 ID:7w9V2NgX0
>>79 国境をまたいで利益を上げられる日本周辺の国は北朝鮮しかない。
北朝鮮利権を潰しに動いているんだ。
81 :
shin:2011/08/24(水) 18:56:14.88 ID:YiraPN7+0
>>80 あなたは、失礼ですが、現実におきていることを無視してかかる癖があるようですね。
タレントのSさんは、政治報道番組をキャスターも勤めたことがあります。報道番組
というのは反政府組織に近い存在なのですよ。これをオバマ大統領が狙ったのが真相
なのでしょうが、こうしたことは認めたくはないようですね。
82 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/24(水) 19:08:55.34 ID:7w9V2NgX0
マスメディアが権力批判をしないで何をすればいいのでしょう?
83 :
shin:2011/08/24(水) 20:20:35.47 ID:YiraPN7+0
「メディアの権力」とはアメリカで流行った本のタイトルですが、メディアを司法権・行政権・立法権に次ぐ
第四の権力といったのはメディアの誤りではないでしょうか?
民主主義においては、政治的な主張がしたければ、その見返りとして、立候補することが必要かと思われます。
そうして野党議員となって、政府を国会内で批判すればいいのです。ただテレビやラジオ・新聞を通じて政府
批判を行い、立候補することもなく反政府的な意見に国民を染めてしまうだけなのがメディアのやり方です。
こうしたことを「言論の自由」と呼ぶのもまたメディアの意見ですが、メディアの「言論自由」は、国民を惑
わすことが多いのもまた真実です。メディアは飽くまでもメディアであって、警察や政府ではないのです。メ
ディアの意見をよく聞いていると、警察でもないのに法律違反者を独断で取り締まろうとしたり、政府の不正
を暴いて革命的なことを引き起こそうとします。日本は民主主義国家なのですから、政治的な意見を通したい
のであれば、メディアは、立候補者を立てて、政治に打って出るべきです。それが伴われない権力批判ならば、
大衆煽動に過ぎないでしょう。
84 :
shin:2011/08/24(水) 20:22:45.77 ID:YiraPN7+0
>>83続き
本来、権力(=政府・与党)批判をするのは野党の役割なのです。
85 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/24(水) 20:26:51.87 ID:7w9V2NgX0
放送法というのがありますね。番組編集準則というのがある。
どのテレビ局も「ニュース」「バラエティ」「ドラマ」「情報番組」「エンターテイメント」など
うまい具合に隔たらずに放送していますね。
時間ごとに番組の雰囲気が異なるのが当たり前ですか?そうではありません。
しっかりと行政が準則を出しています。
営利的な言論である以上、他局と番組が類似してしまうのは当然、という研究はありますが、
政治的中立性に関しても行政指導がすぐに行きますよ。
実際に総務省は御製指導を繰り返しているのです。
「官僚を理解しない政治家」が排除されるのは仕方がない国家の構造ではありますね。
86 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/24(水) 20:30:45.76 ID:7w9V2NgX0
海の向こうのオバマさんの方がなぜ総務省より日本のテレビ局をコントロールできるのですか?
我が島国を攻略するのは至難の業ですよ。
87 :
shin:2011/08/24(水) 22:42:58.54 ID:YiraPN7+0
これは、推測でしかないのですが、例えば、オバマ大統領が、日本にあるアメリカ大使館に「日本のYAKUZAを取り締まるよう、警視庁に通達を出せ。」と命じたとします。
そこで、連絡を受けたアメリカ大使が、政府と警視庁のお役人に会い、「YAKUZAを排除してもらいたい。」と申し出たとします。
そこで、政府はアメリカとの関係から、これを了承したとします。そして、警視庁のお役人が、テレビ局にも、「YAKUZAと関係を持っている人は困るのです。」
と通達したとすればどうでしょう。オバマ大統領が日本のテレビ局をコントロールするのはそれほど難しいことではないと思われます。
88 :
shin:2011/08/25(木) 08:43:11.10 ID:pMwuq7jq0
89 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/25(木) 09:03:14.77 ID:FGLnqpR80
紳助は俺の才能を見抜いて自分の限界を感じただけなんだよ。
そういう奴はやめちまった方がいいんだ。
どうせ金なら山ほどあるんだから。
限界を感じたら後進に道を譲る、そういう美学があったんだろ。
90 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/26(金) 20:01:31.46 ID:6V4DR+O40
カントは「ファインアートは天才がつくるものだ」としたが、「オリジナリティ(独創性)」に
関しては、シブレイは「今の時代においては価値の一つの判断要素となっているに過ぎない」
としているようだ。
絵画の評論に関しては、その感受性やたくみな表現力でその深度を深めたのは
モンロー・ビアズリー(Monroe Beardsley)だとされる。
評論の手法に関してはシブレイの本の第八章に書かれている。
91 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/27(土) 11:45:08.08 ID:uQ95Zl3I0
ビアズリーは、評論をするうえで3つの観点の重要性を指摘した。
「作品の統一性」「複雑性」「その業界の価値が凝縮されていること」
この3つを常に頭に入れていたとされる。
92 :
糖質教授 ◆/dRpTBnZTC3y :
シブレイはこれに対して「ドラマティックさの凝縮」も存在するのではないかとした。
たとえ単純なモチーフを描いたとしても、その業界での「誠実さ」「良心」「幅広い見識」
を示すことは「ドラマティックさの凝縮」であり、なにも歴史的瞬間などを
描くことのみを意味するのではないとしたのだ。