【魁!オカルト研究所】 その10

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693 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
「合理主義」は「美しさに説明を求める」という特徴がある。これはデカルトが
数学こそがあらゆる言語よりも説得力がある、とした考えに由来するもので、
18世紀には完全に人々はこの考えに支配されたと言っていい。
しかし、これはヨーロッパ大陸系の考えであり、イギリスでは次第に批判が出るようになった。
「美」とは「味わうもの」であり、原理や概念を超えているのではないか、とされたのだ。
つまり、イギリスで「美しさとは直接感じるものである」という発想が生まれたのだ。
イギリスでは、良いものは直接判断できるだろうという主張があり、たとえば、
コックが、肉や野菜をごたまぜにしたシチュー(ラグー)を、独自のレシピで
作っても、それをおいしいというかマズイというかは我々にまかせられているだろう、
とされた。ずいぶんイギリスでは大雑把な議論がなされたが、大陸の方では
カントがこれを引き継いだ。詩人が作った詩に誰も共感しなくて、批判が浴びせられたら、詩人は布団を
頭からかぶって黙っているしかない。どんな芸術も人々がどう感じるかに
委ねられているという意味で、イギリス側の「美の直接性」という説明に同意する、
としたのだ。カントは、そのような場合、その詩人の寄って立つ立場より優れたものが存在する
というものを認めるか、批判こそが間違いであるとして、より良いものを作るしかない
とした。しかし、このような「美の直接性」という議論に対して、さらに「合理主義」の側からの
批判がなされた。ラグーに比べて、詩や絵画は複雑性をもっているとし、先人の業績や法則性に
満ちた世界であり、その評価もすぐには分からないことが多い、としたのだ。
「美は直接味わうものなのか」という論点は、デカルトの合理主義に、イギリスが
提示したものであり、それにカントが同調し、さまざまな論者を呼び込んだのだ。