原罪意識を徹底的に植え付け、恐怖感・不安を煽ることが奴隷支配のための捏造教:キリスト教の根幹だからな
ローマ帝国が認めるのもわかる
そこいくとニーチェは正眼を持っていた
狩猟民族は自分の一族が生き延びるためには他の民族から奪わないと生きていけないからな
そこでの選別が、宗教になる
奪い、殺してもいいか悪いのか、異教徒は即ち人間でないので略奪しても罪にはならない
一方、原罪意識ゆえのボランティア精神はキリスト教の最良点でもある
中国人を見てわかるように、無宗教は私利私欲の即物主義・拝金主義に陥る
宗教という倫理の足枷がないので、欲望に忠実な社会になり、騙した者勝ち、弱肉強食社会になる
すると信じられるのは家族しかいなくなるという、宗教なき世界は醜い下劣な社会だ
追記すれば、死に対する概念も異なるので、彼らにとって死体は単なる「肉の塊=モノ」にすぎない
日本型資本主義の元、「競争して勝ち続け、多く金を稼ぐのが正しい」「金持ちになるのが夢」といった、
他者によって意図的に作られた夢を自分の夢だと洗脳され、マジメな者ほどこれに従う
このシステムだと、誰もが勝ち続けることなど当然できず、いつか必ず失敗することになる
そして稀にも運良く一部の勝ち続けた者が、その他大勢の者から富を奪って「成功者」となる
こうしたルール上においては、自分の利益は他者の不利益の元に成り立っている
「自分や家族さえ幸せであればいい」というのは、他者の幸せなどどうでもいいという、
利己的な考えであり、想像力の欠如である 他者を虐げられて得た幸せが本当の幸せなのか?
その思想概念自体が、常に競争を煽り、資本家にとって都合のいい金融奴隷をつくる支配者による
意図的に作られたルール・概念である これがキリスト教の「不安と恐怖をもって支配する」のと同じ役目をする
宗教でなく、「社会のレールから落ちる」という不安、「他者を出し抜いてでも金持ちになりたい、成功したい」
まずこの支配者によって作られた概念支配に気付き、そして解脱しない限り、一生奴隷として支配されることになる
モーセという神は、「多くの神から自分のみを選べ」と言う
生きるか死ぬかという不毛の地でないと、誰も傲慢な神だけを信じるようにはならんわな
>>268 小さなことから始められるぞ
ムダな消費しない(消費宣伝扇動には乗らない)、競争しない、利益は他者に還元する
そして、「負け組」でも何も気にしない むしろ強制された競争から自らの意思で退く
このゲーム理論でいえば、いつかは必ず誰でも負けるからね 自らゲームボードから降りるんだ
生かされているということに気付き、小さな幸せ感を育み、回りに与える
つまり、幸せの概念を変えること 金持ちが幸せなんじゃないって気付くこと
これを「負け組の理論」と言うかもしれない
しかし、そう捉える概念自体が、すでに奴隷的思想=支配者の洗脳支配に陥っているということ
人生や社会に対する見方を変えれば、いかに下らないことに一喜一憂させられていたのかに気付き、
それがバカバカしく思えるようになってくる
資本主義社会において消費を抑えたらどうなるか?
企業は小規模化し、国の経営が縮小化する
すると困る(=不利益を被る)のは誰か? 資本家と公務員だ
これで誰がこうした支配者の奴隷洗脳システムを強いているのかがハッキリするだろう
278追記
資本家と公務員
その中での「勝ち組」というのが、経団連と政治家・官僚だ
私たちは、煎じ詰めれば、彼らのために資本奴隷として働いていることになる
彼らのためにムダな競争をさせられ、人間としての幸福感を奪われているのだ
我々がどういうゲームの上で下らない「金稼ぎ競争」させられているかがわかるだろう
これに気づけば、借金してまで何かを成そうとしなくなるし、それ故の自殺も減少し、
必要以上に金を稼ごうなんて思わなくなり、「足る」を知り、争わなくなることで幸せになるだろう
幸せとは、どんな状況下であれ、そう感じられた者が「幸せ」なのだ
意識を変え、幸せの概念を変えること 何ら難しいことはない
>>271 何を答えとしてあなたが欲しているのか
これが貴殿が望むべき答えでないとするならば、人に頼るのではなく、答えは自分で考え、
自分の力で答えを探すことが望ましい
なぜなら、他者から与えられた情報を鵜呑みにすること自体が奴隷社会の理想とするものであり、
何も問題解決になっていないからだ
自分自身で考えること、そして気づくこと
まずはそこから始めよう
答えは人各々だろう 私の出した答えが気に入らなければそれでいいし、納得する必要はない
問題意識の提起くらいに捉えてくれたらいいし、それであなたの意識が少しでも変わってくれたら嬉しい
情報をどう処理し、どう編集するかは自分次第だということだ