975 :道化の騎士 :2010/10/17(日) 17:12:22 ID:BIXAa12+0
Q5 差別から目を背けたからって、自分の中のルールから目を逸らすことは出来ないのではないか?
A5 ラピスラズリは己の中にある、二律背反
・差別をしてはいけない
・差別をしなければならない
を回避するために「差別から目を逸らす」という行為を行う。
今までのラピスラズリの答えを見てみよう。
日本には差別が存在しない = 日本人による差別はない = 自分は差別していない
自分は差別に関心はない = 自分は差別することを意識していない = 自分は差別していない
サロメ並びに他諸氏との問いにおいて「差別は存在しない」とラピスラズリは言い続けている。
これは自分自身の行為が差別行為ではないということの、間接的証明なのだ。
ラピスラズリは常に「自分は差別を行っていない」と言いたいがために、
日本には既に差別は存在しないと言い続ける。
だが、ラピスラズリは明らかに朝鮮人差別を行い続けている。
あるいは、朝鮮人差別を容認し、彼らが差別されることを助長している。
よって、彼はこの事を直接問われると沈黙を持って答えるしかない。
あるいは、いみじくも
>>972で答えたように、関心がないとしている。
>>453で述べているように、ラピスラズリにとって、自分が認識し得ないモノは、存在を認めないモノになる。
よって関心がないこと、すなわち目を逸らすことは、自分が認識しないことであり、
存在しないことと等しくなるのだ。
彼は、差別するなというルールから目を逸らすことにより、自分の差別行為から目を背けることにしたのだ。