1946年12月19日、東京
東京戦争犯罪裁判でアメリカ人検察官T.F.E.マーネーン中佐の質問を
受ける豪陸軍第8師団業務団のウィリアム・ヘクター・スティチプウィッチ准尉。
スティチプウィッチ准尉は1942年2月15日にシンガポールで日本軍の捕虜となり、
後に北ボルネオのサンダカン捕虜収容所に入れられた。終戦間際に、サンダカン
捕虜収容所の捕虜はそこから260キロ離れたラナウへの移動のため、強制的に行進させられ、
この間に大多数の捕虜が死亡した。1945年初期に生存していた2,500人と推定される
豪州人と英国人捕虜の内、終戦まで生き残ったのはわずか6人の豪州兵だけで、
スティチプウィッチ准尉はその1人である。東京戦犯裁判の際に、彼は日本軍による
捕虜の虐待と拷問について、サンダカン捕虜収容所内で、またラナウへの行進の間と
ラナウ到着後に彼が目撃したことを証言した。彼の証言によってサンダカン捕虜収容所の
>>76 元日本人監視兵数人が有罪と確定された。
>>76 林博史著『BC級戦犯裁判』からの引用だからですw
この本は連合軍の裁判記録を調査してかかれたものです
頭大丈夫ですか?w