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サロメ KoS:
昭和十六年十二月、日本軍のフィリピン攻略戦が開始されます。
そのなかで、ルソン島のバターン半島に陣をかまえた米比軍と日本陸軍の第十四軍
(司令官・本間雅晴中将)の間で戦闘が行われました。この戦闘は一種の籠城戦という
性格のものであり、勝負がつくまで四ヶ月を有するものになりました(4月9日、米比軍降伏)。
従って、決着がついたときには、陣を構えていた米比軍側には、病気が蔓延し栄養失調の
兵隊も多数いる状況でした。日本軍は、このような状態の捕虜を移送しなければならなかったのですが、
移送のための装備(トラックなど)を殆どといっていいほど持っておらず、
結果的には病気や栄養失調の捕虜を自力で歩かせる羽目になりました。
このため、途中で倒れて死ぬ人間が続出し、これがいわゆる「バターン死の行進」と
いうように呼ばれるようになりました。
防衛庁防衛研修所戦史室「戦史叢書 比島攻略作戦」(朝雲新聞社)
「行進」の生存者でカリフォルニア州在住の元米軍捕虜レスター・テニー氏は
抗議文で、「非常に屈辱的な結論だ」と批判。
(1)「行進」の最初の四日間は食料も水もなかった
(2)当時、捕虜の多くはマラリアや赤痢をわずらっていた
(3)日の出から日没まで歩き、昼食休憩も夕食もなく、寝るときは倉庫に詰め込まれた
―と「行進」の実態を証言しています。
炎天下で4日間食料も水もなく歩かされれば死ぬでしょう。
捕虜を収容する余裕がないような国家が戦争なんかやるな、ってことなんだろうね。