中国分裂、朝鮮真空パック 第72夜

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197本当にあった怖い名無し
815 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 12:08:59 ID:???
そもそも日中戦争では公式の捕虜はいない。
今でこそ日中戦争という名称が広まったものの、当時は支那事変と呼ばれていて
大日本帝国政府からも中国国民党政府からもこれは戦争ではないという
公式見解がだされていた。
なぜなら両者共にアメリカとの貿易や援助に強く依存していたためで、
戦争当事国との交易を禁止している当時の米国法の対象となるのを
非常に恐れたため。
特に日本はこれ以降対日禁輸を強化された事が太平洋戦争の
直接の原因に発展していく事になる。

上記の理由で旧陸軍も公式な捕虜は問わず、その扱いは実質的に現場指揮官の
裁量にまかされる事が多かった。
これにより日露戦争で賞賛すらされたモラルは崩壊し、戦時国際法の内容すら
知らないのが日本兵の状態と化した。
そしてそのまま太平洋戦争に傾れ込んだため、捕虜の扱いで問題を多発させ、
また自分達が捕虜になるのを極端に嫌うという例の日本特異な現象が
派生する事になる。

つまり、南京での出来事は日中戦争の随所で大なり小なり、日中双方が
起こした事件の一角にすぎないのだが、これだけが特別な扱いをされ続けているのは
単純に中国共産党政府が年々「資料発掘」や「博物館展示」等で政治ショーに
利用し続けており、日本国内の特定の団体や個人もそれに同調しているために
他ならない。

最後に、正規の戦闘に起因する光景が虐殺のものとして流布されている資料も
多くあり、そのなかで最も有名なのが例の「揚子江に溢れる虐殺された遺体の写真」。