道命阿闍梨乙
道命「これは、よしある刀にて候ふ。いかにと申すに、われはこれ、五条の橋の捨て子にて候ふを、
養子の父の育て、人となされ候ふなり。またわれにこの刀を添へて捨てられし刀なれば、
これを母と思ひ、身をも放たづ持ちたる」と申しければ、
女房なほあやしく思ひ「さては、御身は幾つになり給ふぞ」と問ひ給へば、
道命「子にて捨てられ候ふよし承ふ。今ははや、おほいに候」と語りければ、
「産衣は何にて候ふ」と問ひ給へば、
「菖蒲の小袖の褄に、一首の歌を書きたり」。
「いかに」と仰せければ、やがて、道命、かくとあり、
「百年にまた百年は重ぬとも七つ七つの名をば絶えじなと詠み候ふ歌なり」と言へば、
和泉式部は捨てし時、鞘をば留め給ひて、これをばわが身のかたみと思ひし故に、
身を放たず持ちたりしほどに、鞘を取り出して合はすれば、疑ひもなきもとの鞘なり。
こは何ごとぞ、親子と知らで逢うことも、かかるうき世に住む故なり。
守り刀の存在で
一夜の契りを結んだ道命阿闍梨が
五条の橋の袂に捨てた我が子であると悟り
俗世を離れ仏門に帰依する和泉式部
父は藤原道綱で母は源近広の娘とされる道命阿闍梨が 和泉式部の子であるなど有り得ない話
母と子の危うい関係は この創作の中でどのような意味を持って民衆に訴えたのか
和泉式部の艶聞の中で 注目すべきは道命阿闍梨との関係である
道命阿闍梨は「法華経」読誦の美声で有名であった
当代きっての美声の僧と 妖婦・恋多き女と称された和泉式部
二人が母子だとすれば この関係は醜聞としては申し分ない
『御伽草子』は淡々とした筆致で この生々しいテーマを描く
しかし 時代のせいか責任の全ては「かかるうき世に」住む事に帰せられている
そして 俗世を離れ仏門に帰依して問題を完結させている