原爆にまつわる怖い話32

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12本当にあった怖い名無し
■人間が蒸発するかについての資料

一部に「一瞬に蒸発した」「一瞬に気化した」という誤った証言もありますが、
これは正しくありません。(略)

爆心から676メートル離れたところに中国配電(いまの中国電力本社)のビルがあり、
その屋上にヒノキづくりのミニ神社がありました。この神社が原爆の熱線にさらされ、
「動かぬ証拠」となります。
当時、理化学研究所副研究員だった木村一治氏と助手の阿久津寿一、田島英三の両氏らが
そのヒノキ材を観察したところ、0.1ミリメートルの完全黒化層(1平方センチメートルあたり1.38ミリグラム)
とその下におよそ0.35ミリメートルの褐色の中間層がみられました。*

木村氏らは、電熱器とアーク灯を使って再現実験をし、完全黒化層の厚さから1平方センチ
あたり21.1カロリーの熱量が、また0.35ミリメートルの厚さの中間層ができるには
毎秒1平方センチあたり14カロリーの熱量が必要であることを割り出しました。
爆央からの距離やヒノキ材の傾きなどを考慮に入れて計算し、神社のヒノキ材の地点では
1平方センチメートルあたり毎秒29カロリーの熱線で、ほぼ1.4秒間照射されたものである
ことがわかりました。(略)

いずれの場合でも、熱量は広島の場合爆心で1平方センチあたりおよそ100カロリーほどで、
到底被爆者の身体全体を一瞬で蒸発させたりはできない熱量です。
13本当にあった怖い名無し:2010/01/22(金) 04:17:22 ID:8JJuf7if0
>>12の続き

いずれの場合でも、熱量は広島の場合爆心で1平方センチあたりおよそ100カロリーほどで、
到底被爆者の身体全体を一瞬で蒸発させたりはできない熱量です。

しかし、国際会議をふくめ、近年開かれる各種の反核・平和大会で、「ピカッと光った瞬間
消え去った」、「一瞬にして蒸発した」などの発言がみうけられます。広島市の行政資料に
位置づけられている『広島原爆戦災史』にも「ほとんど蒸発的即死に近く」とあり、
『平和教育実践辞典』にも「一瞬に壊滅し」「ほとんど蒸発的即死」
「直後に暁部隊の救援隊が入ったとき、地表は死体も骨片も余り見当たらないほど焼きつくされており」
などと記述されています。

しかし、「瞬時に蒸発」のたぐいは度はずれた膨張であり、数千人の被爆者の実際の記録とも
違います。これらの記述は被爆の実相の解明に逆行するものです。何よりも、爆心地でも被爆直後には
数時間であれ、大部分の被爆者は生きていた事実が覆い隠されてしまいます。
生きながらに焼かれ、火傷や打撲、重傷、放射線による内蔵の荒廃などによる想像を
絶する苦痛をなめさせられ、多くは肉親に看取られることなく死んでいったことなど、
全人類が心すべき被爆のディテール(細部)が考慮の外におかれてしまうのです。

*木村一治らの「広島原子爆弾の熱輻射線の強さと閃光時間の決定」
(日本学術会議『原子爆弾災害調査報告書』90ページ、1953年)

「爆央と爆心 1945年8月6日 ヒロシマで何が起きたのか」武田寛 学習の友社 P17-20