ディルレヴァンガー爆発で重傷 猫の祟りか?3

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663本当にあった怖い名無し
>>604
うん、「煽られてやるしかなかった」とか「異常」かどうかとかは、関係ないんだ。
(ところで「異常」。これも非常に主観的な感覚なので、肯否を断ずるのはとても難しい)
事実は「愛護人たちが煽ったことが、直接もしくは少なからずの引き金になった」ということ。

あのとき、二勢力の応酬は非常にエキサイトしていた。興奮が先鋭化したなかでの事件だ。
自分は先にも言ったけど、あのような結末になると知っていたら、愛護人たちはあの調子の煽りを続けたかな?
たぶん、いや、絶対にやめたと思うよ。
無視なり(往々にして無視がベストなのだが)、懐柔策なり、何らかの路線変更をしていたはず。
この妥当(だと自分は思っているが、論拠は上で示した)な仮定にもとづくと、
愛護人たちは未来における決断を誤った。誤った結果、猫は死んだ。

「あのときこうすればよかった」と人はいつも後悔する。
そしてしばしば「あいつさえいなければ」「あの出来事さえなければ」と、責任を自分以外の所属に求めたがる。
だが待てよ、自分はこれを一切否定しないのだ。
加担した者に責任を負わせ、何らかの償いをさせるのはごく当たり前のことだ。

ディルは猫を殺した。実に残忍に。これは償われるべきだった。彼は裁きを受けた。
誰かが猫を捨てた。猫は殺された。捨てた者は悪だ。これは裁かれず、償われていない。
愛護人がディルを煽った。煽りは猫殺しに加担した。煽りは裁かれず、償われていない。

つまりディル事件は、裁かれていないことだらけだ。
人々はディルへの司法の裁きに満足せず、閑居して私的なリンチや中傷行為を企てる。
煽った者らは責任を逃れているばかりか、責任を自覚してさえいない。
そして、今も毎日のようにたくさんの可哀想な猫が捨てられ続ける。

自分はこういった悪の加担者たちに、義憤を感じざるをえない。
知られる悪、知られざりし悪を等しく糾弾して行きたい。これは宣言です。