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糖質ですが:
法学教室1999年6月号「議会制の背後仮説」石川健治。
議院内閣制に関しては最初に論じたのが20世紀初頭の公法・国際法学者R・レズロープによる
「議院内閣制―その真実の形と不真性の形」だといわれる。ここでは有名な「均衡本質説」と
「責任本質説」にも触れられているそうだ。
しかし、彼が論じたのは実は「君主」についてだった。統治の形式(いわば政体)と、その生命原理
(いわば国体)に区別し、統治の形式として共和制と君主制を区別し、民主政は生命原理のレベルの
問題であるとした。そして、民主政と共和制は意外とそりが合わず、君主制の方が民主政にとって
有利な形式であると論じた。
イギリスを例にとれば、イギリス国王はその地位を多数派の党派によって正当化されているわけでは
なく、したがって下院に対して責任を負わず、また解任もされない。だが、それだけにむしろ、民意の
開明的な解釈者=再演者として中立的に振る舞い、精神的な統合力を行使して、元首としての役割を
総じて果たしてきた。
一般に「執政権」のように国家指導的な政治の作用は非常に流動的で、枠にはめることが難しい。その
ために、法律と違って正当化が難しいのだ。執政権者のリクルートメントに国民が関与する形態(首相
公選制)も、民主的=政治的にその執政権を正当化する試みだ。「議会に対する政治責任」を負わせる、
というのも正当化の試みなのだ。伝統的に国家元首が行使してきた執政権に関しては、元首の人格的
統合力や、執政権が実質的に内閣に移ったあとにも、国家元首の制度外の人格的・精神的な水準が、
民主政の、そして議院内閣制の成否を握ると言ってもいい。この問題は現代においても課題とされている。