思考盗聴システムは実在している!!!その60

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574糖質ですが
以上の、フランス革命期の議論が第三共和制の下でエスマンによって整理された。エスマンは
「二つの統治形態」という論文の中で「純粋代表制」と「半代表制」の区別を提唱した。
「純粋代表制」は「古典的代表制」ともいわれ、直接民主制が司法権・行政権で事実上不可能で
あることや、立法権に関しても大きな国では不可能であるという現実を見据え、シエースがかつて
憲法制定国民議会で論じたように、国民が諸権力の行う行為のいかなるものにも直接介入することは
できない、とするのだ。代表者は自由に委託者たる国民の制約を受けずに行動することができるもの
であると俺は理解した。
しかし、エスマンは、フランスの現状を見る限り、一院制への傾向、命令的委任の禁止の緩和傾向、
レファレンダム導入の傾向、少数代表制の展開などがあり、純粋代表制とは別のメカニズムの存在
を認識していた。
カレ・ド・マルベールは、この、第三共和制憲法を「厳格な代表制」とはとらえずに、「半代表制」
ととらえた。そして、その「半代表制」のもとでは「選挙人団と議員団という二つの団体の意思が
影響しあい、相互に浸透しあい、しかもお互いに支えあいながら、両者のいずれも他の関係において
絶対的、不変的かつ排他的優越性を持たない」という意味において「両団体が有機的一体性を形成
する」としたのだ。
ここでも、モンテスキュー→シエース→エスマンの系譜が明確になり、ルソー→ロベスピエール→
カレ・ド・マルベールの系譜が明らかになる。
わが国においては、憲法43条1項における「全国民の代表」に関する通説的見解は、両系譜を
折衷する形で展開してきている。つまり「政治的代表」と「半代表」の両契機を含むものとして
「全国民の代表」を解釈しているのである。「代表制」と「民主制」の微妙なバランスの上に成り立つ
議論として位置づけることも可能であろう。
法学教室1999年5月号「代表・民主制の基底にあるアポリア」岡田信弘