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糖質ですが:
1920年代前後に、世界の知識人の間に社会主義思想が広まったが、周恩来は日本で
それに触れている。路線闘争というのはソ連の影響だ。それが中国土着のものとくっついて
中国共産党の原型が出来上がる。歴史を材料にして他の政治指導者を叩くというのは毛沢東
の独創だ。政策の違いだけではライバルを潰すことができない。路線闘争に持ち込んで、
徹底的に潰すために歴史を持ち出した。過去の言動から、相手がどういう路線、思想の人間
だと決め付け、レッテルを貼り、路線闘争に持ち込んだ。
周恩来は過去に「投降主義者」のレッテルを貼られたため、40年も昔にさかのぼって
自身の過ちについて延々と釈明文を書き続けた。手術室に入る間際にも「私は投降主義者
ではない」と叫んだとも言われる。もっとも、周恩来は若い頃、京劇の女形を演じていた
ことが知られており、芝居と本音が入り混じっていたのだろうといわれている。
文藝春秋2007年4月号に詳しい。