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糖質ですが:
思考盗聴の修行の最初の一発目が「国民全員が自分の死を願う」という修行で、心臓が
止まりそうになってパニックに陥った。
国家がどんなに「死の説明」を与えても、人間は死ねないということが分かった。
そんなわけで、国家のために死んだ人は靖国神社に祀られるという説明はそれでかまわない
が、それは「死ぬ人間の側」からの説明であるとは必ずしもいえないかもしれない。
結局「死ねといわれたから死んだ」ということになってしまう。
軍人としては戦術などの図演演習などの技術をつくした挙句に死にいたるのならば、それは
職業であるともいえる。厚生省が靖国神社の合祀を進めたことを考えると、我々は国家を
運営する立場から「職業人」として職務を全うしているのが実情なのかも知れない。
「靖国」なんてセンチメンタルなことを言っている場合ではないのだ。