思考盗聴システムは実在している!!!その60

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328糖質ですが
靖国神社の前身の東京招魂社は、1869(明治2)年に、明治天皇の命により、戊辰戦争
の戦死者を祀るために創建され、のちに国内の戦乱に準じた人たちを合わせ祀るように
なり、1877(明治10)年の西南戦争後は日本国を守護するために亡くなった戦没者を
慰霊追悼・顕彰するための施設として位置づけられ、神主も公務員としての地位を与えられて
いた。明治憲法の下では、神道は宗教とされず、神社は公法人として位置づけられ、靖国神社
は、帝国陸軍・海軍の管理の下に置かれ、天皇のために亡くなった人を英霊として顕彰する
ことにより、戦争を正当化する役割を果たした。
戦後、GHQにより神道指令が出された。総司令部は国家神道を廃止するとともに、靖国神社
の国家護持を禁じ、神社と国家の間の政教分離を図った。靖国神社も1951年に制定された
宗教法人法に基づき宗教法人となり、活動を続けてきた。しかし占領の終了後は、ふたたび
靖国神社を他の神社と区別し、靖国神社を国の施設とすることを求める動きが見られるように
なった。1956年以降、厚生省引揚援護局復員課長名で「今後における靖国神社合祀事務協力要綱
について」と題する指示を出し、靖国神社への合祀に協力するように求め、提供された名簿に
基づいて靖国神社は合祀を行ってきた。
1975年に三木武夫氏が内閣総理大臣としては初めて終戦記念日に参拝した際には、
私的参拝4要件(公用車不使用・玉ぐし料を私費で支出・肩書きをつけない・公職者を
随行させない)による「私人」としての参拝を行った。1985年には中曽根康弘内閣総理大臣
が、従来の政府見解を修正し、正式な神式ではなく省略した拝礼によるものならば閣僚の
公式参拝は政教分離に反しないとの立場から、供花料を公金で支出して公式参拝に踏み切った。
2001年には小泉純一郎内閣総理大臣が公的か私的化の区別を明らかにせず総理大臣としての
小泉純一郎としての参拝だと述べ公用車を使用し、肩書きを記帳したが、供花料は私費で支払った。