【霊界】スウェーデンボルグを学ぶ【驚嘆】

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1本当にあった怖い名無し
スウェーデンボルグを学ぶ

エマニュエル・スウェーデンボルグ著
柳瀬芳意訳
から引用
2本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 15:17:18 ID:OzExlwqV0
人間は世の生活の間に、善と真理、または悪と誤謬の結合あるいは一致に到達することはほとんどできない。
なぜなら彼は世に住む限り、改良または再生の状態におかれているからである。
しかし全ての人間は死後いずれかの結合に入ってゆく。
なぜなら彼はそのときもはや改良されることも再生することもできないからである。
その時彼は世のその生活のままに、すなわち、彼を支配していた愛のままになる。
それゆえ、もしその生活が悪を愛した生活であったならば、彼が世で教師、説教、または聖言から得た真理はすべて彼から取り去られ、彼はスポンジが水を吸収するように、彼の悪に一致した誤謬を吸い込むのである。
これに反し、もしその生活が善を愛した生活であったなら、彼が世で聞きまた読んで得たものの確認はしなかった誤謬はすべて、そのとき彼から取り去られ、変わって彼の善に一致した真理が与えられる、これは主の以下の語により意味されている。
「その者からそのタラントを取って、十タラントを持った者に与えよ、持つものは全て与えられて、豊かになるが、持たない者からはその持っているものも取られるのである」(マタイ25.28,29,13.12,マルコ4.15、ルカ8.18,19.24-26)
3中常侍 うんこ ◆knhfo7S6wc :2009/10/10(土) 15:35:47 ID:dh4KrCsu0
タレント【talent】
(1)古代ギリシアおよびヘブライの衡量および貨幣の単位。タラント。
(2)才能。技量。
(3)(才能のある人の意から)芸能人。テレビ・ラジオなどの職業的出演者。
4本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 15:47:40 ID:OzExlwqV0
私は天使と霊とともに長期間話合うことにより以下のことを明らかにされ、また証明されたのである。
すなわち天界は最初から天使として作られた天使から成るのではなく、地獄も光の天使として作られたが天界から投げ下された悪魔の住処でもない。
天界も地獄も人類から成り、天界は善の愛に居り、それゆえ真理を認める者達から成り、地獄は悪の愛に居り、それゆえ誤謬を認める者から成っている。
このことについてはさらに天界と地獄を扱った著作(311-316)、「最後の審判」を扱った著作(14-27)「続最後の審判と霊界」の始めから終わりまでを参照されよ。
5本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 15:51:32 ID:OzExlwqV0
さて、天界は人類から起り、永遠に主と共に住むことが天界であるゆえ、主はこのことを創造の目的として定められ、かくて天界は創造の目的であるゆえ、
それはまた神的摂理の目的であることが生まれてくる。
主は宇宙をご自身のために創造されたのではなく、ご自身とともに天界に住むことのできる者たちのために創造されたのである。

なぜなら霊的愛はその持っている一切を他に与えようと願い、そしてその願いを満たすことができるならば、その平安を、その祝福を得るからである。
霊的愛はそのような性質を無限度にもたれている主の神的愛からその性質を得ている、このことから以下のことが生まれる。
すなわち、神的愛は、ひいては神的摂理は天使となった人々また天使になりつつある人々から成る天界をその目的としており、
主はこの者達の中に居られることによって、これに主の賜物として愛と知恵の全ての祝福と幸福とを与えることができるのである。
6本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 15:52:28 ID:OzExlwqV0
主はそれ以外のことを為すことはできない。なぜなら人間には創造により主ご自身の映像と主に似た形があるからである。
人間の中の主は知恵に結合した愛であり、愛に結合した知恵である。あるいはそれと同じく真理に結合した善であり、善に結合した真理である。
その結合は前項に記したところである。
しかし天界は全体的には、または一つの共同体としてはいかようなものであるか、個別的には、または一個人としてはいかようなものであるか、霊界ではいかようなものであるか、
自然界ではいかようなものであるかは知られていないゆえ、しかもこれを知ることは天界は神的摂理の目的であることから重要なことであるゆえ、
私はこのことを以下の順で少しく明らかにしてみよう。
7本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 15:53:09 ID:OzExlwqV0
【1】天界は主との結合である。
【2】創造により人間は主とますます密接に結合することができる。
【3】人間は主と密接に結合するに応じて賢くなる。
【4】人間は主と密接に結合するに応じて幸福になる。
【5】人間は主と密接に結合するに応じて明らかに自分は自分のものであるように自分には思われ、また自分は主のものであることをますます明白に認める。
8本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 16:07:07 ID:aM1YegI20
       ♪ ,,;⊂⊃;,、
     ♪    (‘ -‘∩)   ♪
          【( ⊃ )    ♪
           し'し'
9本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 16:12:02 ID:OzExlwqV0
【1】天界は主との結合である。

天界は天使から始まらず、主から始まっている。
なぜなら天界を作る天使達の愛と知恵は彼等自身から発しないで、主から発し、実に彼等の中の主であるからである。
そして愛と知恵は主のものであり、天界の主であり、
また天使達の生命を作っているゆえ、
彼等の生命は主のものであり、実に主であることもまた明らかである。
天使達自身、おのが生命を主から得ていることを認めている。
これにより天界は主との結合であることを理解することができよう。
しかし主との結合にはいろいろのものがあり、従って天界は人各々に対して同一ではないゆえ、
天界は主との結合に応じて異なっていることがさらに推論される。
その結合はますます密接になり、またはますます遠くなることは以下の章に見られるであろう。
10本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 16:12:42 ID:OzExlwqV0
その結合につき、それがいかようになされるか、それはいかようなものであるかについて、ここに若干述べてみよう。
それは主の天使達との結合であり、天使達の主との結合であり、かくてそれは相互的なものである。
主は天使達の生命の愛へ流れ入り、天使は主を知恵に受け入れ、かくて相互的に自らを主に結合させる。
(訳者注:このあたりのスエデンボルグの所説は若干難解であるので若干参考までに私見を述べてみるに。神人「主」の中には愛と知恵とは結合しているが、人間の心の中ではそれは分離して受け入れられる。
すなわち愛は人間の意志の中に受け入れられて、情愛を生み、理解はこの情愛により働いて真理を理解し認識する。
すなわち、知恵を受ける。このようにして神の愛と知恵とは人間に流入して、人間の中に結合する。)
11本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 16:13:40 ID:OzExlwqV0
しかし天使達は自分を知恵により主に結合させるように自分には見えるが、
しかし主がこの方法により彼等を主ご自身に結合させられることを注意しなくてはならない。
なぜなら彼等の知恵もまた主から発しているからである。
主はご自身を善により天使達に結合させられ、天使も相互的に自分を真理により主に結合させると言っても、意味は変わらない。
なぜなら善はすべて愛に属し、真理はすべて知恵に属するからである。
12本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 16:19:40 ID:MPcvscBaO
題名忘れたけど、精神科医の書いたスウェーデンボルグの本がすごく分かりやすくて好きだな
13本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 16:29:57 ID:OzExlwqV0
しかしこの相互的な結合は秘儀(アルカナ)であり、これをわずかな者しか説明なしに理解できないゆえ、私はこれをできるだけ、理解できるものにより説明しよう。
「神の愛と知恵」を扱った著作に(404,405)いかにして愛はそれ自身を知恵に結合するかが示されている。
すなわちそれは真理に対する情愛を生む知識に対する愛により、真理の認識を生むところの真理を理解しようとする愛により、
思考を生むところの知られ理解されているものを見ようとする愛によりそれ自身を知恵に結合するのである。
主はこのすべての情愛の中に現存されている。
なぜならそれらはすべてのものの生命の愛から発しているから。
天使達は主から発する善の流入を真理の認識の中に、おのが思考の中に受け入れる。
なぜならこれらの中にその流入は天使達に知覚されるが、その情愛の中には知覚されないからである。
14本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 16:33:28 ID:OzExlwqV0
さて認識と思考は主から発する情愛から発しているけれど、天使達には天使達自身のものであるように見えるゆえ、
天使達は自分自身を相互的に主に結合させるように見えるが、かえって主が彼等をご自身に結合させられるのである。
なぜなら認識と思考は、愛から生まれて彼等の霊魂となっている情愛から生まれているからである。
なぜなら何人とも情愛なしにはいかなる認識も思考も持つことはできず、人はすべて情愛に応じて認識し、思考するからである。
それゆえ天使の主との相互的結合は天使の行為でなく、ただそのように見えるに過ぎないものであることが明白である。
天界的霊的結婚と呼ばれる主教会との結合と教会の主との結合もそれと同じ性質のものである。

15本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 20:43:01 ID:GsbbpEwD0
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16本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:31:04 ID:E0YN3c/E0
「創造により人間はさらに密接に主と結合することができる」

このことは「神の愛と知恵」を取り扱った著作の第三部の度について語られたこと、
特に以下の記事により明白である−創造により人間には3つの分離した度、または上昇の度がある。(230-235)
この3つの度は生来すべての人間の中にあり、
それが開かれるに応じ、人間は主の中におり、主は人間の中におられる。(236-241)
その度が上昇するに応じ、されに大きな完成が生ずる(199-204)
このことから、創造により人間はこの度によって主とますます密接に結合することができるということが明らかである。
しかし度とはいかようなものであるかを知ることが必要である。
すなわち度には二種類のものがあり、一は分離した度または上昇の度であり、
他は連続した度、または広がりの度であることを知ることが必要であり、
またそのニつはいかように互いに相違しているかを知ることも必要であり、さらに以下のことを知ることが必要である。
17本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:32:23 ID:E0YN3c/E0
すなわち、人間はすべて創造により、それゆえ生来、この三つの分離した度、
すなわち上昇の度を持ち、出生により自然的な度と呼ばれる第一の度に入り、
おのが中にこの度自身の面を発展させて、合理的なものとなり、
もし神的真理の霊的秩序の法則に従って生きるならば、第二の度または霊的な度に進みもし、
神的善の天的秩序の法則に従って生きるならば、第三の度または天的な度にも進むことが出来る。
これらの度は実に主により人間の中にその地上の生活に応じて開かれるが、
しかしこの世を去るまではこれを認めることも感じることもできない。
それらが開かれ、その後完成されるに応じ、人間はますます密接に主と結合する。
この結合は、主にさらに近づくことにより永遠に増大し、天使には永遠に増大する。
しかし依然、天使は主の愛と知恵の第一の度にも達することはできないし、これに近づくことさえもできない。
なぜなら主は無限であり、天使は有限であり、無限と有限との間にはいかなる比率(ラシオ)もないからである。
何人もこれらの度を知らないかぎり、人間の状態や、人間が主へ高揚され、
近づくことを理解することはできないゆえ、それを特に「神の愛と知恵」に関わる著作に説明しておいた。
読者はそれを参照されたい。
18本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:34:25 ID:E0YN3c/E0
「人間が主とますます密接に結合する」のは単に知識にのみよるのでなく、また理知にのみよるのでもなく、知恵にのみよるのでもなく、それに一致した生命によるのである。
人間の生命はその愛であり、愛には多くの種類がある。
一般的には悪の愛と善の愛とがある。
悪の愛は姦淫、復讐、詐欺、涜神、他人の所有物を剥奪しようとする愛であり、これを考えて愉悦を感じる。
この愛から生まれる幾多の愛はその愛の目的とする幾多の悪と同数であり、この愛の認識と思考は、この幾多の悪を支持して、それらを確認する幾多の誤謬と同数である。
誤謬は理解が意志と結合するように悪と結合している。
ニつは離れて存在することはできない。
なぜならそれらは不可分離なものであるから。
19本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:35:29 ID:E0YN3c/E0
さて上述したように、主は流入により、各人間の生命の愛へ入り、その情愛を経て、彼の認識と思考へ入れられて、その反対は行われないゆえ、主はご自身を何人とも密接に結合させることができ、かくて悪の愛はその情愛あるいは、欲念とともに除かれることが推論される。
そしてこれらの欲念は自然的な人に宿っているゆえ、また人間はその自然的な人から為すものをすべて自分自身から為すように感じるゆえ、彼はその愛の悪をあたかも自分の力により除くように除かなくてはならない。
かくて彼がそれを除くに応じ、主はさらに近づき、御自らを彼に結合させられるのである。
人間自身がその扉を閉じて、片側から押さえ、押し付けて開かせまいとしている間は、欲念はその快楽とともに道をふさぎ、主に対し扉を閉じ、かくて主により追放されることはできないことは何人でも理性から理解することができよう。
人間は人間自身その扉を開かねばならないことは黙示録の主の言葉により明白である。「見よ、私は戸外に立って叩く、人がもし私の声を聞いて、戸を開くなら、私は入ってそのもとに行き、彼とともに食べ、彼は私と共に食べるであろう」(3.10)
20本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:35:37 ID:GsbbpEwD0
(‘ o‘ ) 
21本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:36:52 ID:E0YN3c/E0
それゆえ以下のことが推論される。
すなわち人は悪を悪魔的なものとして、主の入られるのを妨害するものとして避けるならば、主にますます密接に結合し、
それを凶暴な暗黒の悪魔として嫌悪する者は最も密接に主に結合するのである。
なぜなら悪と悪魔は同一のものであり、同じく悪の誤謬と悪鬼も同一のものであるから。
なぜなら主の流入は善の愛とその諸情愛に注ぎ、この諸情愛を経て認識と思考に注ぎ、認識と思考とはすべてその真理を、
人間の中に宿っている善からえるが、悪魔または地獄の流入は悪の愛とその諸情愛の欲念に注ぎ、
これらを経て認識と思考に注ぎ、その認識と思考はすべてその誤謬を人間の中に宿っている悪から得ているからである。
22本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:38:00 ID:E0YN3c/E0
「如何してこの結合はますます密接になるように見えるか。」
自然的な人の悪を避け、それから遠ざかることにより、その悪が徹底的に除かれるに応じ、人間はますます密接に主に結合する。
そして主ご自身である愛と知恵は空間には存在しないゆえ
−なぜなら愛と知恵から生まれる情愛と思考は空間とは何ものをも共有しないから−
この愛と知恵による結合に応じて主はさらに近くおられるように見えるが、反対に愛と知恵が斥けられるに従って、ますます遠くなられるように見える。
空間は霊界に存在しない。
そこの距離と近接は情愛の類似または相違に応じた外観である。
なぜなら前述したように、情愛と思考は愛と知恵から由来して、霊的なものであり、空間の中に存在しないからである。
この主題については「神の愛と知恵」に関わる著作を参照されよ。(7-10。69-72その他)
悪を除かれた人間と主との結合は主の以下の語に意味されている。「心の清いものは神を見る」(マタイ5.8)
さらに「人が私の戒めを守って、これを行うならば私たちはそのもとにきて共に住むだろう」(ヨハネ14.11,13)
戒めを守ることは戒めを知ることであり、これを行うことは主を愛することである。なぜなら「私の戒めを行う者は私を愛する者である」とまたそこに言われているからである。
23本当にあった怖い名無し:2009/10/10(土) 22:39:59 ID:GsbbpEwD0
(*‘ д‘ *)
24本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 13:24:45 ID:qOOyj7tX0
主はスレ立てるのが下手だな
25本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 13:41:30 ID:zURQf4M60
「人間は密接に結合するに応じますます賢明になる。」

創造により、それゆえ生来、人間には生命の3つの度があるため(前の32を参照)人間には特に知恵の3つの度がある。
これらはその結合に従って人間の中に開かれる度である。
そらは人間の愛に応じて開かれる。
なぜなら愛は結合それ自身であるから。
しかし人間は度による愛の上昇については漠然とした認識しかもたない。
しかし知恵の上昇は知恵とは何であるかを知り、理解している者に明らかに認められている。
知恵の度は認識される。
なぜなら愛は情愛を経て認識と思考に入り、認識と思考は、身体の外なる視覚に相応した人間の内なる視覚の視野の中に入るからである。
知恵は見られるが、それを生む愛の情愛は見られないのはこのためである。
これは人間により実際為されるすべてのものにも言われる。
すなわちそれを為すには身体はいかように活動するかは人間に注意されるが、霊魂はいかように活動するかは注意されないのである。
同様に人間が思いをこらし、識別し、または考える方法は認識されるが、しかしその行為の霊魂である善と真理の情愛がいかようにそれを生み出すかは認識されていない。
26本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 13:46:13 ID:zURQf4M60
知恵には自然的な度と、霊的な度と、天的な度との3つの度がある。
人間は世に生きる限り自然的な知恵にいる。
この度はその期間内に最高度まで彼のうちに完成することができるが、霊的度に入ることはできない。
なぜならその度は自然的な度とは連続的に関係しておらず、相応によりそれと結合しているからである。
死後人間は霊的な度の知恵におり、その度もまた最高度に完成することができるがしかも天的な度の知恵に入ることはできない。
なぜなら天的な度は霊的度に連続的に関係しないで、相応によりこれと結合しているからである。
これにより知恵は三乗比で高められ、各度では一乗比で最高度まで完成され得ることが理解されている。
いかようにして、これらの度が高められ、完成されるかを理解する者は天的知恵は表現を絶したものであるという言葉の意味を多少理解することができよう。
それは表現を絶したものであり、天使の知恵から生まれる一千の観念も人間の思考内では単に一つの観念としてしか現れず、その中の九百九十九の件念は自然を超越しているので、人間の心に入ることはできない。
27本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 13:47:04 ID:JsvmT5+Q0
     ( ´・ω・) ぶお〜ん
      ( ⊃┳⊃
     ε´ヽJヘ⌒ヽフ
     (   ( ・ω・)
≡≡≡ ◎―◎⊃⊃
28本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 13:47:04 ID:zURQf4M60
私はそのことを再三経験により示されて、確信を与えられたのである。
しかし上述したように、人間は主と結合して、それに従って生活しない限り、かの天使の筆舌に表しがたい、知恵を得ることはできない。
なぜなら主のみが霊的な度と天的な度とを開かれ、またこれを主から知恵を得ている人々の中にのみ開かれ、そして悪魔または悪をおのが中から斥ける者が知恵を受けるからである。

しかし多くのことを知り、これを明らかに認め、これについて理知的に語ることがもし愛と結合していないならば、それは知恵であると考えられてはならない。
なぜなら愛はその情愛により知恵を生み出すからである。
知恵は愛と結合しないならば空に消えていく火玉、または流星のようなものである。
しかし愛と結合した知恵は太陽の揺るがぬ光、または恒星のようなものである。
人間は悪魔の一味、すなわち悪と誤謬の欲念を嫌悪するならば、知恵の愛を得るのである。
29本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 13:48:45 ID:zURQf4M60
人間が意識する知恵は真理への愛か生まれる真理の認識であり、とくに霊的な真理の認識である。
−なぜなら真理には社会的なものと道徳的なものと霊的なものとがあるから。
霊的な真理への愛からその真理を認める者はまた道徳的な社会的な真理を認める。
なぜなら霊的真理への愛がその認識の霊魂であるからである。
私は知恵について天使達と時々語ったが、彼等は主は知恵それ自身であられるゆえ、知恵は主と結合することであり、人間は地獄を斥け、これに反抗することにより、その結合へ入れられると語った。
彼等は知恵を宏荘な見事に装飾された宮殿として心に描いて十二の階段からこれに登るが、何人も主と結合して主により連れて行かれないならば、その第一の階段にも達することはできない、
人はすべてこの結合の完成に応じて登るのであり、また登るとき、何人も自分により賢くなるのでなく、
ただ主のみにより賢くなることを認めており、また自分の知るものはその知らないものに較べるならば、大湖に対する一,ニ滴の水のようなものであることを知っていると彼等は語った。
知恵の宮殿に至る十二の階段は真理に結合した善と善に結合した真理を意味する。
30本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 14:02:50 ID:mdLc0yV+O
今北三行

カントが論及して書いたの全集かなんかでよめる?
31中常侍 うんこ ◆knhfo7S6wc :2009/10/11(日) 14:11:17 ID:7p9Um5wH0
カント【Immanuel Kant】
ドイツの哲学者。ケーニヒスベルク大学教授。合理論と経験論を統合して批
判哲学を創始。科学的認識の成立根拠を吟味し、認識は対象の模写ではな
く、主観(意識一般)が感覚の所与を秩序づけることによって成立すること(コ
ペルニクス的転回)を主張、超経験的なもの(不滅の霊魂・自由意志・神な
ど)は科学的認識の対象ではなく、信仰の対象であるとし、伝統的形而上学
を否定して道徳の学として形而上学を意義づけた。著に「純粋理性批判」
「実践理性批判」「道徳形而上学原論」「判断力批判」など。(1724〜1804)
32酋長 ◆occulTjdPc :2009/10/11(日) 14:21:42 ID:NZwvqThVO
これ本の内容丸写ししてんの?
著作権とか大丈夫なのか?
33本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:04:43 ID:AEJCTKBF0
「人間は主に密接に結合するに応じてますます幸福になる。」


上述したことが(32,34)幸福の度につき、人間の主との結合による生命と知恵の度についても言うことができよう。
なぜなら心の高い度の霊的な度と天的な度とが人間の中に開かれるに応じ、幸福、祝福、喜びが増大し、この世の生活の後これらの度は永遠に完成されるからである。

悪の欲念に喜びを感じる者は、天使的天界の楽しむ善の情愛から生まれる喜びについては何事も知らない。
34本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:10:44 ID:AEJCTKBF0
なぜならこれらの喜びはその内的性質では全然相反したものであり、従って表面ではほとんど相違していないけれど外なるものの内部では相反しているからである。
なぜなら愛にはすべてその愛自身の喜びがあり、悪い欲望に動かされている者は悪の愛に、例えば姦淫、復讐、詐欺、盗みまたは残忍に喜びを感じ、実に、極悪の人間は教会の聖いものを涜し、神に向かって毒舌をふるうことに喜びを見出すからである。
支配を求める利己的な愛がこの喜びの源泉である。
35本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:13:15 ID:AEJCTKBF0
その喜びは心の内なる領域をかこんでいる欲念から流れいでて、身体に流れ入り、そこに不潔な物を刺激し、その不潔な物は繊維組織を刺激する。
このように欲念の種類に応じ、心の歓喜から、身体の歓喜が発している。
こうした欲念に溺れた者の身体の繊維組織を刺激するこの不潔な物の性質を何人でも死後霊界で知ることができよう。
全般的にそれらは屍、糞のようなおのであり、腐敗し、悪臭を発し、尿に似たものであるが、それは地獄とはこうした不潔な物に満ちているからである。
これらの物は相応であることは「神の愛と知恵」を取り扱った論文にみることができよう。(422-424)
36本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:14:22 ID:AEJCTKBF0
しかしこの汚れた歓喜は地獄に入った者の中には凄惨な状態に変化する。
これらのことを記したのは、今述べようとする天界の幸福をさらに明らかにするためである。
なぜならすべてのものはその反対のものにより知られるから。
祝福、魅力、歓喜、楽しさ、約言して、天界の幸福は、天界の感覚には認められるけれど、これを言葉で表現することはできない。
なぜなら感覚にのみ認められるものは観念または言葉の範囲内に入らないため、これを記すことはできないからである。
37本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:16:25 ID:2gqrp6Q40
       ♪ ,,;⊂⊃;,、
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          【( ⊃ )    ♪
           し'し'
38本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:16:44 ID:AEJCTKBF0
なぜなら理解のみが見るが、それは知恵または真理の事柄のみを見て、愛または善の事柄を見ないからである。
それゆえその歓喜は表現はできないものの、以前知恵と同程度に上昇する。
その変化は無限であり、その各々は表現を絶している。
私はそのように語られるのを聞き模試、経験もしたのである。
さて人間は悪と誤謬への愛の欲念を実際は主の力によって除き去るのではあるが、
あたかも自分自身から発する力によって除き去るかのように除き去る時に、これらの歓喜がその心に入ってくる。
なぜならその歓喜は悪と誤謬への愛の欲念に反した善と真理への情愛から生まれているから。
39本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:17:54 ID:AEJCTKBF0
善と真理へ愛の諸情愛の歓喜は主から始まり、かくて人間の最も内なる存在から起り、そこから自らを低い物に広げて、ついには究極の物にすら入って、天使各々に満ちみつるため、天使はいわば純粋な歓喜そのものであるように見える。
このような無限の変化を持った歓喜は善と真理へのあらゆる情愛に、とくに知恵への情愛にともなっている。
悪の欲念の歓喜と善の情愛の歓喜とは比較することはできない。
なぜなら悪魔は悪の欲念の歓喜の内部におり、主は善の情愛の歓喜の内部におられるからである。
もし、強いてその2つを比較するならば、悪の欲念の歓喜は泥沼の蛙の不潔な喜びと悪臭の立ち込めている中の蛇の喜びにたとえることができるが、善の情愛の歓喜は庭園や花床の心に与える快いものにたとえることができよう。
なぜなら蛙や蛇に好まれるものは悪の欲念に溺れた地獄の者にもまた好まれ、庭園や花床の好ましいものは、善の情愛にいる天界の者にも好まれるからである。
なぜなら上述したように悪はそれに相応した不潔な物を好み善はそれに相応した清潔な物を好むからである。
40中常侍 うんこ ◆knhfo7S6wc :2009/10/11(日) 15:18:01 ID:7p9Um5wH0
            人
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         ][][  人       
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41本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:18:55 ID:2gqrp6Q40
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42本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:23:17 ID:AEJCTKBF0
いまや人間は主と密接に結合するに応じてますます幸福になることが理解できよう。
しかしこの幸福は世ではまれにしか現れない。
なぜなら人間はその時自然的な状態におり、自然的なものは霊的なものに連続的に連ならず、単に相応によってのみ連なっており、そしてその連なりも、特に悪に対する争闘の後の心のある休息と平安以外のものとしては感じられないからである。
しかし人間が自然的なものを脱ぎ去って、霊的な状態に入るとき―それは人間がこの世を去った後に起るが、―上述の幸福は徐々に明らかになってくる。
43本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:28:02 ID:AEJCTKBF0
「人間は主に密接に結合するにつれ、ますます明らかに自分は自分のものであるように思われ、また自分が主のものであることをますます明白に認める。」


人間は主に密接に結合するにつれ、ますます自分は自分のものではないかのように考えられている。
すべて邪悪な人間にはそのように考えられるし、、また自分は律法のくびきのもとにはなく、人間は人間自身によっては善は為すことができないという宗教的信念を持つ者にもそのように考えられている。
なぜならすべてこのような者は、自分が自分のものでないことを、悪を考え、欲することを許されないで、ただ善のみを考え、欲することであるとしか認めることができず、
また主に連結している者は悪を考え、欲することを望みもしないし、またできもしないゆえ、これは自分が自分のものでないことであると、彼等自身の外観から結論するからである。
しかし、これは真理とは正反対である。
44本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:28:44 ID:AEJCTKBF0
地獄的な自由と天界的な自由がある。
地獄的な自由は悪を考え、欲する自由であり、社会的律法と道徳的律法に妨げられない限り、これを語り、行う自由である。
善いことを考え、欲し、得べくば、これを語り為すことが天界的自由の特質である。
人間はすべて自分が自由に考え、欲し、語り、行うものを自分のものとして感じている。
なぜならすべて自由は愛から発し、それゆえ悪の愛にいる者は必然的に地獄的な自由が真の自由であると考え、善の愛にいる者は天界的自由が真の自由であると感じ、従って両者はその反対のものがどれであると考えるからである。
にも関わらず何人もその何れか一方のみが自由であることを否定できない。
なぜならそれ自身において相反しているこの二種類の自由はその何れもが真の自由にはなりえないからである。
さらに善に導かれることは自由であり、悪に導かれることは奴隷であることも否定できない。
なぜなら善に導かれるのことは主に導かれることであり、悪に導かれることは悪魔に導かれることであるから。
45本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:29:50 ID:2gqrp6Q40
   (   ノ  スッポッポ
  (  )           
   且  ┌┬───‐┐ 
 (・ω・` ) ̄)|口|口|口|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|     
 「皿「OOO┴O-O-O┘  ̄◎ ̄  . ̄◎ ̄   ̄◎ ̄
46本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 15:48:25 ID:mdLc0yV+O
「視霊者の夢」がカントの1番大切な著作だそうだ
47本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 16:09:54 ID:AEJCTKBF0
さて人間が自由に為すものはすべて自分のものであるように見えるゆえ
、―なぜならそれは彼の愛が発するからである(上述したように自分の愛から行動することは自由に行動することである)―
主との結合が人間に自分は自由であり、それゆえ自分自身のものであるという知覚を与えることが推論される。
主との結合が密接であるに従ってますます自分は自由であり、したがってますます自分は自分自身のものであると彼は感じる。
彼が「ますます明らかに」自分は自分自身のものであるように考える理由は、神的愛はその持たれるものをすべて他に、すなわち天使と人間に与えようとされるということである。
48本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 16:12:20 ID:AEJCTKBF0
すべて霊的愛は、特に神的愛はこのような性質を持っている。
主は決して何人にも強いられない。
なぜなら人が強いられるものは、自分自身のものであるようには見えず、
自分自身のものであるように見えないものはその愛に取り入れられず、かくて自分自身のものとして所有されることはできないからである。
それゆえ人間は自由に絶えず主により導かれ、また自由に改良され、再生するのである。
このことにつき更に以下に記すであろう。
また僅かではあるが、前を参照することもできよう。
49本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 16:13:06 ID:AEJCTKBF0
自分は自分自身のものであると、自分自身に明白に見えるに応じ、自分は主のものであるとますます明らかに認める理由は上述したように人は主に密接に結合するに応じ、ますます賢明になるということである。
知恵はこの真理を教え、また理解する。
天使の中最も賢明な第三の天界の天使もまたそれを認め、
さらにそれを真の自由と呼び、自分自身を導くことを奴隷と呼んでいる。
彼等はまたその理由として以下のように言っている。
すなわち、主は彼等の知恵の認識と思考へ直接流れ入られないで、善の愛の諸情愛へ流れ入り、
その諸情愛を通して前者に流れ入られ、彼らはその情愛の中にこの流入を認め、そこから知恵を得るのであり、
その後その知恵の中に彼等が考えるものはすべて彼等自身から発しているかのように見え、
かくて彼等自身のものとして見え、このようにして相互的な結合が確立されるのである、と。
50本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 16:14:09 ID:AEJCTKBF0
主の神的摂理は人類から発する天界を作ることをその目的としているゆえ、以下のことが生まれる。
すなわちその目的は人類の主ご自身との結合であり、さらにその目的は人間がますます密接に主と結合することである。
なぜなら人間はこのようにして天界を自分の中にさらに内的に持つからである。
さらにその目的は人間はこの結合によりさらに賢明になることである。
彼はかくて更に幸福になる。
なぜなら人間は自分の中に天界を得、かくてまた幸福を得るのは知恵を得ることから発し、またその知恵を得ることに順応しているからである。
最後にその目的は人間はますます明白に人間自身のものであるように人間自身に見えるがしかも自分は主のものであることをますます明らかに認めるということである。
これらのものはすべて主の神的摂理の目的である、なぜならその目的とする天界をこれらのものが構成しているからである。


*以上のレジュメ。

【1】天界は主との結合である。
【2】創造により人間は主とまずます密接に結合することができる。
【3】人間は主と密接に結合するに応じて賢くなる。
【4】人間は主と密接に結合するに応じて幸福になる。
【5】人間は主と密接に結合するに応じてますます明らかに自分は自分のものであるように自分には思われ、また自分は主のものであることをますます明白に認める。
51本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 19:20:24 ID:o4E7ScSB0
【1】〜【5】
私達はここにスウェーデンボルグ(以下、SWと省略)の独自の所説をみることができます。
ただし、難解なため若干の私見を加えておきます。

(1)創造について。

創造とは天地の創造ではなく人間の創造である点。
「創世記」に記される天地創造の7日のプロセスは人間が、どのようにして人間となるかについて示されています。
人間に理性が芽生え善悪を知るようになると、やがて人間の内部の霊性は青草のように育ち、自由な動物となり、人間が人間となるプロセスのことです。

(2)善と真理の結合について。

愛と知恵の結合と言い換えることができます。。
太陽にたとえると熱と光のような関係といわれます。
真理はあっても愛のがなければ作物を育てない冬の光のようなもの。
熱はあっても光がなければ明らかに見えず、ともに誤謬へと落ち込むことになります。
生命はこの善と真理の結合により、成り立ちます。
私達は真理を知るのみではなく、情愛により導かれ、行って初めて善の流入を受け、生命のものとなります。(体得されます。)
死後、明らかになるのは生命となった真理であり、それが各個人の愛であり、本当の姿であることを知ることができます。
またそれは、自らの努力として行われつつも、真理は主
(神人イエスキリスト。または一神教的な哲理と捉えてもよいかも知れません。それはSWにおいて目に見えるイエスキリストなのですが。)
の全的な恩寵であることを示しています。

*それはモーセの十戒「汝、盗むなかれ」の内意でもあります。

*善と真理のテーマは聖書の「エソウとヤコブ」の出生時の話、長子権の争いに比喩的に示されています。
52本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 19:21:27 ID:o4E7ScSB0
(3)三段階の度について。

自然的状態、霊的状態、天的状態。
三段階の度は明確に区別されていて、まったく異なる状態とされます。
またこの度には二種類のものがあり、上昇の度(高さに当たる)、広がりの度(広さに当たる)があります。

私達は肉体を持っている限り自然的状態の中に生きています。
霊的状態について、まして天的状態については普通の人はうかがい知ることができません。
ただ、霊的善や霊的真理は私達が日常の中でわずかに感じることができるものとされます。

三段階の度は連続的なつながりはなく、相応によって連結している点。
相応はSWのキーワードの一つです。
聖書のほぼすべてはこの相応により記されています。
相応とは、火と熱い、氷と冷たいという観念の対応に似ていて、それ自体連続性はなく密接に関連した事柄です。
成績が高い、モチベーションが低いなど。
これも相応の一つで、事柄の質を計るために私達が感覚的に高さを用いている例です。
東西南北、朝、昼、夕、夜もそれぞれ生命の状態を相応によって記しています。
53本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 19:25:49 ID:o4E7ScSB0
以上の点を踏まえてさらに続けます。

54本当にあった怖い名無し:2009/10/11(日) 20:57:38 ID:d+rdniSS0
    _, ,_ 
  :.( ‘ -‘):.  
   :.レV):.  
    :.<<:.
55本当にあった怖い名無し:2009/10/12(月) 01:20:25 ID:efKzyxKj0
こどもだからよめません
56本当にあった怖い名無し:2009/10/12(月) 09:44:35 ID:ccLKMdaV0
誰に向けて何を続けたいのかわかりませんが…

細かく載せるより何を説明したいのか、ご自分でわかってからスレ立て直した方がよろしいかと。
57本当にあった怖い名無し:2009/10/12(月) 20:58:46 ID:ab3Cc7Wp0
    ,、_,、
   <iェj_>
    (uu)ェっ
58本当にあった怖い名無し:2009/10/13(火) 01:24:28 ID:ESSjSZIrP
どうせスゥェデンボルグについて書くなら、みんなが興味を惹く
内容のほうがいい気がする。難しすぎると退屈この上ない。

_______________

この世の不幸は悪業の仕業

争い、病気、不幸や不運、それに犯罪や自殺など、この世の凶事の多くは
悪霊のなせる業だと言っていい。悪霊はみな、地獄とつながっている霊たちで、
彼らは人間が気づかないやり方で、人間をそそのかし、不幸をもたらす。
だが同時に、善霊は人間を守ってくれている。

しかし、現実にこの世に生きる私たちは、悪霊を恐れ関心を持たざるを得ない。
私は、30年にわたる霊とのつき合いの中で、たくさんの悪霊たちともつき合ってきた。
正確に言えば、彼らが私を苦しめようとして“からんできた”のだ。

そこで、私が見てきた悪霊の本質を述べてから話を進めよう。
悪霊は、善とは何かを理解している。しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。
なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。

彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、
霊になっても浄化しきれていない霊がある。

その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
5958の続き:2009/10/13(火) 01:28:43 ID:ESSjSZIrP
彼らの中では善悪が逆転している。
このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。
人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、
それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。
このような本質を持つ悪霊の本性は、さまざまな不幸を人間にもたらして、
人間を破壊することにある。この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと
同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。

なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、
復讐の悪霊というべきタイプである。 この世の人間に対して復讐の念を
燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりする
のは許されていない。それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり
積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。

彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。彼らに見舞われた人間は
不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、
対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは
満足しない。その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。

彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして
近づいてくる。私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと
知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに
傷つけ合うことはないのだという。
6059の続き:2009/10/13(火) 01:33:22 ID:ESSjSZIrP
∧_∧
  ( ・ω・)  さてと、、、よっこら
  ( つ旦O
  と_)_)
             ∧_∧
            /     |
          /    ・ω・)  しょっと
          /       /
         /   ,    /
        / l  ;'   / :| おやすみニダ
        | |  |   /|  |
        / | / ,:'"   'i |
       /  | |/     | |
     /   | |`;、    | |
      l   /| |  l   | |
     |   | | |  |   | |
     |  / | |  |   | |
     l  /  刈  l   刈
     / /    〉 〉
    / /    / /
    | |      | |
    |.|     |.|
    |. |      |. |
    L>    L>     旦..

61本当にあった怖い名無し:2009/10/17(土) 22:27:14 ID:40w2saRYO
続きキボンヌ
62本当にあった怖い名無し:2009/10/17(土) 22:40:43 ID:emV4NW/o0
スウェーデンのビヨン・ボルグ?
63本当にあった怖い名無し:2009/10/17(土) 22:47:29 ID:SEw2zSnKO
なんか、ここまで来るの疲れた…
64本当にあった怖い名無し:2009/10/17(土) 22:47:56 ID:Hp8/ie76O
つむじ
6560の続き:2009/10/18(日) 00:45:47 ID:y/hdPg9PP
人間を騙す悪霊のテクニック

悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが
見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、
美しいビジョンを見せて人間を誘う。私の体験から2つほど紹介しよう。
ある朝、私は眠りから覚めると、極めて静かで平和な気分になっていた。
それは、天国の霊がやって来るときに感じる気分と同じで、私はてっきり
そうだと思った。

湯加減のちょうどいい湯にゆったりつかっているような気分だった。
いま考えると、あれが悪霊の誘惑の手だったことはわかるが、そのころは
霊界の体験もそれほど深くなかったので、それがわからなかった。
その朝の気分は確かに天国的な気分ではあったが、それは比較的外面的な
甘美さ、つまり物質的な甘美さだった。これに比べ、本当の天国的な喜びは、
もっと内面的なものである。

したがって、ずっと長く続くものなのだ。この朝の気分は長くは続かなかった。
このような偽物の天国的気分と本物とを見分けることは、普通の人にはできにくい。
そういういい気分にさせたあとで、悪霊は人間が気づかないうちに、さまざまな
凶事や不幸に陥れるのだ。

悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に
おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、
逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。

彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。
彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
66続き:2009/10/18(日) 00:53:10 ID:y/hdPg9PP
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを
自由自在に行なうことである。彼らは、あることないことをまことしやかに
でっち上げ、それを真実らしく語る。
私があるとき出会った悪霊は、自分の知識を誇って私を圧倒し、敬服させる
ために、土星の住人についてとうとうと語った。彼によれば、土星の人間は
地球の人類よりもずっと体は小さいが、いい性格を持った人間なのだそうだ。

彼らは演技力によって人をたぶらかす。たとえば、悪霊と話しているうちに、
人間がこんなことを言ったとしよう。「あなたはもしかして、死んだ友人のAではないのか」
彼らのどこかに、自分の知り合いだった人物と似たところを感じたりすることは多い。
そこで人間の方は、うっかりこのようなことを言う。こうなると、もう完全に
彼の手の内に陥ってしまう。

彼は、友人のAのふりをしたほうが好都合だと見れば、Aの声や話しぶりまで真似て話す。
人間のほうは、これですっかり騙され、彼の言うことはなんでも信じてしまうことになる。
友人Aのことを知らない悪霊に、どうしてAの真似ができるのかと疑問に思うかもしれない。
しかし、彼らの能力は人間の能力をはるかに超えたものなのだ。

彼らの演技力は、まさに超能力なので、その程度のことはいつでもできる。
ある時はAに、あるときはB、C、D‥‥にと、その時の都合に応じて、
どんな人間をも装うことができるのだ。

いまの土星の話とか、死んだ友人のように振る舞うといった程度では、
自分は騙されないと思うかも知れない。確かに、普通ならそんな荒唐無稽な
話や演技には騙されないだろう。

しかし、それはあくまで私たちが平静な精神状態にいるときの話だ。
まず悪霊は、天国的なビジョンを見せたりして人間の心の平静さを失わせる。
そのうえで騙しにかかるのだ。こうなれば普通の人間はひとたまりもない。

67本当にあった怖い名無し:2009/10/18(日) 22:41:51 ID:EIPdNP3DO
なる程、悪霊は息するように嘘をつくのか
6866の続き:2009/10/18(日) 23:03:41 ID:y/hdPg9PP
よってらっしゃい みてらっしっしゃい 食べてらっしゃい 
御代は要らない 食い放題だお

  /⌒ヽ     |;;lヽ::/                    ∧_∧   /__ o、 |、
 ( ^ω^)∫. .|;;|:::|~                    ( ´・ω・)ノ .ii | ・ \ノ
 (  つc□  i===i=i c□c□c□    ...旦只旦旦( o     旦| ・  |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|   コーヒーの方はこちらへ    |  |     お茶の方はこちらへ     .|

 ∧ ∧   
 ( ´・ω・)
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、    ,.-、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け 焼たらこ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鶏ごぼう   野沢菜 天むす ツナマヨ エビマヨ  鮭マヨ  具なし

6968の続き:2009/10/18(日) 23:05:09 ID:y/hdPg9PP
この世とあの世は

十円玉の裏と表
70本当にあった怖い名無し:2009/10/18(日) 23:36:04 ID:Owpy5U7w0
>>69
両方合わせてもその程度の価値と言うことか。
71本当にあった怖い名無し:2009/10/18(日) 23:50:50 ID:/hT8mdUM0
おぉ!「不可知の雲」の作者をここで見るとは!
感動したついでに支援あげ!
良スレになる予感。スレ主に期待しているからね♪
72名無しちゃん:2009/10/18(日) 23:51:29 ID:ZpTLkJr+O
以前、スェーデン・ボルグ氏の(霊界の書)読んだことあるが、個人的ではあるがかなりまともな内容だと思った。(チベット死者の書)も良いが、ファンタジー色強ですね。ちなみにスェーデン氏の肖像だが、いい顔してるなと感じました。
73本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 14:31:59 ID:EVlbuhIT0
ほすしながら支援あげ

74本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 14:38:44 ID:ovz8iMGQO
1が何したいかわからん?
内容を書き連ねたいだけ?
そんなの、興味あれば本読むよね。
75本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 14:42:26 ID:kn9rIy/1O
>>74
たぶん目が見えないひとのためにやってるんだよ
76本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 14:46:47 ID:ovz8iMGQO
>>75 なるほどね。ありがとう!
7768:2009/10/20(火) 15:16:54 ID:nAJ3fDfbP
自分は>>58からで、>>1ではないのですが
途中から楽しい流れになればとおもい参加しました。
ご批判もあるようなので、おりることにします。
78本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 15:21:02 ID:ovz8iMGQO
>>77 楽しくやってるなら、続ければいいじゃん。
自分的には、ここで新しく得るものはないけどね〜
79本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 15:23:42 ID:nAJ3fDfbP
>>78
じゃ、なんでレスしてんだ?
80本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 15:27:08 ID:nAJ3fDfbP
おまいもなんかスエデンボルグについてかけ


81本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 15:27:35 ID:ovz8iMGQO
>>79 暇だから
82本当にあった怖い名無し:2009/10/20(火) 16:13:35 ID:EVlbuhIT0
本読むって、買わなきゃよめない。
2chしながら読めるんだから、こんないいことないじゃないか。
83本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 17:16:04 ID:1oKOCXut0
>>56>>58
ここはワシがSWを学ぶためのスレ
だからワシのすきなように書くのだ。

さてそろそろ始めるとするか・・。
84本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 17:17:56 ID:W49FXEauO
タイムトラベラーというのは本当なんだろうか? 若返りの薬を飲んだのではないのか?
85本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 17:31:12 ID:1oKOCXut0
[1]奇跡としるしとは強制するため、何人もそれによっては改良されない。
[2]幻と死人との会話とは強制するため、何人もそれによっては改良されない。
[3]威嚇と刑罰とは強制するためそれによっては改良されない。
[4]何人も合理性と自主性を欠いた状態では改良されない。
[5]自分自身を強制することは合理性と自主性に反しない。
[6]外なる人は内なる人により改良されねばならず、その反対が為されてはならない
86本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 17:36:54 ID:rtAvMvwYO
>>84
セツ子、それはスウェーデンボルグやない
サンジェルマン伯爵や
87本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 17:54:47 ID:1oKOCXut0
[1]奇跡としるしとは強制するため、何人もそれによっては改良されない。

奇跡が信仰を生み、奇跡をなす者により語られ、教えられたことは真であると力強く人間に説きつけ、そのすべては最初ある意味で人間の外なる思考を征服し魅了するほどにも、それを捉えることは否定することはできない。
しかし、人間はそのためその合理性と自主性の2つの能力を奪われ、それゆえ単に奇跡により彼の信仰箇条となったものを彼にその合理性により確認させられるに過ぎない。
(中略)

奇跡から生まれた信仰は信仰ではなく、単なる説得に過ぎないことはここから明白であるに相違ない。
なぜならその中には合理的なものはなく、まして霊的なものは全くないからである。
なぜならそれは単に内なるもののない外なるものに過ぎないから。

すなわち世から注入はするが、天界からは注入しないに反し、主はただ内なる道によってのみ、すなわち、聖言により、それに基礎付けられた教義と説教により入れられるからであり、奇跡はこの道を閉じるため、現在奇跡は行われないのである。†

**
奇跡の性質について
奇跡の行われない理由
流入は内側から
88本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 18:14:37 ID:1oKOCXut0
[2]幻と死人との会話とは強制するため、何人もそれによっては改良されない。

幻には2種類あり、1は神的なものであり、他は悪魔的なものである。

(中略、エゼキエル、ダニエルについての引用)

このような幻は現在見られない。
なぜならそれらは表象的な光景であって、その中の全てのものは教会の内的なものと天界のアルカナを意味しているため、たとえ見られたにしても理解されないからである。
さらにそれらは主が世にこられるとき止むであろうとダニエルにより予言されている。

(中略)

しかし主の許しにより語るものは、人間の理性の自由を取り去ることは決して語らないし、また人間に教えもしない、なぜなら主のみが人間に教えられるからであるが、しかしそれは人間が明るくされている状態にいる間に、聖言を通して間接的に教えられるのである。†

(中略)
89本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 18:15:19 ID:1oKOCXut0
私はいまや数年間霊たちと天使達と語り合っているが、いかなる霊も聖言のいかなる事柄についても、または聖言から引き出されるいかなる教義についてもあえて私に語ろうとはせず、まして教えようとはせず、
またいかなる天使もそのようなことは欲しなかったのであり、主のみが私に教えられたのである。


**
幻は現在行われない理由
主の交流方法について
主のみが聖書を通して教える点
90本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 18:34:52 ID:1oKOCXut0
[3]威嚇と刑罰とは強制するためそれによっては改良されない。

@外なるものは内なるものを強制することはできないが、内なるものは外なるものを強制することができる。
A内なるものは外なるものにより強制を起り、そこから遠ざかる。
B内なる心は外なる歓喜に誘われてそれを許し愛する
C強いられた内なるものと自由な内なるものがある。


これは内なるものは自由にいることを望み、自由を愛するからである。
なぜなら自由は前述したように人間の愛、または生命に属しているから。
それゆえ自由はそれ自身が強制されるのを感じると、いわば自分自身の中に退き、遠ざかり、強制をその敵として認める。
なぜなら人間の生命の愛は苛立ち、その愛はそうした境遇のもとではその人間に自分が自分のものではなく、したがって自分は自分で生きていないと感じさせるからである。
人間の内なる心はこうした性質を持つことが、すなわち人間は理性に従って自由に行動しなくてはならないことが主の神的摂理の法則である。†
それゆえ威嚇と刑罰により礼拝するように強いることは明らかに有害である。


**
内なる礼拝は理性に従って自由に行動することから生まれる点

91本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 18:53:28 ID:1oKOCXut0
[4]何人も合理性と自主性を欠いた状態では改良されない。

合理性と自主性を奪う4つの状態
@恐怖の状態
A不幸の状態
B身体が病んでいる状態
C知的な盲目の状態

何人も「不幸な状態」では、ただそのときのみ神を考えて、その助けを祈念するなら、
改良されない。
それはそのとき彼は強制された状態にいるため、自由を得ると、神についてはほとんどまたは
さも考えなかった以前の状態に買えるからである。
が、前の自由の状態で神を恐れた者は異なっている。
神を恐れることにより神を怒らせる恐れ、すなわち罪により神を怒らせる恐れが意味されるが、
それは恐れではなく愛である。†

92本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 18:58:45 ID:1oKOCXut0
さて、寝るとするか。
93霊界探求者:2009/10/23(金) 21:27:08 ID:GKozNdkJ0
へえ、スウェーデンボルグ・スレとはね。しらんかった。
主にスウェーデンボルグの哲学についてやりとりしてんのかな?

94本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 23:00:36 ID:JueKqt3QO
スウェデンボルグの話を聞いて思うんだが
アセンションって胡散臭いんだよ
安易に奇跡に頼ろうとしたり瞑想だの時間の加速だの次元上昇だの
そんなものが大事なのか?
これこそが偽りの善、悪魔の誘惑じゃないか?
95霊界探求者:2009/10/23(金) 23:02:04 ID:GKozNdkJ0
スウェーデンボルグにアセンションなんて登場したっけ?
96本当にあった怖い名無し:2009/10/23(金) 23:07:50 ID:JueKqt3QO
>>95
そういう意味で言ったんじゃなくて
俺はスウェデン派だから、それに対極(?)にあるアセンションに疑問を感じて言ったわけよ
97霊界探求者:2009/10/23(金) 23:09:06 ID:GKozNdkJ0
>>96
そう言う意味ね。了解。
98霊界探求者:2009/10/23(金) 23:23:41 ID:GKozNdkJ0
まあ、ただキリスト教徒は「昇天」というものを待ちわびてるけどね。
死後に魂が天国に行くこと(或いは神の側に行くこと)を望んでる。
これも昇天。ascend to heaven.
次元上昇とかSFトンデモ系の単語以前に、魂の救いってもんが、
アセンションという単語の根底にはあるんだよねえ。

スウェーデンボルグは、そういうキリスト教的天国像に大胆な修正を加えた。
よくぞまあ、この人は教会を破門されなかったな、と思うわ。
その霊界思想の中には、異端である生まれ変わりが存在してるんだから。
時代を先取りというか、なんというかw
まあ、本人の死後、スウェーデンボルグの神学として独立して存在していくことになるんだが。
99霊界探求者:2009/10/24(土) 11:25:29 ID:32D5ZoZJ0
ちょっとした、豆

丹波哲郎の大霊界シリーズ。
この世界観はボルグの見た霊界がベース。
霊界の太陽の記述とか、山脈が割れてどーんとか。
というか、そのまんまだったな。
丹波さん、クリスチャンだったのか?w
100本当にあった怖い名無し:2009/10/24(土) 13:34:01 ID:raL2Y6VL0
[5]自分自身を強制することは合理性と自主性に反しない。

人間がその外なる思考を強制して、仁慈の善である彼の情愛の歓喜に服従させ、あるいはそれを受けさせるときは、自分自身を強制することが明白である。†
明らかにこれは合理性と自主性に反しないで、それに順応している、なぜなら合理性がその争闘を生み、自主性がそれを続けさせるからである。
(省略)
人間が霊的な奴隷状態から脱出して霊的な自由に入ることを欲しない理由
@霊的な奴隷状態と自由について知らないため
Aキリスト教世界の宗教が理解を締め出し、信仰のみの教義がそれを密閉してしまったため
B自分自身を点検し自分の罪を認める者は僅かしかいないため
(省略)
(罪の自由にいることは)自由そのものである天界的自由を見ることは、暗闇にいるのに日光を黒雲の下にいるのに太陽の光を見ようと試みるのに等しいということである。

**
罪の自由にいる人間には霊的自由は感じられないこと
価値観、視野の違い。
天使は地獄に行けるのに
地獄にいる人は天国にいけない
101本当にあった怖い名無し:2009/10/24(土) 13:35:42 ID:raL2Y6VL0
[6]外なる人は内なる人により改良されねばならず、その反対が為されてはならない

視覚と聴覚とは思考に流れ入り、嗅覚と味覚とは認識に流れ入り、かくて外なるものは内なるものに流れ入るという信念が生まれているが、事実はその反対なのである。
見られたり、聞かれたりするものが思考に流れ入ると想像することは誤りである。
なぜなら眼で見、耳で聞くものは理解であって、その反対は行われないからである。†
(省略)
悪は地獄的なものであるゆえ、内なる人の欲しない悪から外なる人が遠ざかるとき
さらに外なる人がそうした理由から悪を避け、これと戦うとき、外なる人は内なる人により改良される。
この場合意志するのは内なる人であって、為すのは外なる人である、なぜなら人間はその為そうとすることを為さない限り、心の中には一種の嫌悪があり、ついには彼は欲しなくなるからである。
(省略、福音の引用、ペテロ)

**
外なるものが意志を決定するのではなく内なるものが外なるものを手段として利用する
霊とは意図そのもの
意図そのものは主により改良される
内なる人と外なる人の共同
102本当にあった怖い名無し:2009/10/24(土) 21:17:57 ID:kG2J2oH6O
神様は自分に近い思想を持った存在を探しているのかねえ
それがこの世界の正体なのかも
103本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 00:14:26 ID:vCND/7oJ0
スウェデンボルグの他の惑星や、他の恒星の霊界の見聞録がある。
「惑星の霊界探訪期」高橋和夫訳

地球の天使が同行して、情報を制限されて開示されているが、
それを考慮しても興味深いのは、地球外の人間たちは、
文字を持たないで、多くは原始的で素朴な信仰と生活を送っている
ということだ。
どうやら我々地球人には特別な役割と特徴があるらしい。

太陽系の他の惑星に人間がいるのは、
探査機がとんでいる現代では否定されているが、
霊界を認めるなら、多次元構造の物理宇宙も可能性としては
想定してもいいのかもしれない。そういう次元のずれた物理的
実体に他の地球の人間がいるのである。

太陽系のみならず、宇宙の恒星のすべてに人間がいる
というのは、大変壮大な話だが、理由も明確にされている。
各星の住人は、天界を構成する巨人において、
細かい役割を果しているという。人間が60兆の細胞で構成されている
ように、各星の住人の役割があるということだろう。

この情報を元にアセンションという情報を解析すると、
もっと面白いものが見えてくる。
http://blog.goo.ne.jp/flatheat
104本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 00:38:49 ID:vCND/7oJ0
スウェデンボルグの地球外の人間についてのレポートで、
彼らが一般に文字、文化を持たないということについて、
文字と文明を持つ地球人を優位に見せたいだけの、
西洋人的な優越感が前面にでている創作だとすることもできる。

しかし、このレポートでは人間が文字を持つ必要性を否定している。
むしろ原初の生活を送る地球外人間の方が、幸福であり、
死後も天界にすみやかに入れると分析している。
むしろ、便利だが罪に満ちている現代社会に生きる
我々に絶望をつきつけているようだ。

魂は死んで霊界に入ると、コンピューター顔負けの記憶力と、
情報分析力を持つので、地球外の霊界では文字の必要性がない
ということがある。
では、我々人類が持つ文字とその文明、
文明がもたらした国家、法律、科学とは
一体なんだったんだろう。

そこでアセンション関係の情報だが、
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/d/20091014
地球の皆さんは宇宙の多様な生命体にとって教師・指導者・ガイドであるのです。
You are to be teachers, mentors, and guides to these many, diverse populations.

私たちの銀河系は互いに引き寄せあっている何千という星団の一つであり、
これから互いに成長を援助して道をふさぐものを創造的に解除していくために
ここに出会っているのです。それがこれまで私たちのしてきたことなのです。
地球の皆さんが内側に秘めている能力は、これから銀河連邦の直面する
大きな試練を克服することに貢献していくでしょう。
You have within you many capabilities that can allow you to help solve
some major challenges that the Galactic Federation faces in the future.

スウェデンボルグの世界観に近い。これに基づくネタという線もあるが・・・
105本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 01:11:02 ID:vCND/7oJ0
宇宙に存在する大多数の人類の世界においては、
文字もなく国家もなく、科学技術も持たず、
ほとんど家族だけで生活し、競争がなく戦争も犯罪も少ない
概して飢えもなく素朴だが理想的なものであると、
スウェデンボルグは報告している。

ある人達にとっては、自殺してでもこういった世界に生まれ変わりたいと、
願うような純粋な幸福の約束されている世界ばかりだ。
そういうのが宇宙人の世界の大部分を占めている。

そういう宇宙観に基づいて、我々がなぜ文字を持ち、
知恵の木の実を食して、法律を作り科学を発達させ、
様々な困難を経験して、今ここに世界的共存共栄を、
やっとのことで築かなければならなかったのか?
ということの答えが得られるかもしれない。

そして聖書とキリストが予言する終末と、人類の画期的進化。
最近のニューエイジ思想や宇宙人からのメッセージとして
述べられる情報の数々。
これらを総合すると、我々人類には特別な役割があって、
困難の中を何万年も生き抜いて、今ようやく
完成の域にあるということなのかもしれない。

そして銀河系規模の戦略的な人類育成計画も、
その目的がハッキリしてくる。
詳細はその時にならなければわからないだろうけれども、
その時は近いのかもしれない。
106本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 15:02:45 ID:wV3VxijE0
人間は理性に従って自由に行動するために、未来の出来事を知ることもまた許されていない。
なぜなら人間はすべてその愛するものを生み出そうと欲し、その目的を理性を用いて獲得することはよく知れており、また人間がその心で思い巡らす者はすべて、彼の愛から発し、思考により実行されることはよく知られているから。
それ故もし彼が神的な予言から結果または出来事を予見するなら、その理性は眠り、理性と共に愛も眠るであろう。†

**
予言の性格
107本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 15:04:18 ID:wV3VxijE0
人間はその外なる情愛の歓喜がある身体的な感覚の歓喜と結合するとき、実際それを反省することができるが、それでも、この身体的な感覚の歓喜は彼の思考の中の情愛の歓喜から発していることを悟らない。
明らかに人間の思考を支配するものはこれらの歓喜であり、思考は歓喜を離れては存在しない。
(省略、スケベの例え)
しかも思考は思考以外の何ものではないように彼に見えるが、事実は思考は情愛が光の中に示されるようにその情愛が彼の生命の愛により形に構成されたもの以外の何ものでもないのである。
なぜなら情愛はすべて熱の中にあり、思考は光の中にあるから。
(省略)
しかし外なる思考の情愛を発生させる内なる思考の情愛は決してそれ自身を人間に明らかに示さない。†
車中に眠っているものがその旅している道を知らず、また人が地球の回転を知覚しないように彼はその情愛を知らないのである。


**
外なる思考の情愛を発生させる内なる思考の情愛は人間に知覚されない
108本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 15:06:50 ID:wV3VxijE0
(知覚されない無数の活動を踏まえた上で)それゆえ、人は全て死後永遠に生き、その生活に従って天界か地獄かその何れかに場所を割り当てられるため天界と地獄とは前述したように、一人として活動する形をもって存在しなければならぬため、
そして何人もその形の中に自分自身の場所以外の場所は割り当てられることはできないため、全世界くまなく人類は主の導きの下にあり†、人は各々、幼児時代からその生命の終わりまでも、
その最も微細な点についても、主により、導かれ、その最後の住居も先見され、備えられていることが推論される。

**
宗教の区別なく人類がくまなく主の導きの下にある点
109本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 15:13:31 ID:wV3VxijE0
>>108
「一人として活動する形をもって存在しなければならぬため」
は後で説明します。
110霊界探求者:2009/10/25(日) 16:58:48 ID:pP+w/Q/g0
ふむ。
このスレは対話は意味を成さないようだな。
基本一人語りの独習形式のようだね。
興味深いから観てはいるが、今後は書き込まないようにするよ。
111本当にあった怖い名無し:2009/10/29(木) 20:08:38 ID:+ekmterLO
ほしゅ
112本当にあった怖い名無し:2009/10/31(土) 17:09:29 ID:05h7r1nRO
ごめんなさい。
スレ主です
アクセス規制かかってしまって当分投稿できません。
ご自由に議論して下さい。
私は忘れてた頃に再び流します。

113本当にあった怖い名無し:2009/11/02(月) 10:19:12 ID:dzr6w/vpP
スウェデンボルグは生涯独身を貫いたと云われているね。
なぜなら、人妻を愛し続けていたから。

最近、続々と報道が流れてくる
連続殺人の女の事件。あれはセイレンについての記述を思い起こされる。
114本当にあった怖い名無し:2009/11/03(火) 23:30:29 ID:DAnau3uv0
スウェーデンボルグの本で翻訳が一番忠実なのはどれですか?
115本当にあった怖い名無し:2009/11/06(金) 03:56:04 ID:x2ni1Bu70
>>58
これ刑務所、小学校で教えてほしい。
116本当にあった怖い名無し:2009/11/07(土) 23:14:36 ID:Ct7+wBQcO
スウェデンボルグが本当に霊界を見てきたかどうかは分からないが
彼の言うこと自体は理にかなっている
117本当にあった怖い名無し:2009/11/07(土) 23:27:50 ID:R3kcIiD00
>>116
> スウェデンボルグが本当に霊界を見てきたかどうかは分からないが

この類のスレでそれを言うと荒れるから今後慎むようにね。
118本当にあった怖い名無し:2009/11/07(土) 23:31:27 ID:Ct7+wBQcO
反応早っ!
119本当にあった怖い名無し:2009/11/08(日) 05:45:08 ID:LF4vOytH0
>>115
プリントして子供に渡したよ。
120本当にあった怖い名無し:2009/11/12(木) 03:36:00 ID:qChxhc/L0
>>119
お子さん何か感想言ってましたか?
121本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 03:50:41 ID:DC3B+I820
ヘレン・ケラーが私淑していたと何かで読んだな。
122本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 13:09:31 ID:5Pd1cHMF0
>>119
メンヘラな親を持つと子供がかわいそう・・・(´・ω・)
オーム信者の子供を思い出したよ
123本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 18:22:41 ID:iRtGKvt90
てすと
124本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 18:33:41 ID:iRtGKvt90
出口王仁三郎に興味深い記述を見つけたので引用します。
「霊の礎」あいぜん出版より
**
天国の全体はひつとの巨人に譬うべきものである。
ゆえに甲の天国団体はその頭部にまたは頭部のある局所にあるようなもので、
乙天国の団体は胸部にまた胸部のある局所にある。
丙天国の団体は腰部または腰部のある局所にあるごときものである。
ゆえに最上天国すなわち第一天国は頭部より首に至るまでを占め、
中間すなわち第二天国は胸部より腰および膝の間を占め、
最下すなわち第三天国は胸部より脚底と肘より指頭の間を占めているようなものである。
125本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 18:35:43 ID:0EzRV8MnO
>>122同意

てかね、自分で真実を見つけて意味が生まれんだよ。
教科書なら良い。
親はダメだ。
126本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 18:43:25 ID:iRtGKvt90
第一天国たる最高最勝の位置を占めたる天国の転任の姿は、実に花のごとく、黄金のごとく、
瑠璃光のごとく、かつ金剛石の幾十倍とも知れないような、肌の色を保っておる天人ばかりである。
そしてたいていは有色人種、ことに黄色人種が多く、白色人種はその数においてはよほど少数である。
これを第二、第三の天国の住人より仰ぎ見るときは、ただ単に人間の像が強力なる光輝を放射しているようで、
充分に見分くることが出来ない。
また第二、第三の天国には白色人種も多数に住み、有色人種も多数に住居している。
そして白色人種は白色人種で団体をつくり、ここに集合し、有色人種は比較的に少ないようである。
127本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 18:50:29 ID:iRtGKvt90
また天国の団体にある天人は、いずれも男子なれば現界人の三十才前後、女子なれば二十才前後の若い姿である。
このゆえは現界人の肉体は物質界の法則によって、年々に老衰して頭に白雪を頂き、身体に皺の寄るものであるが、
人間の霊魂や情動は不老不死であって、どこまでも変わらないものだから、精霊界の天人は年が寄っても、姿は変じない。
ゆえに、現界において八九十才にて死んだ人間も、聖霊界の天国へ復活した後は、その強壮な霊魂のままでおるのだから、決して老衰するということはない。
天人にも五衰という説があるが、それは決して天人のことではない。
128本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 18:58:34 ID:iRtGKvt90
人間はいかにして肉体を脱離し、精霊界にいるかというに、この時の人間は睡眠にもおらず、覚醒にもあらざる一種異様の状態におるものであって、
この状態にあるときは、その人間はただ自分は充分に覚醒しておるものとのみ思うておるものである。
しかして、この際における諸々の感覚は醒々として、あたかも肉体の最も覚醒せる時に少しも変わりはないのである。
五官の感覚も、四肢五体の触覚も、特に精妙となることは、肉体覚醒時の諸感覚や触角のとうてい及ばざるところである。

・・
この状態を呼んで、霊界にでは肉体離脱の時といい、現界より見ては、これを死と称するのである。
129本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 19:05:34 ID:iRtGKvt90
精霊と呼吸および心臓の鼓動との間に内的交通なるものがある。
そは精霊の想念とは、呼吸と相通じ、その愛より来る情動は、心臓と通ずるゆえである。
それだから肺臓、心臓の活動が全く止む時こそ、霊と肉とがたちまち分離する時である。
肺臓の呼吸と心臓の鼓動とは、人間の本体たる精霊そのものをつなぐところの命脈であって、
この二つの官能を破壊する時は、精霊は忽ちおのれに帰り、独立し復活し得るのである。
・・
しかして人間の精霊すなわち本体は、肉体分離後といえども、なお少時はその体内に残り、
心臓の鼓動全く止むを待って、全部脱出するのである。
130本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 19:25:14 ID:YtFeT6DJ0
>>120
となりんちの子供だからな。
悪さばっかりする中学生。「読んどけよ」「うっせーバカヤロ」だよ。
ま、やんちゃだけどかわいいところもあるんだけどね。
131本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 19:25:36 ID:iRtGKvt90
死後、高天原に安住せんとして霊的生涯を送るということは、非常に難事と信ずるものがある。
世を捨て、その身肉に属せるいわゆる情欲なるものを、いっさい脱離せなくてはならないからだという人がある。
かくのごとき考えの人は、主として富貴よりはなれる世間的事物をしりぞけ、神、仏、救い、永遠の生命ということに関して、
絶えず敬虔な想念を凝らし祈願を励み、経典を読誦して功徳を積み、世を捨て肉を離れて霊に住めるものと思っておるのである。
しかるに天国はかくのごとくにして上り得るものではない。
世を捨て霊に住み肉を離れようと努むるものは、かえって一種悲哀の生涯を習得し、高天原の歓楽を摂受することは到底できるものではない。
なんとなれば、人は各自の生涯が死後にもなお留存するものなるがゆえである。
高天原に上りて歓楽の生涯を永遠に受けんと思わば、現世において世間的の業務をとりその職掌をつくし、道徳的民文的生涯を送り、かくして後はじめて霊的生涯を受けねばならぬのである。

132本当にあった怖い名無し:2009/11/15(日) 19:27:30 ID:iRtGKvt90
人間はこの世を去ればそれぎりと
 思える人の驚く霊界

出口王仁三郎
133本当にあった怖い名無し:2009/11/18(水) 02:53:58 ID:bH5PViuE0
>>130
そうでしたか。中高生って悪霊の虜になりやすそう。
憑いてたらスウェーデンボルグ素直に読まない、拒絶だろうな。
134本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:12:03 ID:UAkyTOPp0
スウェーデンボルグ「天界と地獄」静思社より
**
全天界は一人の人間を表象し、また最大の形を、最大の姿さえもとった神的な霊的な人間であるため、天界は人間の肢体、部分のように、肢体と部分とに分かれて、また人間と同じように呼ばれている。
天使達はある社会はどの肢体の部分の中に、また他の社会はどの中に在るかを知ってさえおり、この社会は頭の中に、または頭のある領域の中におり、
かの社会は胸の中に、または胸のある領域の中に、かの社会は腰の中に、または腰のある領域の中にいるなどと言っている。
全般的に、最高のまたは第三の天界は頭から首までを形作り、真中の、または第二の天界は胸から腰とひざまでを形作り、最低のまたは第一の天界は足から脚の裏までと、また腕と指までを形作っている、
腕と手とはまた、両側にあるけれども、人間の最低の、または最も外なる部分である。このことからもまた三つの天界のあることが明らかである。
**
全天界は人間を表象してる
天界は三つの天界から成り立っている
135本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:12:43 ID:UAkyTOPp0
その人間は眠りと目覚めた状態との中間の状態へ入れられ、この状態にいると、自分は完全に目覚めているとしか考えない、すなわち感覚のすべては身体が最高に目覚めている時のように目覚めており、
視覚も聴覚も実に驚くべきことには触覚さえも目覚めており、その知覚はその時は身体が目覚めている時の最高状態の時よりも精妙である。
こうした状態の中にまた霊たちと天使たちがそのあるがままに見られ、また聞かれ、驚くべきことは触られもしたのであって、その時は身体の何ものによっても妨げられはしなかったのである。
これが身体から引き出されて、自分が身体の中にいるのか、またはその外にいるのか、分からないといわれている状態である。
**
死後の精妙な感覚について
136本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:13:27 ID:UAkyTOPp0
人間の霊は、その分離した後は、身体の中にしばらくの間止まってはいるが、それは心臓の活動が全く停止するまでよりは長くなく、その停止は人間が死ぬ病気の条件に応じて変化している。
なぜなら人によって心臓の運動は長く続くこともあるし、または長くないこともあるから。
この運動が止むとすぐにその人間は復活するが、しかし、これは主のみによって行われる。
復活することにより、人間の霊を身体から引き出して、それを霊界に入れることが意味されており、そのことは普通蘇りと言われている。
心臓の運動が停止しないうちは人間の霊は身体から分離しない理由は、心臓は人間の生命そのものである愛の情愛に相応しており、
なぜなら愛から各人は生命の熱を持っているからである、
この連結が継続している限り、相応があり、そのことによって霊の生命が身体の中にあるということである。
**
心停止が本当の死であること
137本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:14:18 ID:UAkyTOPp0
彼が蘇ってからしばらくすると起るが、彼は世で持っていたものに似た顔と語調とを持っているが、その理由は、彼はそのとき外部の状態にいて、
内部はまだ顕わにされておらず、それが死後の人間の最初の状態であるということである。
しかし後にはその顔は変化して、全く異なったものになる。
それは、彼の心の内部が世で抱いていたところの、また彼の霊が身体のうちで抱いていたところの情愛、または支配的な愛に似たものとなるからである。
なぜなら人間の霊の顔はその身体の顔とは非常に相違しており、身体の顔は両親から来るが、霊の顔は彼の情愛から来て、
それを写し出しており、その情愛へ霊は、身体におけるその生命の後に、外部が除かれて内部が明らかにされる時入るからである。
これが人間の第二の状態である。
・・・
死後の人間の、またはその霊の第三の状態は教えを受ける状態である。
この状態は天界に入って天使となる者たちのためにあるが、地獄に入る者らのためにはない、・・・
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死後、人間は外部の状態、内部の状態、準備の状態へ入る。
138本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:15:03 ID:UAkyTOPp0
死後人間のもとに存続するものはその支配愛であって、これもまた永久に決して変化しない。
人間各々は多くの愛を持っているが、しかしその愛は彼の支配愛に関係していて、それと一つのものとなっており、または共に合してその支配愛を構成している。
その支配愛に一致している意思のあらゆる物は愛されているため、愛と呼ばれている。
これらの愛には内的なものもあり、外的なものもあり、あるものは直接に、あるものは間接に支配愛に関連し、
あるものは近くに、あるものは遠くにあり、またあるものは色々な方法で支配愛に仕えている。
それらはともに合していわば一つの王国を構成している。
なぜなら人間はそのことについては何事も知らないものの、それらは人間のもとにそうした秩序をとって存在しているからである。
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支配愛について
139本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:15:44 ID:UAkyTOPp0
そして天界の用はすべて共通の用に関係しているため、その共通の用とは、主の王国が彼らの国家であるため、その王国の善である。
また特殊な個々の用は、それらがその共通の善をさらに近くまた、さらに完全に求めているに応じて益々卓越したものとなっているため、
この無数の特殊な個々の用は全て善であり、また天界的なものである。
それゆえ各々の者のもとでは真理に対する情愛は用に対する情愛と連結して、
その二つは一つのものとなっており、この方法によって真理は用の中に植え付けられ、かくて彼等の学ぶ真理は用の真理である。
このようにして天使的な霊たちは教えられて、天界に入る準備をする。
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準備の段階で学ぶこと
140本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:16:42 ID:UAkyTOPp0
用を目標とした真理に対する情愛は色々な方法により注ぎ入れられているが、その方法の大半は世では知られていない。
それは主として用を表象したものにより注ぎ入れられているが、その表象は霊界では無数の方法で示され、
またその霊にその心の内部からその身体の外部までも染み入って、全体に感動を与えるほどの歓喜と快楽とをもって示されている。
かくてその霊はいわばその霊自身の用の化身となり、それで彼は教えを受けた後で自分自身の社会へ入ると、自分自身の用を遂行して自分自身の生命を楽しむのである。
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準備の段階を終えると天使になる
141本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:17:48 ID:UAkyTOPp0
霊的な生活と呼ばれているところの天界に入る生活を送ることは困難であると信じている者たちがいる。
なぜなら彼等は人間は世を捨て身体と肉との欲と呼ばれている欲を自分から絶って、霊的に生きなくてはならないと告げられているからである。
そしてそのことによって彼等は、主として富と名誉から成り立った世の物を斥けなくてはならない、神について、救いについて、永遠の生命について、
絶えず敬虔に瞑想しつつ歩かなくてはならない、祈りの中に、また聖言と敬虔な書物を読んで生涯を送らなくてはならないと考えている。
142本当にあった怖い名無し:2009/11/19(木) 23:18:51 ID:UAkyTOPp0
これが世を捨てて、霊に生き、肉に生きないことであると彼等は考えている。
しかし。私は多くの経験により、また天使たちと語り合ったことから、それは全くそうしたものではなくて、
実際このように世を捨て霊に生きる者は、もの悲しい生命を身につけて、その生命は天界の喜びを受け入れないことを知ったのである。
なぜなら各々の者の生命ははそのもとに残るからである。
しかし人間は天界の生命を受けるためには、ぜひ世に住んで業務と職業とに従事し、かくして道徳的な社会的な生活によって霊的生活を受けなくてはならない。
**
道徳的生活と霊的生活を受けなくては天界に入れない
偏った宗教心は邪魔になる点
143本当にあった怖い名無し:2009/11/26(木) 18:34:25 ID:Rwvzs3Gl0
ほしゅ
144本当にあった怖い名無し:2009/12/02(水) 01:09:58 ID:Tg93jgT5O
ほしゅ
145本当にあった怖い名無し:2009/12/02(水) 03:21:07 ID:4kmyWP0sO
私あきちゃった。
まだやるの?
146本当にあった怖い名無し:2009/12/02(水) 18:12:27 ID:E4i2GqM10
十戒のまとめ

十戒はカトリックでも教えられてますが、スウェーデンボルギャン(スウェーデンボルグ派)のは少し違います。
文字の意味のほかにスウェーデンボルグ独自の内意による解釈が加わります。
それによると大体以下の通りになります。

1.あなたは私の他に他の神々があってはならない。
真理は内に主を含む源泉のいかなるものにも存在しないため、主以外から考えられてはならない。(悪を避け善を行うように命じるすべての宗教の源泉は主であり、その真理の内部には主が存在するため尊重しなくてはならない。)

2.あなたは自分のために偶像を造ってはならない。
自分自身の知性などから生み出された教義は内に霊的生命を宿さない偶像のようなものであるため、これを愛してはならない。

3.あなたはあなたの神ヤーベの御名をみだりに唱えてはならない
真理を汚し、冒涜してはならない。

4.安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ。
主の人間的なものが争闘の後、神的なものそれ自身と結合し、平安となることを象徴している。


147本当にあった怖い名無し:2009/12/02(水) 18:13:46 ID:E4i2GqM10
5、あなたの父と母とを敬え
父とは主であり、母とは教会であり、天国である。
したがって、主と天国を愛することを教えている。

6.殺してはならない。
憎しみなどによりあなたの仁慈を消滅させてはならない
主の導きは悪をたわめることによって行われ、その者の愛を損なわない。

7.姦淫してはならない
み言葉をわい曲してはならない

8.盗んではならない。
信仰と仁慈の全てのものは主から発しているため功績を誇り自己に記するのは主のものを盗むのと同じ事であるため、自らの努力でありつつも主に帰するのが真理である。

9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
自己愛、または世俗愛などから善を悪に、真理を誤謬に変えてはならない。

10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
十戒の1〜9までの悪を意志のものとならないように警戒すること。
148本当にあった怖い名無し:2009/12/02(水) 18:16:18 ID:E4i2GqM10
スウェーデンボルギャンチャーチはマニアックなので日本にほとんど存在しません。
どちらかというとそういう思想に共鳴する人たちは仏教や、神道に流れるみたいです。あらためてそんなもの学ぶこともないというか。。。。

私自身もカトリックにしか行ったことないし、そんなに盛り上がってないのが現状です。
多分、その内容の深遠さ、、そして難しさ、、、単純な宗教じゃないと人々には広まらないから親鸞も、日蓮も念仏や、お題目を広めたのだし、
それを考えるとスウェーデンボルグは難しくてひろまりっこありません。

ですが、日本人には共感するものが多いと思います。
もともとそういう素地が伝統的な宗教によって育まれてきた土壌があるから、その内容は受け入れやすいものだと思います。

http://www.soundpie.com/sacred/thelordblessyou.htm
149本当にあった怖い名無し:2009/12/03(木) 19:20:37 ID:M2t0DZ/G0
読み肉い

押し付けがましい長文が多くてとても読み肉いスレだ
こんな一方的なスレはあげても誰も読まんよ
もうちょっと客の心理を掴まないとな。
150本当にあった怖い名無し:2009/12/04(金) 01:36:02 ID:5K+YffB3P
66の続き

霊界には時間の観念がない

「人間の世界には時間というものが存在する。太陽が回転するので、人間は春、夏、秋、冬
という季節の変化を経験する。また、太陽が東の空に出て西の空に没するのを1日とし、
1日を太陽の動きに合わせて朝、昼、夕、夜と分け、これを時間と言っている」
この話を聞きながら霊は、ときにはうなずくような表情を見せたが、だいたいは
「変なことを言うものだ。そんな世界は本当にあるのだろうか」といった顔つきになったり、
頭痛でもするように頭をおさえたりした。

この理由は、霊界が時間という小さな物差しを超越した世界だからだ。
そのため、霊たちには時間という観念はないのである。
彼らはせいぜい状態の変化という観念で考えることができるくらいである。
また、霊たちに時間の観念がないのは、霊の生命が永遠だからということとともに、
次のような理由がある。つまり、霊界の太陽はまったく動くことをせず、
つねに天の一角にじっとしていること。もうひとつは、霊たちはどんな遠距離でも彼らの意志ひとつで
一瞬にして行くことができるということだ。これでは空間の観念も生じないし、
時間の観念も生ずる余地がないのは、誰にでもわかるだろう。

ここにふたりの霊がいたとしよう。ひとりは人間界で言えば20歳すぎの青年の顔つき、
もうひとりは60歳を超えた老人の顔つきをしている。あなたはどちらの霊が若いと思うだろうか。
この青年のほうは老人よりも数千年も前に死んで霊界に入っているのである(霊は歳をとらない)。
それなら青年のほうが歳をとっているのだと考えるならば、それも間違いである。
霊界には時間がなく、したがって年齢もないからだ。
ただ、彼らは人間として死んだときの顔つきを残しているにすぎない。

151本当にあった怖い名無し:2009/12/04(金) 01:44:37 ID:5K+YffB3P
>>150の続き
どの霊界に行くかは、あなた次第

人間のときの生涯と、死後にその人間の霊が行くことになる霊の世界との間には、
なんらかの関係があるのか、あるとすればどんな関係があるのかということである。
これには、次のように答えよう。

――関係があるのか、などといったものではない。
人間のときの生涯がそのまま、死後、彼が永遠の生を送るべき世界をほとんど決めてしまうのである。
  霊界で霊たちが幸福な世界に入るのも、また逆に地獄界に入るのも、
別に人間のときの報酬や罰として入るのではない。それは人間の生涯において、
彼の霊的な内心が霊界のどの世界にもっともよく対応すべきものになっているかによって、
死後の霊自身が自分の意志で自分の世界を選択するのである。

このことをもっと簡単にいうと次のようになる。霊界の上世界は、中世界よりも明るい光に満ちた世界だ。
しかし、明るい世界に住むには、人間の霊で言えば、彼の目がその光に耐えられるものでなければならない。
もし彼の目が、そのような明るい光の強さに耐えられないものとすれば、もう少し暗い世界を自分で選ぶことになるだろう。
これと同じことで、上世界に住む霊の霊的な心の窓が、それだけ開かれていなければならないことになる。
その窓の開き具合は、人間だったときの生涯において、どれだけ霊的な心を開いたかということの結果なのである。
霊的に心の窓が開けた生涯とは、霊界の秩序を守り、それにしたがった生涯を送るということである。
霊界の秩序は、素直な心さえあればその存在を感じることができる。

なぜなら、人間界、自然界にあるものは、それに相応する対応物がすべて霊界にもあるからである。
そこで、心を素直にして自然界を見渡してみる。鳥や獣、虫などの動物界、樹木のような植物界にせよ、
すべて生命あるものは、自然界の秩序によって生活している。
この不思議な秩序に素直に感嘆し、この秩序のもとに素直な心をもって生活しようとする人間は、
すでのその心の中に霊界の秩序のことを感じ取っているのである。
彼は死後、霊界に入ればただちに霊界の秩序の真の意味を理解し、
それにしたがった霊としての生活を行なうことを意図する――このような人びとは、上世界に入る人びとなのである。


152本当にあった怖い名無し:2009/12/10(木) 03:13:04 ID:/QCD5pjy0
>>58
58さん コピペさせてね。
153本当にあった怖い名無し:2009/12/10(木) 16:23:16 ID:/vlDdzSz0
>150>151
というかこれ本当にスウェーデンボルグの作?
誰かの解説本の類?
154本当にあった怖い名無し:2009/12/10(木) 16:27:21 ID:/vlDdzSz0
愛と知恵、天界と地獄(あと霊界日記)の内容をところどころ引用して著者が料理してしまってる気がする。
155本当にあった怖い名無し:2009/12/10(木) 16:35:30 ID:/vlDdzSz0
こうした著書もきっと商業的に売れるから出版してるのだろうけど、
それはスウェーデンボルグの本意ではなかったから。
安心できる翻訳はアルカナ出版(ラテン語直訳)か静思社だけです。
なるべく本人の(ラテン語は無理だけど)著作に親しんで、息吹や人間性などを感じ取ってほしいものです。
オカルトへの偏重は(私も個人的に霊が見えるという人とお付き合いしたことありますが)、
幸福には繋がりません。
なので、スウェーデンボルグに関心を持つ人はぜひ上の著作にもチャレンジしてみてくださいね。


156本当にあった怖い名無し:2009/12/10(木) 23:27:42 ID:gPkM8UsV0
でっけ〜末永さんが僕
157本当にあった怖い名無し
>>153
解説ではなく、スゥェデンボルグの著述の和訳です。