神秘の宝石騎士団 27

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203糖質ですが:2009/10/31(土) 23:17:39 ID:2YUrQykn0
>>109の発言において「鳩山一郎と芸能界」について触れたが、そもそも民法学者であった
鳩山秀夫が雲右衛門事件に関連して「蓄音機レコード模写事件に関する意見書」を執筆して
おり、そこには著作権侵害ではなく不正競争による不法行為、しかもこれを人格権侵害
とする見方が示されていたそうだ。のちに鳩山一郎が著作権法改正案を議会に提出した
ことを考えると、鳩山家とレコード業界の関わりの強さがうかがわれる。
かりに、鳩山家とレコード業界の間に何らかのパイプがあったとすると、そこには穂積家
が関わっていたと大村敦志は推測している。鳩山・穂積は親子二代にわたって親密な関係に
あったが、三光堂の松本常三郎が、同郷の穂積陳重のところに(おそらくは陳重の舅に
あたる渋沢栄一を介して)雲右衛門事件を持ち込んだようなので、陳重あるいはその子・
重遠が鳩山への取次ぎ役を果たしたとも考えられないではないとしている。
204糖質ですが:2009/10/31(土) 23:38:15 ID:2YUrQykn0
余談ですが、鳩山秀夫は一郎の弟で民法学者です。
205糖質ですが:2009/11/01(日) 00:01:45 ID:7//mWpfw0
明治期の東京の人口は明治11年に107万人、大正元年には276万人だったとされる。
大衆芸能は大劇場・小劇場・寄席を含めてのべ年間500万人が足をはこんだそうだ。
桃中軒雲右衛門が提示した「浪花節=義士伝=武士道鼓舞」のパターンは確立し、
日露戦争後を代表する芸能となる。昭和中期にいたるまで、映画と並ぶ大衆娯楽の王座
に浪花節(浪曲)はついた。
実際に、雲右衛門の浪花節は、彼と親交のあった玄洋社・国竜会系の壮士や大陸浪人
の感化を受けているともいわれ、雲右衛門と密接な関係のあった宮崎滔天も、国竜会の
内田良平と親交があったそうだ。
雲右衛門の義士伝ブームの背景には日露戦争後の不況や労働争議、暴動・大逆事件
などの社会不安があったことは確かであろう。
206本当にあった怖い名無し:2009/11/01(日) 01:06:41 ID:2yK4fo4aP
あげておきます。
207糖質ですが:2009/11/01(日) 14:39:49 ID:RtCGccYtP
桃中軒雲右衛門(1873−1916)の生涯は実に興味深い。判例集では「岡本峰吉」と
称しており、父は結城家の家臣となっていたが、他にも「山本幸造」(父は上州高崎
出身の祭文語り)という説もあるのだ。芸能人生は「20代でこそいったん挫折するが、
30代では大活躍をし、40歳で芸能界の頂点に立ち、44歳で死没した」ということに
なる。
ここでいう「20代の挫折」とは、師匠の女房との姦通、だといわれ、このために宮崎滔天
の助けを得て九州での活動を余儀なくされている。しかし、1907年には大阪道頓堀の
中座に進出し、関西地方を席巻し、師匠の遺族や門弟に詫びて回って東京復帰を
果たしている。
復帰の舞台は本郷座で、歌舞伎座・新富座と並ぶ権威のある大劇場だった。この興行は
大成功で、5日目で「蔵入」(くらいり)したという。蔵入とは経費を取り戻すことで、6日
以降の入場料はすべて儲けとなる。その興行が27日間続いたのだ。
1912年にはついに歌舞伎座の舞台に立つ。彼の浪曲のレコード化が問題になるのも
無理はなかったのだろう。
そもそも「雲右衛門事件」とは、民法の不法行為の要件に「権利の侵害」という文言が
あることから「著作権法上の権利でなければ保護されない」とされた民法学の歴史の
一こまなのだ。今では「違法性」概念、あるいは「過失」概念の論争となっているものだ。
208糖質ですが:2009/11/02(月) 01:19:48 ID:h9OoFcqTP
「レコードの歴史」
初めてアメリカからレコード(平円盤)を輸入したのは天賞堂であった。1903年10月の
ことだ。三光堂はわずかに出遅れたものの1904年1月にイギリスから輸入を始め、
さらにドイツからも輸入先を広げた。やがて国産のレコードが現れる。先鞭をつけたのは
日本蓄音器商会で、1909年(明治42年)のことだ。
コンテンツに目を転じると、明治42年から大正2年までに日蓄から出されたレコード原盤
は920枚にのぼり、唱歌・薩摩琵琶・筑前琵琶・長唄・義太夫・浪花節・端唄・小唄が
レコード化されている。現代と異なり、レコードはまだ流行を左右する力はなく、中産階級
の蓄音器を持っている階層の嗜好が反映されている。明治に全盛の義太夫が大正になると
後退する一方、浪花節が大正になると繁栄する。レコード勃興と浪花節は密接な関係を
持っているのだ。大正期になると松井須磨子の「カチューシャの唄」が二万枚売れ、政治家の
尾崎行雄の演説レコードも売れた。1922年(大正11年)に三浦環の洋楽レコードが
普及し始めるが、同年に「枯れすすき」がヒットし、流行歌というものが出始める。
1932年(昭和7年)の東京朝日新聞は「レコードでいちばんよく売れるのは浪花節で、それに
次ぐのが流行歌」と報じたという。
209糖質ですが:2009/11/03(火) 00:16:57 ID:op0Rjaku0
>>116において、「自動車ローンの証券化」を論じたが、証券にトリプルAの格付けを与える
手法が今月の法学教室に書かれていた。
まずは@部分保証方式、というもので、金融機関がSPVとの間で対象資産から生じた
貸し倒れ損失を填補する損害担保契約や損害保険契約を結ぶ手法がある。しかし、これには
保証した金融機関(保証体)の格付けに証券化の格付けが連動してしまうという欠点がある。
さらにAフルラップ方式というものがあり、証券を格付け機関には持ち込まずに、格付けの
モノライン保険会社が独自に審査して証券化商品の全額を保証する仕組みがある。
また、B超過担保方式といって、必要信用補完額だけ多めに資産を自動車会社がSPVに
譲渡しておくという手法もある。
これ以外にも、すべての証券化商品にトリプルAを求めずに、階層的に優先劣後構造を作り、
トリプルAからトリプルB、ダブルB、最後に劣後部分を作るという手法もあるようだ。
210糖質ですが:2009/11/03(火) 11:30:21 ID:cudMFCxs0
松井須磨子「カチューシャの唄」、CD復刻版だそうです。いい旋律ですが、時代を感じさせる。
http://www.youtube.com/watch?v=wGoJt9P-yaQ
211糖質ですが:2009/11/03(火) 12:03:32 ID:cudMFCxs0
著作権を持っている人も、インターネットの発信をのぞくと、放送や出版など、他の企業の手によって
権利の内容物が公にされる。その際に著作権契約を結ぶのだが、@著作権譲渡、A利用許諾、
B出版権設定、の3つがあるとされる。
日本音楽著作権協会(JASRAC)が信託契約約款を作っている。
http://www.jasrac.or.jp/profile/covenant/pdf/1.pdf
権利を譲渡する場合も、譲渡した側と譲り受けた側がしっかりと「棲み分け」可能な形で譲渡しなけれ
ばならないとされる。具体的には、映画への録音・ビデオグラムなどへの録音・ゲームソフトへの録音・
コマーシャル送信用録音・放送・有線放送・インタラクティブ配信・業務用通信カラオケ、という区分が
約款によってなされており、これらの分割譲渡は権利の「棲み分け」が可能であるとされているようだ。
212糖質ですが:2009/11/03(火) 18:32:06 ID:cudMFCxs0
したケースで、作者が「すべての著作権を譲渡する」という契約をしていた場合などに、
著作権法27条(翻案など)や28条(二次的著作物利用権)は「譲渡の目的として特掲されて
いないときは、これらの権利は譲渡した者に留保されたものと推定する」とされていて、
二次的著作物(翻訳・映画化・ゲーム化)などの「広範な可能性」への権利が、一応、著作者
に残ることになっている。2ちゃんねるでは「27条・28条」の扱いはどうなっていたかはちょっと
忘れたが、今度掲示があったら確認してみようと思う。
213糖質ですが:2009/11/03(火) 18:57:11 ID:cudMFCxs0
(一行目が消えてしまったので再アップです)
著作権譲渡と言っても、たとえば、趣味で書いた小説が出版者の目にとまり出版され、大ヒット
したケースで、作者が「すべての著作権を譲渡する」という契約をしていた場合などに、
著作権法27条(翻案など)や28条(二次的著作物利用権)は「譲渡の目的として特掲されて
いないときは、これらの権利は譲渡した者に留保されたものと推定する」(特掲要件)とされていて、
二次的著作物(翻訳・映画化・ゲーム化)などの「広範な可能性」への権利が、一応、著作者
に残ることになっている。2ちゃんねるでは「27条・28条」の扱いはどうなっていたかはちょっと
忘れたが、今度掲示があったら確認してみようと思う。
(なお、確認してみたところ、27条・28条も譲渡が明記されており、著作者人格権も行使しない
こととされていました)
214本当にあった怖い名無し:2009/11/04(水) 00:28:15 ID:G63Fjh6D0
>>213
統失さん、以前はお世話になりました。ご挨拶が送れてごめんなさい。
物知りな統失さんに質問なんですが、外患誘致罪の適応と法の執行は
どのようなプロセスで行われますか?
ご存知でしたら宜しく御指導ください。
215糖質ですが:2009/11/04(水) 11:20:41 ID:CB6UgXCH0
右翼の方ですか。所属はどこですか。外観誘致罪は他国のわが国への武力行使に協力する
罪ですね。「祖国への裏切り」行為を罰するものともいわれています。
中国で、96年だったかに台湾をミサイル攻撃した時に、アモイで密輸をやっていた連中に李登輝
がアメリカドルを握らせて軍の機密情報を得ていて中国の軍人が死刑になったりしていますね。
「祖国への裏切り」と言っても、一定の軍事的要職に属していないとできないかもしれません。
平時に威勢のいいことを言っていても、安倍晋三は文藝春秋で「国のために命を捨てる」といって
おり、麻生太郎は「乱世こそ俺の時代」と言っています。現実はどうでしたでしょうか。
実弾が飛び交う世界で怯えない人はいませんよ。私は国民を基盤とすることをすでに選択しており、
ある程度汎用性のある学問でないと受容できないですね。
216本当にあった怖い名無し:2009/11/05(木) 13:54:01 ID:zAIj3Tja0
>>215
統失さん、どうもありがとう。
私は右翼でも左翼でも無いです。無所属です。その他の法に照らして日本を売り払う民主の活動と
それを要求する在日に対して法的な取締りが出来ないか考えています。火を見るより明らかな
破壊活動を何故取り締まらないのかが不思議です。

>「祖国への裏切り」と言っても、一定の軍事的要職に属していないとできないかもしれません。
直接、間接的に民間人がスパイ行為をした場合も処罰されるべきだと思いますが。


>私は国民を基盤とすることをすでに選択しており、 ある程度汎用性のある学問でないと受容できないですね。
その国民を基盤とした時にこのままでは危ないと思うのですが?
国民の為の政治が全く機能していないと感じます。政治家と異民族の為の政治になっています。
217糖質ですが:2009/11/05(木) 14:21:45 ID:58pS0Yz20
【依頼に関してのコメントなど】 よろしくお願いいたします
出入国管理というのは警察行政でしてね、犯罪などのわが国への悪影響を水際で排除すると
いうのが立法趣旨です。特別永住者(在日)というのは特殊な政治的背景を持っている人たちで、
日韓併合条約で内地と韓国の戸籍を明確に区別したために、戦後、日本国内で同じ日本人として
暮らしていた人たちでも、戸籍が韓国にある人は一方的に国籍を剥奪したという経緯があります。
このことに関しては「別の判断もあったのではないか」とも言われる高度な政治判断だったのです。
特別永住者は、再入国の自由も認められ、子供も自動的に永住資格が得られるという特別な
在留資格を持っています。もはや「平和条約国籍離脱者」という歴史も風化してきており、帰化の
要件も緩和の方向に向かっています。行政はわが国の国益を淡々と果たしていくのみですよ。
在日が立法に特別に関与した事例は聞きません。私は法律の仕組みの正確な理解を基本とする
限り、在日を批判するつもりはないのです。
218”管理”人:2009/11/05(木) 14:22:58 ID:8pgR9kLrO
てす
219本当にあった怖い名無し:2009/11/05(木) 15:23:22 ID:kgB7OZvb0
英国は長いこと北アイルランドの問題に悩み続けてきましたが、北アイルランドの警察はほとんど
すべてがプロテスタント系で固められて、カトリック系住民に差別的な扱いをしていたそうです。
IRAが爆弾テロなどを頻発させましたが、2005年に武力闘争終結宣言を行い、北アイルランドに
司法省を設け、警察をカトリック系にも解放したのです。英国にとって非常に難しい政治問題で
したが、鎮静化に向かったようです。
日本の在日の問題なんて爆弾騒ぎにならないだけマシだと思います。
220糖質ですが:2009/11/05(木) 17:19:19 ID:ekRGj25aP
そういえば、最近の入管法改正では、犯罪予防目的の色彩を薄めて、ブラジル人居住地域の存在
などを追認するということが行われましたね。地方自治体によっては「多文化共生」という政策を
打ち出しているところもあり、また、在日に関しては在留資格証明書の携帯義務を免除しました。
在留資格のない人にも「在留資格なし」という在留資格証明書を出すそうです。
さらに「在留カード」というものも発行するようになりましたね。住基法と外国人登録名簿の合流
をしたと聞いています。
221本当にあった怖い名無し:2009/11/06(金) 01:41:35 ID:0yaCexto0
統失さんはオカルト知識はありますか?

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1256649587/3-8
これはどうですか?
222糖質ですが:2009/11/06(金) 14:04:34 ID:0xRqtTrb0
私は歴史は専門ではないのですが、歴史を語る上で何らかの「史観」に基づくのは当然であるものの
それは一定の合理性を持つものでなければなりません。都合の悪いことに目をつぶったり、事実を
歪曲してまで「史観」を貫く姿勢は好ましくないとされています。その上で歴史学者が歴史を記述
すればいいのでしょうね。1840年代のアヘン戦争で何が明らかになったかというと、
英国>清朝中国>李氏朝鮮≧徳川日本、だというのが国際政治外交史の立場からの認識です。
アヘン戦争の時点ではこの構図が完成したのです。その後の国家のハンドリングはわが国が傑出
していたということでしょう。
223糖質ですが:2009/11/06(金) 15:15:53 ID:v3/Ohgqt0
昭和天皇が軍事演習の観閲をやった時に、整列した軍人の中から一名の兵士が前に進み出て、
うやうやしく膝をつき「直訴!」と言ったそうです。それは、日本軍内部での部落差別の現状を
天皇に直訴する書状を天皇に渡そうというものでした。兵士はその場で取り押さえられたものの、
書状の内容が真摯なものであったことから、処分は軽かったそうです。
天皇は、侍従に「部落問題をご存知か?」と聞かれて「いや、知らない」と答えています。
白丁に関しては、別スレで「世界史レベルでも注目すべき差別的存在」と言う発言を見たことが
ありますが、私は詳しくは知りません。ただ、朝鮮の首脳はこのようなことを指摘されることを
「石を投げられる」と言って嫌っていますね。私は興味ないんですよ。
224糖質ですが:2009/11/08(日) 10:16:43 ID:eefrj97q0
俺が大学のボクシング部で「追いコン」をやった時に、農水省に入省が決まっていた先輩が
「お米を食べてください」といっていたのだが、これはあながち的外れではないのだ。
昭和40年にカロリーベースで食料自給率が70%だったのが、現在では40%にまで
落ち込んでいる。背景には食生活の高度化が上げられる。高温多湿のわが国にとって米は
風土に適した農産物であるが、畜産物の消費が進むようになり、たとえ国内で畜産されている
ものでも、飼料が輸入されていれば自給していることにはならない。さらに、菜種や大豆
から出来る油脂なども、広大な敷地が必要で、わが国には適合しなかった。また、農産物
の内外価格差が自給率を下げている。ウルグアイラウンドで国内農業を守る手段が関税以外
になくなり、農産物の自由化が進んだことから、広大な農地面積を持つアメリカなどに
押されることになった。また、わが国の国内での農地面積も4分の1がキャピタルゲイン目的
で失われていたのだ。これが現在の自給率低下の要因である。
225糖質ですが:2009/11/08(日) 10:27:12 ID:eefrj97q0
日本の農地に関する法律は変貌しつつある。今までは耕作者が土地を所有するのが望ましい
とされ、所有者以外のものが耕作する場合は標準小作料を払うことになっていた。戦前の
豪農のように、土地を小作人に耕させてぼろ儲けすることがなくなっていたのだ。
しかし、たとえば食品会社が地方に農地を持って農作物を生産することなどを念頭に法改正
がなされた。三井化学などは早くも農業への進出の意向を示しているそうだ。
しかし、農村社会のあり方に影響を及ぼしてしまうので、進出する企業の重役に必ず農作業
従事者をおくことを求めており、農村社会との調整役を企業の上層部に入れるのが好ましい
とされている。
農業への理解は組織でも重視されており、そもそも食料自給率に関しても、戦時中の
「米・麦・イモ」の生活ができるのならば食料自給率は100%達成が可能だという事実も
認識しておく必要がある。
226糖質ですが:2009/11/08(日) 10:35:07 ID:eefrj97q0
農地法というのはなんであろうか。一言でいうと農地の「権利移動統制」「転用統制」を
行うものだ。権利の移動とは農業への新規参入者を統制することを意味し、いわば農業の
「入り口」を統制するものだ。一方、転用とは、農地が農地としての役割を終える場面を
統制するもので、いわば農地の「出口」を統制しているのである。
農地法とはそのようなものだ。
基盤強化法は、別の趣旨の立法で、世界規模で食糧難が起こることを念頭に、国内の農業
生産力を強化しようという立法なのだ。
今の日本の農業政策で理解すべきはこの点であろう。
「耕作放棄地(遊休農地)対策」
耕作放棄地が埼玉県ぐらいの広さにのぼるとよく言われるが、この問題は食糧供給の基盤
を失うことを意味するだけでなく、雑草が繁茂し、通風や日照を悪化させたり、病害虫の
温床になったり、さらには産業廃棄物の捨て場となってしまったりする。
これらの耕作放棄地が生じる原因としては、高齢化・離農が進む一方で、これに代わる農地の
引き受け手がいないこと、土地条件が悪いこと、鳥獣被害を受けてしまったこと、などが
挙げられる。
これらは基盤強化法で対応することになっていたが、今回の改正で農地法に移管された。
一般の遊休土地利用に対する行政の介入と異なり、かなり強い介入権限が農地法で与えられ
ているが、民間人の所有による土地であることから、権力を行使することに抵抗もあり、
なかなか難しい問題となっている。
227糖質ですが:2009/11/08(日) 11:31:45 ID:eefrj97q0
ジュリストの農業の特集を読み終えました。確かに水田に関しては戦後40回の生産調整
(減反政策)が行われています。しかし、米価が非常に低い水準になってしまい、自民党は
経営所得安定化政策というのを行いました。生産調整に関しては石破茂農水大臣が異論を
唱えるなど、非常に自民党の農業政策は複雑化して、自民党農林族は民主党の切り崩しに
あいました。基本的に食管法は90年代に廃止されましたが、下流の部分では自由化された
ものの、生産の現場では全体主義的に動いていたようです。
民主党は2007年の参院選以来、戸別所得補償制度をうたい文句にしてきましたが、その
実情は抽象的で、市場価格での販売と、農家の所得補償、ということしか分かりません。
政策を行うのなら「米市場」で限定的に行うべきで、麦や大豆の市場にまでこれをもちこむ
べきではないという論文を読みました。
ジュリストがだいぶ進んだので、課題が楽になった。時間ができたら法学教室の憲法学原論
の連載でもレポートしようと思っている。
228糖質ですが:2009/11/08(日) 11:32:17 ID:eefrj97q0
民主党はカロリーベースの自給率ではなく、生産額ベースの自給率という概念
を導入して、生鮮野菜などの生産を刺激しようとしました。しかし、市場価格の下落で
生産額ベースの自給率は低下する羽目になりました。
非常時に「米・麦・イモ」に依存するという国策を取る以上、生産額ベースでの自給率
(民主党は食糧自給力と言っています)という概念はナンセンスだとジュリストに書かれて
いました。
ついでに、農業が日本の労働市場で果たしてきた役割を語りたいと思います。
1980年代までは、田舎から上京するという表現で言われたように、農家が近代化する日本の
産業の労働力をどんどん供給してくれました。しかし、それ以降は、農家に労働力を供給する
力はなくなり、また、不況時に労働力を吸収する力もなくなっていたのです。
結局、日本は「失業者」という名の労働力のプールを不況時に行っているのです。
企業人としての「長期蓄積能力活用型」の労働者、専門分野を持った「高度専門能力活用型」
の労働者、パート的に扱う「雇用柔軟型」の労働者、の三種類に分かれたのです。
この構造が、労働者供給能力を農業が失った今の日本の労働市場なんですよ。景気がよければ
働けて、悪ければ失業するなんてことは高度成長期にはなかったのです。
229糖質ですが:2009/11/11(水) 21:48:26 ID:gfvjUrwC0
法学教室の「憲法学原論」のレポートをいずれこちらにまとめてアップしようと思っています。
230糖質ですが:2009/11/18(水) 01:04:54 ID:KG4uVzBC0
11月21日が規制解除の予定だそうです。そうしたらいろいろとまとめてアップしようと思います。
231糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:34:52 ID:JhU0hF8e0
この際だから「ねじれ国会」について明確にしておきたい。
167回〜171回国会で2007年8月〜2009年7月までに起きた現象だ。
167回(臨時会)平成19年8月7日〜平成19年8月10日・安倍内閣
168回(臨時会)平成19年9月10日〜平成20年1月15日・安倍→福田内閣
169回(常会)平成20年1月18日〜平成20年6月21日・福田内閣
170回(臨時会)平成20年9月24日〜平成20年12月25日・麻生内閣
171回(常会)平成21年1月5日〜平成21年7月21日(解散)・麻生内閣
232糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:35:35 ID:JhU0hF8e0
「参議院での問責決議案可決について」
これまでには参議院で与野党が逆転していた平成10年10月に防衛大臣に対する
問責決議案が可決されたのが初めてのケースであった。
防衛大臣のケースでは、参議院での問責決議には法的拘束力はないにもかかわらず、
可決されると参議院が審議を拒否する口実となり、これを打開するため辞任に追い込まれる
点で政治的には強力な武器となる。そのような問責決議を総理大臣に対して行うのは憲法上
の疑義があるとの見方もあり、いわば「禁じ手」とされていた。
169回国会会期末を控えた平成20年6月11日に福田総理大臣問責決議案を民主・社民
は参議院に提出し可決した。これに対して与党は翌日に衆議院で内閣新任決議案の提出・可決
で対抗したが、次の国会を控えた9月1日に福田総理は膠着する国会運営の打開等のため、
辞意を表明し、退陣することとなった。
次の麻生総理に対しても平成21年7月14日に民主・共産・社民は問責決議案を提出・可決
した。衆議院での不信任案は否決されたものの、同日、麻生総理は一週間後の解散を予告
するに至った。
233糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:36:18 ID:JhU0hF8e0
「ねじれ国会における法律案」
政権与党が参議院で過半数を割ったことから、内閣提出法案は絞り込まれた。そのため、
議員提出法案の提出件数の方が上回るというのがねじれ国会の前半の状況だった。
しかし、麻生内閣になると、解散間近という空気になったために、議員がさほど法案を
提出しなくなった。その後はむしろ早く解散したいという野党の思惑から、内閣提出法案
にも野党は柔軟に対応した。
168回国会で福田内閣がテロ対策補給支援特別措置法案について平成20年1月11日
に衆議院で再議決を行ったときは、昭和27年以来、56年ぶりのこととして注目を
あつめたが、その後の2年間で17件の法律案につき12回(税法は一括採決されるため)
の再議決が行われて、すっかり日常の風景となってしまった。
両院協議会については、予算や条約と異なり、法律案の場合は任意に設けられるが、そもそも
妥協が困難であることから両院での議決が異なるのであり、また、妥協できる部分は衆院段階
で妥協していることから、法律案で両院協議会が設けられないのも仕方がないといわれた。
ねじれ国会で成立した内閣提出法案は157件であるが、そのうち修正されたものが42件ある。
妥協の余地がなかった17件のものをのぞくと、3割が与野党合意で修正のもと成立していた。
234糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:37:01 ID:JhU0hF8e0
「ねじれ国会・条約に関して」
ねじれ国会で審議の対象となった条約は33件。そのうち、在日米軍駐留経費負担特別協定
及び在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定の2件が参議院で不承認となった。
他にも9件が参議院で議決されなかったが、この9件には衆議院では民主党も賛成していた
ものの、169回国会会期末に福田総理大臣の問責決議案が可決されるなどの政治状況の中で
議決にいたらなかった。
現在の民主党の対米外交にもこの2件の条約を否決した事実は影響を及ぼしているものと
思われる。
いずれも憲法61条で準用する60条2項の規定により衆議院の議決が国会の議決となり
成立している。
235糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:39:10 ID:JhU0hF8e0
靖国神社の前身の東京招魂社は、1869(明治2)年に、明治天皇の命により、戊辰戦争
の戦死者を祀るために創建され、のちに国内の戦乱に準じた人たちを合わせ祀るように
なり、1877(明治10)年の西南戦争後は日本国を守護するために亡くなった戦没者を
慰霊追悼・顕彰するための施設として位置づけられ、神主も公務員としての地位を与えられて
いた。明治憲法の下では、神道は宗教とされず、神社は公法人として位置づけられ、靖国神社
は、帝国陸軍・海軍の管理の下に置かれ、天皇のために亡くなった人を英霊として顕彰する
ことにより、戦争を正当化する役割を果たした。
戦後、GHQにより神道指令が出された。総司令部は国家神道を廃止するとともに、靖国神社
の国家護持を禁じ、神社と国家の間の政教分離を図った。靖国神社も1951年に制定された
宗教法人法に基づき宗教法人となり、活動を続けてきた。しかし占領の終了後は、ふたたび
靖国神社を他の神社と区別し、靖国神社を国の施設とすることを求める動きが見られるように
なった。1956年以降、厚生省引揚援護局復員課長名で「今後における靖国神社合祀事務協力要綱
について」と題する指示を出し、靖国神社への合祀に協力するように求め、提供された名簿に
基づいて靖国神社は合祀を行ってきた。
1975年に三木武夫氏が内閣総理大臣としては初めて終戦記念日に参拝した際には、
私的参拝4要件(公用車不使用・玉ぐし料を私費で支出・肩書きをつけない・公職者を
随行させない)による「私人」としての参拝を行った。1985年には中曽根康弘内閣総理大臣
が、従来の政府見解を修正し、正式な神式ではなく省略した拝礼によるものならば閣僚の
公式参拝は政教分離に反しないとの立場から、供花料を公金で支出して公式参拝に踏み切った。
2001年には小泉純一郎内閣総理大臣が公的か私的化の区別を明らかにせず総理大臣としての
小泉純一郎としての参拝だと述べ公用車を使用し、肩書きを記帳したが、供花料は私費で支払った。
236糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:43:01 ID:JhU0hF8e0
法学教室1999年6月号「議会制の背後仮説」石川健治。
議院内閣制に関しては最初に論じたのが20世紀初頭の公法・国際法学者R・レズロープによる
「議院内閣制―その真実の形と不真性の形」だといわれる。ここでは有名な「均衡本質説」と
「責任本質説」にも触れられているそうだ。
しかし、彼が論じたのは実は「君主」についてだった。統治の形式(いわば政体)と、その生命原理
(いわば国体)に区別し、統治の形式として共和制と君主制を区別し、民主政は生命原理のレベルの
問題であるとした。そして、民主政と共和制は意外とそりが合わず、君主制の方が民主政にとって
有利な形式であると論じた。
イギリスを例にとれば、イギリス国王はその地位を多数派の党派によって正当化されているわけでは
なく、したがって下院に対して責任を負わず、また解任もされない。だが、それだけにむしろ、民意の
開明的な解釈者=再演者として中立的に振る舞い、精神的な統合力を行使して、元首としての役割を
総じて果たしてきた。
一般に「執政権」のように国家指導的な政治の作用は非常に流動的で、枠にはめることが難しい。その
ために、法律と違って正当化が難しいのだ。執政権者のリクルートメントに国民が関与する形態(首相
公選制)も、民主的=政治的にその執政権を正当化する試みだ。「議会に対する政治責任」を負わせる、
というのも正当化の試みなのだ。伝統的に国家元首が行使してきた執政権に関しては、元首の人格的
統合力や、執政権が実質的に内閣に移ったあとにも、国家元首の制度外の人格的・精神的な水準が、
民主政の、そして議院内閣制の成否を握ると言ってもいい。この問題は現代においても課題とされている。
237糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:43:45 ID:JhU0hF8e0
法学教室1999年7月号「民主制における政党と結社」高田篤より。
国民は十分な影響力を持っておらず、政党を通じてようやく国民として自らを解放することができる。
これが政党の基本だ。わが国で政党が法制度とされずに「結社の自由」に含まれたのは「個人→結社→
政党」という仕組みによって、遠い存在である政党をこのように説明したものとされる。
工業化がわが国で進展したが、政治学者の升味準之輔教授によれば、第一次産業就業人口が
四割を切ると(農民四割社会)、家族の擬制よりも、政党による多元的な諸集団の対立・調整・均衡
が図られる時代になるとされる。ドイツは1880年代に、日本では1950年代にその時代となった。
ドイツでは政党法制が出来上がったが、日本ではその時間もないままに次の段階を迎える。
升味教授によると、第一次産業就労人口が10%程度になり、第二次産業就労人口が50%を超え、
社会構造が変化すると、政治体制は変動し始めるとする。日本は1970年代にこの時代を迎えた。
政党が組織力を減じ、利害が特殊利益団体によって媒介されるミクロコーポラティズムが発展した。
ひとつのテーマに特化した社会運動・市民運動が勃興した。社会や個人が「断片化」したのだ。
そこで政党のあり方も変容した。内部に異質なものを抱えながら、政治的コミュニケーションを活発化
し、透明化することが求められたのだ。
1994年の「政治改革」を通じて「政党」を正面から規律する諸法律が生まれたり、NPO法が成立
したりしたことに見られるように、政党や結社に対して権利付与や助成を行ったりした。
政党にも政治的コミュニケーションの確保が求められ、そのコミュニケーションは「量」と「時間」が
求められる作業となった。理想的な政党や結社は存在しない。大事なのは成熟した政治文化を作っていく
ことなのだ。
238糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:45:33 ID:JhU0hF8e0
法学教室1999年5月号「代表・民主制の基底にあるアポリア」岡田信弘
国会とはどういうものだろうか。まず基礎教育においては「みんなの代表者を選ぶもの」であると教わるだろう。
さて「みんなの代表者を選ぶ」とはどういうことであろうか。古くはフランス革命を準備した哲学者
によって論じられた。見事なコントラストをなしているのがモンテスキューとルソーであろう。
モンテスキューが求めたのは政治的自由の確保であり、人民は自分自身でなしえないことを代表者を
通じて行うと理解する。代表者の独立性を求め、「国民の気まぐれ」によって代表者の意思決定が阻止
されないような仕組みが好ましいとした。彼は「アテネのような直接民主制」を理想とする言説を否定
したのだ。モンテスキューにおいては「民主制」的要素はきわめて希薄なものとなった。
一方、ルソーは「人民の最後の一人までを救済することを目指した民主的な国家」を主張した。人民の
代議士は人民の代表者ではなく使用人であるとする。主権は譲り渡せないし、一般意思なるものも
代表不可能であるとするのだ。フランス憲法史における「代表性」と「民主制」の結びつき方の具体的
ありようはモンテスキューとルソーの対比から説き起こされるのである。
フランス革命においては、1791年憲法を正当化する最も体系的な議論を展開したのがシエースで
あった。シエースはフランス人民は法律の作成に関与するだけの「暇と教養」を持っておらず、代表者
の自由を極めて広範に認めた。これを真っ向から批判したのがロベスピエールである。ロベスピエール
もその一員であったモンターニュ派の指導のもとに作成された1793年憲法において、法律を議決
するのは立法府ではなく主権者たる人民であるとされ、立法に関しては人民拒否権たるレファレンダムが、
また憲法改正においては人民のイニシアチブが認められ、立法府の権限は「法律を提案し、デクレを
議決する」ことのみであるとされた。モンテスキュー→シエース。ルソー→ロベスピエール。という系譜があるのだ。
239糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/21(土) 13:46:16 ID:JhU0hF8e0
以上の、フランス革命期の議論が第三共和制の下でエスマンによって整理された。エスマンは
「二つの統治形態」という論文の中で「純粋代表制」と「半代表制」の区別を提唱した。
「純粋代表制」は「古典的代表制」ともいわれ、直接民主制が司法権・行政権で事実上不可能で
あることや、立法権に関しても大きな国では不可能であるという現実を見据え、シエースがかつて
憲法制定国民議会で論じたように、国民が諸権力の行う行為のいかなるものにも直接介入することは
できない、とするのだ。代表者は自由に委託者たる国民の制約を受けずに行動することができるもの
であると俺は理解した。
しかし、エスマンは、フランスの現状を見る限り、一院制への傾向、命令的委任の禁止の緩和傾向、
レファレンダム導入の傾向、少数代表制の展開などがあり、純粋代表制とは別のメカニズムの存在
を認識していた。
カレ・ド・マルベールは、この、第三共和制憲法を「厳格な代表制」とはとらえずに、「半代表制」
ととらえた。そして、その「半代表制」のもとでは「選挙人団と議員団という二つの団体の意思が
影響しあい、相互に浸透しあい、しかもお互いに支えあいながら、両者のいずれも他の関係において
絶対的、不変的かつ排他的優越性を持たない」という意味において「両団体が有機的一体性を形成
する」としたのだ。
ここでも、モンテスキュー→シエース→エスマンの系譜が明確になり、ルソー→ロベスピエール→
カレ・ド・マルベールの系譜が明らかになる。
わが国においては、憲法43条1項における「全国民の代表」に関する通説的見解は、両系譜を
折衷する形で展開してきている。つまり「政治的代表」と「半代表」の両契機を含むものとして
「全国民の代表」を解釈しているのである。「代表制」と「民主制」の微妙なバランスの上に成り立つ
議論として位置づけることも可能であろう。
240糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/11/23(月) 10:44:57 ID:s4qppe/q0
「アメリカの諜報活動と大統領の関係」
アメリカでは大統領が最高指導者である以上、CIAもそれに従属する機関である。
大統領は対外政策や国家安全保障の必要がある場合以外、秘密活動を許可してはならないと
され、秘密活動を許可する場合は書面で行うものとし、情報機関の行うすべての秘密活動は
議会の情報委員会に十分かつ最新の情報を伝えなければならないとされる。
大統領は議会の情報委員会に報告しながら秘密活動を行うわけであるが、米国の死活的利益
に影響する事態に対応する必要から、秘密活動にアクセスできる議会メンバーを限定することが
あり、「8人衆」と呼ばれる筆頭委員や議長、院内総務などが存在するようだ。
一方で、CIAが2001年以来続けてきたテロ組織アルカイダ幹部の秘密暗殺計画を議会に通知
していなかったことをパネッタCIA長官が下院情報特別委員会で証言したこともある。
また、テロ容疑者に過酷な尋問方法を採用した事実を果たして議会に通知していたのだろうか、
と疑義を呈されたこともあるようだ。
241エレベーター X ◆e1ZcXxeB0Q :2009/11/27(金) 09:39:19 ID:37QMCvwr0
内藤と亀田の戦いの根本と原理

亀田と内藤の争いはそれ程には、興味の対象である。
内藤の勝利を支持する背景と言うのは、内藤のボクシングスタイルと言う
存在がボクシングスタイルと言うよりも寧ろ、人間的パーソナリティは存在において
我々の人格的大衆と類似している点で我々と近似している背景である。
亀田氏のボクシングファイトは、古典的ボクシングスタイルと言うよりか変則的な内藤スタイルとは
離れた打撃攻撃を繰り出すファイトスタイルなので内藤的スタイルに飲み込まれない事が重要問題であるのだ。
亀田選手自身もフィリピンで内藤的なスタイルにあったボクサーとスパーリングを行い其れに備えているのであるが
以前として内藤陣営は内藤自身のファイトスタイルに磨きをかけるがその独創的なスタイルに変革をもたらす
抜本的な改革は見られないが今回のファイトでその側面を打ち破り新たなスタイルを見せるのか?
242エレベーター X ◆e1ZcXxeB0Q :2009/11/27(金) 09:53:30 ID:37QMCvwr0
「グノーシス主義」
我々の原生は悪であり、我々の宇宙全体が悪だと言う事なので
その存在から逃れる事は難しいのだ。
エピクロス的な思想を借りれば、我々は心理的快楽によって解脱できると説く
心理的快楽は肉体的快楽から発生し肉体的快楽もまた心理的快楽であり
我々は心理的快楽が自我に幸福をもたらすと信じている。
我々の肉体も又物体であるので、物体としての存在は物体的優越においても
心理的快楽が得られる。
デポイズマンと言うのは、存在が類似しない空間の認識である。
認識にも多々あるが、認識と言うものが脳で理解している事であれば
又認識もその存在において認識は脳内に帰納していく。
だから、デポイズマンと言う存在も脳内に帰納した時の反類似が芸術性に近いのだろうか?
脳内に感じている事が悪であると定義すれば、我々の空間の認識は悪であり
悪の反類似がデポイズマン的な技法を生み出したのであろうか。
243エレベーター X ◆e1ZcXxeB0Q :2009/11/28(土) 05:37:51 ID:H8GcSpOX0
「組織」

組織が実在したと仮定したら俺が狙われる可能性は、非常に低いと言える。
之は確率的に考え方だが、俺は外部組織と関わりを持った事もなければ関わりをもっても
利益が得られないと同時に、組織側も俺を襲撃しても利潤が得られるとは考え辛い。
地理的要因も考えると俺は、組織は実在していると思われる横須賀、霞が関との関わりが無い。
物理的要因は、思考盗聴システムを実在させる為には超音波攻撃、所謂「電波系」は実験物体が
止まった状態に近くないとイケないと言う事を考えると、俺は狙われない(マンション等の第三者に
狙われる場所に生命環境を依存していない)
MM(感染系)は、MMを作るのに大規模な工場施設が必要になるがその様な目立つ物は
田舎の山に作らないとイケないのでそれとの関わりも私は無い。後は
大衆の存在数の見解であるが、私個人が組織に狙われる可能性は極めて低いしかい田舎の村では実験されていても
可笑しくはない。
ナノプラントは、精神病院の注射に入っている可能性が高いが俺は、精神病院には行っていない。
ナノプラントは、電車のイス(新幹線系)に仕掛けられる場合があり3パーセントの確率で人間に注射される(がん式
自動装置)
俺は注意深いので罠に嵌らない。
244エレベーター X ◆e1ZcXxeB0Q :2009/11/28(土) 05:45:47 ID:H8GcSpOX0
「人類の機械と拡張心理」

人類が初めて科学的原理を経験論的に発見しそれを2次的な形で
加工した物は、何が初めなのだろうか。
人類にとって初めての機械が「弓」であるとある考古学者が言っていた其れは多分
弓を人間の機能の拡張をする道具だと言う論点から、弓が初めの機械なのだと思われる
何故人間は機械を必要としてきたのだろうか、其れは人間自身が本質的には弱体であり
動物的な体の強さを持たないからである、故に人間は機械所謂「道具」により
生まれ持った能力を拡大し其れにより動物社会を生き延びてきたのである。
話を戻すが機械が初めて発明されたのは何時か? 私は産業革命が初めの進歩だと思っている
其れは近代工学と言う現時代での機械に言えることだ、では過去の時代の機械で初めての発明
は何なのか?其れは、「言語」と言う変数により変動しうる。
何故ならば、機械を人間の拡張道具として定義するか、又は自動で何かをする物(オートマティク)
による定義で異をなす事になるだが、過去の時代での「機械」は人間の機能を拡張し其れを効率的に
使う物であり進化される物であった此処での機械とは、紀元前以前の話である
産業革命等での蒸気機関の発明により、機械の定義は逆転してしまった
機械により単純労働が減り社会的問題が肥大する事は社会学に譲るとしても、社会的問題は軽視できない問題も
引き起こす事があり歴史が示してきたのである。
245糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/12/01(火) 16:05:55 ID:secOyfYw0
「宗教上の紛争・理論の新展開」
包括宗教法人(日蓮正宗)から擯斥処分を受けたあともなお被包括宗教法人(蓮華寺)の寺院建物
などを占有する従前の住職に対して、日蓮正宗が寺院などの明け渡しを請求するとともに、従前の
住職が右擯斥処分の無効を求めた事例がある。この処分の理由が、従前の住職が「異説を唱えた」
ことにあるとされたことから、宗教上の紛争に裁判所がどのように応答すべきかが問題となった。
「当該訴訟自体は当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係に関する訴訟であっても、
宗教団体内部においてされた懲戒処分の効力が請求の当否を決する前提問題となっており,その効力
の有無が当事者間の紛争の本質的争点をなしている」ため「教義、信仰の内容に 立ち入ることなくして
その効力の有無を判断することができず」「その実質において法令の適用による終局的解決に適しない
ものとして、裁判所法3条にいう『法律上の争訟』にあたらない」と判示した。
(最二小判平成元・9・8民集43巻8号889頁)
この紛争は建物明け渡し紛争であったり、代表者の地位確認の紛争であったりするが、前提問題が
訴訟物レベルではなく前提問題レベルであっても裁判所は宗教法人の内部紛争に介入しないという立場
が明確になった。
このことはむしろ、宗教法人の組織としての処分の実効性を失わせ、宗教法人の自律性が侵害されること
になるとも言われている。
これに対して、翻案判決を下すべきであるという説が唱えられ、2つの学説が存在する。
主張立証責任論」「自律的決定受容論」である。
「主張立証責任論」は、今までの主張立証責任の民事訴訟ルールにしたがいながらも、宗教問題が主張
されたときは「主張がないもの」とみなす考えである。
「自律的決定受容論」は、要件事実自体を、宗教法人内部でなされた自律的決定・処分がその 法人内部
で了承されているかどうかという点に変え、了承されている場合には、その自律的決定を前提問題として
受け入れて本案判決を下すというものである。
両説の具体的立証事項や、批判なども説明が必要だが、とりあえず以上の議論が存在するのだ。
「法学教室」2009年12月号民事訴訟法演習・中島弘雅より
246糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/12/06(日) 03:42:54 ID:96Toq35Q0
「理想郷を求めたテロ組織〜オウム真理教」
オウム真理教は1984年に麻原彰晃こと松本智津夫によって発足されたヨガ・サークル「オウムの会」
(のちに「オウム神仙の会」)を母体とするもので、1987年に「オウム真理教」と改称され、1989年
に宗教法人として設立登記されたものである。
教団は積極的な組織拡大を行い、特に、医師や理工系の専門知識を持つものに勧誘を行った。
1995年には信者の数は一万人を超えるわけだが、全国各地に活動拠点を設ける中で、山梨県の
上九一色村に「サティアン」と称する大規模施設を建設し、出家信者の居住施設やサリンなどの実験室
として使用された。
このような教団が、徐々にテロ組織へと変貌していくことになる。教団は、麻原を独裁者とする理想郷を
建設することを目標として、1990年に政治団体「真理党」を結成し、25人が立候補して全員が落選した。
その後、国家権力の打倒を志向するようになるのだ。
1989年には教団を脱会しようとしたものを殺害しており、さらには教団と対立した弁護士一家の殺害を
実行していた。1995年までの間に元信者や元信者の家族などの殺害を実行するなどしていたのだ。
1994年6月27日に、長野県松本市に教団を建設することに反対する裁判を妨害するため、官舎に向け
サリンを噴霧し7人が死亡する「松本サリン事件」があり、1995年3月20日午前8時過ぎ、営団地下鉄
日比谷線・千代田線・丸の内線(いずれも霞ヶ関を通る)の5本の電車にサリンを撒き、12名が死亡し、
6000人が重症を負い、地下駅と地上で大パニックとなった。

「地下鉄サリン事件〜その後」
この事件ののち、日本社会は一変したといわれる。「他者への憎悪」(森達也)、「暴力への回帰」
(村上春樹)が蔓延する社会、すなわち、共存的な共同体が崩壊し、国民の不安感が蔓延する
敵味方社会の到来である。
オウム事件が現代社会の閉塞状況から出現したとすれば、人々が相互的に支援しあい、人々を
社会に統合していく「ソーシャル・インクルージョン」「コミュニティの再生」などの道筋が重要である
とされる。
247糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/12/07(月) 16:14:44 ID:N8tZk7j90
「高齢者と雇用」
1968年ごろには55歳定年制が主流だった。その趣旨は「35歳までに子どもを作れば
成人するまで面倒が見れる」ということにあった。
ところが、平均寿命が伸張するにしたがい、労働者の稼働年齢が上昇し、55歳の定年は
実態と合わなくなってきた。
そこで、1973年の第二次雇用対策基本計画では60歳までの定年延長が謳われた。
1986年高年法制定:60歳未満定年禁止が努力義務となる
1990年60歳未満定年禁止が義務規定化:65歳までの再雇用が努力義務となる
2004年65歳までの雇用確保措置の実施が義務化される
定年を迎えるとともに年金が受け取れるように連結が図られているが、2013年までに
年金受給年齢が65歳までに引き上げられる予定で、2009年10月現在では63歳が
特別支給の老齢厚生年金の支給開始である。
248糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/12/07(月) 16:19:43 ID:N8tZk7j90
介護保険に関しては、税財源の問題や市町村の負担増の問題を解決するためには、
介護サービスの重点化や効率化以外に対応策はないとされている。
ホームヘルパーの低賃金や労働環境の悪さが指摘されているが、それは労働市場の
問題であり、労働環境改善が期待できない零細企業の参入が原因となっている。
労働市場への政策的介入は難しいとされている。
良質なヘルパーにアクセスするということは高齢者の一部負担金が増えることを意味し、
高齢者の資力によってサービスの良し悪しが決まってしまうというのも難しい問題となって
いる。
249糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/12/07(月) 16:20:30 ID:N8tZk7j90
後期高齢者医療制度に関しては、旧老人医療制度からの移行の経緯や、地方公共団体の
反対などを勘案すると、旧制度に戻すことはありえない選択肢だ。
2008年末に行われた「高齢者医療制度に関する検討会」においても、問題解決の難しさ
だけが明らかになったといわれる。
公的老齢年金からの源泉徴収は以前から行われていたものであったが、世帯主だけでなく
個人単位で行われたことから、負担が増えた(と感じた)人がいたのだ。
後期高齢者医療制度はすべての公的医療制度と切り離して論じることはできず、総合的に
議論しなければならない問題だ。長妻厚生労働大臣も早々に廃止の延期を決めている。
250糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2009/12/07(月) 16:21:17 ID:N8tZk7j90
「老人福祉・介護と財政難の歴史」
1973年「福祉元年」と銘打って老人医療の無料化を実現。オイルショックに見舞われ財政難に。
1983年老人保健制度による医療「老人医療制度」で、財政調整。
2002年老人医療制度の対象者を段階的に75歳に引き上げ。

1980年代、全額公費負担の老人福祉制度(措置制度)、老人医療制度による介護サービス
 の提供の財源面での限界が明らかになる。
1989年厚生・大蔵・自治大臣の合意による「ゴールドプラン」
1994年ゴールドプラン見直し
2000年ゴールドプラン21により、高齢者の介護サービス等の基礎整備を進める。
1994年細川護煕内閣の「国民福祉税構想」頓挫を契機として介護保険制度の検討が本格化。
2000年介護保険法施行:高齢者の介護は老人福祉制度および老人医療制度から
 介護保険制度へと転換される。
2005年介護保険法の5年以内の見直し規定を受けて法改正。
251エレベーター X ◆e1ZcXxeB0Q :2009/12/08(火) 17:09:09 ID:KkvOA1se0
弁証法とマルクス

存在する物が其れに内在する矛盾を原因として自己を否定ー之を反と言う
さらに其れを否定し其れを用いて高次の立場に高格する事を言う。
数学で言う弁証法と言うのは、内在する矛盾を明らかにする事で例を証明する事を言うが
提示した物の反を実行していく事で其れに内在する矛盾を原因とすれば、存在の矛盾を証明できると
考えられるのである。
弁証法の数学的な応用の方法は、デカルトによる弁証法的数学証明方だと言うことであったと
思う。
マルクスは、その弁証法を応用した弁証法的唯物論をエンゲルスと確立していった
弁証法的唯物論とは、運動する物体や其れの持つ運動法則、運動形態は全て弁証法的だとする
理論的考え方である。
そもそも此の理論を体系化した背景には、フェイエルバッハの唯物論とヘーゲルの弁証法哲学の
影響を受け考え出されたドイツ哲学の集大成であるが故に、我々の文明がそれら思想の影響を受けている
事は事実である。
ヘーゲルは19世紀のドイツ観念論を集大成した人物とも言える、19世紀ドイツ哲学は偉大的発展を遂げた
事は言うまでもないだろう。
マルクスらは、前者の唯物論が機械的であり後者の弁証法が観念論的だと否定しそれら理論に
加工を加えた。
其の唯物論を弁証法的に作り直した者はレーニン、スターリンに活用され革命の哲学とされてきたのである。
252糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
エレベーター氏。興味深い少年犯罪のレポートです。

基本的に、未成年者も犯罪を犯したら警察が初動捜査を行います。しかし、未成年者はすべて
事件記録を家庭裁判所に送ることになっています(全件送致主義)。
家庭裁判所は基本的に少年のいろいろな環境を調査したり、犯罪の悪質性を判断して、処分
を決めます。通常は保護司さんに委ねたり、特別な保護が必要な場合は少年院に送られます。
しかし、刑事処分が相当であると判断されれば「逆送」といって検察官に事件記録を送り返します。
そのいい事例が「風流夢譚事件」なのです。
東京家決昭和36年3月22日家月13巻5号183頁。
事案は、皇室崇拝の考えを抱いていた少年が、中央公論社発行の雑誌に掲載された深沢七郎
の「風流夢譚」という小説が、皇室の尊厳を冒涜するものであるとして、社長Pを刺して同人に
傷害を与え、それを新聞に掲載させることにより、世論に訴えかけ、この小説に対する国民の
糾弾の声を盛り上げようとするものだった。
登山ナイフを携え、P宅に行ったところ、Pが不在だったため、応対に出た妻Xと家事手伝い人Y
を刺し、Yを失血死させ、Xに加療二ヶ月の傷害を負わせた。
家庭裁判所は「保護処分による教育改善は不可能ではないが、正義の感情に著しく反する」とし、
「事案の重大性・悪質性」の観点から、「保護不適」として検察に刑事処分を求めて逆送した。