神秘の宝石騎士団 27

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208糖質ですが
「レコードの歴史」
初めてアメリカからレコード(平円盤)を輸入したのは天賞堂であった。1903年10月の
ことだ。三光堂はわずかに出遅れたものの1904年1月にイギリスから輸入を始め、
さらにドイツからも輸入先を広げた。やがて国産のレコードが現れる。先鞭をつけたのは
日本蓄音器商会で、1909年(明治42年)のことだ。
コンテンツに目を転じると、明治42年から大正2年までに日蓄から出されたレコード原盤
は920枚にのぼり、唱歌・薩摩琵琶・筑前琵琶・長唄・義太夫・浪花節・端唄・小唄が
レコード化されている。現代と異なり、レコードはまだ流行を左右する力はなく、中産階級
の蓄音器を持っている階層の嗜好が反映されている。明治に全盛の義太夫が大正になると
後退する一方、浪花節が大正になると繁栄する。レコード勃興と浪花節は密接な関係を
持っているのだ。大正期になると松井須磨子の「カチューシャの唄」が二万枚売れ、政治家の
尾崎行雄の演説レコードも売れた。1922年(大正11年)に三浦環の洋楽レコードが
普及し始めるが、同年に「枯れすすき」がヒットし、流行歌というものが出始める。
1932年(昭和7年)の東京朝日新聞は「レコードでいちばんよく売れるのは浪花節で、それに
次ぐのが流行歌」と報じたという。