神秘の宝石騎士団 27

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191糖質ですが
「貿易摩擦・守りから攻めへ」
GATTはウルグアイラウンドを経て1995年にWTOへと発展的に解消したが、
日本はGATTの紛争処理に関しては1980年代まではとにかく逃げの一手だった。
アメリカなどがとにかく紛争処理の段階で日本を叩いておこうという姿勢だったのだ。
これらの一連の事案では日本は連戦連敗だった。1989年にSPF加工材関税に
関するパネルでカナダを相手に日本の主張が全面的に認められ、これに勇気づけられた
日本は、ECの部品ダンピング規制をめぐる紛争で始めて紛争付託を行い、1990年
に日本の主張を全面的に認めたパネル報告書が採択された。これが日本のWTO紛争
処理制度に対する姿勢を決定付けた。日本は他国の貿易制限的措置を対象に積極的に
紛争付託を行うようになり、現在に至っている。このような紛争では「守り」の紛争
での勝率は1割であるが、「攻め」の紛争での勝率は9割にも上ることがわかっている。