>>950 日の丸が国旗的扱いをされだしたのは、江戸開国のなかで
便宜的に使われだした。
それを受けて「国旗」の扱いとして正式になったのが明治。
日の丸の図案としては8世紀くらいから使われだしてはいるが
日本を代表する・・的意味には使われていない。
>>950 イスラエルなんかは見習わない方がいいですね
あんな国はね
世界中から軽蔑されてますよ
>>953 いまのイスラエル・ユダヤの話ではありません。
それらは、古代のものと同一ではありません。
血統的に違うと言い切ってもいいくらいです。
955 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/06(木) 20:44:20 ID:Wh66V4ci0
謎のシュメール文明
http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_2_m.html シュメール人の都市は、神聖国家と言うべき社会だった。 その中心には、ジッグラトと呼ばれる
巨大な建造物が建てられていたことが知られている。
ジッグラトというのは、階段式ピラミッドとも呼ばれ、その規模は、奥行き60メートル、
幅45メートルほどの基底部を3層に構築した巨大な聖塔のことである。
▲その地上20メートルの頂上には祀殿が建てられていた。
ウルのジグラッド、発見当初(上)再原図(下)
祀殿には、それぞれの都市の主神が祭られていた。エリドゥでは、エンキ(地の神)、
ウルクではアヌ(神々の父)とイナンナ(豊穰の女神)の2神、ウルの場合は、
ナンナ(月の神)という具合にである。
--------------------------------
現在の中東方面に誕生した古代の神殿は、非常に高い位置に神を祭ったとされている。
日本の出雲大社も最初は不思議な位に高い位置に神殿を構えていたとの事。
その出雲大社の高い形からしても、古代の日本的でない建物であったと推理できる。
古代のシャメール文明での神殿の様式ではないけれども、想像を超えた高い場所に
神の存在を認めるという志向性は古代文明の考えを引き継いでいる様に感じる
古代の出雲大社の異様な高さの神殿様式。 ※出雲大社のものは次に投稿。
956 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/06(木) 20:59:46 ID:Wh66V4ci0
出雲大社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE#.E5.89.B5.E5.BB.BA.E4.BC.9D.E6.89.BF 創建伝承
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、
千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、
これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
本殿
現在の本殿は延享元年(1744年)に作られた。 高さは8丈(▲およそ24m)で、これも神社としては
破格の大きさであるが、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(▲48m)、
上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられる。 その伝承より想定される形は
大変不思議なもので、▲空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものであった。
16丈(▲48m)の建築物が古代において建造可能であったのかに疑問を呈する意見もあるが、
実際に何度も倒壊したという記録があり、当時の技術レベルを超えて建築された可能性は
否定出来ない。 上古32丈についても、山の頂上に建てられ、その山の高さであると考えれば、
不自然では無いという意見もある。
----------------------------------
初期に建てられた出雲大社の異様な高さ。 なぜその異様な高さが必要だったのか?
必要だったのではなくて古代からの様式の伝承で高くしたのだと推理したい。 そかし異様な
高さは、最高の力を持った神を祭るのには、権力を見せ付ける為に異様な高さが必要として
建てた可能性もある。 その権威象徴に高さを用いるのは、古代文明の手法であると思う。
時代的に弥生時代 〜古墳時代 あたりに渡来人が現れたと推理したい。 とするとその古代の年代に
日本人は異様に高い神殿(出雲大社)を造ろうとする考えを持つだろうか? NO!に思う。
だとすると出雲大社という神殿を造ったのは古代の渡来人の考えからと思う。
957 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/06(木) 21:07:11 ID:U6PS9RdN0
958 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/06(木) 21:59:50 ID:Wh66V4ci0
古代イスラエルと古代日本の関係を考えてみるとやはり
古代日本の文化は古代イスラエルから多くの影響を受けていたと思わずには
いられない。 相撲、神社という宗教文化も受け継いだ。
アジアの多くが仏教やイスラム文化なのに、日本だけ神社文化というものを
持っている。 それを考えるとやはり古代イスラエル地域の文化を受け継いでいると
思う。 しかし残念なのは、それらの相撲文化、神社文化にしても古代での
心理部分での考え方は受け継いでいないと思う。
なぜなら、神社での参拝を考えても古代での神社信仰とは異質になっていると思う。
古代での神社(神殿)の目的とするところは、統治者の祭りごと=神への信仰を
誓う場所としての神聖な施設として造り、その精神性を絶対視している場所であり、
願い事を神に聞いてもらうとする場所ではなかったはず。
古代日本に神社という精神文化を持込んだ時に、古代の日本の国家自体がまだ
精神文化を求めるだけの精神的な発達をしていなかったとしたら、神社を造るにあたり
「神へ願い事を聞いてもらう場所」としての位置づけをした施設とした可能性がある。
※もう少しあるので続きはあとで
959 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/06(木) 22:01:15 ID:Wh66V4ci0
神社本来の目的は、心身を清めて精神性を鍛え、高めて神秘性の追求をする場所
であったはずなのに、農耕民族の欲のなさから神秘性の追求と精神性の磨きや
追求する意志を神社の持つ偉大な神秘性に預けなかった古代日本民族の失敗点
だったと思う。 古代文明では「祭り」は神に捧げる神事との事。
神を喜ばし、神を信仰して行くことを誓う祝いの行事だったのだと思う。
それがいつしか、祭りはタダの楽しみの傾向が強くなり、ビジネスになってしまった
のだと思う。 神への信仰を忘れ続ける「祭り」になって行くのではないのか。
だとすると、古代イスラエルがとうのこうのではなくて、古代日本に伝わった
精神文化、精神的文明の本質を最初から理解を出来ずに来た日本なのでは
ないのだろうか。 だからヒトラーは、日本だけではないと思うけれとも
これからは、アジアの東方に「永遠の未成年者集団が誕生をする」との
予言を残したのではないのだろうか。
960 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/06(木) 22:36:21 ID:Wh66V4ci0
何を書きたいのかが分らないけれども、とにかくキーボードを打ちたい気持ちが沸いている。
ヨーロッパの芸術文化は素晴らしいものが多い。 国が多く接近していて、芸術を競って素晴らしい
ものにしようとした時代背景があるからだと思う。 音楽、彫刻、建築、絵画、自然美までも
芸術的風景として愛するような文化。 それらの芸術文化は精神文化にも良い発達をさせたと思う。
アジアがヨーロッパに負けているのは、芸術文化を支えている精神的な部分の足りない何かだと思う。
芸術文化を日頃の生活の周りに見て、無意識に感じている芸術文化からの安らぎ。
それほどにヨーロッパを支えているのは古代からの芸術文化であり、芸術文化から受ける
精神的な豊かさが西洋文明を支えているのだと思う。
日本は古代において、古代イスラエルが橋渡しになり、古代文明の精神性、神秘性の本質を
日本に伝えようとしたのに、農耕民族の欲のなさから文化発展を望まず、文明の発達を
望まなく、古代文明の持つ神秘性と精神性の本質をも求めようとしなかった。
それが今の精神的な荒廃に向かう文化を作っているのではないのだろうか。
今の神社の位置づけは、願いごとが在る時だけ行く所。 その様に精神の清めの場所として、
精神性の向上の為に行く場所としての位置づけを失っているのではないのだろうか。
相撲部屋の中でも色々な事件を起こしている。 古代の相撲は神事としての位置づけだった。
今はスポーツであり、ビジネスになっている。 神とつながっている行事ではない。
だから神秘性と精神性を忘れて、スポーツになってしまったのだと思う。
だからすでに、古代の日本は古代イスラエルとつながっていたとしても、まったく意味のない関係に
なってしまったのだと思う。 相撲をビジネス的とし、神社を願いごとをする場所としてしまった。
祭りもビジネス。 ともすれば神とのつながりを感じる為の神事なのに、神の存在を忘れる。
今の日本は古代からの精神的な遺産をすべて失ってしまったのではないのだろうか。
961 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/06(木) 23:43:53 ID:Wh66V4ci0
962 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 00:26:13 ID:7h3gVzAb0
>>961 を読んでも、つながりは在るとして納得をさせられる。
古代イスラエルの風習が日本の風習にも採り入れられていると感じる。
しかし西洋と東洋の生体的なDNAの違いは変える事は出来ない。
古代から日本は農耕民族的な温和なDNAを所有しているはず。
だからかどうかは分らないが、日本では過激なデモは一切ない。
過去には日米安保などでの学生運動が在ったけれども、その過激性は過去の
遺物になった感じがする。 その様に日本民族のDNAは農耕民族のDNAが
多いのだと思う。
その農耕民族的なDNAの話は別にして、日本の風習や文化が古代イスラエルより
大きな影響を受けていると分ったとしても、それがどうしたのだ?
日本の文化のルーツは古代イスラエルに在ったのだからとして、どうなるのだ?
と言われても、何もどうなるものではないと思う。 古代からのルーツは
日本の基本的文化として民族的なDNAに組み込まれたと思うから。
問題は古代のルーツが持っていた本質を忘れて、文化を支える精神性が
劣化を始めたことが問題になるのだと思う。 古代日本が作り上げた精神性が今、
劣化を始めている。 日本の精神性はどこから作られたか?
それは古代イスラエルよりのルーツで分ると思う。 古代イスラエルも神道を
崇拝していた。 相撲という行事の中にも神への敬いの気持ちがあったはず。
祭りも神との関わりを感じる神事(行事)だった。
だとすると、神道、神社という場所の役目を考え直すこと。相撲、祭り、
その他にも神が関わる神事や行事の中から、神秘性と精神性を感じる行いを
見つけて行く事が古代イスラエルのルーツへ戻り、神秘性を感じる事になり、
そこから精神性が生まれて来るのではないのだろうか。
古代イスラエルがルーツだからどうなのだ? なのではなくて、古代のルーツが持つ
神秘性を感じる後戻りが、古代日本の精神をよみがえらす事になるのではないのだろうか。
963 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 00:38:57 ID:7h3gVzAb0
日本的な精神文化を忘れたならば、日本の古代ルーツを探せばよい事になる。
ルーツを忘れたから身勝手な文化を作り出して日本をおかしくして来たのかも
知れない。 過去でのルーツを探れば修正する道が分るかもだな。
964 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 00:52:35 ID:7h3gVzAb0
2007年 10月 13日
神社の謎・そのルーツは古代イスラエルの幕屋にあった!
神社のルーツ! 古代イスラエルの風習&幕屋を模した!
神社は、日本の至る所にあり、神社本庁所管で7万社、御分社と呼ばれる神社まで含めると、
その数15万社とも言われるそうだ。驚く事に古事記以前にも4000前後の神社があったと言われている。
また神社の形式が殆ど同じである事に不思議を感じる。 神社に行くと、鳥居?何で朱色?
何故日本にいない動物・獅子がいる。何故角がある?何で馬がいる?神聖な拝む所に何で踊る場所
(神楽殿)がある? 何故二つの建物(拝殿と本殿)がある?注連縄・四手って何?
何で屋根が千木?・・・何故、何で?単純に不思議に感じていた。
神社ってそういうものだ!と思えば疑問も起こらないのだろうが、納得しようと思えば
不思議だらけで簡単に納得できないのである。
神と仰いだのは山であり、ユダヤ教の起原は縄文人の原始的な自然信仰と全く同じであり、
イスラエルにおいて発展し、完成したのち逆輸入された!とも考えられるとしている。
鈴木氏は、いずれにしても神道とユダヤ教は双子の兄弟であることが確認出来るとしている。
こうした関連の書籍を読むと、イスラエル支族が日本に来て、やがて永住し、我等が祖先の一部となった!
そして言葉・風習・習慣そして幕屋と神道の類似性、記紀の内容などからも、神社はイスラエル支族が
作り上げたものである!と言う説を、肯定せざるを得ないのである。
http://hamadas3.exblog.jp/
965 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 01:03:19 ID:7h3gVzAb0
しかし幾ら日本のルーツは古代イスラエルからのものであると
仮に証明をされても、日本民族は日本民族で、イスラエル民族とは違う。
風習はルーツから共通になったとしても民族的な性質は違うはずである。
日本民族=イスラエル民族と同一視はマズイ。
時代が進み、イスラエルが世界からうらまれる状況が発生した場合、
日本もイスラエル民族と同じという同一視をされては困るからだ。
現代的な予言ではいずれイスラエルは中東で戦争を始めるとされている。
その戦争でイスラエルは攻撃が過激になり、世界から非難を浴びて
世界から孤立をするとされている。 最後には米国もイスラエルを
擁護できなくなると予言されている。 その様にイスラエルが世界から
非難と攻撃をされた流れで、日本もイスラエルとなぜか同一視をされて
世界から攻撃をされたらたまらない。
だからハッキリと言う必要がある。 イスラエルと風習は同じであっても
民族的には違うのだ!と。 世界にもルーツは同じであるけれども
民族的には違う国があるはずだ。
966 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 01:22:07 ID:7h3gVzAb0
967 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 01:30:57 ID:EZSX+PpFO
日本人のルーツがユダヤとかイスラエルとかだとして、何かいい事悪い事ってある?特にない?
いい事なんて無いよ
ユダヤ人が馴れ馴れしくしてくるだけ
で、都合が悪ければ「あ、今の無し」ってやるだけだからw
そもそもユダヤの体質を見てるとむしろ半島と同根だろうがw
全てわたしたちが起源ニダだしw
日本とは関係ねぇ
>>967>>968 だから、今のユダヤ・イスラエルとは何の関係もないんだってば。
名前が同じの別物なんだよ。
パレスチナいじめのイスラエル・ユダヤと同じとか
影響受けてるって話ではないの。
>>969 そう言ってしまうと、
今の漢民族は漢王朝時代の漢民族とは何の関係もない。
>>970 だから、それでいいんだよ。
同祖論てきに扱うユダヤ・イスラエルは
血統的にも別と言い切れるよ。ほとんど別人・別国家。
972 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 18:16:49 ID:mZo2W+iA0
>>969-971 その様に思う。 民族的性質は違うものになっていると思う。
日本は7世紀から8世紀にかけて渡来した古代イスラエル人によって
古代イスラエルの文化を共有する様になっただけで、イスラエル的な考え方や
イスラエル的な意志を受け継いだのとは違う。 古代文化の「形」を古代日本は
もらって日本文化として用いだしただけ。 民族的な性質や民族的意志などは
イスラエルと全く違う。 文化の基礎が同じだからといって、民族的意志を
同一視するのは間違いであり危険だ。 大ざっぱだけれども去年、パレスチナを
攻撃したイスラエルの姿勢は非難をする姿勢を持つことが必要と思う。
文化の基が共通だからといって民族的性質や意志まで同一視をするのは危険に
なると言えると思う。 文化は共通でも民族的性質と意志は全くの別だ。
973 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 18:42:31 ID:mZo2W+iA0
出雲退社 の 本殿
現在の本殿は延享元年(1744年)に作られた。高さは8丈(およそ24m)で、これも神社としては
破格の大きさであるが、●かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、
上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられる。
その伝承より想定される形は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの
柱の上に社が建つというものであった。
※その古代に建てられていた出雲大社(いずも おおやしろ)のイメージ図(復元図)
出雲大社復元図 (原図 張仁誠氏 復元 大林組)
http://bell.jp/pancho/travel/izumo/images/izumo%20taisha-00.jpg 出雲大社 (いずも おおやしろ)
画像のソースページ: bell.jp/pancho/travel/izumo/izumo%20taisha.htm
※ページの最後の方に古代に建てられていた大社の復元イメージ図がある。
その異様な高さは、日本的ではなくて古代の文明発祥地に作られた神殿と似た高さを
持っているように感じる。 このページにある巨大な柱跡の写真を見ると
出雲大社・復元図に描かれている異様な神殿は古代に実際に建てられていたと想像できる。
契約の箱を神社から運び出して
みんなで騒ぐ季節だな(丶´ω`)
975 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 18:57:49 ID:mZo2W+iA0
976 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/07(金) 21:55:20 ID:TvYBHpO80
977 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 01:01:20 ID:gsdBC+Cf0
978 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 01:24:08 ID:gsdBC+Cf0
蒙古襲来
〜日本を襲った歴史上最大の危機
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_b.html ※今から700年ちょっと前の古代日本を襲った歴史上の最大の危機=蒙古襲来
↑を読めば分るけれども古代日本は数度の偶然により国が無くなるのを助けられた。
「偶然という助け舟」により古代日本は蒙古の襲撃から救われた。 2度の台風と蒙古軍の勘違い
による作戦の日を間違った為に古代日本は救われた。 もしも古代日本が蒙古に負けていれば今は
「日本という国は無かった」、違う国名で違う民族と呼ばれていたはず。
そしてページの中の最後にはマト目として良い事が書かれている。 次の様に・・・・
しかし、奇跡は起こり、日本は救われたのであった。この大敗のため、中国江南地方では、
多くの出征した兵士が帰らずに、民衆の不満がぼっ発して、大規模な反乱が起き、フビライは、
鎮圧にかなりの時間を裂かねばならなかったという。 しばらくは、遠征するどころではなかったのである。
この出来事以来、日本人の頭の中には、危機に陥った際、神仏に祈祷を行えば、▲必ず神風が
吹き荒れ、日本を救ってくれるという考えが定着するようになった。 そして、日本という国は、
▲特別に神に守られているとする神国思想が信じられるようになった。
そのため、こうしたラッキーな大勝利も、数世紀後には、大きなツケとなって
日本人全体の運命にはね返ってくるのは皮肉な話である。
-----------------------
この古代の時から日本は、偶然性を期待して頼る。 困った時には神仏に祈祷をすれば
救われるとした「確証も無いのに安心をしてしまう」という大間違いな精神性を持ってしまったと思う。
まさに幼稚な精神性。 祈れば全てが救われる、助けてもらえるとする・確証も無い安心感で
もって危機は解消されると思い込む民族性を作ってしまった感じがする。
979 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 02:36:41 ID:gsdBC+Cf0
日本はまれに見る=神聖性を愛する?国であるかも。
神道(神社)を愛し、仏教も愛する。キリスト教も愛している。
信仰は必要と思うけれども日本の信仰は、確実性のないものに頼り過ぎる事が
幼稚性から抜け出せない国民性を作ってしまったのではないのだろうか。
ヒトラーが、「東方に永遠の未成年者集団が現れる」と予言した様に今の日本は
精神が幼稚性に振り回されている。 古代イスラエルより神を崇拝するという
精神性を重視する精神的文化を受け継いだと思うのだけれども、いつしか「神への
祈りに頼り過ぎてしまった」。
>>978 の蒙古襲来での危機を偶然により救われたのに
「神により救われたとしての、絶対的な神崇拝に傾き、祈れば救われるとした=
神に頼り切る幼稚な精神性を持ってしまった事が現在の日本の不幸かも知れない。
古代イスラエルがルーツとした神崇拝の神秘性と精神性は素晴らしい精神文化を
古代日本に採り入れたけれども、歴史の途中から精神性の用法を間違ったのでは
ないのだろうか。 蒙古襲来の危機が自然の脅威である台風という偶然性によって
古代日本は助けられた。 その偶然性を余りにも誇大に神の高徳に守られている日本だと
思い違いをしての・・日本という国を神秘性という確実性のない偶像化に似た感覚で
日本を考えるようになったので、訳の分からない幼稚な精神性が出来上がった
のではないのだろうか。 神秘性、偶然性、偶像化、祈れば救われるとした幼稚性などが
今の幼稚で混乱をしている精神性を作ってしまったのではないのだろうか。
980 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 02:38:40 ID:gsdBC+Cf0
とすると日本の文化や精神性(神を崇拝する精神性)のルーツは古代イスラエルに在ったのだと
思うけれども、今の日本にはその古代からの根本的な精神性はすでに無くなっていると
言えるかも知れない。 今はただ古代からの「形だけを真似しているだけの文化」かも知れない。
神社の参拝も「何かのお願いがある時だけにお参り」になっている。
年末年始だけの参拝になっている。 相撲部屋の事件の多さも、相撲を形だけ真似をしているだけ
なので精神的なものを忘れたからあれだけ事件が多いのだと思う。 殺人事件も起こした。
暴力事件も、八百長の噂もある。 品格問題などもある。 色々ある。 つまり神事としての相撲も
今になっては、形だけで行うスポーツであり、ビジネスになっているからだと思う。
これからの日本の精神文化は早く崩れて行くのかも知れない。
981 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 03:41:24 ID:Fs8+uu370
>古代イスラエルより神を崇拝するという
>精神性を重視する精神的文化を受け継いだと
もうここからおかしい
982 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 04:03:21 ID:79zbYQVK0
>>981 おかしくはないと思う。 全ての祭りではないと思うけれども、
日本の中の祭りの中には、祭りは神事としての位置づけがされている。
京都での祭り、諏訪大社の御柱祭り
http://www.onbashira.jp/ などは古代イスラエルとつながりがあると推測されていている。
そしてこれらの祭りは神社とのつながりがある。神=精神性とも言えるかも。
相撲は日本の国技であるけれども、精神文化を示すものでもあると思う。
横綱に昇進すると『横綱がもつ形を神に奉納をする』ために神社で横綱に
与えられた形を神(神社)に見せて奉納をする。その行為は立派な精神的なもの。
だから、神=精神性 それは精神文化にもつながっていると言えると思う。
その様に考えると、相撲、祭り、神社という神聖施設などりルーツは古代イスラエルに
在ると思われているので、古代イスラエルから精神性を受け継いだと言えると思う。
983 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 04:30:10 ID:79zbYQVK0
殺戮 (さつりく) とは・・・・ 複数の人間を一方的に殺すこと。
虐殺(ぎゃくさつ)とは、・・・・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
虐殺(ぎゃくさつ)とは、「むごい殺され方」やそのような殺され方がおこなわれた出来事をさすが、
どこまでが「虐殺」なのか非常に曖昧で感覚的な用いられ方をする言葉である。
----------------------------------
※「殺戮(さつりく)」という言葉よりも虐殺という言葉の方がとても酷い殺し方に感じる。
大飢饉と大殺戮(だいさつりく)の恐怖
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8.html 大殺戮の申し子
〜世界中を震撼させた破壊と殺戮の嵐〜
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_a.html 古代のチンギス・ハンでの大虐殺だけではなく、チベットの中国への属国化、
アフリカのルワンダ大虐殺事件、最近ではチベット暴動、ウイグル暴動などでも全ての者が
神に祈り、仏様に祈り、大虐殺という災いを起こさないで欲しいと強く、強く、毎日、何ヶ月、
何年も願ったはず。 それでも大虐殺は止められない。 神や仏への祈りにも限界はあるという事を
教えている。 神や仏様への祈りだけでは災いを避けられないこともあるという事実を人類は
知る必要があると思う。 古代からの大虐殺の歴史を知ると、祈りや願いよりも大切な事がある
という事を知るべきではないのだろうか。 日本史特にそうかも知れない。 日本は未だに神の国だ。
神に祈れば救われるという気持ちが、精神の中に少し残っているのではないのだろうか。
神様や仏様への祈りだけに頼る精神文化では、災いを大きく受けるし、大虐殺を必ず受けて
しまうという事を知らなければいけないのだと思う。 必要な行いの後に祈りがある・・という考えも
必要なのではないのだろうか。
984 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 04:49:38 ID:79zbYQVK0
余談的なたわむれ?として........
仏教では視覚化された仏様が必ず鎮座している。
キリスト教ではイエス・キリストやマリア様が視覚化されて鎮座している。
しかし日本の神社には視覚化された神様は鎮座していない。
神器(しんき)とされる器が鎮座している。 器が神様でないけれども
神様の代理? 神様の持物が在る事により、神がその場所に存在をしていると
しているのだろうか。 日本の神様は視覚化されていない。神器が神の代理として
鎮座している。 そのルーツは古代イスラエルであり、さらには古代シュメール文明
までにもつながっているのだろうか。 エジプトの神も擬人化された視覚性を
持っている。 他方、視覚化されない神を信仰する文化もある。
神器を神の代理として神聖化をしている文化を持っていた文明は共通するルーツを
持っているのではないのだろうか。
古代イスラエルと類似点があったとしても、古代イスラエルから流入したという根拠にはならない
儀式的、儀礼的なものはほぼどの文化にも見られる
古代イスラエルと日本の儀式が、他の文化と比べて同一性が著しいと言える論拠は何なの?
僕富士山
噴火していい?
987 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 14:36:45 ID:bD9IQl770
988 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 17:14:26 ID:bD9IQl770
スレ立て直後からロムし続けていますが
じつに興味深い内容のスレとなり、勉強になりました。
書き込まれている方に感謝しています。
990 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 17:37:02 ID:bD9IQl770
"日本・ユダヤ封印の古代史"
聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史――失われた10部族の謎
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/tokehon.htm イスラエルの失われた十部族は日本に来たか
ラビ・トケイヤーは、十部族の人々がとくにシルクロード付近に足跡を残していることを例証している。
ではシルクロードの終点はどこか。日本である。
イスラエルの失われた十部族は中国までやって来ていた。 彼らの一部はアフガニスタンや、
カシミール、インド、ミャンマー、中国などに、住み着いた。 しかし、それで終わりだろうか。
本隊の人々はさらに東に向かい、日本にまで到達したということは考えられるだろうか。
ラビ・トケイヤーは、つぎに、日本には様々な古代イスラエルとの類似点が見られることを指摘する。
彼はまず、諏訪大社にイサク奉献伝承が古来あることに着目する。また、イスラエルの契約の箱と
神社の御神輿の類似、イスラエルの祭司の服と神社の神主の服の類似、神主のお祓いの仕草と
古代イスラエルの風習との類似、イスラエルの幕屋の構造と神社の構造の類似、そのほか様々な
イスラエルの風習と日本神道の風習との類似を取り上げている。
※古代イスラエル人は戦い敗れて紀元前722年ごろから、一部はシルクロードを伝わり東へ進んだ
とされている。 さらに、日本の弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が
列島外から北部九州に移住することによって始まった。・・とされているので、その集団が
古代イスラエル人の可能性がある。 古代のメソポタミア文明では、・・・・耕作や放牧に適しており、
近くの湿地帯では、魚と鳥が常に豊富に得られるという生活するには理想的な環境だった。
・・・・とされているので、稲作技術や魚を食べる習慣などを古代日本に持込んだのではないのだろうか。
色々なHPを読むと、古代中近東の民族は古代日本に移り住んだと考えてよさそうに感じる。
991 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 18:00:50 ID:bD9IQl770
色々なHPを読んで行く内に、古代日本は古代中近東の文明の影響を大きく受けている事が分かった。
神社、祭り、相撲、塩は不浄を払う神聖なものとして考え方。 その他にも古代文明と共通なものが
あるはず。 しかし住む地域が違えば「 民族的な性質、性格も変わってくる 」。
日本の文化の中には古代の中近東の文明から影響を受けたけれども、民族的な性質は
変える事が出来なかったはずと思いたい。 古代から日本には季節の四季がある。
海もある。 大陸的な風景が無いのも民族的な性質を作っているはず。
その様にかんがえると日本文化の中には古代の文明発祥地の文化というか、考え方を
受け継いでいる事になると思う。 しかし本質的な考え方は違うものになっていると思う。
日本の大衆は表面的な部分でのもので、日本的文化を考え感じているはず。
宗教を例にとれば、日本での神社は信仰の対象ではなくて、願い事を聞いてもらう為の
願掛け施設に近いものになっていることが上げられる。 他方外国の宗教・・例えば
イスラム教は毎日お祈りをして、神への信仰を誓っている姿を見せている。
アジアの仏教でもお寺に行き、祈りを捧げている。 日本のお寺と言えば、葬儀や
何周忌などの関係で訪れるだけの事が多いのではないのか。
それは、根本的というか本質がすでに大きく違っている様に感じてしまう。
だから日本の文化、文明というものの根本的な部分での考え方が軽いものに
なってしまったのではないのだろうか。 神道、仏教、神社、お寺、相撲、お祭り、
色々な神事に関係した行事があると思うけれども、古代文明より本質部分の感じ方、
考え方を教えてもらわなかった為に、悪く言えば 「表面的な文化 」になってしまったのでは
ないのだろうか。
992 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 18:21:06 ID:bD9IQl770
>>977 の紹介の中のものでも、蒙古襲来・・の事がなぜか凄く気になる。
大殺戮の申し子
〜世界中を震撼させた破壊と殺戮の嵐〜
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_a.html 蒙古襲来
〜日本を襲った歴史上最大の危機
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_b.html ※ 古代イスラエルと古代日本のつながりは色々なHPにより納得出来るものになって来た。
その様に古代の日本を考えてみると、『 蒙古襲来の恐怖 』だけが、日本史にとって異様な
事件に思えてしまう。 蒙古=チンギス・ハンの野望と恐怖は、「〜世界中を震撼させた破壊と
殺戮の嵐〜 」を読むと、あと少しでもチンギス・ハンが生きていれば本当に今の世界史とは全く
違う「世界史が作られていた」と思える位の凄さに感じてしまった。
チンギス・ハンの残虐性を読んで知ると、チンギス・ハンの野望と残虐性は『 古代での歴史 』として
軽く収めて良いのだろうか? 統治者の中には侠気に気が付かずに世界を治めようとする野望を
持つものがいるとしての恐れを今の時代でも持っておく必要があるのではないのかと感じてしまう。
チンギス・ハンの侠気と 蒙古の侠気と残虐性は、その古代の時代だけのものだったのだろうか?
近代史ではヒトラーのユダヤ虐殺もある。 旧ソビエトのスターリン?でも自国民を2000万人も
惨殺している。 毛沢東はチベット制圧で120万人くらいのチベット人を惨殺した。
更には核兵器開発で、自国民の6000万人〜8000万人をも飢え死にさせた。
統治者の侠気し残虐性は、古代の歴史の中だけのものとして軽く考えていて良いのだろうか。
しかしそれはなぜか違う気がする。 侠気と残虐性は時を越えてよみがえる気がするからだ。
だから、論拠は?
994 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 19:44:55 ID:FZhnyfVG0
>>993 後戻りをして読めば分かるはず。 納得出来なければ、2回目を読む。
それでも理解出来なかったら3回目を読む。 そのころには理解出来ると思う。
勢力が一番強い時の勢力図。 その領土の広さと長さが凄い。
東は極東のロシアから中国、モンゴル、インドの一部、パキスタン、アフガン、イラン、イラク、
中東、トルコ、ヨーロッパ(フランス、イタリア、ドイツやハンガリー、モシアの西までも領土にしていた。
チンギス・ハンの勢力図 ( 12世紀末のユーラシア )
http://www.nikkei.co.jp/novel/img/06041702t.gif
995 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 20:23:11 ID:FZhnyfVG0
チンギス・ハンの勢力図 ( 12世紀末のユーラシア )
http://www.nikkei.co.jp/novel/img/06041702t.gif の勢力図を見るとやはり、「 〜世界中を震撼させた破壊と殺戮の嵐〜 」の中に書かれている
モンゴル軍の残虐性は納得出来る。 残虐性によって、恐怖心により戦意を失わせて、
その間に攻撃する。 そして恐怖による統治をする。
古代のドラキュラ伯爵の戦法だ。 ドラキュラ伯爵は自国の兵力が弱いので、敵の死体を槍に刺して
道路沿いに死体の刺さった槍を立てたらしい。 敵はその死体の姿の凄さに恐れを感じて
逃げて行ったらしいと。 ドラキュラ伯爵は戦わずして戦いに勝ったことになる。
チンギス・ハンもその恐怖心を使ったのかも知れないが、その勢力の広さの凄さからして
モンゴル軍の指揮を統制したり高揚させる為に、残虐性により精神を麻痺させていたのかも知れない。
今だったら覚醒剤により恐怖心を麻痺させる状態を、モンゴル軍は残虐性を覚醒剤の様な役目を
させていたのかも知れない。
しかし日本に襲って来た蒙古軍。 最初に日本の武士と戦った時は、こっけい(滑稽)でもあるし、
日本の武士は完全にアホだった。 蒙古兵が博多の浜に上陸をして武士と対峙した時に武士は
日本式に・・、我は何がしの、誰べえであると口上を言っていたらしい。 しかし蒙古軍はその様な
戦法は知らない。 目の前の敵は直ぐに殺すというのが戦法になっている。
だから武士が口上を言っている間に弓で打たれて死んだらしい。 その口上が通じない蒙古軍の
戦い方に驚き、狼狽をしたとの事。 世界と考え方が違う日本かも知れない。
いつしか第三次大戦が起きそうな気配を感じる時が来るのかも知れない。 その時に日本は、
「 平和憲法=第9条 」があるので、戦争は考えていません。 戦争をしようとしても日本は相手を
しませんとして、宣言をするのかも知れない。 しかし相手が=蒙古軍の戦法であれれば、日本が
口上を゛んげんしてい間に日本は占領されているのかも知れない。 憲法第9条は=蒙古との
戦いり時の・口上と同じものなのなのかも知れないと。
ま、遺伝子的な証拠は皆無に等しいけどね
997 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 20:50:56 ID:FZhnyfVG0
大殺戮の申し子
〜世界中を震撼させた破壊と殺戮の嵐〜
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_a.html 当時5000万人ほどいた中国の人口がわずか30年後にした調査によると
約900万人ほどになってしまったというから虐殺の規模がうかがい知れる。
----------------------------------
現在の中国は13億人の人口。 12世紀末ごろ=今から700年ちょっと前まで蒙古軍に
惨殺されて900万人だったのに、今は13億人。 その人種的ルーツの中には当然
モンゴル民族との関わりがあったと考えるべきだと思う。 その危険ルーツは残虐性だ。
中国は漢民族がほとんどと言われているけれども、900万人から人口増加をした背景には
モンゴル民族との交配が大きく関わっているのだと思う。 それは当然の流れだけれども
凶暴性と残虐性のルーツまでも引き継いでいるとするとヤバイかも。
中国が始めてチベットを侵略した時には、僧侶の惨殺、妊婦の惨殺(民族の浄化目的)、
家族同士の密告制度などでチベット人が殺されて行く姿は悲惨だったらしい。
今考えれば、モンゴル軍的に残虐性と似ていると言えるかも知れない。
去年のチベット暴動も、ウイグル報道も、核開発での数千万人という死者も、蒙古からの残虐性を
引き継いでいなければ、行えない残虐性と思うのだけれども。 全ての中国人ではないけれども、
900万人当時は蒙古軍も民族浄化を考えていたとすると、モンゴル民族としての人口を増やそうと
するはずと思う。 そう考えると全てではないけれども、中国の残虐性はちよっと危険かもだな。
とても、平和憲法9条で日本は守られています。などと馬鹿な神秘性でもっての安心感に酔っていたら
本当に日本は簡単に終わる可能性があるかもだ。 日月神示の予言では北からロシアが・・・・と
予言をしているし。 安全が確約されない平和憲法に頼っていては、日本は終わるかもだな。
国力のあるうちに、核武装と多元的軍事同盟締結はしておかないとな。
その意味で、イスラエルとの縁も使わなければならない、とは思う。
999 :
本当にあった怖い名無し:2009/08/08(土) 20:56:25 ID:FZhnyfVG0
ところで、このスレッドの続編=NO.2は立てるのだろうか?
回避します
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千本目の蝋燭が消えますた・・・
新しい蝋燭を立ててくださいです・・・