>>716 グノーシス思想と阿千ション思想が対立するとは思えない
「正統的な宗教」と、これに対する「異端的なグノーシス思想」
という構図で捉えるなら、前者が瀕死状態(カトリックは求心力低下、
イスラム原理主義は過激化)なのに対し、これらを解消する現代的な
精神活動の概念として「メタ宗教」という表現を選ばれたのでしょうか
これは単に個人的なイメージとしてですが、阿千ション思想を
正統と異端の壁を取り払うもの、即ち、正統=カトリックで、
異端=それ以外(プロテスタントやイスラム、その他の宗教や科学、
陰謀論者言う所のイルミナティ……カトリック言う所の「悪魔」全て)
という風に捉えた時、阿千ション思想が果す役割は、その両者に架け橋を
築き均衡を取戻す事で、その結果招くのは、ごく単純明快に、
「カトリックの終焉」なんじゃまいかと現時点では思っていますが
ウィキペディアで「ニヒリズム」の項目を読みましたが、
「予定説」と似てますね 4年前に読んだ、
「痛快!憲法学」(小室直樹/集英社インターナショナル)という本の
「第5章◆民主主義と資本主義は双子だった」の章で「予定説」を知った
んですが、この思想を知って以降、俺の中での迷いが
(というより「迷い癖」の様なものが)消えました
創造主の存在や方針等は、人間レベルで幾ら考えても分る訳無いのだから、
世俗的な倫理観等にがんじがらめにされる余り、人が本来持つ自由度を喪失
し、本末転倒な争いを生む位ならば、それらに惑わされず、
人間レベルでの思考を推し進めた先にのみ真理は存在する
=ゴイムが人に変る(前田慶次の「無法天に通ず」的にw)
……という考え方が、迷いを消したのかも知れません
「気付き」の切っ掛けや入り口は人それぞれで異なるので、誰もが
迷いや悔いの無い人生を歩めればいいですが、日本人にとって、
阿千ションが意味するものは具体的に何なのか、というのが
目下の関心事です(欧米人はカトリックからの脱却 では、日本人は?)